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    何も分からないです

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    POIPOI 7

    人間不信夜更けから降っていた雨は、寝ている間に相当酷くなったらしい。一際大きい落雷の音で目が覚めた。体を起こすと、さっきまで温まっていた背中を、冷えた空気が撫でていく。
    寝直す前に水を飲もうと思ったのは、本当に何となくだった。だからリビングで佇むミスタを見付けたのは、ただの幸運だったのだろう。彼は雨の打ち付ける窓の前で、雷が鳴るのを待つように、じっと外を見つめていた。雨の音が好きだと言っていたが、明かりも付けず窓に貼り付いている様は、少し不気味でもあった。柄にもなく『それ』らしい。動かない背中を何となく見つめていると、ミスタは頭だけ振り向いて、肩越しに俺を見る。
    「……起きたんだ」
    「ああ、すぐ寝直すがな」
    ミスタは一言、「そっか」とだけ呟いた。そしてあっさり窓を離れて、俺の横を通りすぎる。
    「じゃあ、おやすみ」
    ヒラヒラと手を振って、リビングを出ようとする。そんな彼を呼び止める己の声は、自分でも驚くほど必死で、上擦っていた。
    「ミスタ」
    杞憂であればいいのに。
    「そのまま戻らないつもりか、ミスタ」
    彼の背中がぎくりと固まる。ゆっくり振り向いた瞳は、止む気配のないこの雷雨で唯一、鮮やかな夜明けを映していた。ミスタは何の表情も浮かべないままに、口を開く。
    「……いつなら、心の準備できんの」
    真っ直ぐに向けられた目は、俺を捉えたまま動かない。返事を待つというよりは、何を言われようが止めるつもりはないと、言外に訴えるようだった。それでも慎重に、彼に伝わるように、出来るだけ静かに答える。
    「俺にとって、誰かを失うことほど耐え難いものは無い。覚悟ができる日なんて、どんなに待っても来ないよ、ミスタ」
    声が震えずに済んだのは僥倖だった。言いながら、今まで俺を置いていった彼らの、仲間の、友人たちの顔が脳裏に浮かぶ。俺の拳が強く握られたのを、人の機微に敏い名探偵は見逃せなかった。射貫くようだった視線が、湖面に石を落としたように揺らぐ。
    「でも……でもさ、アンタちゃんと分かってる?オレだって、死んだんだよ……」
    眉根を寄せ、苦しそうに顔を歪める。一瞬、窓の外が眩く光った。部屋中を照らした閃光は、ミスタの影を落とさない。遅れて、ゴロゴロと唸るような音が響く。
    「気付いたらめちゃくちゃ時間が経ってて、気に入ってた店も知らないうちにどんどん潰れてて、みんな……母さんも、友達もみんな死んで、オレを覚えてる奴なんてもうアンタしかいない。じゃあオレは、アンタに忘れられたらさ……」
    そこまで言って、ミスタは続く言葉を飲み込むように口を抑えた。睫毛を震わせ、そのまま俯いてしまう。まだ触れ合えた頃、猫のように柔らかかった髪がパラパラと落ちて、彼の顔を隠した。もう手を伸ばしてその髪を耳にかけてやれないし、その権利もない。ミスタはしばらくそうしてから、一度短く深呼吸をした。それからパッと顔を上げて、もう一度俺と目を合わせる。
    「オレはさ、アンタに忘れられてホントに一人ぼっちになるのも、忘れられないよう媚び売って過ごすのも嫌だよ」
    「ああ」
    未だ、そちら側に立ったことは無い。だが一人にされる辛さは、どれほど身に染みたことか。分かるからこそ、決意を持って約束できる。
    「忘れないよ、お前のことも」
    「でもいつかは……」
    なおも続けようとするミスタを遮り、怒りすら籠めて繰り返す。
    「俺が、忘れる訳ないだろう」
    ミスタの肩が跳ね、俺を見つめる目が丸く見開かれる。
    「誰と重ねたのか知らないが、そうやって……俺を、ヒトと同じだと思うなよ」
    そこまで言って、お互い黙り込んでしまった。ふざけてると思われちゃ堪らないと、なるだけ真剣な顔で彼を見つめる。……だが、目も口もポカンと開けたミスタの顔を見ていたら、とうとう吹き出してしまった。
    「アハハ!……俺が人間じゃないから好きになったんだろう?お前が昔、自分でそう言ったんじゃないか」
    そう言ってニヤリと笑うと、ミスタは大きな目を瞬かせた。そしてハァ~!とデカい溜め息を吐いたかと思うと、その場にしゃがみ込む。
    「あーあ!じゃあダメじゃん。そこが好きだって言ったオレが、人じゃないから大丈夫って信じなきゃじゃん……」
    「ヒヒ、そうだぞ。自分で言ったのだから、自分で責任を取れ」
    「ハァ~マジで最悪。人でなしなんか好きになるんじゃなかった!」
    ミスタはそう言って立ち上がり、そのままソファにごろんと寝転んだ。そして、目を閉じたまま動かない。このまま眠るみたいに。
    「おやすみ、ミスタ。また明日」
    返事はない。それでも十分だった。
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    何も分からないです

    PAST
    刻む音、その後腕の中に収めた毛布のかたまりが、ゆっくりと上下する。そっと耳を当ててみると、ミスタの呼吸はかなり穏やかになっていた。きっと、ようやく眠りにつけたのだろう。彼を抱きしめたまま、目だけ動かして窓を見る。カーテンはぴったり閉じたが、それでも裾から少しの光を零していた。日の高いこの時間では、「寝れた」と言うよりほとんど気絶かもしれない。俺はマットの上を這って、毛布から少し覗く、灰色の猫っ毛に顔を近づける。シーツがしゅるしゅると音を立て、それだけで小さな寝息はかき消された。もう一度じっと耳を澄ませてようやく、今ので起こしていないと分かる。それから目の前のつむじにキスをした。
    「おやすみ、ミスタ」
    返事をしたのか、ただタイミングが良かったのか、ミスタは「うぅん……」と小さく呻く。もう一度だけキスをしたら、観念して彼を拘束していた腕をほどく。重い上半身を起こせば、ミスタはそれに気付いたみたいに身じろぎして、渋い顔で仰向けに体を倒す。それから少し毛布へ潜り、安心したように眉間の皺を伸ばした。慎重にはなってみたが、正直、ここまで神経質にならないでもいいとは思う。ミスタがこうやって苦労して寝た時、だいたい1時間は起きない。それより多く寝れるかは、体調と運次第だった。とりあえず、彼が寝ているこの間に、起き抜けに見てもウンザリしない部屋にしておきたい。体をベッドから乗り出して、足を下すスペースを探す。ちょうどすぐ横は床が見えていたので、そこへゆっくり立った。慎重を期したが、それでもスプリングはギギ、と小さく音を立てる。念のためもう一度後ろのミスタを見ると、目は閉じたまま、落ち着いた顔のままだった。安堵からひとつ溜息を吐いて、俺は足元に近いものから少しずつ、床に散らされたミスタの服やらゴミやらを拾う。ベッドの周りから拾っていくと、デスクの傍に時計と、その下に何かを零された紙の束が落ちていた。時計のアラームが切ってあることを確認して、デスクに置く。そしてシミの付いた書類を拾えば、それは何かの契約書だった。
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