かわいいひとね「若、ご飯と薬をお持ちしました」
頭の上に氷嚢を乗っけた若が弱々しくこちらを向いた。
「……薬飲みたくないなあ」
「しまった。出先から連れ戻してでもお嬢に持ってきてもらうんだった」
「絶対にやめなさい……」
ケホ、と渇いた咳をひとつ。瞼に腫れぼったい気怠さを纏わせたまま布団からゆっくりと起き上がるので背中を支えると、まだ風邪菌と激しく闘いの火花を起こしているようだ。若の身体はまだ熱い。
「寝れましたか?」
「わからない。頭がずっとぐるぐるしていて」
「熱も特段下がってはいないようですね」
「頭が重たくてガンガンして喉がガサガサして目が回る」
───昨晩フラフラの状態で若はご帰宅され、厨にいたオレの顔を見るないなや「あとはたのむよ」と言って意識を失うように倒れたのだ。
すぐさま駆け寄れば荒い息遣いと熱い身体に氷柱みたいに冷たくなった手先。高熱を出しているのは明らかだった。外傷がないのを確認し朦朧としてる若をとりあえず部屋へ搬送した後、掛けっぱなしの火を思い出して慌てて部屋を後にした。
そして今朝、朝イチで医師に往診してもらい薬も処方してもらった。これで徐々に良くなるだろう。
「粥かあ」
「梅干しの種は抜いてありますよ」
「すき焼きとか角煮が食べたい」
「今そんなもの食べたら絶対げえするのでまた今度。このお粥だって美味しくなるようにお作りましたから」
布団をぽふんぽふんと叩いて不満を募らせる若は子どものよう。聡明な瞳も今や見る影もなくぽややんと潤んでいて不屈の理性でおねだりを享受するのを耐え凌いだ。辛くなるのは若なのだ。風邪が治ったらすき焼きでも角煮でもなんでも作って差し上げようと誓う。
「約束だよ」
確信犯である事は全く持って可愛くないのだが。掠れた声で悪戯っ子のように笑った。
若はご多忙ながらも体調管理は(オレ達家臣らの監修ありきで)しっかりなさっている為に体調を崩す事は多くない。皆を守るには自分を守らねばならぬ事を知っている若はご自身の体力の限界も把握しているし、そもそも見かけによらず底抜けのタフさを持ち合わせている。フィジカル面でもメンタル面でも。
しかしそれでも身体が持たない時。これは恐らく「明日は暇だ」とか、そういう気の緩みからだと思うのだけど、緊張の糸がぷつんと解けて蓄積していたものが溢れ返ってしまうみたいだった。
「まだ食べれそうですか?」
「うん」
だからそんな日にはオレも目いっぱい労わって差し上げたいと思う。
スプーンに粥を掬って、ふう、ふうと息を吹きかけて冷ましてやり口元へ運べば、若は雛鳥になって「ぁ」と小さく口を開けた。
「あーん」
ぱくり。
「おいしい」
もぐもぐ。
「そうでしょう」
こくん。
「ぁ」
一口は僅かだが餌の運びが止まる事はなく、ゆっくりと皿を空にしていった。食欲があるのはいい事だ。
「ごちそうさまでした」
「はい。おそまつさまでした」
「おいしかっ、………………」
見事完食して見せた雛鳥の若は、オレの持つ粉袋に顔を顰めて固まった。なかなか珍しいタイプの苦々しい表情である。良薬は口に苦し。若も人並みには薬が苦手なのだ。
「あーんがいりますか?」
「……いいや、これは私のタイミングで飲むよ」
「さようで」
若は処方薬を水で流し入れた。ぎゅっと目を瞑り、喉仏がぐるんと動いたのを見届けてすぐさま新しく注いだ水を渡すと、それも一気に飲み干した。
「………………にがい」
「あと夜の分が待ってますからね」
「トーマが代わりに飲んで」
本当に稚児のようである。口の中がまだ苦いのかもう一杯、と言うので注いでやった。
「若、普段エグめの味を嗜んでいる割に薬の苦さは駄目なんですか?」
「だって薬には遊び心がないじゃない」
そりゃあそうだ。薬なんだもの。
皿や薬を片付けた後、汗をかいて気持ちが悪いと言うので、渇いた布巾で若のお背中をぽんぽんと拭っていた時だ。
「トーマは今日ずっとここにいてくれるのかい?」
「あ、え〜っと…………」
ふいに投げかけられて言葉に詰まる。
「ちょ、ちょうど急用が出来まして。もうそろそろ出ます」
我ながら態とらしかっただろうか。今し方でっち上げたありもしない急用に首を突っ込まれると困る。溜め込んだ家事が〜とかの方が良かったかもしれない。いやそもそもオレが家の事を溜め込むのも稀なのだけれど。
「なあんだ」
戦々恐々としながら腕、首周りも入念に汗を拭っていたが、若はすんなり飲み込んでくれたようだった。まあ、確かに昨日の今日で急用が出来て、というのも別に不思議ではないか。何より下手過ぎたオレの誤魔化しで引っかかると思ったんだけどな。気に留めないならそれでいい。
「お嬢が夕方に戻り次第様子を見に来るって言っていましたよ」
「それまでには元気になっておかねばね」
振り向いてそう言う若は伏目がちに笑った。瞬きを随分と重たそうにしていて、とろんと目尻が下がっている。ああ、もう眠くて眠くて仕方がないんだ。
「ええ、皆心配しておりますから」
そこからのオレは早い。次に前に回り込んで胸板と、お腹を速やかに拭いて差し上げて服を整えた。本当はお召し物も変えたいところだが眠気が来ているのならこのまま寝ていただいた方がいいだろう。
布団へ寝かせてやり、肩までしっかりと毛布をかけた。仕上げに額周りの汗も拭ってやれば目を瞑ってされるがままにいい子にしていた若がおずおずと見上げていた。
「……めいわくをかけるね」
その掠れた声はより一層か細くて風が吹けば飛んでしまいそうな程頼りない。散々「食べさせて」だの「身体を拭いて」だの言ってきたくせに最後にはしおらしくなるのだから。
───今日は二人でのんびり過ごす予定だった。別に何をする予定も明確に決めてはいなかったが町に降りて散歩をして、気になったものがあれば手に取って、お嬢に土産のひとつでも買って帰ろうかなんて話していたのだ。
そんな滅多にあるもんじゃない一日を、オレは勿論楽しみに胸を躍らせていて、だからこそ、丸一日空けてしまったオレがお側にいては気にされるだろうと、そして何かと理由をつけて起きていようとしたがるのではないかと思って、つい先程何も中身のない急用は生まれた。
残念な気持ちもまるっきりないわけじゃない。だって本当に滅多になかった一日で、そもそも若が倒れた昨日の夜は『少し夜更かし』も出来たりするかななどと考えてはいたのだ。
でも、楽しみにしてた予定が自分のせいでぱあになって、気にしちゃう若は可哀想だけどちょっと可愛い、などと考えてしまえば。
「迷惑だなんてとんでもない」
飯の用意も身の回りのお世話も、いつもしている事とそう代わりませんよ、と。
熱い額にキスを落としてそう笑ってやった。