エスケイプ(ハナタイ)「帰したくねえよ…ッ!」
運転席から少し身を乗り出したハナビの、切羽詰まった声。タイジュの右手を掴んできたその手は小さく震えていた。
「帰したくない…」
ただそれだけを繰り返すしかないハナビの気持ちは、タイジュには痛いほどよく分かった。その先へ踏み込めなかった長い年月。踏み込む勇気のなかった自分。今、ありったけの勇気を振り絞ってくれたであろうハナビの、その、今にも泣きだしそうな顔を見たら、決心しない訳にはいかなかった。
「…自分だって…帰りたくねえです…っ!」
一度開いた助手席の扉を、タイジュは勢いよく閉める。
「帰さねえで、ハナビ、くん…」
自分の右手を掴んでいたハナビの手をそっと外すと、タイジュはその手の甲に唇を寄せた。自分の出せる勇気なんて、このぐらいだった。タイジュ、と声を震わせたハナビが、運転席から大きく身を乗り出してタイジュを抱きしめてくる。
「…行こう」
ハナビはすぐに、タイジュの背中に回していた腕を離すと、ギアを入れた。それを見たタイジュは慌ててベルトを締めようとしたが、手が震えてしまってなかなかうまくいかない。焦るタイジュに気付いたハナビは再び、ギアを戻す。
「…悪い」
タイジュの手に自身の手を重ねたハナビが、カチン、とそのベルトをしっかりと締めた。触れられたその手も、自分と同じように、はっきりと分かるくらいに震えていて。
「ちゃんと、安全運転で、行くから」
どこへ、とは言わなかったが、分かっていた。だから、「連れていって」と答えた。
ここではない、どこかに。攫って、連れ去って。ずっと好きだった貴方の手で、身体で。