ONLY THE BLUE KNOWS 「きりゅうちゃん、明日の誕生日デート行かへん?」
そう言われて、特に断る理由もなかった。
午前中から動きたいから、と今朝は少し早めに起きて指定された服に着替える。そして巨大なターミナル駅から銀色の車両に二人で乗り込んだ。
既に小一時間は揺られているのだが、行き先はわからない。
今日は自分と色違いのシャツを着た隣の男に向かって、いったいどこへ行くんだ?と問うように目を合わせてみたが「そんな遠くやないで」と言うだけではっきりした答えは得られない。
どうやら教える気は無いらしい。
着いてからのお楽しみやとでも言うように目を細めて意味ありげに微笑むだけだった。
ならばこちらもこれ以上は追及せずに楽しみにしておくとしよう。
途中乗り継ぎをすると、スーツ姿の人間は殆どいなくなってしまった。
見るのは仲の良さそうな女性グループや修学旅行生の集団、外国人旅行者に夫婦やカップルといった面々ばかりで車両全体がどこか浮き立っている様子だった。
確かこの方面は…と考えていると「ここやで」と真島が立ち上がった。
桐生も少々慌てながら立ち上がり、ぞろぞろと続いて山間の細長いホームへと降りていく。関東では歴史ある神社仏閣を有する観光地の一つだった。
同じ方向へ急ぐこともなく歩いていく人々の列に倣って桐生たちも静かな住宅街の中をのんびり歩いていく。
今日は揃って随分カジュアルな恰好だよなと不思議に思っていたのだが、ここへ着いてようやく合点がいった。
観光地ということならこの服装の方が目立たないからだろう。
とはいえ、男二人の色違いは別の意味で人目を引く気もしたが。
「しっかし…もうすっかり夏やなぁ。まだこの辺りは梅雨にもなってへんのに。夏が来る前に俺のキレーッなお肌がこんがり小麦色になってまうで」
「そのまま焼けたら眼帯のところだけ白く残るな」
「だっさ!それだっさいわー!」
他愛もない話をしながら緑に囲まれた木漏れ日の中を進んでいくと、少しひらけた場所へ着いた。どうやらここが目的地のようだ。
「お寺…?」
境内の入口には青い紫陽花の生け垣が美しく咲いている。
「この時期は紫陽花が咲いて有名な寺なんやって」
真島がニマッと笑ってこちらを見る。
なるほど。
つまり今日は紫陽花見物というわけか。
◇◇◇
境内に入ると、あたり一面の青、青、青――。
いまはシーズン真っ只中で今日は平日だというのに見学者はかなり多い。
しかしそんな人の勢いにも劣ることなく多くの見学者を歓迎するように狭い路地の両脇に青い紫陽花たちが垣根を作り、所狭しと咲き誇っていた。
「は~…こりゃ見事やな!」
紫陽花は特段珍しくもない花だと思う。
見ようと思えばこの時期ならどこでもよく目にすることができる花だろう。
しかし、いくらよく見かけるといっても街中で見るのとは数が異なる。
観光地になるのも十分頷けるほどの量だった。
「俺たちも写真撮ろうや」
カシャリ、カシャリとあっちこっちでポーズを取り、シャッターを切っていく。
どこもかしこも美しい景色で、どこで撮っても見映えのする写真になるだろうなと思いながら参道を進んでいくと、後ろにいた真島が「見てやー!」と声をあげた。
「桐生ちゃん!どや、紫陽花の冠!かわええやろ!!」
見れば、ちょうど頭上あたりに白い”がく”が来る位置で中腰になっている真島がドヤ顔をしていた。
思わず笑みがこぼれる。
そんな真島を見て桐生も対抗心が湧いてきた。
辺りを見ると”がく”の淵が白く、中心が紫に染まった紫陽花が目についた。
「俺のはどうだ?」
「おっ、ええやん!俺のより派手やし!さすが桐生ちゃん。やりよるのぉ!」
「兄さんのも…まあまあ俺好みだったぜ」
「!!きりゅうちゃー…んぐっ!!」
抱きついてきそうだった真島のボディに小さく一発入れて制止させた。
「…しかし、ここの紫陽花はほとんどこの青いやつばかりでさっきのは珍しい方なんだな」
桐生がいうと、腹をさすりながら真島が「せやなぁ」と相槌を打った。
「紫陽花ってたしか土が酸性とかそういうんで色変わるって聞いたけど、ほんまここはほとんどブルーやな……せや!」
突然なにか思いついたように真島が声をあげた。
「桐生ちゃん、ほんならちょっと変わったやつ見つけられるか勝負せえへん?」
「ちょっと変わったやつ?」
違う色のやつ。
若しくは同じ青い紫陽花で形が変わったものを探してみよう、という真島の提案だった。
勝負の判定は、相手の見つけた花が自分のよりも変わってると思ったら勝ち。
勝負と言われて引くわけにはいかない。
二つ返事で受けて立つと早速桐生は他と違う紫陽花が無いか探し始めた。
だが探すといってもこの人混み。
単独行動は避けて二人揃ってあーでもない、こーでもないと話しながら移動していく事にした。
やがて本堂へ続く山門を潜ると、その隅にひっそりと水の張られた鉢に紫陽花がいくつか浮かべられているのが目に入った。
風にまかせて水面をすうーっと静かに動いていく紫陽花の姿に、なぜか懐かしいような、ほっとするような気分になるのは不思議なものだ。
(こういうのも涼し気でいいものだな…)
しばらく時間を忘れ、太陽の光に反射してきらきらと輝く水面と紫陽花を楽しんでいた。そろそろ行くかと体の向きを変えたその先に、桐生はふと、変わった形の紫陽花を見つけた。
(これだ!)
確信した桐生が顔を上げて、後ろを振り返る。
「兄さん、これだろ!…っておい?」
傍にいたはずの真島の気配がいつの間にか消えていた。
(兄さんがいねぇ…)
狭い場所とはいえこの人混みではあちこち探すのも一苦労だ。
おそらく立ち止まった桐生に気付かず先へと進んでいったのだろうと思うが、この先の道はいくつか分かれていてどの道へ進んでいったかわからない。
(背は高いからすぐわかりそうなものだが…)
そう思ってきょろきょろと探してみたがそれらしき人物は生憎見当たらなかった。
先へ進むにしてもこの先はおそらく本堂。まだこの辺りをすべて見たわけではない。
ひとまず順に下を見ていくか…と細い路地を進んでいくと途中で一つ奥の垣根から突然ひょっこりと飛び出てきた真島の顔と目が合った。
「!!!」
「桐生ちゃん、こっちやでー!」
迂回して合流するとニコニコ顔の真島が待っていた。
「…突然生首が出てきてびっくりしたぞ」
「ヒヒッ!びっくり大成功やな」
桐生がじとりと睨む。
すまんすまん!と真島が謝りながら「ほれ、はぐれんように行こうな」と桐生の手を繋いだ。
「おい…」
手を引っ込めようとたが、ガッチリ指と指を絡められていて動かない。
「みんな花に夢中やで。俺らなんて目に入らんやろ」
それもそうかと思って振りほどくことはしなかった。こんな昼間から手を繋ぐなんて普段は人目を気にして難しい。素直に嬉しかった。
「そや桐生ちゃん、変わった紫陽花探しな。見つけたで。これ!」
そういって真島がしゃがむ。指差した先にはピンク色に染まった紫陽花が咲いていた。
「ちょこんとこいつだけピンクの咲いとってな。どや?」
小ぶりではあるが、周りは青い紫陽花ばかりと思うと珍しい色だ。
「こいつだけって思うとなんだか応援したくなるな」
「せやなぁ。周りは青ばっかりなのにコイツだけ頑張っとって…誰かさんみたいやで」
のぉ?と真島が意味ありげに桐生の顔を覗き込んだ。なんとなく言わんとしていることはわかった。
「その誰かさんはこんな小ぶりじゃねぇと思うが。それにピンク色だったから物好きな別の誰かさんの目にも止まったんだろ?」
青だったらこの紫陽花はその物好きな奴の目には映らなかった。
「ヒヒッ、ようわかっとるやないかい――そうや、桐生ちゃんの方は?変わったもんあったか?」
これより変わったもんやないとあかんで〜と、ニヤニヤしながら余裕ぶる真島に桐生は自信満々に答えた。
「――ああ、あったぜ」
◇◇◇
桐生が連れてきたのはほかと変わりない青色の紫陽花が咲く一画。
そう。真島が色なら自分は形で勝負だ。受けてみろ、兄さん!
「こ、これは…!!」
「ハートだ!」
「…ハート?」
「ハートだろ?」
顎に手をやり、真島が唸る。ウンウンという唸り声とともに首が上下に揺れている。
まさか…納得出来ないのだろうか。
確かに真島の見つけたピンク色の紫陽花ほど目立ちはしない。そういう意味では弱いかもしれないがこちらは色ではなく形だ。
形。
だが…桐生は見た瞬間に確信したが、いまよくよく見るとはっきりハートではないかもしれない。
いやいやこれはどう見てもハートだろ。けれどもいくら自分が主張しても真島が認めなければハートにならない。
真島の唸り声が徐々に大きくっていく。
そして一際大きくウン!と唸ると同時に、カッと真島の目が見開かれた。
「桐生ちゃん天才や!これはハートや!誰がなんと言おうと桐生ちゃんがハートやと思ったんならこれはハートや!!くぅ〜〜かわええ!それだけで優勝や!!」
なんだかよくわからないが認められたらしい。
「さ、写真や写真!」
そうしてまた一枚、写真フォルダに追加された。
◇◇◇
「しかし、日向はあっついのぉ」
勝負もひと段落して先に進んでいくと陽の位置が変わり、日向が増えていた。
大きな手毬のような紫陽花たちが地面に影を落としている。
まだ熱風でないのが幸いだ。風が吹けば涼を感じられる。
「俺らが小さかったら紫陽花の下の日陰で涼めるのにな」
「それどんだけ小さいねん。人形サイズやないか?」
もし人形サイズになったら自分たちはここでどんな風に過ごすだろうか。
大きい紫陽花の間を走って鬼ごっこ、暑くなったら紫陽花の下で涼んで雨が降れば葉っぱで雨宿り…
一日中遊んでいても飽きないかもしれない
「小さくなったらここもめっちゃ広いと思うんやろな」
「それであんたとここでかくれんぼしたら逃げ切れそうだな」
「俺を誰やと思ってんねん。すぐや、すぐ」
こうやってな、と真島が周囲を気にもせず繋いだ手に力を込めて見せるように持ち上げてみせた。
先を進んでいたグループが次々と境内を抜けて、元来た住宅街へと戻っていく。
紫陽花デートの終わりだった。
「そろそろ喉渇いたやろ?ビール飲みに行こや。ぷらぷら土産物屋でも見て、ケーキはその後な!」
胸がざわりとした。
真島の声も聞こえてはいるのだが、右から左へ抜けていく。
こんなところで、とも思ったがどうしてか『したい』と思った。
真島の影響で自分の感覚もおかしくなってしまったのか。
それとも二人でこんな観光地へ来られたのが自分でも考えている以上に嬉しかったのか。
理由は定かではないが、とにかくなんだか名残惜しくなって桐生はやるならいましかない、と衝動的に決断した。
さっと周囲を確認する。
前にいるグループはこちらを振り返ることなく帰路に向かっている。
背後にいるカップルは途中の紫陽花にまだ夢中。
いまがチャンスだ。
「兄さん」
どうした?と覗き込んできた真島の襟元を引っ張り、顔を寄せる。
花弁に触れるみたいにほんの一瞬だけ。そっと唇を重ねると、桐生は素早く身を離した。
「…今日はありがとな」
「…………きりゅうちゃん、俺もう今のでヤる気がミチミチになってもうたんやけど」
あ、、刺激が強すぎたか。
なんとか平静さを保とうと顔面が固まっているが鼻がヒクヒク膨らんでいて興奮を隠しきれていない。
一人でヒートアップしてしまった真島が再び手を握ろうとしてくるのを察知して、ダメだと軽くその手を叩いた。
「なんでやぁ!」
「俺は喉が渇いたし腹も減った。確か地ビールあったよな。観光地だし店も多そうだ」
ケーキも楽しみにしてるぜ、と親指をグッと立ててみせると路地に風がひゅうっと吹き抜けていった。
垣根の紫陽花たちが音を立てて揺れている。
「くうッ……ここでドS発動かいな!ほんならわかった。巻きで行こや、巻きで!!」
足早に進み始めた真島に桐生がやれやれと肩をすくめる。
それには俺も――――。
先を行く男には到底聞こえない大きさで返事をすると、桐生も境内を後にして早足で駆けていった。
こんな二人の様子を知っているのは当人以外に今日は彼らだけ。
幾つもの澄んだブルー。
紫陽花たちは二つの影が木漏れ日の向こうへと消えていくまで、さわさわとそよ風に揺られていた。
END