コイノボリウオ薩摩の名家・鯉登家の本家の屋敷には、少し変わった習慣がある。
現当主・鯉登平二の次男坊がうんと小さな頃、大人の男の人をひどく怖がったことから、次男坊に仕える下男下女は性別を問わず皆、「メイド服」と呼ばれる西洋の侍女の服を纏うことを課されたのだ。
長年にわたり薩摩の地を治め、名家として名高い鯉登家の本家の当主が始めたことであるから、当初は奇異の目で見ていた民衆も、鯉登家のなさることだからと受け入れるようになった。「メイド服」を着た下男・下女の姿が錦江湾の風景に違和感なく溶け込むようになった頃、大きな戦争が海の向こうで起こり、それから数年の後、鯉登家は当主の昇級と共に遥か北の地へと赴任することとなった。大切な家族の一人、長子を薩摩の空っぽの墓地に残して。
18223