無題。 実くんは、夜お風呂の後ボディクリームを使う。
翌朝シャワーを浴びるから、そのボディクリームの香りはなくなってしまう。日中はしない実くんの匂い。きっと、わたしだけが知っている香り。
朝になると、彼の部屋着に、下着に、その香りは移っていて、実くんの抜け殻もいい香りがする。洗濯をする時、ついそれを嗅いでしまうのは自分でも変態じみていると思うけれど、実くんが忙しい時などすれ違い気味な時は抱きしめて顔を埋めてしまう事もあったりする。
これは実くんには知られたくない、わたしだけの秘密。
「……何やってんの」
「……っ」
突如背後からかけられた言葉に飛び上がりそうなくらい驚いて、持っていた実くんのスウェットを落としてしまう。恐る恐る振り返ると、洗面所の入口にいる彼とバチバチっと目が合った。
「……い、いい香りで……、……」
わたしだけの秘密は、あっけなく知られたくない本人に知られてしまった。部屋でパソコンと向き合っていたから、こっちには来ないと思っていた。
実くんの視線が痛い。火が噴きそうなくらい顔が熱くなる。
「……嗅いでました……」
「そんなコトしなくても、ココに本体がいますが?」
そう言う実くんは、わたしの行為を特に気にしてる様子もなくて、ホッとしたようなムズムズするような気持ちになってしまう。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、彼はわたしに歩み寄って背中から腰を抱き寄せる。
「その、肝心の本体が後ろにいたら、香りは嗅げないよ?」
「確かに。でも、俺は嗅げる」
実くんが少し笑いながら頷いて、わたしの首筋に唇を寄せた。くすぐったくて肩を竦めてしまう。スーッと息を吸う音が聞こえてくる。
「……イイ匂い」
わたしのボディクリームは実くんのとは違うから、きっとそれがいい匂いなのかもしれない。
「く、くすぐったい」
抗議の声を上げると彼はくすりと笑った。首筋にその吐息がかかって、それもやっぱりくすぐったい。
「これから、お洗濯するんだよ?」
「美奈子を洗濯物に取られるくらいなら、俺が後でするよ」
「……それって、ヤキモチ?」
「あー、なる、……そうかもな」
冗談めかして言った言葉に、頷く実くんの言葉に思わずぷっと笑ってしまう。
「久しぶりにゆっくり二人で過ごせてるんだから、もっと俺にかまって欲しいってコトではある」
「洗濯物を入れて、スイッチ入れたらすぐに終わるけど……」
「その間も惜しい。その後の干したりするのを考えるともっと惜しい。ずっとくっついていたいんですよ」
そう言いながら、わたしを抱きしめる実くんの腕に力が少し籠もる。
それで、わざわざ洗面所に来たんだろうか。
洗濯機を回してくるねと立ってから、そんなに時間は経っていないはずだった。洗濯物を分けて洗濯機に入れている最中だったんだから。ずっと実くんの洗濯物の残り香を堪能していた訳じゃないんだし。
「それじゃ、何にもできないんだけど……」
「何も、じゃないんじゃ?」
「え?」
わたしが首を傾げると同時に、首筋に実くんの唇が触れる。そして、柔らかなリップノイズがした。
それは、チュッチュと音を立てて耳元までやってくる。
腰にあった片手がカットソーの裾を、捲り中に入ってくる。
「み、実くんっ!」
僅かに身を捩ってみても、わたしが本気で抵抗していないのがわかっているから、実くんの手は素肌を撫で続けている。その手も、耳朶を啄まれるのもくすぐったい。
「くすぐったいってば。……ねぇ、さっき、したばっかり……だよ?」
「……足りない」
「た、足りないって……」
昨晩、今朝と、しばらくすれ違い生活だったのを埋めるように愛しあったのに、まだ、足りないという実くんに絶句してしまう。
「あんたが足りなすぎて、禁断症状で倒れるかも」
「さすがに、それは大げさだよ」
「そんなコト、全然ない」
素肌を撫でる実くんの手が胸元へと移動する。
わたしは、服の腕からその手を制止する。
「ダメ。やっぱり洗濯物をして、その後は買い物に行きます」
「……それも後でする」
「……ちょ……」
実くんが額をわたしの肩に乗っけてウリウリと軽く動かし始める。
甘えるようなその行動に、流されそうになるのをぐっと我慢する。
「ダ、メ、で、す」
「エッチしなくていいから、触ってたいんだ。ダメ?……絶対ムリ?」
「んー……」
「……」
実くんはうーでも、ぐーでもない中間の音で小さく唸る、残念そうに。
「……もう、わかったから」
根負けしてしまった。
実くん、ここのところ、ずっと仕事頑張ってたし、根詰めすぎていたところもあったから、ゆっくりして欲しいという気持ちもあるから。
ほとんど空っぽの冷蔵庫の中とか、まだ始めてもいない、いつもよりも少し多いくらいの洗濯ものの事は一度忘れて、今日はとことん実くんにつき合う事にした。