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    tsukiyasan

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    tsukiyasan

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    いつぞやのアンケートで、こっそり置いてた長谷部視点のしじまっぽい奴。
    本編終了後、初めて○いた長谷部くんの話。
    へし面だと言い張る。

    #へし面
    heshiomo

    ナズナ草の音色長谷部が路傍によく生えている、なんてことはない小さなその花を手折ったのは、奇しくもあの日と全く同じ場所で。大きな桜の大樹に向かう道すがらにある、菜の花畑だった。

    長谷部は今日一日、本丸の建物内から叩き出させれたのだ。
    正確に言うと、先日の強襲調査を終えて以来、休みなく何かしらの仕事をし続けた結果、本丸の仲間に目の下のクマを指摘され、次いで働き過ぎだと注意を受けた。
    それでも何かせずにはいられずにいた。休みなく仕事を見つけてはこなしていたら、とうとう頭から幻影の角を生やした燭台切や歌仙に「今日一日仕事禁止!!」「外に出て日の光でも浴びてきたまえ!!」と強制的に建物外につまみ出された。建物内にいると絶対に何かしら仕事を見つけてしまう。
    それは自室であっても変わらず。既に一度自室に「いい加減休め!」と閉じ込められた事もあるが、自室内であっても何かしら仕事を探してしまう。押し入れの中身を全部出しての大掃除と本の虫干しを始めたあたりで止められた。
    その結果の本日の、建物から叩き出されるという措置だ。建物外にも庭や畑があるのだから……と足を向ければ既に各所に根回しされたあとで、長谷部は見つかり次第「仕事禁止!」「気分転換でもしてこい」と追い払われてしまった。
    結果として他の者がいない場所を求めて、あてどなくふらふらと彷徨っていたら、たまたま辿り着いたのがここだった。
    桜の大樹のそばへは、あの日以来、近付かなかった。いや、近付けなかった。
    あいつは、この場所を好んでいたらしく何度かここにいる姿を見かけたことがある。

    ナズナ草を手折ったあの日もそうだった。

    手の中にある、小さな白い花をつけるナズナ草。
    別名を三味線草または、ぺんぺん草とも言う。
    花の下から根本付近まで、放射状に無数に付く三角の三味線のバチの形をしたものは、種部分であるという。後に書物で知った。諸説あるが別名の三味線草の名前の由来のうちの一つだ。
    ナズナ草の花から下。手でそっと握り込み千切れない程度に、種のついた枝を根本から下に折る。枝を引き下ろして、種がぶら下がった状態にしたナズナ草を親指と人差し指で摘んで、くるくるとでんでん太鼓と同じ要領で回転させる。
    耳元で聞かないと聞こえないくらい小さな音だが、種同士がぶつかりあい、しゃらしゃらと音をたてた。
    別名のぺんぺん草はここからきているという説もある。三味線が立てるぺんぺんという音に似ているからだという。

    だが本物の三味線の音を知っていると、どうにも違うものに感じる。
    三味線に使われる、絹糸で作られた三本の弦。イチョウの葉の形をしたバチで弦を弾く音はもっと力強く。貼られた小動物の皮で反響し、もっと打ち付けるように鼓膜を響かせる。
    かつてこの本丸にも三味線があった。主の命で収集しており、弾けるものがいたから、宴の日や祝い事があれば目の前でその腕前を披露してくれていた。
    だからこそ長谷部は知っている。三味線の音はこんなにも弱くない。

    ナズナ草の立てる音はささやかすぎて、か弱い。あまりに儚い。
    長谷部の耳元で、しゃらしゃらと微かに音を立てるナズナ草。
    しばしその音に、静かに聞き入る。
    静寂のなか、かすかな音と共に思い出すのは、前にもう一振りと共にナズナ草を手折ったあの日。

    この音を、嬉しそうに。
    三味線の音は聞いたことが無いのだと言っていた。
    手折って茎を折り、作ってやったナズナ草を大事そうに握って。耳元で鳴る音に静かに、噛みしめるように、締まりのない顔で聞き入っていたその姿。
    今にも消えてしまいそうな、脳内の不確かな記憶でしかもう見ることは叶わない。

    耳元でしゃらしゃらと、静かに。あの日と同じ音が鳴る。
    ナズナ草の音は、あまりにも頼りなく儚い。



    長谷部が万家からの帰り道に、それを見かけたのは偶然だった。
    視界の先に広がる菜の花畑の、黄一色のなか、ぴょこぴょこと濃い紫色が跳ねた。

    菜の花の色に、確かに紫色の物も存在するが、あんなに濃い紫色ではない。
    そもそも、ここの菜の花畑に紫色のものは存在しない。
    何より、その濃い葡萄色をした紫色には見覚えがあった。

    また、あいつか。今度は何をしているのやら。

    紆余曲折もあったが、本丸で共に過ごすようになり、わかったこともある。
    あいつ……面影は。物言いや見た目も相まって一見すると冷静沈着で落ち着いた物腰の青年に見える。何事にも動じない豪胆さを持ち合わせているからこそ感情が表に出ないだけで円熟した内面……だと思っていたら、外見詐欺だった。内面といえるほどの中身がない。透明で無垢。
    どう過ごせばこうなるのか……、口だけはやたら難解な表現を使うが、中身がどこまで伴っているかは怪しい。とにかく感受性も情緒も幼い。やたら難しい言葉を喋る幼子だと思うようになってからは、面影の態度に腹を立てることも自然と無くなっていった。
    本丸では、特に大きな問題を起こすことも無く。むしろ、もっと酷い問題児を適宜指導していた長谷部としては手の掛からないほうだと感じている。
    乾いた砂が水を吸い込むように、言われたことはすぐに吸収するから物覚えも早い。
    元々素直な性分なのだろう、言葉を譜面通りに受け取り過ぎるきらいはあるが。自分なりに相手のことを考え、きちんと言葉を選んで返している。
    胸に手を当てる癖が出ているときは、大抵そうだ。
    少しだけ待ってやれば、きちんとこちらの正面を見て返事を返す。
    そういう態度を長谷部自身は、好ましく思っている。
    本丸に来て『仲間』だと言われ、面影なりに応えようとしているのだ。たまに空回りもするが、引き起こされるトラブルは大抵些細でかわいいものだ。
    むしろ、面影の素直すぎる性格を良いことに唆す連中のほうが問題だ。最近そのことに気付いてからは、本丸内では面影をなるべく視界の端に入れ、事が起きる前に未然に防いでいる。

    桜の大樹への小道を進み、菜の花畑のある脇へ。
    今も眼前でぴょこぴょこと跳ねる葡萄色の元へと向かう。
    一番大きな菜の花で、長谷部の臍くらいまで背丈がある。
    なるほど、座っていれば確かに葡萄色の頭の先しか見えない。
    葡萄色の頭の持ち主は、気配でこちらにとうに気付いてはいるだろうに、最近は視認もしない。
    本丸に来た当初は何者かの気配を感じた瞬間、素早く目線を走らせ、誰であろうと目視して確認するまで息を潜め静かにじっと待ち受けていた。
    ようやく、本丸内にいるものに対して警戒が解けたのだろう。
    本丸は安心して良い場所だと認識したのは、とても良いことだ。腑抜けて弛んでるわけではないのだから、良しとしている。
    こちらからだと斜め後ろでほぼ背中しか見えず、手元はよく見えないが、何か手を動かして作っているのだけは見えた。すぐ側に来ているのは気配で解っているだろうに、よっぽど集中しているのかこちらを見ない。

    「面影」

    面影のその態度が少しだけ面白くなくて、やや苛立ち気味に長谷部が声をかけると、面影はやっと手を止めこちらを振り向く。

    「長谷部」

    嬉しそうに。しまりのない、腑抜けた顔でこちらを呼び返してくる。
    面影のその顔を見ると、苛立ちも何もかもがどうでも良くなり、さっきまでの感情がするりと溶けて落ちる。
    長谷部自身、不思議な感覚だった。最近、ずっとこうなのだ。こうしてことあるごとに面影の名を呼ぶと、面影がこちらを見て、締まりのない顔をして「長谷部」と呼び返してくる。
    その面影の顔を見ていると、苛立ちや怒りなど負の感情が驚くほど引いていき、少しだけ心が浮上する。
    胸の中、心の臓の上がほのかに温かい。人の身で、温かい血が巡っているのだから、体温があり物理的に元々温かいものではあるが、それとは違う。
    書物で綴られる、心で感じるぬくもりとはこういうものを言うのだろうか?
    不快な感覚では無く、むしろ……。
    そこから先、長谷部はまだこの感情に名を付けられないでいた。己自身のことであっても紐解けない、複雑な感情。
    一つだけ確かなのは、面影のその顔を見ているときだけ起こりえる現象だということだ。
    今もほんのりと胸に宿ったぬくもりを感じている。

    「何をやっているんだ?……それは、ナズナ草か?」

    面影の手元。
    先端に白く小さな花をつけたナズナ草。しかし、何故か少々歪な格好をしていた。
    白い花から下、三角形をした種を付けた枝が上から順に、なぜか枝の真ん中から直角に折れ曲がり、辛うじて三角の種がぶら下がっている状態だ。

    「鯰尾達に教えて貰ったんだ。ナズナ草の枝を折って振ると三味線の音に聞こえると。別名のぺんぺん草はそれが由来だと。聞いてみたくて作っていたんだが……私が不器用だからだろうか。上手くいかない」

    面影の細い柳眉が寄る。
    ナズナ草の無数にある枝を、ご丁寧に一本一本折り曲げてたらしい。ナズナ草の枝はかなり細く糸ほどの太さしかない。ところどころ枝ごと千切れている箇所もある。

    「なるほど。口頭で教えて貰ったんだな」

    面影の右隣に腰を下ろす。
    最近の長谷部と面影の定位置だ。戦場を共に駆け抜けていくうちに、互いの抜刀や刀の構え方の違いを肌で感じ取り自然とこうなった。
    大太刀という大業物を抜刀するのに、ほんの僅かな差とは言え長谷部と比べると面影は刀を抜き放つまで時間がかかる。その面影をフォローするために面影よりも抜刀が早い長谷部が一歩前に出る。長谷部は刀を構えるときに、右手だけで獲物を持ち、切り込み隊長のように先頭を切り開く。その左斜め後ろ、長谷部にとって一番死角になりやすい位置に抜刀した面影が立つ。この位置取りが互いにとって一番連携が取りやすい方法だった。
    戦場で身についた所作は、自然と本丸で過ごすときも反映され。長谷部が面影の隣に並ぶときは、自然と面影の右隣に立つようになった。
    食事時や酒宴、その他。席順に決まりが無いときはこうして長谷部が面影の右隣に座るのも、今やお馴染みの光景だ。
    長谷部としても、目が行き届きやすく、ときに面影の経験不足から来るちょっとしたアクシデントのフォローをしやすい。ついでに本丸内で一番のイタズラ好きで何かと手を焼かせ、面影を使って何事かをすぐに企む連中の魔の手を追い払いやすい。
    今となっては、長谷部が面影のすぐ横、右隣に座っても面影はさも当たり前のように受け入れる。
    むしろ面影は最近、隣からこうして長谷部に世話を焼かれるのを密かに喜んでいる節さえある。
    今もそうだ。
    口の端が緩んでいる。締まりのない顔がさらに口元を緩ませるのだ。
    その顔を見ていると、長谷部は頬に血が巡り、少しだけ胸がむず痒くなる。
    頬の赤みを誤魔化すようにさり気なく視線を反らし、咲き誇る菜の花の間、ひっそりと咲くナズナ草を一本手折った。

    「枝の折り方が違うんだ。お前の折り方は……その、なんだ。逆に器用だな……。よく一本一本真ん中から折れたな」

    口頭で聞いただけなら、枝を折る箇所も伝わりづらかっただろう。
    糸のように細い枝を、一本一本真ん中から折るのは至難の技だったことだろう。「そうなのか?」と興味津々で猫目石を煌めかせながら、長谷部の手元にあるナズナ草を見つめてくる。
    期待に満ちた目で期待されても、そんな大層な物ではない。
    人の幼子が作って遊ぶものだ。何度か短刀達が作って遊んでいるのも見たことがある。
    そもそもナズナ草、別名のぺんぺん草は『ぺんぺん草も生えない』という慣用句があるくらい、どこにでも生えている極々ありふれた雑草だ。
    慣用句の『ぺんぺん草も生えない』は、生命力も強くどんなに痩せた土地でも生えるぺんぺん草が、生えないほどの荒れ地になり、根こそぎ無くなり、何も残らないことを指す。そんな言葉があるくらい、どんな土地であっても生えているよく見かける花だ。

    「ナズナ草の白い花の下から、潰さない程度に、軽く握り込んで……」

    言いながら左手に持ったナズナ草を、右手で輪を作るように握り込む。

    「このまま下まで引き降ろす。枝が根本からぶら下がった状態になっただろう?これで完成だ」

    「これだけで良いのか?」

    猫目石がきょとんと瞬く。
    本来はたったこれだけで良いのだ。いったいどれだけの時間をかけて、一本一本ちまちまと折っていたのだろうか。
    半信半疑になるのは仕方のないことだ。

    「これだけだ。ほら」

    作る、というほどのこともしていない。なんてことは無い。作ったナズナ草を差し出すと、面影はまるで貴重品でも預かるかのような大仰な仕草でおずおずと受け取る。
    面影が受け取ったナズナ草を、そっと両手で持つ。
    茎の下のほうを右手の親指と人差し指で持って握り込み、左手が右手を包み込む。大切な宝物だと言わんばかりだ。
    なんてことはない、ただのナズナ草だ。そのあたりにいくらでも生えている。
    それにも関わらず、しばし真顔で茶器でも魅入るように見つめて、一時の間のあと、じわりと顔を綻ばせる。
    切れ長の眦を下げ、口元が緩む。いつも以上に締まりのない顔だ。
    面影のその顔を見て、また長谷部の心の臓の上が疼く。あたたかい。とくん、とくん、と人の体だから当たり前だが、心臓が脈打つ。しかし常とは違う音色だ。
    顔に、頬に血が上る。きっとまたほのかに頬に赤みが差していることだろう。

    「ほら。音、聞きたかったんだろう?親指と人差し指で摘んで持って、指で捻るようにくるくると回転させるように振るんだ」

    面影の顔をなんとなく見ていられなくて、目を逸らし。
    右手で、ナズナ草を振るときの動作を、面影の前でして見せる。一度目の前で動作をして見せると面影はすぐに理解する。
    口で言うより早いので、隣にいるとこういうとき便利なのだ。

    「こう、か?」

    ぎこち無く、面影の右手が長谷部の手の動きを真似る。
    でんでん太鼓の要領で回されたナズナ草の種子が、遠心力で浮いては沈んでを繰り返し、ぶつかり合う。

    「?」

    想像していたより、音が小さい。
    面影が小鳥の様に小首を傾げる。
    長谷部もナズナ草の立てる音を間近では聞いたことがなく、知識と、作って遊んでいる光景を見ただけだった。

    「結構小さな音だな。耳元でやってみろ」

    言われた通り、面影が耳元にナズナ草を持ってくる。
    二振りのちょうど真ん中だ。
    長谷部にも聞かせてくれるらしい。
    面影の右手に持たれたナズナ草が揺れる。

    二振りで息を潜め、静かに聞き入る。

    カシャカシャ、もしくは、シャラシャラ、とも。
    静かに耳を澄ませなければ聞こえない。
    ナズナ草の種子同士が当たり、立てる音は微かだ。
    本物の三味線の音を聞いたことがある長谷部には、この音は何だか物足りない。別名のぺんぺん草の名前の由来は、三味線のたてるぺんぺんという音に似ているから『ぺんぺん草』とも言うらしいが……。ぺんぺん、という擬音語にも当て嵌まるかすら怪しい。そのくらい三味線の音には似ていない。

    長谷部の中でそう、結論付けが成されたときに、ふと気付いた。
    面影との距離が近い。
    ナズナ草のたてる僅かな音を聞くために、お互い無意識に身を寄せていた。
    いつもより近い距離。肩が触れ合い、頭が傾けられ寄せられていた。
    長谷部の目の前、かすかな音を集中して聞くためだろう。
    面影の目は伏せられて。ともすれば、息遣いを感じる距離。
    面影の長いまつ毛が、日の光のもとで、より一層色鮮やかに、艷やかに輝いていて。髪の色同様に光の当たり具合で色合いが違って見える稀有な彩りは、およそ人のそれとは乖離した色にも関わらず、違和感なく面影の整ったかんばせに馴染んでいる。
    なかなか間近で見る機会は無い。思わず長谷部が見入っていると、不意に面影の目が開く。
    見つめていたことを、なんとなく面影に気付かれたくなくて、目線をさり気なくわずかに下にそらす。
    長谷部の目線の先、面影の小さな口が動く。

    「三味線の音は聞いたことが無いんだ。このような音なのか……」

    違う。
    とは、なんとなく言いづらかった。
    長谷部の目の前で、眦を下げ嬉しそうに顔を綻ばせる面影の顔を見ていると真っ向から否定するのもの気が引けた。
    常ならば、違うなら違うとはっきりとした物言いをする長谷部だが、思わず口を噤む。
    なにか他に良い言い回しがないか言葉を探す。

    「に…、似ているかは、いつか自分で実際に三味線の音と聴き比べてみたら良いじゃないか」

    濁した言い方しか出来ない。こういうとき、他の者ならもっと気の利いた言い回しも出来たかもしれないが、長谷部にはこれが精一杯だった。

    「かつてこの本丸にも三味線があったんだ。主の命で集めていた。いつか主がお戻りになったら、また集める機会もあるだろう。そしたら、お前自身で聴き比べてみたらいい」

    「…………」

    面影が無言でナズナ草を鳴らす。
    長谷部はこのとき、なぜ面影からの返答に一拍の間があったのか疑問にも思わなかった。
    なんとなく面影の顔を見れなくて、目を逸らしてしまっていたから、表情を見ていなかった。

    今思えば。
    このときの面影の表情をつぶさに観察していたのなら。
    少しでも疑問を感じていれば、何か変わったのだろうか?

    戦況も佳境。この頃、本丸で常に面影を左隣に置いて、一番側に居たのは長谷部だ。
    側に置いて、時に世話を焼き、他愛もない会話をし、共に並んで食事をして、茶を飲み、余暇を過ごし……。
    会話を交わしていたからこそ、気付けたはずだ。
    面影はきちんと言葉を返す。
    少しだけ待っていれば、こちらを真正面から見て、いつだって精一杯言葉を探しながらも返答していた。
    少なくとも、紆余曲折はあったが。長谷部と普通の会話が交わせるようになってから。面影が目を逸らして返答したことなんて一度も無かったのだ。

    記憶のなかの面影が、ナズナ草を指でくるくると回しながら答える。

    「そうだな。いつか……そんな日が来たら、そうしてみよう」

    記憶のなかのナズナ草が音をたてる。
    シャラシャラと。

    その音を噛みしめるように、嬉しそうに微笑んだ面影の顔しか長谷部の頭の中には残っていない。

    このとき。面影は本当はどんな顔をして返答していたのか、長谷部に知るすべはない。

    面影の右、横から顔を眺めるとちょうど前髪の分け目が見える。髪の分け目から毛先まで、色が薄く変化し毛先は乳のような白。ほんの少しだけ翡翠が入っている。見飽きない、不思議な色合いを持つ髪色。
    斜めに編み込まれた後ろ髪に付けられた、薄い繊細な髪飾りが、ふとしたときに揺れるのを、眺めるのが好きだった。
    口癖のように「締まりのない顔をするな」と面影に常日頃から言っていたが、面影の、締まりなく顔を緩ませた、あの横顔が、本当は好きだった。

    記憶のなかのナズナ草と、あの日と、同じ音が鳴る。

    シャラシャラと、あの日と同じ音が鳴る。

    ふと長谷部の頬に、晴れにも関わらず雨がひとしずく溢れた。
    一粒だけ落ちた水滴を皮切りに、幾筋も長谷部の頬にだけ雨が振る。
    雨音もたてず、雨が振る。

    「〜〜っ!………ふ、………」

    耐えきれず口元を手で抑える。
    声を上げずに、言葉にならない慟哭が静寂の中支配する。

    長谷部の心臓の上。面影を見て会話して、ぬくもりを感じていた場所が、冷たく凍えて引き千切れそうな痛みに襲われる。
    まるでそこの部分だけ抉られて、ポッカリと穴を空けられたようで。何もなくなった場所が虚しく轟く。
    長谷部はこの感情を、知っている。

    寂しさ、だ。

    何度だって、置いていかれた。物として人より長くあった付喪神。人の子はいつだって長谷部を置いていってしまう。
    それは仕方のないことだ。
    どれだけ良き主に恵まれようと、大事にされようと。彼らは長谷部を置いていってしまう。

    付喪神にあの世があるのなら……そう思ったことも何回だってある。

    刀剣男士として顕現され、人の身を得て。
    手足があり、己の意思で歩くことが出来る。手を指を動かし様々な事が出来る。誰かに振るわれることでしか戦うことの出来なかった己自身を振るって、自ら戦える。

    今の姿も悪くないと長谷部は感じていた。

    だからこそ。

    だからこそ。

    何故あのとき自分の目は面影を見ていなかったのか。何のための己の目か。
    言葉を交わしていれば。何のための口か。
    もっと面影の元へ足を向けていれば。今は己の意思で自由に歩けるのに。

    あのとき、手を伸ばし、なぜ、止められなかったのか。

    声を上げ名前を呼んだ!半ば叫ぶように名を呼んだ!

    面影が、長谷部に名を呼ばれて返事を、あの締まりのない顔をしなかった最初で最後の日。

    こちらを見上げる面影の顔が、焼け付くように忘れられない。

    いったいいつからあの決断をしていたのか。
    面影は、この本丸に何一つ自分の物を置いていかなかった。
    元々身一つで来たのだ。私物と呼べるものなんて持ってなかった。
    それでも本丸内で過ごすうち、少ないながらも増えていた。手習いをし、文字を綴り。趣味にと勧められた歌を読み。長谷部が何気なく寄越した菓子の包み紙の装飾が気に入ったらしく、取っていたのも知っている。
    髪飾りが貝殻で出来ているのを知ったのは何時だったか。それを知り、たまたま見つけた綺麗な翡翠色をした貝殻を贈ったらとても喜んでいた。戦闘の帰り、桜貝を一緒に海辺で拾ったこともある。
    そんな何てことはない、価値なんてないにも関わらず些細な物を大事に仕舞っていたのを知っている。
    面影に与えられた部屋の中。備え付けの文机の、とても小さな引き出しの中。
    本当に小さな引き出しなのだ。たった一つ分。
    そこに仕舞える程度の私物。

    強襲調査後、面影の部屋の引き出しの中は空っぽだった。

    書き留めていた歌も、着ていた内番服に至るまで。
    おそらく全てを火中に投じていたのだろう。
    後に厨の掃除の際に、竈の灰を全て掻き出したら紙片の欠片がいくつか出てきた。

    何一つ、残すつもりは無かったのだろう。

    たった一つ。
    しばらくして。歌仙がたまたま書物の間に挟まれた、紙に包まれたナズナ草を発見した。
    それは恐らくあの日のナズナ草で。
    枝が全て根本から折れて種がぶら下がった、お世辞にも見目が良いとは言えない状態の小さな白い花。
    干乾びて、色あせて、ぺちゃんこなナズナ草。
    加工して栞にでもするつもりだったのだろうか?もっと他に良さげな花なんていくらでもあっただろうに。

    書物自体は本丸の物だったから、恐らく面影が自身の私物を処分する際、うっかり見落としたのだろう。

    大事に包まれた紙の中。
    ひしゃげたナズナ草。

    たったそれだけが残された。

    長谷部が申し出て引き取り、今も部屋の引き出しの中で眠っている。

    どこにでも生えている、何てことはない、極々ありふれたナズナ草。
    今も座った長谷部の周り、菜の花の下いくつも咲いている。

    なんてことはない、小さな花だ。
    栞にするにしても、枝を折って不格好な姿になったナズナ草にしなくとも、もっと綺麗な形のものはいくらでも咲いている。
    しかし、面影は。面影からしてみれば、あの日のナズナ草が良かったのだろう。そういうやつだ。

    ひとしきり、長谷部の頬にだけ降り注いだ雨が落ち着き、しじまの中。
    長谷部は左手に持ったナズナ草を、もう一度鳴らした。

    かすかにシャラシャラと音をたてるナズナ草。

    あの日のように、長谷部の左隣で共にナズナ草の音色を聞いた者はもういない。
    長谷部の左隣の空白。空いた胸の内。埋めることなど、生涯出来そうに無かった。
    この寂しさは瘉えることなく、長谷部は生きていくことになるのだろう。

    ナズナ草の音色はあまりに儚い。
    あまりにも頼りなく、儚い。いつか朧げになる記憶のように。
    あの日と同じ音色が、耳元で鳴る。

    ナズナ草の音色は、儚い。
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