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    エリンギ猫

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    エリンギ猫

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    謎時空🔥❄️
    ノットどむさぶ、甘くは…ないかも?
    突然降って湧いたものを書き殴りました。いつかちゃんと書くかも、

    記憶を追うぴゅうぴゅうと風を切る音が耳を打つ。風に吹かれる髪が真っ暗な視界の隅ではためいた。奈落の底まで落ちているような錯覚を覚えるほどの暗闇の中、何故か広げられない風の翼を潔く諦めて、ガイアはゆっくりと瞼を下ろした。どうせ上も下も暗闇のなのだから、目を開けていようが閉じていようが、そう大差はない。
    落ち始めてから十分くらいは経っただろうか。風を切る音しか聞こえない暗闇の中で、時間の感覚を失いつつあった。

    どこまで落ちるのだろうと首を傾げた瞬間、とぽん、と何かが水を打つ音と体を暖かなもので包まれる感触。
    驚きに目を開いた視界へ映るのは、大小様々な空気の泡とゆらりゆらりと揺れる水面だった。間抜けに開いた自身の口からもこぽりと空気が水面へ向かって上がっていく。
    咄嗟に口を両手で抑えて、圧倒的な違和感を覚える。
    水の中にいるのに、息が苦しくない。目を開いても痛んだり、視界が朧気になることもなく、至って明瞭としている。
    恐る恐る手を離して不思議な水の中で息を吸う。特に肺を水で満たされる感覚もなく、吐き出した息がやはり水面へと上がっていった。

    何ともおかしなことになったと思いながら、きょろきょろと辺りを見回してみる。どこまでも続く透き通った青の中を、きらきらと光を反射させながら魚達が泳いでいる。それが幼い頃に読んだ絵本の世界のようで、自身の状況も忘れてゆるりと微笑んでしまう。

    なんてことは無い、ただ突然現れた秘境の調査へ旅人に助力を請われただけだった。そこへまさか、かつての義兄が着いて来るとは思わなかったが。特段何か雑談をする訳でもなく、当たり障りのない業務連絡のみで、お互い仕事として割り切った。
    三人で足を踏み入れた秘境は至ってシンプルなもので、変な仕掛けや強大な魔物が住み着いている訳でもなく、敵を倒せば鍵が開くだけのもの。旅人が首を傾げて「なんか呆気ないね」と言葉を零すのに、返事をしようとしたガイアの脚がぐらりと揺れた。
    明確に言えば、突然足元の床が消えたのだ。そこからは上も下も分からない闇の中をただただ落ち続けて、今に至る。

    あの簡素な秘境の中にこんなに大きな水を蓄えていたとは思わず、ガイアはゆっくりと沈む景色の中、楽しげに鼻を鳴らした。海の底は暗く寒いところだと、幼い頃に読んだ絵本には書いてあったのに、この海の中は春の陽射しのように温かい。自身の口から出ていく空気がこぽこぽと音を立てるのも相まって、何故か酷く心地が良い。

    ある酒呑みが言っていた言葉をふと思い出す。その男は、自分が死んだら海へ還して欲しいのだとよく口にした。生命を生み出し育む母なる海へ還れるならばきっと幸せなんだそう。
    とある著名書にはこうも書いてあった。水の中にいる時に人が安心するのは、この世へ産み落とされる前の、母親の胎内で守られている時を思い出すからだ、と。
    海の中で揺らされている時は母の腕の中にいるような気持ちになる、と唄にもなっていたような気がする。

    どうやら海への回帰願望を持つ人間は少なくないらしい。きらりきらりと瞬く水面をぼんやりと眺めながら、確かに人々が海の中で生を終えたいと願うだけのことはあると思う。
    しかし母親という生き物と触れ合った記憶が無い自身には、この温かさが母親の腕を思い起こさせるかと言われたら首を傾げてしまう。それでも身に覚えのある温もりに首を傾げてうんうんと唸る。

    考えてみても謎の既視感の正体は掴めず、息を吐いた所に、何かが自身の背後からふわりと浮かび上がった。きょとりと目を瞬かせて、ふわふわと浮かぶものを見つめる。
    人の頭ほどはありそうな丸い泡の中に、かつての義兄であるディルックの幼い姿が映し出されていた。それは一枚絵のように動くことは無く、泡の中に映され、水面に向かって上っていく。
    どうしてこんな所で、幼い頃のディルックが映し出されるのか。
    ガイアが訝しんでいれば、ふわりふわりと次から次へ泡たちが自身の背後から浮かび上がってくる。

    真剣に絵本を読んでいる横顔、好物を前にして瞳を輝かせている姿、鼻の頭にクリームをつけて幸せそうに笑っている姿。

    直ぐにこれがガイア自身の記憶の断片だと気が付く。肩を並べて何回も一緒に読んだ深海を旅する魚の絵本。大好きなステーキが夕食で出された時に見せる弾けるような笑顔。そして、ディルックの誕生日にガイアが作ったケーキを一人で全て平らげて満足気にお腹を摩っている幸せそうな顔。

    つい懐かしさに目を眇めて口元を弛めてしまう。
    もう無くなってしまった二人のお気に入りだったあの絵本の終わりはなんだっただろうか。ディルックは日頃から肉ばかり食べている癖に、目の前に置かれると今でも密かに瞳を輝かせているのだ。たまに見かけるその光景に胸が温かくなるくらいはガイアにだって許されて欲しい。
    あの頃はケーキのほとんどをアデリンが作ってくれたが、今なら一から全て自分だけで作れるだろう。そうしたらまたあの頃のように「僕が全部食べる」と馬鹿みたいなことを言ってみせるのだろうか。あの後食べすぎて腹を痛めていたことをガイアはちゃんと覚えている。

    思いを馳せている間にも記憶の泡は浮かんでくる。そのどれもがディルックとの思い出ばかりで、自分でもおかしくて笑ってしまいそうになる。それなのに鼻の奥がツンと痛むのは海水がとうとう染みてきたせいだと思いたかった。

    養父に叱られてブドウ畑で蹲って泣いているところ、二人でこっそりと盗み食いをしたおやつのクッキー、バスタブの中で泡だらけになってはしゃいでるところ。

    どれもこれもディルックのことばかり。どうしてだろう。
    こんなにも自分はディルックのことばかり見ていたのだろうか。養父やアデリンの記憶は案外少なく、すぐにディルックの記憶ばかりが流れてくる。拗ねている顔、怒っている顔、ガイアに甘えている時の顔。全部覚えている。どうして自分はそんなところまで覚えているのだろう。

    麦わら帽子を被って、海を背に万遍の笑みで手を差し出すディルックの笑顔が眩しかった。その手をあの頃はしっかりと握れたのに。手を繋いで焼けるように熱い砂浜を無邪気に駆け回り、カニを捕まえて、どっちが一番綺麗な貝殻を見付けられるかと競い合ったり。確かあの時はガイアが勝ったはずで、綺麗だからとディルックへ贈った貝殻は、ずっと部屋に飾られていた。

    夏が好きになったのは、あの時ディルックが手を繋いでくれたからだということはガイアだけが知っていることだ。
    理由なんて笑ってしまうような本当に些細なこと。茹だるような暑さの中、握られた手はとても熱くて、それでも離されない手のひらが嬉しかった。そんな何でもないことがガイアの中では何よりも大切な記憶だった。

    優しい朝日の中でくせっ毛を寝癖でボサボサにしながら眠っているディルックの顔が浮かんできた。その寝顔は可愛らしく、そうしておけば少女のようなのに、なんて笑う。幼い頃のディルックは、ガイアが眠っている間にベッドに潜り込んでくることがあった。怖い夢を見たのだと恥ずかしそうに言っていたのを覚えている。

    優しく淋しい記憶たちが上へ上へと浮かんでいく。どれもがガイアにとって大切な記憶であり、綺麗な宝箱に入れておきたいかけがえのないものだった。目に焼き付けようと、瞬きすら忘れて浮かんでくる記憶の断片を見つめていれば、ディルックに混じって幼い頃のガイアの姿も映し出される。

    開かれた絵本に向けられていない楽しそうな笑み、唇の前で人差し指を立てて一口分のステーキを差し出している悪戯っ子のような笑顔、困ったように照れくさそうにはにかむ姿。

    これは、ディルックの記憶だろうか。驚きに目を見開いて、食い入るように泡の中にいる自身を見つめる。自分はこんな顔をしてずっとディルックの隣に居たのかと瞠目した。
    何度も読んでいるせいで内容を覚えてしまっていた絵本を前に、専らディルックの横顔ばかり眺めていた。いつもあと一口になるとしょんぼりとするから、養父やアデリンの目を盗んでこっそりとガイアの分を分けていたのだ。ガイアは生地を交ぜる作業や飾り付けくらいしかしていないのに、それでも「ガイアが作ってくれた!」と大はしゃぎをするディルックにとても照れくさかった。

    次第にガイアの姿ばかりが映し出されるようになってくる。
    心配そうに眉を下げている顔、ぶどうを食べて頬を綻ばせている顔、ムスッとして頬を膨らませている顔。コロコロと変わる自身の表情を信じられないような気持ちで眺めた。どれもガイアの視線はこちらを向いているのだから、きっとディルックを見ているのだろう。
    捕まえた蝶を見せびらかす無邪気な笑みも、木の上に登って手を振っている姿も、全部が心からの笑顔だった。自分はこんなふうにディルックのことを見つめて、こんなにも楽しげに笑っていたのか。

    ディルックと揃いの麦わら帽子を被ったガイアが眩しそうに目を眇めながら、泣き出しそうにも、幸福を噛み締めているようにも見えるよく分からない顔をしていた。
    褐色肌を赤く染めて、口をキュッと結び、人と違う星の瞳を細める己の姿はどこまでも幸せそうで。思わず服の胸元を握りしめてしまう。どうしてそんな顔をしているのか、なんて自分が一番分かっている。

    それらがもう戻らない幸福であることも分かっている。
    分かっているから、過去の自身が羨ましくて仕方がなかった。
    ふわりと浮かんできた何やら一際大きな泡がガイアの前にやってくる。暗い部屋の中、ベッドの上で縮こまり丸くなって眠っている自身の姿があった。微かな光に照らし出されたふっくらとした頬を伝う涙に、言葉を失う。
    涙を零す頬に触れている白く子供特有の柔らかさを残した手のひら。思わず伸ばした指先が泡に触れる。
    ぱちん、と泡が弾けて消えてしまう。

    「ガイア、どうしたの?」

    突然聞こえてきたコントラルトに目を剥く。慌てて周りを見渡すが当然ながら海の中にはガイアしかいない。

    「悲しいの?……僕が一緒に居るからね」

    囁くようなとても優しい声だった。呆然としているガイアの前にもう一つの泡がふよふよとやって来る。まだまだ小さな腕の中で、口元を綻ばせて、穏やかに眠っている自身の姿。まるで割れと言うように一向に登っていく気配のない泡へ、恐る恐る触れれば、やはり弾けて消える。

    「大丈夫だよ。もう悲しくないよ」

    蜂蜜のようにとろりとした甘やかな声が耳を打つ。
    朝になると何故かガイアのベッドで眠っているディルックは、いつだって照れ臭そうに「怖い夢を見たんだ」と言っていたのに。仕方がないなってガイアも笑って、二人で身を寄せ合って笑っていたのに。
    どうして、教えてくれなかったんだろう。泣いていたなんてガイアは知らない。どうして泣いていたのかも分からない。
    幼い自分もどうしてディルックの腕の中で安心したように眠っているのか。頭の中も心もぐちゃぐちゃで、引き攣りそうになる喉を唇を噛み締めることで耐える。
    深呼吸をする度に口から吐き出された幾つもの泡たちが、すっかり遠くなった水面へ上がっていく。早く水面を目指さなくてはいけないのに、頭が混乱して正常な判断が出来ない。
    ぎゅうっと瞼を閉じて「義兄さん……」と長年呼んでいなかった己の家族を呼ぶガイアの声は、泡となって急ぎ足で浮かび上がっていく。もう遥か遠くになってしまった水面を薄らと開いた瞳で見つめて、身体から力を抜いた。

    投げ出したガイアの手を突然掴む力強い手のひら。目を開くよりも早く誰かに抱き込まれる。驚きに出た言葉は泡となって声にならない。ぐんぐんと水面が近付く、その度に揺れる赤色にガイアは泣きたくなった。

    水面から顔を出して、二人して激しく咳き込み、ディルックに引き摺られるようにして砂浜へ寝そべる。あれだけ呼吸ができていたのに、いざ空気を取り込むと息苦しさに喉が喘ぎ、生理的な涙で視界が滲んだ。ぜえぜえと肩で息をするディルックを見上げて、ガイアは何を言えば良いか分からず戸惑ってしまう。
    どうしてここに居るのか、旅人達はどうしたのか、あの泡をお前も見たのか。聞きたいことは沢山あるのに、どれも言葉にならない。もう声は泡にならないのに。

    肘に力を込めて起き上がったガイアをディルックがギッと睨み付け、何かを言おうと口が開かれる。どんな罵声であろうと今は甘んじて受け入れようと、その唇から零れ落ちる言葉を待つが、一向に言葉が出てこない。
    迷うように何度も口を開いては閉じるディルックが、柔らかな唇を強く噛み締める。そんなことをしたらせっかくの綺麗な唇に傷ができてしまう。
    伸ばした指先でディルックの唇へ触れようとして、自身の手が砂だらけだと気が付く。途中で動きを止めたガイアの手を掴んだディルックが、先と同じように力強く引っ張る。
    体勢を崩したガイアの身体を痛いくらいに抱き締めて、ディルックが震える息を吐き出す。いつもならば「相手が俺だと分かっているか?」くらい口から勝手に出ていくのに、どうしてか舌が回らなかった。

    ディルックの肩越しに見た辺りの景色は、いつか二人が訪れた砂浜とそっくりで。びくりと揺れたガイアの指先に何かがこつりと触れる。そっと視線を落した先には、あの日のガイアが見つけた一番綺麗な貝殻が落ちていた。
    堪らずディルックの背に腕を回して縋り付く。ぎゅうぎゅうと抱き締めたディルックの身体は、濡れた服の上からでも分かるほど温かかった。

    思い出してしまった。夜が怖かった幼き日を、嵐の日に置いていかれた寒さを。一人で寝る布団は寒くて、縮こまって眠っていたのだ。まさか泣いているとは思わなかったけれど。そんな日の朝は必ず温かな腕の中で目を覚ました。ガイアの身体をぎゅうぎゅうと抱き締めて、すよすよと眠るディルックを見上げて、いつも笑っていた。温もりを与えてくれたのはいつだって目の前の義兄だった。
    繋がれた手も抱き締めてくれる腕も、向けられる笑顔も全てが温かかった。

    言葉はもう泡にならないのだと分かっているから、それならば、言いたいのは一つだけだ。震える息を吐き出して、いつか涙を零すガイアへ囁いてくれたように、とろりと蜂蜜のように甘やかな声でたった一人の家族を呼んだ。


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