年上彼氏と年下彼氏今週の金曜日。本来なら平日で学校も会社も通常通り。なのだが、年下の恋人である伏黒の学校は、ちょうどその日が高校の開校記念日ということで、学生には嬉しい三連休となる。そうなれば必然と、じゃあうちに泊まりに来る?と思ってしまうわけで…下心満載の『木曜、学校終わってからうちにくる?』というメッセージを送れば伏黒からは一言『いく』とだけの返信が届いて、虎杖は部屋で1人小躍りをし、その様子を見た飼い猫と飼い犬達は急な飼い主の奇行をなんとも言えない顔で見ていた。
それから『仕事帰りに迎えに行くね!』と連絡をいれておき、足元にいる2人もとい2匹に木曜から伏黒来るよ!と言えば『伏黒』のワードを聞いた2匹はたたたっと玄関まで走っていき、伏黒の到着を今かと待ち構えていたのを、気が早いよ!と言って居間に連れ戻すのに苦労し、伏黒からは犬が敬礼しているスタンプで「了解」と返信がきていた。
それから時間は流れ、当日。時刻は18時。道路や交通機関は帰路に忙ぐ人たちで溢れている。
本当ならば今日は17時に終業する筈が後輩のミスにより残業となってしまい、途中トイレと銘打って部署を抜け伏黒に『ちょっと遅くなる!』と連絡をすると『分かった』と簡潔な返信が届いた事に安心し、一刻も早く終わらせて年下の恋人の顔見たかった。すぐにでも会いたい。抱きしめたい。その思いのみを活力にして、鬼神の如くキーボードを全力で叩いた。
「さてと…こんなもんなかな?」
「先輩、本ッ当にありがとうございます!!」
「おー、もうこんなミスすんなよ?」
「頑張ります!!」
修正したデータもばっちり、先方への謝罪も終え、ふと時計を見れば18時を過ぎており、伏黒怒ってないかな…とスマホを確認したが怒っているような気配は見当たらず、届いてたのは湯気がたつコーヒーとそれに添えられたジンジャーマンクッキーを持った綺麗な指先が写された写真、それから『甘くない。美味しい』という一言だった。シンプルながら可愛い内容にきゅんとして、思わず頬が緩むのは仕方ない。
疲れた体に何よりも効くのは可愛い恋人なのだから。
それでも表情にはあまり出ないが、待たせたことには変わりない。こっちから誘ったのにこのザマだ。何か彼の機嫌とりが出来るものを考えなければな、と思いながらパソコンの電源などを落とし、帰り準備をしていると後輩から声をかけられた。
「先輩、このあと飯どーですか?!」「あー今日は無理。先約あんの」
「え、先輩カノジョいるんすか?!」
「いるよ、美人で可愛い黒髪年下の子♡」
「美人で可愛いって設定盛りすぎじゃないっすか?今度紹介してくださいよ!」
「ん、断る。それよりもお前、明日ちゃんと先方に謝罪行けよ?」
「えーーーなんかはぐらかしてません?!」
「してないよ。社会人としてちゃんとしろよって話してんの、俺」
「わかりましたよぉ」
後輩は何やらわーわーと後ろで騒いでいたが、虎杖は気にせず鞄に荷物を詰めると引き出しから車の鍵を取り出し、あと宜しく!と声をかけて会社を後にし、駐車場に停めてある車に乗り込んだ。時刻は18時15分少しを過ぎていて、ジャケットを脱いで助手席に放り投げ、エンジンを掛けながら伏黒にメッセージを打った。
ユウジ 18:20
『ごめん、今終わった!どこにいる?』
Megumi 18:22
『遅い』
ユウジ 18:23
『本当にごめん!迎えに行くから、今どこにいるか教えて?』
Megumi 18:28
『駅前のライブラリーカフェ』
ユウジ 18:30
『了解!動かないで待っててね!』
Megumi 18:32
『分かった』
駅前のカフェならここから10分くらいで着くだろう。
虎杖はようやく会える恋人に心躍らせ、車のアクセルを踏んだ。
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駅前のカフェは静かで好きだ。
コーヒーは美味しいし、所謂お茶請けと言われる一口の菓子が付いてくる。それから新書は勿論古書の種類も多いから時間潰しに事欠かないのも良い。
窓際の日の当たるクッション性が高い席が1番気に入っていて、そこに陣取るとリュックからイヤホンを取り出してスマホとペアリングさせ、周りに聞こえない程度に彼氏が薦めてくれたアーティストの音楽を流し、気になっていた小説を読もうと表紙を捲り、読んでいると店員がテーブルに注文していたコーヒーをそっと置いてくれていた。
とりあえずコーヒーを一口飲もう、としてお茶請けを見ると『本日のお茶菓子はジンジャーマンクッキーです!』とプリントした紙も一緒に置いてあり、あえて声をかけずにこうやって紙一枚で済ませてくれるのも好きなところだ。
今日、本当は学校が終わったら彼氏が迎えにきてくれる筈だったのに彼は仕事が終わらないらしい。
いつもなら長々と送ってくるメッセージとは違う簡潔な内容に仕方ないとため息を付いたのは少し前で、社会人として頑張っている彼にたまには何となく画像でも送るか、と思ってクッキーを片手に持ちコーヒーも写るように画角を考え、それを写真に撮るとメッセージ何も文章は付けずに送ると、そのままクッキーを口にすれば甘さのあまりないそれは美味しいと感じた。
(甘くない。美味しい……っと。送信)
自分のことをとても大事にしてくれている彼のことだ、こんなメッセージを送ったらそのうち自分で作るだろうな、なんて考えながらコーヒーを口にした。すっきりとした酸味と苦味が美味しかった。
暫く経ち、音楽に混じってメッセージの受信音がイヤホン内に響き、栞を挟んでスマホを確認すれば彼氏から今終わった、というメッセージが届いていた。
ユウジ 18:20
『ごめん、今終わった。どこにいる?』
Megumi 18:22
『遅い』
ユウジ 18:23
『本当にごめん!迎えに行くから、今どこにいるか教えて?』
Megumi 18:28
『駅前のライブラリーカフェ』
ユウジ 18:30
『了解!動かないで待っててね!』
Megumi 18:32
『分かった』
10分すれば彼は近くのロータリーに車を停め、わざわざカフェの中に入ってくるだろう。
焦った顔で必死に謝罪するだろうな。なんてことを考えていたら、口が緩んでしまった。早く会いたい。こんな、まだまだ子供な自分を全力で愛してくれる最高の彼氏。俺の機嫌を損ねたと思って、きっとこの本とここの代金は自分が出すと言って聞かないんだろうな。
栞を挟んだ本はそのままに、冷めてしまったコーヒーを飲みながら窓の外を見て彼の姿を探した。
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それから、10分と少し経った頃。
虎杖は息を切らせながら店内に入ってきて、真っ直ぐに伏黒の元へとやってきたかと思えば人目もはばからず(声のボリュームは小さかったけど)、学生服のブレザーに身を包む高校生の恋人に向かってごめん遅れて!待たしてマジでごめん!!と言って頭を思いっきり下げてきたので思わず噴き出してしまい、対して虎杖はきょとんとした顔をして伏黒を見た。
「え、怒ってないの?」
「なんで怒る必要があるんだよ。めんどくさい女じゃあるまいし…仕事お疲れ様、ここまで走ってきたのか?」
「そりゃ伏黒が待ってるって思ったら…ただでさえ待たせてるのに」
「ふ、汗かいてる。しかもジャケットも着てないし」
「あ、助手席に置きっぱなしだわ。車停めてマジで走った」
「なぁ、こっち」
「ん?」
伏黒は虎杖の手を引っ張ってソファに座る自分の方へ、その大きな体を引き寄せ、こそこそ話をするかのように顔を近付けた。と思うと、一瞬その頬へ小さなリップ音を鳴らしてキスした。
可愛い恋人の急な可愛いデレに驚いて固まっていると、更に気をよくしたのかクスクスとしてやったり、というような顔をして笑っている。
ここが店な事を感謝して欲しい。虎杖は内心、伏黒に飛び掛かりたいのをグッと抑え『もうヒィヒィいうまで鳴かしてやる』と心に誓っていたのだから。
「なぁー…可愛い事すんのやめてくれん?」
「パパ活って思われるから?」
「いや、パパって年じゃねぇし!」
「パパ、ほら伝票と本」
「んもー…」
伏黒はクスクスと笑いながら伝票が挟まれたバインダーと買取希望の読みかけの小説を虎杖に手渡すと、ポケットから財布を取り出しながらカウンターに向かった背中を見送り、自分は未だ片耳につけたままだったイヤホンの電源を落として犬のロゴが入りの『ゆうじくん』と刻印されたイヤホンケースにそれを戻し、荷物が入ったリュックにしまうと席を去り、会計をしている虎杖のそばに立つと下から顔を覗き込んで『ありがとな』と言った。
シャツの背中を指先でツン、と摘ままれながら言われた言葉に気付いたのは、虎杖だけだった。
「…なに?今日ほんとにデレとらん?」
「どうだかな」
来たときは一人、出る時は二人でライブラリーカフェを出ると、どうせならデパ地下でちょっと何か見ていくか、という話になり、歩いて数分の所にあるデパートへと向かった。
生鮮食品は勿論、ワインや料理の他にデザートにも使えるチーズの専門店、美味しいと有名な色々なジャンルの惣菜店と、煌びやかなスイーツたちが並ぶデパ地下は、夕食時間という事もあって多くの人で溢れていて、伏黒ははぐれないように控え目に虎杖の袖を掴んだのだが、ふっとそれを振り払われたたかと思うとぎゅっと大きな手で自分の手を握られた。
「おま…人がいるのに!」
「ん?なんか問題ある?」
「…俺は別にいいけど…虎杖、社会人だろ…」
「社会的地位より伏黒が大事だけど?」
「…バカかよ」
「バカでいいんよ」
ほら、見て!このサラダ美味そうじゃね?!と指さしながら笑う虎杖の笑顔に、釣られて笑顔になってしまう。
まだ学生、しかも未成年の自分とこんな風に手を繋いで買い物をしている所をもし虎杖の会社の人や知っている人に見られてしまったら。まだ若いけれど社会人としてそれなりの地位にいる虎杖のことを、人は見る目を変えてしまうだろうし、大きな事件となってしまうかもしれないというのに。
それなのに、見られようが構わないと言って笑い、自分を何よりも最優先してくれる。
たまにどうしても埋められない年の差に、一人で苦しくなって、いっそ嫌いになれたら、なんて考えたりもする。けれど、不思議な事にそんな事を考えてると必ず虎杖は連絡をくれたり、突然会いに来るのだ。エスパーみたいに、考えてる事が分かるのか?なんて聞いたこともあるけれど、決まって返ってくる答えは『伏黒の事を愛しているから』だった。
こっちだって大好きなのに、なかなか甘える事も伝える事も出来ていない。それなのに、伝わってるよ?って言って笑ってくれるから、これが年上の余裕なのか…なんて思うのだ。
「な、今日はもう惣菜でいい?明日は俺が作るからさ!」
「いや…明日は俺が作る。俺は暇だけど…お前仕事だろ」
「マジ?!うっわ、仕事ちょー頑張れるわ!」
「だから明日は早く帰って来いよ」
「ん、約束する!」
楽しみだなぁ、と言って虎杖が笑う。手はぎゅっと恋人繋ぎに握り直され、手からも伝わる嬉しさに、伏黒の心も同じように満たされていった。
それから二人でサラダや惣菜をグラムオーダーし、オーガニック素材を使ったサイダー二種類と小さなケーキを選んで籠に入れ、スナック菓子も数種類放り入れると虎杖は会計してくんね!と言い行列が出来ているレジに向かったのを見てから伏黒は列から離れ、近くにあるパン屋へと向かった。明日の朝食に使えそうなパンを購入するためだ。
トングとトレイを持ち、ついついトングをカチカチしてパンたちを威嚇しながら虎杖の好みそうなものを探す。定番の食パンや小さいフランスパンをスライスして、好きなジャムやバターを塗って食べるオーソドックスなものもいいし、あえてクロワッサンやカンパーニュでサンドにしても良い。パニーニやイングリッシュマフィンなら、暖かい具を入れて更にちょっとトーストしても美味しい、それならベーグルだって良いだろう。表面が少しかりっとしてるけど中はモチモチのベーグルなら、虎杖が大きな口を開けて美味しそうに咀嚼してる姿が見られる。けれども何をしても美味しそうに食べてくれるんだよな…と考えながら物色する。
色々と考えた結果、冷凍保存も出来そうなイングリッシュマフィンを選んで数個入って袋詰めされたそれをトングで掴んでトレイに乗せた。それから、一口サイズのグラム売りにされている小さなクロワッサンも。これは明日の自分の昼用。コーヒーとこれがあれば昼は十分だ。
それから会計の為にレジへ行くと、レジ横に『ペットと一緒に!』と書かれた骨型のクッキーが目に入り、裏面の成分表示を確認してから店員にこれもお願いします。と言って追加で頼んで合計の金額が出たのを見て財布を出そうとすると自分の背後から大きな手がそれを遮ってきた。
「あ、これでお願いします」
少しだけ折り目がついた千円札が2枚、キャッシュトレーに乗せられる。
伏黒はいつの間にか後ろに居て会計をしてきた彼氏、こと虎杖にちょっとむっとした表情を浮かべた。
「おい、虎杖」
「学生に出させるほど俺甲斐性ないとは思ってないんだけど?」
虎杖は伏黒の財布を取り上げると背負っていたリュックを勝手に開けて奥底にしまい込んだ。早々簡単に自分ではとれなくする為にだ。
「そうじゃねぇよ。少しくらい俺にも出させろって言ってんだよ」
「社会人になってから、ね。楽しみにしてるから」
「第一、これ俺が勝手に選んだものじゃねぇか」
「ん?一緒に食べるんでしょ?だったら俺が出すよ。当然」
「……」
店員がいくらのお返しです!と言いながら釣銭を渡してきたのを虎杖は笑顔で受け取り、自分の財布にしまうと軽いからこれお願いね。と言って買ったばかりのパンを伏黒の手に持たせた。それから、手を握るのかと思って空いた手を差し出せばそれを通り越して人が多いというのに堂々と腰を抱き寄せてきて、伏黒にしか聞こえない小さな声で囁いた
「夜、サービスしてくれればいいよ♡」
「!!」
驚いて顔を見れば、伏黒の大好きな金琥珀の瞳はうっそりと熱を持って翡翠の目を見つめていた。
数秒お互いを見つめていたが、今いる場所を思い出してハッとし、厚みのある肩を思わず叩いた。全くびくともしないが。
「…くそ、それが狙いかよ」
「ん、今日伏黒がずっと可愛い事してきてるのが悪い」
「俺は悪くねぇよ!」
「はいはい。さ、家帰ろ!あいつらもお腹空かして伏黒来るの待ってるよ」
「…なんかずりぃけど、一旦納めてやるよ」
「ほら、伏黒」
手を伸ばして繋ぐ、のではなく、虎杖は肘を曲げてそれをちょいっと上にあげ『どうぞ』と招く。一瞬のうちに何をして欲しいか理解した伏黒は顔を赤くしたが、するりとそれに自分の腕を絡めて組み、ぴたりとくっついて歩き、駐車場まで向かった。
駐車場に着いて車に乗り込むと、助手席に座る伏黒にシートベルトを自分の手でかけてやる。ついでに触れ合うだけのキスも2回。3回目は最後に唇を少しだけ食むと伏黒はクスクスと笑う。それから放り投げてあった虎杖のジャケットを膝上に置いたかと思うと、おもむろにそれを拡げてからぎゅっと抱きしめ、スンスンと鼻を鳴らしてジャケットに染みついた匂いをめいっぱい吸って肺に入れている。
隣で繰り広げられる可愛い行動に、虎杖の顔は思わずスペースキャットのようになった。
「…え、何可愛い事してんの。ていうか臭くない?!大丈夫?!」
「お前の匂い。安心するぞ」
「そ、そう…?」
「あぁ」
まだ20代だし加齢臭には早いし、臭くないならいっか…?と邪念を取り払うように頭を数度振った後、ブレーキパッドを踏みながらボタンを押してエンジンをかける。途端にうるさくない程度の音量で流れるBGMは、先ほど伏黒が待っている時に聞いていたアーティストのものと同じ曲だ。サイドブレーキを上げ、シフトレバーをドライブモードにするとアクセルを静かに踏んで車を発進させる。窓をあけて自動精算機で駐車場の料金を支払い、座席に座りなおし、少し進んで駐車場出口にある信号が青になるのを待つ。隣を見ると伏黒はジャケットを自分の身体に掛けてうとうとと微睡んでいた。
相変わらず入眠速度が早いな、と関心しつつ、家に着くまで寝てていいよ。と言って頬を撫でれば、伏黒はこくりと頷いてスゥ、と眠りの世界へ落ちていった。
平日の夜の街を歩く人々は、二人になんの興味も示さないし騒がしくて忙しない。やがて歩行者用の信号は青の点滅となって赤に変わった。
青に変わった信号を確認して、ゆっくりとアクセルを踏みこんだ。
車は可愛い寝顔を見せる愛しい年下の恋人を乗せ、愛猫と愛犬が待つ家へと進んでいくのだった。
☆続く…かも?