ボス誕2023 今日はブラッドの誕生日。昨日から仕込んでおいて完成させた料理の数々を、飾り付けられた食堂のテーブルに次々と運んでいく。バースデーケーキもフライドチキンも、言われなくともたっぷり用意しているというのに、ついさっき、あいつは性懲りもなく盗み食いにやって来た。パーティーの直前ということもあり、さすがに胡椒は勘弁してやるかとカトラリーを持って追いかけ回していたら、なぜかミスラが満面の笑みでこちらを見て座っていたので、背筋に寒気が走った。ブラッドを解き放ってキッチンに戻るやいなや、食堂から爆発音と双子の呪文が聞こえてきた。半分くらい展開の予想がつきそうな気がしながら覗いてみると、今まさに音楽に合わせて踊り出そうとするように、ブラッドとミスラが手を取り合っていた。呆気にとられて見ていると、婿さんがチェンバロを取り出して、軽やかな音色を響かせた。誕生日祝いをするはずだった食堂は、あっという間にダンスパーティ会場へと様変わりした。訳の分からない状況に戸惑っていると、シノとヒースがとことことやって来て事情を説明してくれた。曰く。
「ミスラとブラッドリーが賭けをしてたんだ。ブラッドリーがネロにバレずにキッチンに忍び込めるかどうかって」
「あー……なんとなく展開読めたわ」
「ミスラが『俺が勝ったのであなたの分の御馳走も俺が食べます』って言い出して、ブラッドリーが怒って喧嘩になりそうだったんだ。そしたら双子先生が魔法で二人の手をくっつけて……」
「で、ドタバタダンス大会の始まりってわけか」
「おい見ろよ。ミスラの奴、とんでもないステップを踏み出したぜ」
「あれってステップって言えんのかね?」
「えっと、斬新だね……?」
オーエンの不気味なほどに楽しげな笑い声に彩られながら、ドタンバタンと大迫力のダンスを見せた、というかブラッドがミスラに振り回されて吹っ飛びかけた一曲目が終わった。ムルが花火を打ち上げて皆で盛大にブラッドを祝った後、流れるように二曲目が始まった。我先にと踊り出す者、魔法で楽器を取り出して演奏し出す者、食べることに余念がない者と、立食ダンスパーティーになった食堂は、外の寒さを吹き消すように賑やかな空間になった。俺はシャンパングラスを片手に、料理の味見をしたり、追加のつまみを作ったり、リケの初めての楽器の演奏を見守ったりして過ごした。
「ネロはブラッドと踊らないのー?」
「どわっ!?」
突然、目の前に逆さまのムルの顔が現れて、危うく手に持った皿を落としそうになった。皿の上のフライドチキンが滑り落ちないように、急いで掬い取るようにバランスを取り、すぐそばのテーブルに一時的に避難させた。ムルはといえば、テーブルの上をぽいんぽいんと宙返りしながら、野菜のゼリー寄せやらナパージュを塗ったいちごやら、きらきらした食べ物に手を伸ばして回っている。ムルは俺に見られていることに気付くと、いちごを齧りながら、猫のような目をくりんときらめかせて、テーブルの縁に浅く腰掛ける形で着地した。
「……俺は遠慮しとくよ、そういうの苦手だからさ」
概ね本音の返事を返し、ムルのきらきらした目から逃げるように顔を背ける。今日は給仕係くらいがちょうどいい。
「ダンスは苦手でも、ブラッドリーは得意でしょ?」
「へっ?」
一瞬こんがらがった隙を、猫の目は見逃さなかった。ムルが心底楽しそうな声音で呪文を唱えると、俺の身体がふわりと宙に浮いた。
「はーい一名様ご案内! ブラッドリー、こちらもどうぞ!」
ムルが指でピンと空を弾くと、俺の身体がふわふわとテーブルの上を移動し、一息ついているブラッドの目の前に到着した。
「ずいぶんとメルヘンなご登場で」
「……俺の趣味じゃねえよ?」
「わーってるよんなこと」
突然引っ張り出されてあたふたしている俺を、本日の主役様はにんまりと眺めている。周囲の視線や声など気にも留めずに、ブラッドは俺の手を取り、滑るように踊り出した。手慣れた様子でリードされてどうにかついていくが、足を踏みそうでひやひやする。今日のための上等なスーツや靴を汚したくなくて、少し距離を取ろうとするが、即座に引き寄せられて失敗に終わる。くるくる回る視界に酔いそうになって、ブラッドの胸元を凝視して落ち着かせる。キラキラ光るジャケットの襟に、音符を象ったブローチが踊っている。肩に掛けたコートは、どれだけ大きく動いても不思議と落ちることはなく、あるべきところに収まっている。タイの結び目と耳元に飾られたエメラルドグリーンのビジューが妙にしっくりくるなと思いつつ、なんだかミスラの瞳の色に似ている気がして、それはそれで面白くない、ような気もする。雫のような結び目のそれをじっと見ていて、はたと気付く。――上についてる飾り、なんか俺のと似てねえ?
「おい、聞いてんのかよ」
「え?」
「だぁから、双子にどうやって報復するかって話だよ」
聞いていなかった。話が話だけに、声を落とし唇をほとんど動かさないようにして、ブラッドに聞き返す。
「え、もうやんの? いいけど、あんたが自分でやるなら俺は陽動ってとこか?」
「そこまで言ってねえよ。つかよ、おまえあの話と勘違いしてねえか?」
「あの話……って、フィガロと双子をやる話だろ?」
「やっぱりな。何も聞いちゃいねえ上に着火が早すぎんだよてめえは」
ため息の後、ごん、と鈍い音がして、ブラッドの頭が俺の額に直撃した。
「ってえ!」
うっすら涙目になりながら、空いている方の手で額を押さえてブラッドを睨みつけた。ブラッドは悪戯が成功した悪ガキのような顔をして見下ろしている。
「俺様の誕生日だろ? 辛気臭え話は後にしようぜ、相棒」
「あんたが先に言ったんじゃねえか!」
「言ってねえよ。ミスラと無理矢理踊らされた仕返しをどうするかって話だっつの」
「え、あ、そっち……?」
ようやく己の早とちりに気付き、遅れ馳せながらひやりとする。危ない、また先走るところだった。
「ったく、誰と踊ってると思ってんだか。ムードってもんを知らねえなてめえは」
「誰ってブラッドだろ。つか、昔もよくこうやって密談したじゃねえか。今更ムードもクソもねえよ」
そう言い返すと、ブラッドは少し思案するような表情で目を逸らした後、突然俺の腰を支えていた手をがくんと下げ、覆いかぶさるようにぐんと顔を近付けてきた。
「へえ?」
鮮烈なピンクの目に、俺の焦った顔が映る。飲み込まれて、動けなくて、逃れられない。ブラッドの目がゆったりと細められていくのを、永遠みたいに眺めていた。
ごんっ。
「ってえ!?」
再び額に鈍い痛みが走り、思わず目を瞑った隙に、ぐんと体を引き上げられた。額を手で押さえてブラッドを睨むと、今度は呆れた顔で目線を投げられた。
「ほいほい流されてんじゃねえよ。隙しかねえぜ、東の飯屋」
それはあんたが悪い、と言いたくなったが、あまりにも負けが込みすぎている気がして言えなくなった。ブラッドの後ろで、ムルが楽しそうに飛び跳ねているのが見える。ため息を一つ漏らして、パチンと指を鳴らしてフライドチキンを呼び寄せ、呆れ顔のブラッドの口目掛けて突っ込んだ。もごもごと咀嚼している間にブラッドから離れて、見様見真似の優雅そうなお辞儀をして、テーブルの隙間のダンスホールを後にした。やっぱり、ダンスなんて苦手だ。