いのちの音「お前に怖いものなんてないんだろうな」
そう言ったのは誰だっただろうか。
名前も顔も、いつ、どこで言われたのかも。何一つとして思い出せない。遠い過去のような気もするし、つい最近の出来ごとのような気もする。
酷く曖昧で、あまりにも朧気で、掴もうとしても指の間からすり抜けていく霧のよう。もしかすると他人からの言葉ではなく、己の頭の中で作り上げられただけの、あるはずも無い記憶なのかもしれない。
はたまた何処かの本でたまたま読んだものなのかも。
考えてみても、分からない。
それなのに、そんな言葉だけが、まるで喉に刺さった魚の小骨のように引っかかって取れやしないのだ。
◇◇◇
ぽつり。鼻の頭に僅かな水滴が当たる。
重たい前髪の隙間から空を見上げるが、今にも泣き出してしまいそうな灰色の空は朝から少しも変わっていない。
6684