刻む音、その後腕の中に収めた毛布のかたまりが、ゆっくりと上下する。そっと耳を当ててみると、ミスタの呼吸はかなり穏やかになっていた。きっと、ようやく眠りにつけたのだろう。彼を抱きしめたまま、目だけ動かして窓を見る。カーテンはぴったり閉じたが、それでも裾から少しの光を零していた。日の高いこの時間では、「寝れた」と言うよりほとんど気絶かもしれない。俺はマットの上を這って、毛布から少し覗く、灰色の猫っ毛に顔を近づける。シーツがしゅるしゅると音を立て、それだけで小さな寝息はかき消された。もう一度じっと耳を澄ませてようやく、今ので起こしていないと分かる。それから目の前のつむじにキスをした。
「おやすみ、ミスタ」
返事をしたのか、ただタイミングが良かったのか、ミスタは「うぅん……」と小さく呻く。もう一度だけキスをしたら、観念して彼を拘束していた腕をほどく。重い上半身を起こせば、ミスタはそれに気付いたみたいに身じろぎして、渋い顔で仰向けに体を倒す。それから少し毛布へ潜り、安心したように眉間の皺を伸ばした。慎重にはなってみたが、正直、ここまで神経質にならないでもいいとは思う。ミスタがこうやって苦労して寝た時、だいたい1時間は起きない。それより多く寝れるかは、体調と運次第だった。とりあえず、彼が寝ているこの間に、起き抜けに見てもウンザリしない部屋にしておきたい。体をベッドから乗り出して、足を下すスペースを探す。ちょうどすぐ横は床が見えていたので、そこへゆっくり立った。慎重を期したが、それでもスプリングはギギ、と小さく音を立てる。念のためもう一度後ろのミスタを見ると、目は閉じたまま、落ち着いた顔のままだった。安堵からひとつ溜息を吐いて、俺は足元に近いものから少しずつ、床に散らされたミスタの服やらゴミやらを拾う。ベッドの周りから拾っていくと、デスクの傍に時計と、その下に何かを零された紙の束が落ちていた。時計のアラームが切ってあることを確認して、デスクに置く。そしてシミの付いた書類を拾えば、それは何かの契約書だった。
「……。」
見慣れたサインを見つけ、こめかみが引き攣る。一応汚れた所を嗅いでみると、忌々しい安酒の匂いがした。ただ、飲めるものではあるし、ならまあ、いいか。書類をくるくると纏めて、少しそれとにらみ合ってから、自分の喉に突っ込む。
「ンン……、グ、ォエっ、」
奥に当たり、反射的にえずいた。生理的な涙がじわりと滲むが、無理やり押し込み、何とか全て飲み込む。流石にこの姿で丸呑みはキツかった。喉を鳴らすと少し違和感は覚えたが、まあ痛みは無いし問題ないだろう。振り向いてみたが、毛布は規則正しく膨らんではしぼんでいる。良かった、気付かれずに済んだようだ。……そう、ミスタは気付かなかった。確かに安心した。なのに震える口は勝手に、自分でも聞こえないぐらい小さく、彼の名を呼ぶ。
「……ミスタ?本当に、まだ寝てるのか?」
せっかく拾い集めた服を、また床に落とした。左手をシーツに沈めると、スプリングはさっきより乱暴にギイと鳴く。それから彼に覆いかぶさって、顔を覗く。どう見たって眠っている。
「ミスタ、ミスタ……」
続く言葉が、喉に詰まって出てこない。俺は黙り込んだまま、片手で彼の前髪をかき上げ、狭い額にキスをした。さすがに、勝手をしていいのはここまでだ。名残惜しさに負け、もう一度だけ、ミスタの前髪に指を通す。本当にそれを最後にして、今度こそ離れた。ベッドから降りて、さっき落とした服を拾い直す。そのまま動けなかったのは、本当に、本当に少しの間だけだ。ミスタが寝ていてよかった。こんなに静かでは、鼻をすする音も隠せない。