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    hamayuu_815

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    #一次創作小説
    aCreativeFiction

    天の末裔2※更新予定2章 夏の哀歌


    青い空にくっきりと雲が映える、よい天気だった。洗濯ものがはためく路地を九歳のラファウは息せき切って工房へ駆けていた。
    父ヤセクは腕の確かな職人で、同じ裏街に住む職人たちと組を作り、工房を共有しながら合金の細工を生業としていた。
    父の手によって固い金属が飴のように伸ばされ形を変えていくのを見るのは、魔法のようで、幼い妹や弟たちと遊んでいるより、よっぽど面白かった。危ないから近づくなと言われながらも父に貼り付いて作業を眺めていると、あっという間に日が暮れてしまうのだ。
    その日もいつものように工房の裏口から入って、作業場に忍びこもうとした。ふと、知らない声が聞こえてきて戸を開けようとした手を止めた。
    少しだけ隙間を作り中を覗くと、戸口に男が立っていて父と話しているのが見えた。他の人の姿はなかった。
    偉い人のお使いかな、と思った。その男は目深に外套の頭巾を被って、顔がはっきりと見えなかった。
    偉い人から注文が来るときは、お使いは誰が頼んだか分からないように顔を見せないことが多かった。
    すると男がいきなりぎらりと光る剣を抜いた。あっと思う間もなく父が倒れた。薄暗い作業場に、点々と飛び散った血の色だけがはっきりと見えた。
    倒れた父はまだ息をしているのが、浅く上下する肩で分かった。男が何かを尋ねている。それは異国の言葉のようにも聞こえた。
    男はこっちに背を向けている。今なら気づかれずに飛び出して父を助けられるかもしれない。だが、動け、動けと念じても足はぬかるみに突っ込んだように動かない。
    剣が振り上げられる。何度も何度も繰り返した、夢の光景だった。
    このあと、稼ぎ頭を失った母は、どういった伝手でか養子を迎えたいという師団の士官を探し出し、長男を売り払った。
    手を引かれ連れていかれる我が子を、母がどんな顔で見ていたのか。その日の記憶は、いつだって水で滲んだようにおぼろげだった。
    ただ、哀歌のような虫の声だけが、耳にこびりついていた。

    嫌な夢を見た。
    ぬかるみを振り払うようにして、ラファウは目を覚ました。見なれた絨毯の上に、装飾窓を透かした午後の日差しが射している。
    椅子に座ったまま、寝入っていたらしい。強張った体をほぐしながら、傷を負った足を動かしてみた。鮮烈な痛みではなく、傷口に薄く皮の張りはじめた、鈍い痛みが返ってきた。
    侍女たちが立ち働く音を聞きながら、ぼんやりと絨毯に落ちた光の模様を眺めていると、にわかに屋敷の中が慌ただしくなった。
    やがて、控えめに戸を叩く音が響き、侍女が顔を覗かせた。
    「旦那さま。お城より使者さまが参っております」
    「分かった。すぐ行く」
    廊下を抜け、正面玄関に立っている使者へ近づく。その背後には、馬車が停まっていた。
    「大公閣下より、至急王城へ参上せよとのお達しです」
    ラファウは恭しく差しだされたニンクスの紋章つきの書状を確かめた。
    「承知した。少し支度をさせてほしい」

    あの夜、気づけば城の治療室に運ばれ、傷の手当を受けていた。見舞いにおとずれてくれた同僚によれば、地下室で死体と共に倒れていたのをマチェイが見つけ、人を呼んでくれたのだそうだ。
    どこか気づかわしげな態度の同僚に、自分へ殺しの嫌疑がかけられていることを悟った。
    すぐさま軍法会議に招集されるかと思いきや、傷の療養をわけに休暇が与えられた。
    大公に絶対の忠誠と恥のない生き方を誓う師団の武人が、兵士や市井の民を理由なく損ねたとなれば、それは大変な失態である。休暇が与えられたのは、謹慎の代わりなのだと、ラファウは思っていた。

    「ラファウ准将!」
    城に着いたラファウを廊下で呼び止めたのは、そばかすのある若い男だった。階級を示す帯どめは、ラファウが率いる隊の兵卒を表している。
    「ご無礼をお許しください。お噂を耳にして、いてもたってもいられず……。どうか、大公さまの寛大なご処置がありますように」
    若者は不安げに目を揺らし、ぎゅっと唇を引き結ぶ。ラファウは口角をあげて微笑んだ。
    「心配してくれてありがとう。だが、大公閣下のご裁定がよきものであることを私は信じている。君も、あんまり心配しすぎず、待っていなさい」
    顔を真っ赤にして頷いている兵卒の肩を叩き、使者のあとについて歩き出す。
    そうして通されたのは城の内議場ではなく、大公の館にある回廊に囲まれた中庭だった。
    中央にはちゃぷちゃぷと音をたてる小さな噴水があり、そばに二脚の椅子と小卓がすえられている。
    椅子の一つに、ゆったりとした長衣のカジミエラが座っていた。
    「おお、来たかラファウ。さあ、座ってくれ」
    ラファウはその言葉に敬礼でこたえ、カジミエラの向かいの椅子に座った。
    「もう傷のほうは大事ないか?」
    「はい、ほんのかすり傷です。傷のうちにも入りません」
    カジミエラは可笑しそうに呆れまじりの笑みを浮かべ、控えていた侍従へ合図した。
    ラファウとカジミエラのもとに、美しい彫刻の銀杯が運ばれてきた。中には果物を漬け込んだ葡萄酒が注がれている。侍従は銀杯を優雅な手つきで杯を供すると、回廊の柱のもとまで下がった。
    その様子を見ていたカジエミラが、笑みを消し、ラファウに顔を向けた。
    「ここは、声が聞こえぬ場所だ。水の音がかき消してくれるからな」
    ラファウはきらきらと水を吹き上げる噴水を見てから、ちらりと後方の侍従へ視線を移した。教育の行き届いた彼らは目を伏せ、彫像のように気配を消している。
    「査察官たちが調べたところ、そなたが手にかけた者たちは皆、〈帝王の帳〉に属する者たちのようだ」
    ラファウは、何度か聞いたことのあるその名を口の中で転がした。
    帝王の帳というのは、どの都市の大公にも忠誠を誓わぬ人々のことだ。
    噂では、彼らは滅亡を生き残った貴族の一族であり、大公たちを排斥し、アマルテイアの真の皇帝による統治を望んでいるという。
    だがその実態は六人の大公たちの誰一人把握できていないはずだ。それがなぜ、彼らが〈帝王の帳〉であると分かったのか。
    カジエミラは、手のひらほどの大きさの布を取り出した。随分古いものらしく、色は褪せて布の表面は擦れてけばだっている。
    「遺体の帯の内側に、縫いこまれてあったものだ」
    その刺繍を見た瞬間、ラファウの背筋はそそけだった。
    「随分昔、私を襲った刺客が同じものを持っていた。どうやら奴らの符牒であるらしい」
    黒い糸で縫い取られた、鎌に絡みつく蛇の意匠。
    その絵は父の左手にあった、ラファウの右目にしか見えない刺青と同じだった。
    物心がついた頃、自分の両目がそれぞれ違う色を見ていること、それが普通ではないことに気がついた。左目では一色にしか見えないものが、右目には多彩な色を持って映ったからだ。
    人の話をよく聞いていれば、右目が映すものが違うのだとすぐ分かる。刺青に気付いてからも、ラファウは誰にも言わずに黙っていたが、父と二人きりになったとき、とうとう疑問をぶつけた。
    「どうしてお父さんの手には、人には見えない絵がかかれてるの?」
    父は一瞬怖い顔をしたが、すぐにいつもの穏やかな顔に戻って、このことは誰にも言ってはいけないよ、と前置きをしてから静かに教えてくれた。

    (自分の役目を秘めておくため、しかし決して忘れないため)
    その話をした二日後、父は何者かに殺され、自分は売られることとなる。意味は全く分からなかったが、残された言葉は深くラファウの心に刻まれていた。
    「……ラファウ」
    呼びかけられ、はっと物思いから覚めると、ラファウは咄嗟に取り繕った。
    「申し訳ございません。少し、驚いてしまって。まさか閣下がこれほど重大な手がかりを握っておられたとは」
    「私がこの印を見たのは大公となる前のことで、今は〈帝王の帳〉にまつわる事柄は厳重に秘しているからな。そしてもう一つ、査察官の報告の中に、気がかりなことがあった」
    カジミエラが真顔で言った。
    「アマルテイア皇帝の末裔の噂が、また流れているというのだ」
    ラファウは顔を曇らせた。
    突如として滅びさった大帝国の繁栄ぶりは、多くの知識が失われた今、きらびやかな幻想とともに語り継がれている。
    神と深い絆で結ばれた皇帝の末裔が現れるとき、混迷の時代は終わり、救済の時代が訪れる。そんな言い伝えが、いつしか民たちの間で信じられるようになっていた。
    何かの理由で国が混迷に陥ると、その伝説は“皇帝の末裔”という噂となって市井の口に上り、消えていく。そんなことが何度か繰り返されている。
    「アマルテイアの皇統は何百年も前に滅び、皇帝位は現在にいたるまで空位となっている。」
    ラファウの表情をみてとったカジミエラが、言葉を継いだ。
    「だがソロンの侵略により各都市が混乱している今、この噂はあまりにも危うい」
    小卓の上の手をぐっと握り込んだのが分かった。
    「アマルテイアが滅んだのち、六都市の大公たちが互いに玉座を争ったことで、多くの血が流れたと聞く。もし、今もそのような野心を抱くものがいるとすれば」
    「“皇帝の末裔”は、恰好の口実となる、と」
    呟かれた言葉に、カジミエラは頷いた。
    「そして、長く息を潜めていた〈帝王の帳〉が動き出している。放置すれば、間違いなく争いの種となるだろう」
    ため息をつくように言って、目をつぶる。
    「ラファウ」
    固い響きで名を呼ばれ、ラファウはカジミエラを見つめた。赤っぽい褐色の目が、光の加減で辰砂色に光っている。
    「まずは〈帝王の帳〉を探れ。そしてもし、噂がまことであれば、何としても、他の大公より先んじて皇帝の末裔を保護せよ」
    ラファウはゆっくりと銀杯を取り上げた。
    「御意のままに。閣下」
    葡萄酒を一口飲む。柑橘の苦みと酸味が、舌の根を刺した。

    まず思いついたことは、地下で出会ったあの奇妙な男の行方を追うことだった。
    カジミエラや同僚たちの様子からしても、現場に残されていたのは三人の遺体とラファウだけだったのだろう。
    銃で撃たれても蘇り、あっという間に三人を屠ってしまった男の、血に塗れたおぞましい形相が脳裏に蘇った。
    最初に聞いたときは分からなかったが、おそらくあの男も〈帝王の帳〉について探っていた。会って、詳しく問いたださなければならない。
    ラファウは男を見かけた、十二円柱の広場にほど近い商店街へ足を向けた。
    屋根付き商店街の中へひとたび足を踏み入れれば、呼び売りの声が左右から洪水のように押し寄せてきた。
    祭りの期間だからか、目抜き通りはいつも以上に行き交う人々で賑わっていて、ニンクス領民以外の姿も多く見られた。
    見通しのよい十字路の店の中に、布を売るものがあった。その店番の姿を見て、ラファウは声をかけた。
    「シーナ。少しいいかな」
    小さな腰かけに座り、前掛けに広げた豆の鞘を剥いていた中年の女は顔をあげた。
    「あらまあ旦那さま!いやだわこんな時に限って」
    布屋の女将は前掛けをはたくと、手で膝をさすりながら立ち上がった。
    「新年のお召し物のとき以来ですかねえ。あれからまだ一年も経っていないのに最近あたしったらもう膝が痛くて。旦那さまも少しお痩せになられたんじゃありません?士官さまなんだからお体を大事になさいませんと。今日はどんな布をお探しなんでしょうか」
    「ああ。今日は違うんだ。人を探していてね。黒髪に緑色の目をした、若い男を見ていないかい。噂でもいいのだけれど」
    「ありゃ。お尋ね者か何かですか?悪いけど、見てませんねえ。ねえカーンさん! あんた、黒髪で緑の目をした男を見てないかい!」
    隣に店を構える同業者の男は水を向けられ、その問いに首を振った。
    「見てねえなあ。そんな珍しい色をした男なんざ目につくだろうが」
    女将に礼を言って、ラファウはその場を離れた。
    場所を変えて聞き込みを続けたが、男の行方は一向に知れずに昼時を迎え、店からは肉を炙る匂いやパンを焼く匂いが漂いはじめていた。
    ただでさえ人の出入りの激しいこの時期に、たった一人を探し出すことなど無謀にも等しい。
    若い馬借を見送って途方に暮れていたとき、擦りきれた襤褸をまとった物乞いがじっとこちらを見ていることに気付いた。
    「士官さま、人探しかい?」
    「ああ。黒髪に緑の目をした男を探している」
    物乞いはにいっと歯を見せて笑った。
    「どこで見たか教えたら、銅一枚くれるかい」
    ラファウは物乞いの目を見て、言った。
    「その言葉、嘘ではないな」
    物乞いは手招きをすると、ぐっと身を乗り出してささやいた。
    「最近ここらに、顔を隠した占い師がやってきてな。たまに銅銭をくれるんだが、そんときに顔がちらっと見えた。若い男で、緑色の目をしていたよ」
    ラファウは衿につけていた宝石細工の飾りピンを外した。
    「その占い師がいる場所まで案内してくれれば、銅一枚ではなくこれをやろう」
    物乞いは目を輝かせた。
    「おうよ、着いてきな」
    連れてこられたのは、商店街にほど近い倉庫街だった。
    物乞いが指さした辻の奥には、かすかに人のざわめく気配がある。
    ラファウは飾りピンを物乞いの手に握らせた。
    路地へ入っていくと、集まった人々の中心で青鈍色の布を頭からすっぽりと被った占い師が、さながら役者のようなふるまいで物語を聞かせていた。
    少し手前で足をとめ、壁に隠れて様子をうかがう。
    占い師は片手に金箔と金具で飾られた本を開いているが、顔の前に布を垂らして目を隠したまま朗々と語る姿を見れば、その全ては頭の中にあり、本など全く必要ないことが分かる。
    物語が終わると、何人かが足元に口を開けている巾着袋の中へ、心づけを入れていく。
    次々と放り込まれる銅銭を見て、人垣の一番後ろにいた男が二人、ひそひそと言葉を交わしていた。日常使いの小刀を、帯の後ろに挟んで隠し持っている。
    彼らの一人が、逃げ道をふさぐようにひっそりと占い師の背後へ回った。
    珍しい光景ではない。都市の外からくる占い師は、たいてい故郷を離れた流れ者だ。社会の外にはみ出したものは、他の社会において常に低く見られる。
    本来ならラファウは止める立場だが、息を潜めて成り行きを見守る。
    衆目がなくなった頃、占い師は巾着袋を持ち足早に立ち去ろうとして、行く手を阻まれて壁へ追い詰められる。
    「なあ、あんた。痛い目にあいたくなきゃ金目のもの置いてきな」
    男は小刀の白い刃をちらつかせ、巾着と、高価そうな本を示す。
    占い師は答えない。
    しびれを切らしたらしい男が一歩近づいた瞬間、本を持つ手が高く振りあがり、小刀を手元から弾き飛ばした。
    高く弧を描いて飛ぶそれを目で追ってしまったのが、男の敗因だった。隙だらけの腹部に蹴りを受けて後方に吹っ飛び、路地の壁に頭をしたたかに打ちつける。
    離れた場所へ、小刀がちゃりんと音をたてて転がった。
    もう一人の男は、呆然と打ちのめされた仲間を見ていたが、小刀を抜くやいなや、挑みかかった。
    諦めればよいものを、相手の視界が覆われているので、勝機があると思ったのだろう。力量の差が全く伝わっていなかったらしい。
    男の一撃はいともたやすくいなされ、小刀を突き出した右手をつかまれる。とっさに出した左手もいつの間にか本を放していた手で封じられた。身動きのできなくなったところに、顎を蹴り上げられる。
    まるで見えているかのような、鮮やかな手並みだった。
    急所への一撃を食らって気を失い、男は仰向けに倒れた。
    うめき声が聞こえた。最初に頭を打ちつけた男だった。占い師は男のそばによって、耳に何かをささやいた。その目が次第に虚ろになり、目の前のものなど何も見えていないかのようにふらふらと路地から出ていく背を、ラファウはじっと見送る。
    そこでようやく占い師は、顔の前の垂れ布を外した。
    まさしく、地下で出会った、あの男だった。
    ラファウが姿を現すと、緑色の目が大きく瞬いた。こうしてみると、十代にも見える若さだ。次の瞬間、男は大笑いした。
    「なんだラファウ、見てたのか! これは恥ずかしいところを見られたな」
    「貴様、先日も思ったが魔法使いか。眩惑術のたぐいは最悪火あぶりだぞ」
    威丈高なラファウの態度をものともせず、男はひとしきり腹をかかえて笑うと、身に着けていた青鈍色の上衣や本や巾着袋を、跡形もなく消し去った。
    「そう高圧的になるなよ。突き止めるのに一日はかかると思ったが、随分早くて感心したんだぜ」
    まるで自分が探しに来るのを分かっていたような口ぶりだった。
    脳内をいくつも疑問が駆け巡る。〈帝王の帳〉のこと、男の正体。だが、口をついて飛び出したのは、そのどれでもなかった。
    「貴様がなぜ、父の名を知っている」
    大公の信任もあつい師団の准将が、もとは合金職人の息子だった事実を知るのは、今は亡き養父と大公だけだ。
    ぱちりと相手はもう一度大きく瞬きをして、目を弓なりに細めた。
    それからラファウの背後を一瞥した。
    「場所を変える。ここじゃ内密の話をするには向いてねえ」
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