「次、俺の前でクソみてぇな酔い方したら抱くからな」
覚えとけ、と土方はヘラヘラ笑う白い頭を睨んで吐き捨てた。
*
それは六月のある夜。
馴染みの居酒屋で鉢合わせし、閉店まで共に飲んだ帰り道のことだった。
いつもなら店前で別れ、それぞれの帰路につくところだ。しかし、その日パチンコで勝った銀時は盛大に飲んでご機嫌に酔っ払い、フラリフラリとおぼつかない歩き方をしていた。
銀時より幾分マシな酔い方をしていた土方は、彼を捨て置き一人帰るのも気分が悪く、抱えて万事屋まで送り届けていところだった。
銀時の右腕を肩にまわし、腰を支えて二人三脚のような格好で万事屋へ向かう。
重てぇな、しっかり地に足つけて歩け。とブツブツ垂らした文句は右から左へ聞き流され、銀時はハァイと生返事をしつつ目を閉じて歩みを土方に任せている。
六月の湿った夜風が酔っ払い二人を包んでいた。
「梅雨のこのさぁ」
ふいに銀時が呟く。
「梅雨のこの、ムワッとした空気。
脳がムラッとだと勘違いして誤作動しそうになんね?」
……たまにこういう突拍子もない事を言い出すのがこの男である。いつもなら「なんだそりゃ」と流すところだ。しかし、首に回されている腕の、酒の熱でしっとりした皮膚。雨上がりの空気に混じる汗の匂い。ぬるい夜道の体温。
「わからんでも、ないな」
普段なら軽くあしらう下品な話に少しばかり乗ってしまった。珍しくこの手の話に乗ってきた土方に、銀時は「わかってくれるか土方くん!」とキャッキャと喜ぶ。
「おれ今、誤作動しちゃってるとこなんだけどォ」
「…………」
「ここの角曲がったらホテルあんじゃん。どーする?慰め合っちゃう?」
おっとっと…と銀時の足がもつれる。もつれたのは酔っ払いの歩幅に土方が合わせれなくなったからに他ならない。
自分の歩くスピードが速くなっていることに土方は気づいていない。同じく、銀時も。
無言で歩く土方に対してヘラヘラと銀時は続ける。
「土方くん、俺のこと、悪くは思ってねぇんだろ?」
夜道に、ガツン!という音が響いた。
なんの音がすぐには理解できなかった銀時の頭に痛みが走る。
土方が胸ぐらを掴み、道路わきの壁に勢いよく押し付けたのだということは、詰まった襟の苦しさと、目の前の怒りを含んだ眼でわかった。
後頭部をさすりつつ「いってぇなぁ」と呟く銀時に対し「てめぇ」と唸り放った言葉。
その言葉が冒頭のあれである。
「次、俺の前でクソみてぇな酔い方したら抱くからな」
なかなかの苛立ち具合であり、なかなかの剣幕であったはずだ。
そんな空気でもなお、銀時はぼんやりとした眠そうな顔でアハハ……と笑うものだから、土方は掴んでいた胸ぐらを突き放し「覚えとけ」と吐き捨て背を向けた。
*
屯所に戻ってからも苛立ちは治まらない土方は、ひっきりなしにタバコを吸う。
あまりにも直接的なことを怒った勢いで言ってしまい、少しばかり情けなく思っていた。
しかし、抑えきれないほど悲しく腹がたったのだ。
「悪くは思っていない」どころではない。
銀時に惚れている。
その想いは誠実に伝えていた。初めて伝えたのはちょうど一年程前の、同じようにジメジメとした梅雨の季節だった。
雨の中、ひょんなことから一つの傘に二人で入ることがあった。今しかないと思って、その傘の内側で告げた。
酒も金も周りの目も何も挟まない、真っ直ぐな告白であった。……今だのくらりとはぐらかされ、決定的な返事はもらえていないが。
気持ちを伝えてからは居酒屋で姿を見つければ隣に座り、何かしらの理由をひっつけては団子やらパフェやらを銀時の口に突っ込んだ。
自分でも露骨に思うほどだったが、最近では銀時の方から隣の席に座ることや、甘味をダシに絡んでくることも増え、少し浮かれていたのは事実だ。
素直になれない男だということはわかっている。のらりくらりにも理由があるのだろう。自分の気持ちは何度でも伝えるつもりだったし、気長に待つつもりだった。それなのに。
「……タチ悪い酔い方してんのはどっちだ」
白いため息をつきながらタバコの火をねじり消した。
*
しばらく会いたくない、と思う時ほど巡り合うもので、一週間経たないうちにまた顔を合わせてしまった。
先日とは違う飲み屋。カウンターがいくつかとテーブル席が二つほどしかない小ぢんまりとした店だ。
馴染みの店に行ったら鉢合いそうだった為、土方はあえてあまり行かない店を選んだのにこれである。銀時も同じ考えだったのかもしれない。
気づかなければいいのに、カウンターに座る白い頭は目立つ。
店の扉を開けた時、チラリとこちらに顔を向けたので銀時も土方の存在を確認したようだ。他にもいくつか空席はあるが、ここで別の席に座るのもシャクなので銀時の隣の椅子を引いてドカッと座った。
「お、土方くん」
店に入った瞬間から土方の存在に気づいていたであろう銀時が白白しくそんなことを言うものだから、土方も白白しくいくことにした。
先日の件には触れず、なんてことのないことを喋り、つまみ、飲む。
銀時の態度があまりにも自然なので、もしかしたら先日の一件は覚えてないのかもしれないという思いがよぎった。その時であった。
「ここにいるお客さん!!全員、私がご馳走いたします!!」と元気な声が店に響いた。
声の主を見るとテーブル席のチョビ髭をはやした恰幅のいい男が立ち上がっている。
先程から大きな声で話していたので、大体の話は聞こえていた。どうやら仕事で大儲けしたらしい。
上機嫌に酔った赤い顔で土方に「ほら、そこの旦那も!祝酒に付き合ってちょうだい!」と明るく勧めてくる。
他人の金で飲む酒がうまいと感じる質ではないが、無下に断るのも無粋というものだ。
ちょうどジョッキが空になっていたこともあり、「じゃあ、一杯だけ」と礼を言いつつ店主にビールを頼む。
何杯でもどうぞ!隣のお兄さんも!と酒を促す笑顔のチョビ髭に銀時は「あーまだ残ってるから後でもらう!」と返し、あんがとねー!とスルリとかわしたのだ。
衝撃的であった。あの、銀時が、断ったのだ。
普段のこの男であれば、タダ酒飲み放題なんて隣の店で飲んでいたとしても聞きつけて飛んでくるだろう。
しかも突出しをつまみに飲んでいたところを見ればまだ初めの一杯目だ。酔いが回っているわけでもない。
すごくわかりやすい嘘をついている。飲まないための嘘を。
わかりにくい男だが、自分のためだけにつく嘘に関してはこの上なくわかりやすい男なのだ。
先日の夜道での出来事が思い出される。
なるほど、銀時は土方の前で酔う訳にはいかないのだ。つまり、警戒されているのだと理解して、胸が傷んだ。
「天パの兄ちゃん遠慮しないで!」という言葉に対し「勘弁してぇ~」と答える声が聞こえる。
明らかにチョビ髭に向かって言った言葉であったが、土方は自分に向かって言われたようだと勝手に感じて胸が詰まった。
つかえた気持ちを押し流すように、土方は差し出されたビールを流し込んだ。
*
その後も銀時はいつもの調子で話してはいたが、手にしたジョッキはチビリチビリ舐めるだけで一向に減らない。
結局、最初のビールを最後まで飲み切らないまま閉店まで居座っていた。何を話すでもなく二人で店を出る。微妙な無言が居心地悪い。
「……じゃあな」
土方はそう言うと店前でさっさと別れ、屯所に向かって歩きはじめようとした。
このタイミングで先日のアレやら本日のコレやらを蒸し返せるほど、今の土方に余裕は無い。
今後どうするかな、とぼんやり考えつつ懐からタバコを取り出し咥える。そして火を着けようとした瞬間
「ぐぇ!!」
襟を掴まれて勢いよく後ろに引かれ、首が締まった。
タバコが地面にポトンと落ちる。
「ッんだよ!」
若干キレながら後ろを振り返ると、しっかり両足を地に付けて仁王立ちしている男がいた。
「…………んだけど」
「はぁ?」
「俺、今、クソみてぇな酔い方しちまってんだけど!」
「……え?」
「覚えとけっつったのはどこのどいつですかァ?」
銀時の顔が赤く見えるのはジョッキたった半分のアルコールのせいか、ここ最近急激に上がった気温のせいか。
六月終わりの夜風は湿気をたっぷりと含んで生ぬるく、微かに夏の匂いが混じりはじめていた。
江戸に到来している曖昧な梅雨の季節も、もうすぐ明けそうではある。