「俺の部屋から出ていって」
ここ一ヶ月で何度も聞くこととなったその言葉の本質は何を意味しているのだろうか。
始まりは一ヶ月前の夜だった。理解が決めた門限を過ぎても帰ってくる兆しのない猿川以外は皆夕食と入浴を済ませてリビングで寛いでいた時、ガチャッと玄関のドアが開く音が聞こえた、と思ったすぐ後にバタッと何かが倒れる音が聞こえた。何事かと依央利、理解、テラの三人が見に行くと血を流して倒れている猿川がいた。救急車を呼ぶか警察を呼ぶかと慌てふためく声に集まった天彦と大瀬を含めた住人たちを制してふみやは淡々と指示をだした。
理解に救急車や警察への電話を止めさせ、依央利に止血用のタオルと水の用意、大瀬とテラに血で汚れた玄関の掃除、そして天彦に猿川を猿川本人の部屋ではなくふみやの部屋へと運ぶように頼んだ。一階の猿川の部屋ではなく何故わざわざ二階のふみやの部屋なのかという当然の疑問に誰も気が付かないまま、天彦によって運び込まれた猿川がそっとベッドに寝かせられる。呼吸と脈を確認して、所々切り裂かれている服を捲りあげる。無数の打撲創や切創はあるものの額からの出血がほとんどのようだった。額は傷口が浅くとも大袈裟な程に出血をする。
「猿川君のこれは、貧血……ですかね?」
「かな。依央利、消毒してから止血してあげて」
「はい! 猿ちゃん、ちょっと染みるかもだからそのまま寝ててねぇ」
依央利は眠ったままの猿川に語りかけてからテキパキと慣れた手付きでコットンに消毒液を染み込ませた。ぐるりと何周も巻いた包帯を鋏で切って、包帯止めを付けた頃には蒼白かった顔色にも血色が戻ってきていた。
処置が終わると様子を見計らっていたのか部屋にテラと大瀬、理解がバタバタと入ってくる。猿川の額に貼られたガーゼにじんわりと血が滲んでいくのを見て、言葉無く青褪めた三人にふみやは現在の状況を「ただの貧血だから」と平坦な声で酷く簡単に説明した。
三人の悲痛さすら感じる心配顔が和らいで揃って安堵のため息を漏らす。
「ところでなんで伊藤ふみやの部屋に猿川くんを運んだ訳? 階段にも垂れた血の掃除もしなくちゃいけなくなったんだけど! ねっ、オバケくん」
「いえ、クソ吉のことはお気になさらず……」
「でも理解君だって手伝ってくれてさぁ〜」
「ちょっと、テラさんってば、そのままにしといてくれたら僕が掃除したのにぃ!」
「そのままにしておくのは衛生的に良くないですし、依央利さんは落ち着いて下さい。それより猿のこの傷、刃物の類いですよね!?」
「うぅん、それは猿ちゃん本人に聞いてみないと」
「皆さん、猿川君が起きてしまいます。お静かに」
天彦がしぃ、と唇に指を当てて賑やかになってきた住人たちを窘める。きゅっと唇を閉じて猿川の顔をそおっと伺った。猿川が目を閉じ、眠ったままなのに皆一様に胸を撫で下ろす。
「慧は俺が見とくからみんなはもう俺の部屋から出ていってよ」
猿川の眉間に寄った皺を撫でながらふみやが親切心すら感じるような口調で言った。
言った本人以外の住人たちは物言いたげな顔で見つめ合ってから虚空に視線を逸らす。結局のところ、寝ている猿川相手にこれ以上世話をやくことも、何が起きたのか問い詰めることも、説教をすることだって出来ないのだ。
「……わかりました。じゃあ僕、夜食作りますよ! 皆さん何か食べたいものありますか? ふみやさんのも出来次第持って行きますね」
「うん、よろろ。じゃあ依央利以外はこれでおやすみ」
めいめいに就寝の挨拶をしてふみやの部屋の扉は猿川を起こさないようにそっと閉じられた。
次の日の昼、ようやく目を覚ました猿川は見慣れた自室とは違う、しかし見覚えのある光景にキョロキョロと視線を動かした。
「……は? どこだここ?」
「あ、起きた? おはよ」
ベッドの隣に座って本を読んでいたふみやが猿川の顔を覗きこむ。部屋の主人の姿が見えたことによってた。
「お前の部屋、か?」
「うん。今依央利呼んでくるから」
昨夜の記憶がすっかり抜けてしまっている猿川は状況を掴みきれずにふみやの背を体を横たえたまま見送った。
「猿ちゃん起きたんだね。色々聞きたいことあるけど、まず体は大丈夫?」
「暑い」
「暑い? もしかして怪我のせいで熱出ちゃったかな?」
「体温計あるよ。使う?」
お礼を言ってふみやから渡された体温計で熱を測ると微熱を出していた。
「これからもっと熱出るかも」
「う〜ん……、それなら今のうちにお世話しちゃいますね! 猿ちゃん、体起こすよ」
「おぉ……」
頷いた猿川は傷の痛みと熱を出しているせいか普段の反発ぶりは形を顰めて促されるままに体を拭かれ、包帯を交換され、食べ物を口に運ばれてとあれやこれやと世話をやかれて寝かしつけられた。
様子を見に来た住人たちが猿川が額にじっとりと汗をかいて眠る顔を見守っている。
「猿ちゃんすごい汗……」
依央利は猿川の汗を拭いてやり、額のガーゼをうまく避けて濡れたタオルを額にそっとのせた。
「猿川くん死んじゃうの!? ヤダ!!」
「テラさん、死にませんから落ち着いて下さい」
テラが猿川の手をぎゅうぎゅう握りしめ、それを天彦がやんわりと離させる。
「救急車を呼びますか!?」
「理解、不要不急な救急出動が問題になってるのは知ってるだろ?」
「え、ええ、確かに……。でしたらタクシーでも」
「ここから動かす方が負担がデカいかもよ? まぁ、ただの熱だからみんなここで見ていても意味ないしとりあえず俺の部屋から出ていってよ」
「でも、あの」
「大丈夫。困ったら依央利を呼ぶから」
ゆったりと笑うふみやに理解は何も言えなくなって下を向いた。大瀬はずっと黙ったままこくりと頷いた。
ニ、三日経つと猿川の熱も下がり、起きたタイミングを見計らっては食事に着替えにと依央利が付きっきりの看護生活からも解放された。
この間部屋の主人のふみやが何をしていたかと言うとめくれた布団を掛け直す程度で、取り立てて何かをしていたというわけではないようだった。
一週間もすると完全復活した猿川に快気祝いと称して騒ぎたい住人たちによって飲んで食べてと大いに盛り上がった。
「俺もう寝ようかな。慧は?」
「眠くねぇけどこれ以上コイツらに絡まれんのがダリィから俺も行く」
酔っ払いたちを尻目にまだ安静をと飲酒を止められた猿川と未成年のふみやが二階に戻ろうとするのをめざとく見つけた理解が止めた。
「おい、猿! お前まさかまだふみやさんの部屋にお世話になっているのか!?」
「あ?テメーに関係ねぇだろ」
「そろそろ自分の部屋に戻りなさい! 迷惑でしょう!」
「絶ッ対嫌だね!」
「この猿……ふみやさんも何か言った方がいいですよ!?」
「あー、じゃあ慧、早く俺の部屋から出ていってね」
「おう! ずっとお前の部屋に居てやる! おやすみ!」
普段の調子が戻り、意気揚々宣言した猿川がふみやの部屋に駆けていくのを理解は呆れた顔をしながら口元を緩めた。
「ふみやさん、追い出さなくていいんですか? 手伝いますけど」
「うん。慧はそんなデカくないからベッドもそこまで狭く感じないし」
「えっ!? 同じベッドで寝てるんですか?」
「待ってください! 今セクシーな話が聞こえてきましたよ?」
先程まで机に伏せて眠っていた筈の天彦が飛び起きて詰め寄る。セクシーかもしれない話となると流石の反射神経を持つ世界セクシー大使だ。
「なっ、せ、セクシーな話なんですか!?」
「どうだろ、ただ抱いて寝てるだけだよ」
しれっと漏らされた事実に天彦のテンションは映画のクライマックスレベルに上がり、理解の笛が鳴り響く。一層混沌としたリビングからそそくさと逃げるようにふみやは猿川のいる自室に戻った。
そんな騒動も夜が明ければ何もなかったみたいに日常に戻っていった。
だから猿川がふみやの部屋から出ていっていないどころか、最低限の食事や入浴、トイレ以外で部屋を出ようとしないことに気がつくのが随分と遅くなった。
「猿ちゃんが引き篭もってる……」
☆ここの文章がなんかもっと長い。が、なに書くか忘れた。
「あの、一度見てしまったのですが、ふみやさんが寝ている猿川さんにはやく出ていってねって言ってるところを」
「ん? じゃあずっと部屋にいてってことになっちゃったりするの?」
「なる、の、かもしれません」
「それってもうさ、洗脳じゃない?」
「洗脳かは分かりませんがわざとなら軟禁ですよ?」
「「「なんきん」」」
「いやいや! そんな物騒な!」
☆ふみややんわりと叱られる。
「慧、俺の部屋から出て行かないでよ」
「明日になったら出てく。だからンな顔してねぇで早く寝ろ」
布団を捲りあげて空いたスペースをぽんぽんと叩く。二人が眠るときは毎回猿川が先に、布団に入っていた。
「また来てもいいよ」
「気が向いたらな」
「うん」
☆この辺もなんか文章あったはず。多分ふみやとしては別にサイコホラーじゃなくほのぼのな理由なんだよね、というのと猿川くんはそれをちゃんと分かってるよってやつだったような
「ふみやさん」
「天彦。何?」
「今日から天彦が添い寝しましょうか?」
「やだ。天彦はデカいから」
「ふふ、残念です」