シェアハウスを出た時点で曇天だった空がはらはらと泣き出す。
「待たなくて良いよ」
勝手についてきたふみやにそう言われて路地裏に置いていかれた猿川は肌寒さに震え出しそうな体をぐっと腹に力を入れて耐えた。待たなくて良いと言われたならいつまでも待つ、猿川は扱いにくく、その実非常に扱いやすい男であることをふみやもよく理解した上でのやり取りだ。
しばらくして、手ぶらで出かけた筈のふみやが透明なビニール傘を差し、歪なアスファルトに溜まった水を足元に撥ねさせて戻ってきた。濡れた猿川を中に入れるが、一本の傘の中に男二人で入るにはやや狭く、はみ出た肩を濡らす。
「帰る?」
「テメーだけ帰れよ」
「なんで帰んないの?」
なんとなくまだ帰りたくないがこれ以上濡れたくない猿川が返答を思案しながら目線を外すとふと傘の透明なビニールの生地に白く擦った跡を見つけた。傘の黒い手元部分を握ったふみやの手ごと掴んでまじまじと見つめるとそこにも細かな傷が何個もあるのに気が付いた。
「……この傘ボロくねぇか?」
「そだね。一本しかなかったから仕方ないよ」
やれやれ、と子供の我儘を窘めるように宣うふみやに猿川は様々なケースを想像して目を瞬かせた。拾った、としてもどうかと思うが。
「おまっ、これ……!?」
「大丈夫。店員のだから」
「はぁー!? さっきどこ行ってきやがった!?」
「そこのコンビニ。商品じゃないから大丈夫」
「あぁ、そういやここの表行って少し歩いたとこにあったな……って全っ然大丈夫じゃねぇだろ!」
「え? そう? でも今まで捕まってないよ」
「な、まさか、玄関にバカみてぇな量ある傘は……」
「うん。パクってきたやつ。だって濡れたら嫌だし」
全部ビニ傘だから問題ないよ、とうっすらと笑みを浮かべたふみやに猿川は絶句する。
テラに人を殺したことあるでしょと何度も詰められているふみやにしたら程度の低い犯罪なのだろうが、置引きも万引きも窃盗罪だ。
猿川はどうにか気を取り直し、短く息を吐いて傘を握っていない方のふみやの手を引いて走り出す。
「おい、ズラかるぞ!」
「帰んの?」
「当ったり前だろ! んなくだらねーことで捕まったらダサすぎんだよ!」
「捕まらないよ」
「うっせぇ! 黙って走れ!」
徐々に強くなってきた雨と風が冷たく当たる。せっかく拝借してきた傘は走っているせいで役に立たずただ頭上を揺れる。
一際強い風に吹かれ、二人はゆっくりと足を止めた。
「はは! キノコになった」
「あーっクソ! もうこんなん捨てちまえ!」
「うん。いつもならその辺に捨てるけど、でも今日は勿体無いような、気がする。依央利なら直せるかな?」
「無理だろ。すげー喜びそうだけどな。負荷〜とか言って」
「言いそうだな。いいや、捨てよ」
ガシャッ、と音を立てて地面に落ちた傘だったものを猿川が蹴って端に寄せる。
「邪魔になんだろ」
「ごめん。あぁ〜あ、寒い」
「おい、ふみや。このままあと五分くらい走れば家。んで、さっき走ってきた方向に十分走ればラブホ。帰んのとラブホ、どっちがいい?」
数センチ上にある瞳を試すように目を細めた猿川が繋いだままの手を離す。濡れたピンク色の髪の毛先から頬に伝った水滴が落ちて離された手に触れた気がした。
「それ実質一択じゃない?」
土砂降りに変わっていく中、二人はまた走り出した。