寝たふり「………さん、ぎゆうさん、義勇さん」
名前を呼ばれた気がして、ゆっくりと意識が浮上した。とは言え、眠気はまだ健在で、重たいまぶたは光を受ける気がないらしい。
それでも覚醒した脳は、自然と状況整理を始めてくれる。ここはどこで、自分は何をしていたんだったか…?
今日は中学の剣道部が休みだから、ランドセル二年目になった俺の小さな友人・炭治郎が遊びに来るんだ。それでいつもの休日よりも早めに起きたんだった。眠い目をこすりながら起き上がって、今日の為に準備しておいた青のストライプのシャツが視界に入って、思わず頬が緩んだのだ。
少し青みがかった俺の瞳が好きらしい炭治郎は、俺が青を身に付けると似合うと褒めてくれる。でも、初めてそのシャツを着たときだけは違った。出迎えた俺を見上げたまま絶句。顔を真っ赤にして、ぽかんと口を開けたまま玄関で固まってしまった。そして、熱中症にでもなったのかと心配してオロオロする俺に、意を決したように小さな手を握りしめて言った。
「き、今日の義勇さん! かっ、かっこいいですねっ!」
「……っ、…ありがとう、炭治郎」
あまりの勢いに面食らって、今度は俺が固まってしまったけど、褒められてあんなに嬉しいと思ったのは初めてだった。嬉しすぎて、やろうと思えば一万回素振りできたと思う。
ただ、不思議だったのは炭治郎が益々茹で上がってしまった事と、いよいよ何かあったのかと慌てて抱えてリビングに向かったら、一部始終を覗き見ていたらしい六つ歳上の姉に「罪な男ね」と結構な勢いで背中を叩かれた事だ。あれだけは未だに解せない。
それでもその日、その姉が買ってきたシャツは、俺と炭治郎のお気に入りのシャツになったのだ。
身支度と朝食をすませてソファに座った。
ランニングシューズを買いに行くのに付き合えという、同級生の友人・錆兎からの面倒な連絡を華麗に既読スルーして、朝のニュース番組を見ていた。……はずだった。それがどうして俺はソファで横になって寝ているのか。
いくら考えようとも答えが見つからないだろう問題に頭をひねっている間も、炭治郎は俺の肩をふわふわ叩いて、ささやき声で名前を呼んでいる。起こしたいのか起こしたくないのか分からないこのやり方は、炭治郎も迷っているのかもしれない。炭治郎は優しいから、きっと起こしたくない気持ちの方が強いんだろうと思う。でも、炭治郎は俺のことが大好きだから、せっかく遊びに来たしかまって欲しいって気持ちもあって…。
「うーん、こまったなぁ…どうしよう…。」
俺が炭治郎の心理を分析している間に、本格的に考え込んでしまった。聞いただけでこちらまで幸せになれる、元気になれる、笑顔になれると巷で評判の声が、萎んだ風船みたいにしょんぼりし始めた。そろそろかわいそうだ。寝たふりはやめて「おはよう」と声をかけよう。いや、急に振り返ってびっくりさせようか…餅のように頬をふくらませて怒ってしまうだろうか?などと、また取り留めのない考えを巡らせ始めるあたり、俺の頭も覚醒しきってはいないらしい。
「ん~……あ、義勇さんあの服着てる!青の…なんだっけ…すと、すとりっぷ?すとり?すとら…しましまの服!」
ストリップじゃあ脱いでいる!
惜しい!のに、諦めてしまった!
うんうん唸っていた声が途切れてハッと息を飲む気配に、何かあったのかと心配した矢先の炭治郎の発言に吹き出しそうになって、どうにか耐えた。
炭治郎はカタカナに弱いらしく、実家のパン屋のパンの名前を上手く言えずに俺を客に見立てて練習することもある。中でもイングリッシュマフィンはなかなか上手く言えなかった。イングリッシュマ「ヒ」ンと発音しては、目尻に涙をためて下唇を噛んでいる姿はひたむきで、もうパンの方が改名したらいいとすら思っていた。
将来、自分が店を継ぐのだと一所懸命に練習する姿はそれはそれは可愛いらしくて、常連として一生通おうと俺は心に誓っている。
「はぁ…かっこいいなぁ。とっても似合う。初めて見たときびっくりしたなぁ」
実は俺が起きているとは知らない炭治郎は、更にひとりごとを続けた。これは、未だに解せない問題のひとつが解けるかもしれない。
「かっこよすぎてご挨拶も言えなかったなぁ。顔があっつくてびっくりしちゃった」
うん、それは俺も本当にびっくりした。熱もなくて、熱中症でもなくて良かったけど。それなら一体何だったのか、不思議だったけどもしかして……俺がかっこよ過ぎて赤面してしまっていたってことでいいのか?違っていたら相当なナルシストなのだけど。
「今日も似合っててかっこいい。いつもかっこいいんだけど。義勇さんみたいにかっこよくなりたいなぁ」
間違ってない。俺はかっこいい。
炭治郎にとって俺は、かっこよくて憧れを抱くような存在ということか。嬉しい。
もう寝たふりなんかしている場合じゃない。すぐに起きなくては。
「ぅ…う~ん、よく寝た。あ、炭治郎きていたのか。おはよう」
我ながら呆れるくらい棒読みで下手くそな演技だ。
それでも炭治郎は紅茶色の瞳を星みたいにキラキラに輝かせて大きな声で挨拶を返してくれた。可愛い。
でもこれから、もっともっと眩しい太陽みたいな笑顔で喜んでくれるはずだ。
さあ、姉さんからのプレゼントを炭治郎に渡そう。俺とお揃いのアレを。早く。