サラリーマン、家を買う(恋人の膝に)「この案件は俺に任せてください。必ず成功させてみせますから」
その言葉に会議室が小さくざわめいた。
数年来で準備を進めてきたデカいプロジェクト。まず最初に口説くべき相手先は気難しく口の悪い頭でっかち、なにより遠方で手間も暇もかかる案件だ。だけど成功すればそれは会社にとって大きなプラスとなるだろう。
...それが給料や出世に反映されるかは別として。
正直誰も引き受けたがらない仕事だったが、雨宮蓮は自ら手を挙げた。
そして、自信満々に冒頭の言葉を吐いたのだ。
鬼のような形相の部長には目もくれず、つらつらと今後の展望を語りだす蓮に、僕は心の中で拍手をしていた。
ーーー
「それじゃ、よろしく頼むよ」
「はい」
きれいなお辞儀をして、会議室を去っていく蓮の背中を、机上のパソコンをたたみながら目で追う。
...キリッとした顔しちゃって。
雨宮蓮は、高校時代の《ちょっとお茶目✩でセクシー♡な怪盗団のリーダー!》は廃業し、今は冷徹なシゴデキサラリーマンとやらをやっているのだ。
会社では。
仕事に関しては真面目だし出来もいい。
こうと決めたら絶対に揺らがずにたとえ上司であろうと自分の意見をぶつけ、正しいと思えばどんなに非難をされようと貫き通す。
後輩のミスに気付けば、無愛想に一言注意をした後に自分一人でリカバリーをして。
それは優しさなのだろうが、見放されたと感じる子だっている。
それをフォローするのはなぜか僕の役目となっているのだからたまったものじゃない。
蓮とは違って愛想のいい僕がなるべく柔らかな言葉を選んで伝えるから、後輩たちも育っていくものの一歩間違えば蓮のワンマンだと言われてもおかしくないんだぞ。
...まあ、僕がそうして動くことは蓮もわかっているからこそなのだろうけど。
そんなこんなで、後輩達には恐れられている蓮だが、顔だけはかっこいいだとか、話してみたら意外と優しくて素敵だった!なんて気付き始めた輩もいる。
もう既に僕のものになっているのだから手を出してくれるなよ、と内心ではイラつくこともあるが。
それでも彼は僕一筋なのだから、ストレスはあれど不安はない。
それはさておき。
良く言えば進取果敢、しかし悪く言えば生意気にもとれるその態度に、敵は少なからず存在する。
だけど蓮は毅然とした態度でひたすら突き進み、口だけではなく結果も出してくるやつなのだ。
そのうちに妬み嫉みなど言うやつもいなくなるだろうと僕は踏んでいる。
...ここでもう一度言う。"会社では"そんなクールな雨宮さんなのだ。
それがどうだろう。
僕より数十分遅れて自宅に帰ってきた蓮は、玄関からそのままソファに座っている僕の膝めがけて突進してきた。
「あーけーぢぃ.....疲れた...疲れた疲れた疲れたぁ.....見た?あの部長の顔。俺のことすっごい睨んでた。俺頑張るって言ったのに。ひどくない?ていうか話聞く前から八割あの顔だったよな。なんで?俺、今まで仕事でそんな大きなミスしたことないんだけどそこまで責めることある?」
こうなると思った。
緊張の糸が切れる、とはまさにコレを言うんだろうなぁと彼を見るとしみじみ理解する。
会社で見る彼は夢だったのだろうか。
僕の膝で猫のように甘えるのは、さっき大勢の前で格好良くキメていた蓮と本当に同一人物なのか?
「まあまあ...上の人達は悪者になってでも僕たちの数字を引き上げなきゃだからさ...」
中には本気で無理だと思っているやつも、面白がって重箱の隅をつついているやつもいるのだろうが。
お猫様のご機嫌がこれ以上悪くなっては困るので、当たり障りなく宥めるに留める。
「どうせ明日の会議でもねちねち文句言われるんだ...なんで俺ばっかこんな会議づけなんだよ...明智も一緒だからまだやれる...やれるけど...」
グジグジ文句を言いながら、僕の膝に頬を擦り寄せる。
君は仕事できるからね、そしてやるって言っちゃうからね。呼ばれちゃうんだよね。あと僕もフォロー役でひっついてるのみんな分かってるから、わりとおんぶに抱っこされてるんだよね。
自分で面倒事を引き受けている自覚はないらしいので何とも言えない気分になるが。
彼らしいといえばそうなので、ここは僕が蓮を奮い立たせてやるしかない。
恋人として、それくらいはしてやれる。
よしよし。
頭を撫でてやると、蓮は安心したようにゆっくり体を起こした。
「...俺、明智の膝で一生暮らしたい」
「馬鹿なこと言ってないで早くご飯食べようよ。今日は僕の担当だからお惣菜で悪いけど」
「明智が俺を想って買ってきてくれたならそれは明智の手料理だよ」
298円のほうれん草のおひたしと438円のクリームコロッケは僕が作ったことになってしまった。
お惣菜売り場のおばちゃん方には申し訳ないが、蓮が喜ぶので今日のところはそういうことにしておいてやってください。
ーーー
翌日。
「数字が物語ってるんだよねえ、うまくいかないってさぁ...」
案の定、矢面に立たされた蓮に向かって、ねちぃ...っと音が聞こえそうな上司の言葉が投げられた。
数字のことを言われると逃げ場がない。その場にいる全員が下を向く。
...いや、正確には蓮以外、だ。
彼はまた性懲りもなく、その言葉を発した男を睨みつけると、挑戦的に口元を歪めた。
「結果出る前から言う事じゃないですよね。半年後の数字出るまで黙って見ててほしいですけど」
威風堂々、そう啖呵を切る蓮。
おお、と何人かが思わず漏らし、数人は舌打ち。
そんな空気の中でも楽しそうに蓮の作った資料に目を落とすお偉いさんだっている。
蓮の心意気を見てる人はちゃんといるよ、そう今すぐに言ってやりたいのを堪えて、パソコンで議事録を叩き込む。
誰よりも責任感があって、ミスが許されない"シゴト"をしてきたやつだ。失敗をなにより恐れていることだろう。
出来るからやってるわけじゃない、本当はやらなきゃいけないと使命感に押し上げられているんだ。
ふと蓮の方を見ると、自信ありげに話しながらもその手は少し震えていて。
ああこれは...帰ってからの反動がいつにも増して凄そうだ。
今日は帰ったら僕から抱きしめてやろう。
膝の上に家を建てられる前に。