Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    Lemon

    100%鯉月しかない。小説を書きます。すべて個人の妄想です。実在の人物、出来事、版権元とは一切関係ありません。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 5

    Lemon

    ☆quiet follow

    🌙お誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!!
    現パロ鯉月の小説。全年齢。

    軍会イベント参加記念の小説です。
    ※誤字脱字など、チェックできていないので後で修正します。
    ※はるか昔の明治時代を駆け抜けた人たちに似たような登場人物が出てきますが、当て馬も浮気も一切ありません。100%安心安全の鯉月設計でお送りします。
    お誕生日おめでとう!!!

    #鯉月
    Koito/Tsukishima
    #軍曹会議5

    酔いどれエイプリルフール慣れない苦味が喉を滑り落ちて、かっと腹の方からの熱が全身に広がる。もう既に頭は朦朧としていて、我ながら吐き出す息は酒臭く、鼻を摘まみたくなった。俺の鼻に摘まめるほどの高さがあればの話だが。鼻を摘まむ代わりにアテを少し摘まみ、再びジョッキをグイっとあおる。

    エイプリルフールの日に年甲斐も無く酔っぱらうことが、ここ数年間の月島の恒例行事となっている。


    三十路の大人がする飲み方じゃないのは分かっている。
    分かっているが、この日は正体が分からなくなるくらいに酔っぱらいたいのだ。だが、同時に、この日だけは酔いつぶれることなく、なるべく長い間、酔っぱらっていたい。酒の美味さだとか、種類ごとの味の違いだとか、俺にはさっぱり分からない。貧乏人の舌にそんなことは判別できないのか、俺が味音痴なのか。そもそも酒には嫌な思い出しか持たないから、味わおうとすらしていないのが正直なところだ。

    冷めきった唐揚げをまた一口齧る。去年のエイプリルフールの日に、阿呆みたいに酒を流し込んでいた俺に、「飲む時は脂の多い肉や魚を一緒に食べるといいですよ。揚げ出汁豆腐とか、天ぷらとか、油を使った料理もいいですね。そうすると悪酔いせず、翌日にあまり響かないそうです。」と教えてくれたのは、顔も思い出せない隣の席のサラリーマンだった。
    きっと、いい年をして若者みたいな無茶な飲み方をして格好悪いと思われたんだろう。



    年齢。そう、年齢だ。
    苦手な酒を飲み始めたのも、エイプリルフールの日は必ず酔いつぶれるほどに酒を飲むのも、全部年齢だ。年齢のせいだ。ちくしょう。




    親切なそのサラリーマンによれば、酒を呑むにはアテがいるらしい。ああ、面倒くさい。
    白米は白米だけをかき込んでも美味しく食べられるというのに。やっぱり白米は素晴らしい食べ物だ。俺は白米だけ食っていれば良かったんだ。
    白米より金もかかるのに、どうして酒なんて飲み始めたんだろう。どうしてって、そりゃあ俺が自分でやると決めたからなんだが。
    俺の決意はともかく。米は素晴らしいが、酒のアテにはならない。
    おかずは白米にあう塩っ辛い味付けであれば良く、米を炊く以外の自炊をしない俺には、彼が教えてくれた、脂の多い肉というのはピンとこなかった。だが漁船に乗っていた期間が長かったから、一般的に、南方の魚は脂身が少なく、北方の魚は脂がのっているのは知っている。そこで改めてメニューに目を走らせると、北方の魚はいやに値段が高い。輸送費用の問題もあるのだろうが、北方の魚はどれも足が速いのことを思い出した。
    北方の魚の身を構成する成分的に、どうしようもないものらしい。そのため、北の方の漁船に乗っていた時は内臓を取る船上加工の作業が否応なしに多く、成人男性にしては手が小さな俺は稼ぎが良かった。まあその稼ぎのほぼすべてがクソ親父の借金返済に強制的に徴収されたが。

    サラリーマンの話を聞いてからは、酒を呑むときは必ず安い揚げ物をアテにするようになった。漁業の休業期に水産加工の仕事をしていた時に知ったイズミダイは大衆居酒屋でよく使われていて、値段の割に美味いから、好んで注文している。見た目でわかるのではなく、値段の安い白身魚はたいていイズミダイの味がするだけだ。
    俺のように銘柄にこだわりもなく、飲むことを楽しむのではなく、ただ単に酔いたいだけであれば立ち飲み屋が手っ取り早いのだが、飲み始めて気が付いたのは、立ち飲み屋は客を長時間、置いておいてはくれない。さっと飲んで、さっと立ち去るのが立ち飲み屋だ。だからなるべく長い時間、だらだらと飲んでいたいおっさんは、安い居酒屋でひとり、飲んだくれるしかない。


    スマホの左てっぺんにちかちか光る緑色の小さな光が目を閉じても瞬いているように見える。ずいぶん酔いが回った。居酒屋の壁にかかっている時計は、飲み始めて2時間経過していることを告げている。
    土曜日の夜に、安い品しか注文しない一人客に居座られると、店員も迷惑だろうからそろそろ引き上げないと。だが、日付が変わるまでにはまだ数時間残っている。時間を見るならスマホの方が便利だが、尻ポケットに捻じ込んだままだ。数日前から、自動でぴょこりと画面に現れる通知メッセージもわざと見ないようにしている。相手は誰かなんてわかりきっている。この日に俺に連絡を取ろうとするのは、鯉登さん以外いないから。



     毎年巡ってくる春の年度初め。街は新社会人と、進学した学生の希望や期待の詰まったふわふわぷかぷかした色とりどりの風船で溢れている。彼らの風船は柔らかく、ちょっとしたことでぱあんと破けてしまうから、俺は触れてしまわないように、それらの間を縫うように歩く。俺のような硬いおっさんとぶつかってしまったら、あっというまに風船は粉々に破れるか、しゅんとしぼんでしまう。
    たかだか道でぶつかってしまった程度でそんなことは起こらないとわかっているが、鯉登さんと知り合ってから、どうにも若者が苦手になった。俺のような薄汚れたおっさんが近づいてはならない人たちなのだ。街が希望に満ち溢れた若者で騒めくのは春先特有のことだ。
    今、俺が齧っているカレイ同様、若者にとっては春が旬なのだ。久々に口にしたカレイの味に、留萌の沖で網をおろしていた頃を思い出した。


    クソ親父の借金のカタに、ほとんど通ったこともない中学を卒業した後、漁船に乗せられた。それがカレイの刺し網漁業の船だったのだ。小柄だが腕力も身体の頑丈さも折り紙つきで、悪童と言われるほど血気盛んで負けん気の強い俺は、漁船では重宝された。
    漁船での漁は体力勝負な上に、労働時間は長く、完全な縦社会だ。𠮟り飛ばされることも、拳が飛んでくることもある。魚の種類によっては夜勤が続く上に、遠洋漁業の船に乗れば、長い時は一年ちかく陸を拝むことができないせいで、ついていける人間は少ない。そのうえ、スペースの限られた漁船では、大柄なやつは寝る場所にも苦労する。最初の船がカレイの刺し網漁業船というのは、借金取りの情けだったのかそれともそこで鍛えてから、別のもっと稼げる船に乗せる算段だったのかはわからない。
    だが俺は、その後も多くの船に乗り続けた。号令に従い網を上げ下げし、定められた規格の大きさを選別し、漁獲高を記録し、冷凍や船上干しのための処理をして、報告を行う。口答えせず、ただ己の仕事を行い、他人の足を引っ張らなければーー網の上げ下げのスピードが遅いだとか、たも網やギャフといった道具の手入れができていないだとかーーつまり、機嫌の悪い先輩の漁師の前でもたつかなければ、日に三度、飯にありつけ、布団のある寝床で眠ることができるのだ。たとえ怒鳴られようが、殴られようが、タコ部屋だろうが、佐渡での暮らしよりよほどマシだった。食べられる魚の種類や、漁業権に関する法律(ギョギョウケンという漢字もこのころ教わった)、漁業のやりかたなんかは、佐渡ではなくすべて船の上で学んだ。あの島で、俺に魚釣りを教えてくれる人はいなかったから。

    あらかたの借金を返して漁船を降りた後は飯場を転々とした。
    典型的な肉体労働者のパターンだろう。三十路に差し掛かった頃、建築現場で要人を庇い、腹に大怪我を負った。爆破事故だった。
    要人だったかどうかは分からないが、パリっとしたスーツを着たお上品なやつが現場にいたら、間違いなく施工主の関係者だ。守らない道理は無い。
    下請けの下請けの下請けの下請け、さらにその下の孫請けの孫請けくらいの会社が基礎工事で手を抜いたことが原因だったらしいが、詳しいことは学のない俺には理解できないし、説明を要求したいとも思わなかったので今でも詳細は分からない。ともかく普通でない匂いと音に気付いた時には、伏せてください、と叫んで目の前のスーツの男を引きずり倒して覆いかぶさった。
    その後の記憶はあいまいだ。後で聞いたことだが、腸が腹の外に出ていたらしい。喧嘩や怪我が常態化しているドカタも、さすがに恐怖に身がすくんだらしく、ベテランの親方ですら固まっていたらしい。
    誰もが立ち尽くす中、ひょろひょろと背が高い痩せた双子の若者が、がれきの中から引っ張り出した要人と俺にテキパキと応急処置を施し、救急車を呼んでくれたらしい。あいつら、いつも双子同士お互いに話しかけるばかりで他の奴らとの会話が成立したことが無かったが、まともだったんだな。会話すら成立しないし、表情もあまり変わらず、しゃべり方も独特だったから、飯場でよく見かけるちょっと頭の足りない奴らだと思ってたことを謝りたい。
    今振り返ってみると、あの双子は二人とも、誰もやりたがらない高所での作業を「痩せてるから」って理由だけで押し付けられても顔色一つ変えずこなしてたし、喧嘩の他には怪我をすることも無く、親方の指示を勘違いしたり、寸法や部品の数を間違えることも無かったから、度胸と頭の賢さは持ち合わせていたのだ。
    好物のミカンをもっと沢山あげておけばよかった。入院中、ミカンが食事のトレイに乗っているのを見るたびに双子の顔を思い出した。


    要人は、俺が庇ったおかげで、命にかかわるような怪我を負うことはなかったそうだ。全身打撲と擦過傷を負ったほか、飛んで来た破片で額が切れたそうだが傷は頭骨にまでは至らず、脳みそに影響はなかったらしい。額に残った傷や手術痕も、時間が経てば薄くなっていく程度の深さらしい。
    良かったな。お偉いさんは頭の中身で飯を食っていかなきゃならないから、怪我が外側だけで済んで安心しただろう。


    上の方でどういった話し合いがもたれたのかは俺の知るところではないが、俺の手術と薬代、入院費はすべて補償された。そして見舞金という名の口封じを口座に振り込まれ、「月島君、今は体の回復に専念するように」と、俺を雇っていた会社の今まで一度も顔も見たことのない社長から労いの言葉を一つ貰い、無職となった。住み込みで働いていたので、退院と同時に住むところも失った。まともな仕事に就くためには住所が必要らしいが、俺には無関係だ。

    幸い、身体は何の後遺症も無い。別の土地に移って、また飯場に潜り込めばいい。
    退院のめどが立ったところで、世話になった看護師にお礼を言いに詰所へ挨拶に行った。
    だが、彼は患者の書類を手伝っているようだったので、出直すか、ここで待つか、少し悩んでいると、俺に気付いた彼が、月島さん、こちらへどうぞ、と手招いてくれた。書類手続きをしている男の隣に並び、退院の日付と今まで世話になった礼を述べると、彼は嬉しそうに、おめでとうございます月島さん。これからどうなさるんですか、ご実家に戻られるのですか、と尋ねてきた。
    いいえ、仕事を探します、後遺症もひとつもありませんので、と答えると、看護師は眉をひそめた。
    後遺症が無く、定期的な検査も必要ない状態で退院できるとはいえ、大怪我だったんです。しばらく休まれてはいかがですか、ご家族のお世話になるのは気が引けますか、と心配そうな表情で尋ねてくる彼に、実家は田舎で大きな病院もありません。もし予後が悪くなったら、せっかく助けてもらった命が無駄になってしまいますので、と言うと、彼は、今は遠隔地医療も整備されてきているんですよ。差し支えなければ、ご実家の住所を教えてもらえますか。病院の規模や受診できる科を調べてみます。戻られるかどうか、今は分からないでしょうけれど、紹介状のようなものをお渡しすることはできると思います、と、食い下がった。

    俺を担当してくれた看護師は、人当たりが良く、くっきりした眉と大きな目、まん丸の顔はいつもにこやかで、出会うすべての人を安心させる男だが、こんな風に個人的な事情に踏み込んでくることは今まで一度もなかった。よほど俺のことが心配なのだろう。
    所定のリハビリどころか、個室が宛がわれたことをこれ幸いと、部屋で筋トレをしているのを何度も見咎められたのだ。無茶をする人だと思われているに違いない。俺は別に科学を否定するつもりもないし、医者や療法士の指示に疑問もない。餅は餅屋だ。科学的な事実に基づいたリハビリをこなすことは、回復への一番の近道だろう。
    だが、いつも身体を動かして働いていた俺にはリハビリの運動量は物足りないのだ。かと言って、歩行訓練として病院内を歩き回ると、患者や見舞客を怯えさせるらしい。
    俺はただ歩いているだけなのに、入院患者の服を着た鬼のような形相の成人男性が徘徊している、痴呆か薬物中毒患者だと思うので何とかしてくれ、と見舞客には警備に何度も通報され、身の危険を感じたMRには非常ベルを押され、子供には泣かれた。


    少し前に、こんなことがあった。
    その日は気分転換を兼ねて違う病棟へ歩行訓練に出かけたら、廊下を走り回る子どもを見かけた。子どもは避けるべし、という条件反射で踵を返した時には時すでに遅く、背後から、火が付いたように泣き叫ぶ子供の声が耳を劈いた。振り返ると、ちょうど若い女性がこちらへ駆けてくるところで、泣きじゃくる子供を見た母親は彼をあやしながら周囲を見回し、俺と目が合うと、何故か俺を犯人と決めつけた。おまえが何かしたんだろう、こんな危険な患者を放置しておくなんて病院側の管理不足だ、と罵るし、子供は泣き続けているし、こういう時に限って看護師も医者も現場にいなかった。

    今まで生きてきて自分の見た目など気にしたことは一度も無かったが、一目見ただけで危険人物と判断されるほどのものなのか、俺の外見は。

    こんな時、俺の担当看護師がここに居たら、上手く収めてくれるのにな、と女性特有の甲高い叫び声に頭がキンキンしつつ、脳裏にあの温厚な丸顔を思い浮かべた。
    担当看護師の彼は、俺にずっとつきっきりという訳ではない。他の患者の面倒を見ているし、ここは違う病棟だし、今日は朝から姿を見かけていない。おそらく夜勤なのだろう。見舞客を避けて夜間に病院内を歩いていると、時折、死体安置所などがある地階で何故か口笛を吹いている彼を見かけることがあるから、日勤だけでなく夜勤もこなしているに違いない。


    逆上している相手に何を言っても無駄だ。とりあえず息が切れるまでわめきたてた母親が落ち着くのを待って、俺はあなたのお子さんには指先一本触れていないし、話しかけたりもしていない。監視カメラの録画を確認してくれ、と言ったら、眉を吊り上げた母親が口を開く前に、ははあ、それは良い案ですなあ、と、若い男の声が割り込んできた。
    落ち着いた心地良い声色だというのにどうしてか人の神経を逆撫でするという、なんとも不思議な声だ。
    母親、子供、俺、が声のする方を見ると、病院職員と見舞客と患者が避難した後の閑散としたベンチにスーツを着た一人の男が腰かけ、何故か自信満々な顔で笑っていた。いったいどこに笑う要素があるんだ。

    「いやあ、俺はここで一時間ばかり歯科の医者の採用面接の順番を待ってるんですけどね、そっちの患者さんがおっしゃった通り、彼はあなたのお子さんに指一本触れてませんし、会話を交わしもしてませんし、態度で威嚇したこともありませんでしたよ。俺が見ている限りは。まあ、俺はそこの検査室からあなたのお子さんが一人で出てきた時からしか見てませんけどね。
    ああ、そうそう、その検査室のドアは自動ではないので、お子さんが閉めなかったせいで全開になってたんですよ。
    親御さんが検査技師に治療や検査とは関係のない非常に個人的な質問をしながら身体を摺り寄せてる間、お子さんは受付の備品を無断でポケットに入れたり、花瓶を落としたり………感心しませんなあ。俺は親になったことが無いので分かりませんが、昨今の親の監督責任というものはどうなっているんでしょうな。
    検査室にも監視カメラがありますから、そちらも確認を取ると良いでしょう。実はこの病院のITシステムを管理している知り合いがおります。今から早急に映像を見れるよう手配させましょう。徹底した調査をしてこそ、大切なお子さんも、親御さんも安心できるというものでしょう。」

    男ーー彼の言を信じれば歯科医師だーーがそう言うと、母親はまだ何かわめきつつも、子供の腕を引っ張って、足早に去っていった。誰もが目の前で起こったことを理解できずにぽかんと立ち尽くしている中、ぴんぽーん、と間延びした呼び出し放送の音が流れてきて、歯科医師の男が席を立ったのを皮切りに、ようやくフロアにざわめきが戻る。
    ありがとうございました、と歯科医師の男に近づいて頭を下げると、ははあ、お顔が個性的だと苦労しますなあ、と、やけに腹の立つ笑い顔と話し方で、男は髪をかき上げた。
    近くで見ると歯科医師は猫のような顔をしていた。あんただって個性的な顔だろう。お大事に、と言い、男は去っていった。
    最後の一言まで、落ち着いた心地良い声色だというのにどうしてか人の神経を逆撫でする声だった。



    そういう騒動をはじめ、担当看護師には世話を相当かけた。佐渡にはもう戻らないと決めている。だが、彼にここまで言われれば、強く出れない。
    佐渡の病院へ紹介状を書いてもらっても、帰る義理はないだろう。そう考えなおし、看護師を納得させるためだけに、新潟の、佐渡島というところです、と告げると、隣で書類手続きに来ていた男がパッと顔を上げた。頭には真新しい包帯が巻かれている。男はペンを置いて、口を開いた。

    「あんた、佐渡の生まれかい。俺も佐渡だ。
    実は今、怪我で入院してるんだが、入院期間が延びちまって、俺が抜けた仕事の穴を埋めてくれる人を探してたんだ。ほら、そこ、そっちの窓から、倉庫街が見えるだろ?そこにある運送業の会社だ。
    業務内容はトラックへの荷物の上げ下ろしと、荷物の梱包や目録のチェックなんだが、小さい会社だから、大型車の免許を取れば、配送もすることになる。荷物の上げ下ろしは単純な仕事だが、体力がいる。色んな材質で作られてる大きさの違う品物を配送中に傷つかないように積み上げるのはコツがいるし、荷台は意外と狭いから、機械ではこなせないことが多い。
    実際に手を使って荷物を上げ下ろしするんだ。大柄なやつは力はあるけど荷台での細かな作業はきつい。図体がでかいからな。商品に傷をつけられちゃかなわん。あんたみたいな体格の人向けな仕事だよ。
    ここで知り合ったのも何かの縁だ。同郷のよしみとして、引き受けてもらえないか。なあに、誰だって慣れればできる仕事だ。入院してたから最初はきついかもしれないけど、病院もほら、こんな近くにあるし、社員寮も近所にある。安心して働けると思う。
    はいこれ。俺の名刺。今から外に出て会社に電話かけて聞いてみるから、ちょっとここで待っててくれ。」


    そう言い終えると、俺が口を挟む間もなく、男は病棟の玄関に足早に去っていった。




    (都合が良すぎるだろう………………)


    だが確かに男の訛りは新潟ではなく、佐渡の訛りだった。見た目は俺と同年代のように思えたが、男はやけに目が大きく、そのせいで、ぱっと見では実際の年齢は分からない。目が大きかったり童顔だったりすると、とたんに年齢を推測するのは難しくなる。
    見た目や仕草で人を判断するのは、小さな頃からの習慣だ。良く見ていないと、身を守れないからだ。
    小柄な俺が喧嘩で負けないためには、相手の動きに注意を払う必要があるし、殴られたり蹴られたりしても悪いところには当たらないようにするにも、良く見ていなければならない。
    有力者や取り巻きの顔を覚えて、関わらないようにする。あの子の家の知り合いの顔を覚えて、そいつらとの喧嘩は避ける。そうやって俺はあの島で生き延び、島を出てからもそうやって生きてきた。
    学のない俺にできることは、良く見ることくらいだ。だが、男の顔には見覚えが無かった。佐渡を出てずいぶん経つから、記憶の中の顔と、今さっきの男の顔が結びつかないだけなのかもしれない。しかし、佐渡で暮らしたことがあるのであれば、そしてそれが俺と同年代であれば、悪童と呼ばれた俺に話しかけることはあり得ない。
    看護師は俺のことを「月島さん」と呼んでいたし、佐渡で月島姓は俺の家だけだったから、地元の人間ならば、他人と間違えることは無い。
    渡りに船と言えるかもしれんが、乗る船を間違えてはならない。俺が漁船で学んだことは、外側は立派でも、船頭によってはあっという間に泥船になる船があるということだ。そして一度航海に出ると、容易には降りられない。

    だが実際のところ、支払われた見舞金は遊び暮らすには全く足りず、「退院後の新しい生活の基盤にかかる金額をしょっ引いたら、単身者用アパートの半年分の家賃が支払えるかどうか」という非常に現実的な金額であり、なるべく早くに働き始める必要がある。
    色々と考え込んでいると、看護師の彼が、月島さん、と、そっと声をかけてきた。
    「病院では、入院や手術をされる前に、必ず保証人や身元の確認をするんです。だから素性の怪しい人ではないと思いますよ。名刺も頂いたことですし、会社を調べてみて、受けるか断るかは、その後に考えてみてはどうですか。」
    看護師は俺を安心させるように笑いかけ、二人で佐渡出身という男が帰ってくるのを待った。



    その後は、あれよあれよと流されるまま、その男の代わりに運送会社に勤めるようになり、その後、鯉登さんに出会ったのだ。
    勤め先の運送会社の親会社の更に親の親の親の親の従姉妹の会社というほどの遠縁の会社を鯉登さんの一族が経営しているらしく、後継ぎである鯉登さんは「学業のない夏期の長期休暇中にとりあえず人が働いているところを見ておいで」との一言で俺の職場に職場見学に送り出されたのだ。
    親しくなったあとで教えてもらったことだが、鯉登さんは「俺の勤め先の運送会社のうんと上に位置する鯉登一族が運営する会社」の後継ぎではない。俺でも名前を知っている大会社・鯉登コーポレーションの取締役の跡取り息子、鯉登音之進。それが鯉登さんだ。まさしく雲の上の人だ。



    鯉登さんとの出会いを振り返るのは、ここでは割愛しておく。
    酔っぱらった頭で鯉登さんのことを考えると、可愛い、愛らしい、元気いっぱい、素直、可愛い、愛らしい、元気いっぱい、素直、という繰り返しの言葉しか出てこず、話が進まないからだ。
    可愛いと言っても、鯉登さんにはなよっとしたところも、女らしさも無い。顔立ちはきりっとしているし、細身ではあるが、どこからどう見ても男の体つきだ。鯉登さんの持つ内面が可愛らしいのだ。純粋で、喜びも悲しみも怒りも全部素直に表現するところが可愛くて、小さな幸せを見つけることができるところが可愛くて、動物が大好きなところが可愛くて、笑うととても可愛い。鯉登さんの笑顔は眩しくすらある。ん?酔っぱらってるな。
    『しらふの頭の中にあるものは、酔っぱらいの舌の上にある』というのは的を得ている。今の俺の頭を開いてみたら、可愛く愛らしくまっすぐな鯉登さんが元気に駆け回っていることだろう。
    あれ?そんな難しいことわざを、俺は一体どこで覚えたんだ?

    とにかく、鯉登さんと知り合ってしばらくすると、互いの都合を合わせて出かけるようになった。鯉登さんの研修が終わった後も、それがずっと続いている。クソ親父の悪評と、悪童とまで呼ばれた俺自身の素行の悪さとで、今まで友達というものを持ったことが無く、戸惑うことも多かったが、鯉登さんと過ごすのは楽しかった。
    鯉登さんはTシャツとズボンという普段着で道を歩いているだけでも、何人もの女性が振り向くような男前で、すらりと背が高く、賢く、佇まいが美しく、華のある人で、何でも持っていて、俺とはすべてが正反対の人だった。正反対なことの筆頭に『若さ』がある。





    そう。鯉登さんは俺より一回りも若い未成年なのだ。




    どうして鯉登さんが何の関係もない、一回りも年の離れた自分を慕ってくれるのかわからない。わからないけど、手のかかる弟みたいでかわいい。弟を持ったことは無いが、物の例えだ。月島あん、と鯉登さんに呼ばれると、何でもしてあげたくなる。いったい俺の中のどこにこんな気持ちが残っていたのだろう。我がことながらに恐ろしい。
    そもそも鯉登さんは途方もない金持ちだ。薄給の俺がしてやれることなんて、何一つない。頭だっていいから、俺が職場で教えてあげられることはもうとっくに全部頭に入っている。
    どれくらい金持ちかは分からないが、生活に苦労したことが無いとか、ちょっといい車に乗っているとか、別荘を持っているとか、そういうレベルじゃないことは分かる。
    夜空の星を見上げても、どの星がより地球から離れているか、どっちの星がより大きいか、より明るいか、そういったことは地上から見上げてる人間にはわからない。遠すぎるからだ。
    俺にとって金持ちというのはすべて、そういう夜空に輝く星と同じだ。
    夜空の一等星の鯉登さんを見ていると、本当のお金持ちや社会的に立派な立場の人間というのは、しゃちほこばらず、いつも自然体で、どこか仕草が違うものなのだと気づいた。堂々としているというか、自分がそこに居ていい理由を探したりしないというか。鯉登さんは未成年の若者らしく弾けるようなエネルギーと前向きな気持ちと向こう見ずさで溢れているが、着飾ったり、訳の分からん横文字のブランドに夢中になったりということはない。いつも品の良い清潔な服を着ている。装飾品は時計以外一つもつけない。

    「別にわっぜ高価な服や時計や宝石を身につけたところで、中身までは変わらん。
    身につけるものによって気分が高揚し、言葉遣いや振る舞いが変わるという者もおるが、それは演じているだけだろう。それに、身につけるものによって言葉や行動が変わるなど、物に支配されてる気がしておいは気に食わん。
    身につけるものによって変わる言葉になど真はない。
    着飾って満足するだけならそいつの勝手だが、身につけるものによって言動を変えるなど、妄言を吐き散らす害悪でしかない。
    スーツを着ようが、ジーンズを履こうが、作業着を着ようが、袴に防具を纏おうが、おいはおいじゃ。月島だって、作業着を着てようが、Tシャツを着てようが、ジャージを着てようが、月島は月島じゃろ。」

    鯉登さんは年若いというのに、難しい言葉をたくさん知っている。お金持ちや格式高い家に生まれるというのは、俺には想像もできない苦労だってあるんだろう。鯉登さんが、電気も水道も止められた家の暮らしを想像できないように。

    自分自身そのものに価値があるから、身につける装飾品の格で自分の価値を示す必要などない、という考え方は衝撃的だった。
    俺なんか、一キロでも多くの魚をあげ、一箱でも多くの魚を処理してをパックに詰め、一個でも多くのボルトを留め、一点でも多くの商品を荷崩れないように荷台に積み、一件でも多くの配送をし、いつもそうやって「居てもいい理由」を得るために必死なのに。
    貧乏人はそのままでは生きることさえできないから、堅実に、まじめに、他人の役に立って、価値を示して金を貰わないといけない。
    社会的な階層も、経済的にも、年代的にも、おれと鯉登さんとは正反対だ。いったい何がきっかけでここまで親しくなったのかも思い出せないし、世間ずれしていてはっきりとものを言う鯉登さんは面倒くさいところが多いが、彼の面倒を見るのはやぶさかではない。



    ある日、鯉登さんが昼飯に入ったファストフード店で、そういえば、月島は酒を飲まんな。店もファストフードかカフェしか入らん。おいが未成年じゃからに気を遣うちょるんか?と、尋ねてきた。
    いいえ、違いますよ。俺は酒をもともと飲まないんです、と、答える前に、満面の笑顔で鯉登さんが叫んだ。

    「よし!月島、月島あ。おいが二十歳の誕生日ば迎えたら、月島と酒が飲もごたっ!約束したもんせ。月島あん。」
    「………はあ?」

    いや、違う。酒はアル中だったクソ親父を思い出すのが嫌だから飲まないし、ファストフードやカフェを選ぶのは、若者の鯉登さんに合わせてのことだ。
    俺一人であれば定食屋一択だ。定食屋なら絶対に白米が食える。
    いかん。訂正せねば。だが俺が口を開くより先に、鯉登さんは一つ咳払いをすると、時代劇の中の主人公のようにあらたまった仕草で頭を下げた。

    「月島さあ。どうか、あたいと一献、飲み交わしてみっくいやんせ。よろしゅうたのみあげもす。 」
    「………………………………」

    先ほどまでは、月島あ、窓の外に小っせ鳥がおるっ。むぜねえ。成鳥じゃろか、それとも雛じゃろか、と、夢見る少女もかくや、といった天真爛漫な愛らしさを振りまいていたというのに、居住まいを正した鯉登さんの厳かな様に俺は言葉を失った。威風堂々という言葉を体現したかのようだ。
    鯉登さんが誇りにしている郷土の言葉を使い、最大の礼節をもって自分の願いを口にした時、俺は覚悟を決めた。

    「鯉登さん。わかりました。不肖ながらも精一杯、お相手務めさせていただきます。」

    口からは思っていたことまったく違うことが出てきたが、俺は一体何をやっているんだ、と我に返ったのは、畏まった態度で頭を下げた後だった。


    俺はそれを機に酒を呑むようになった。
    だって、飲酒初心者が二人そろって酒を呑んだところで、病院の世話になるか、警察の世話になるかがオチだろう。そうならないためには、年長者として俺が酒に慣れておかねばならん。
    鯉登さんの飲酒体験を二日酔いやゲロで穢す訳にはいかない。最初は家で飲むことから始めたが、慣れてからは居酒屋でいろんな種類の酒を頼むようになった。鯉登さんがどんな酒を飲みたいと言い出してもいいように。
    どんなに酒を飲んでも、美味いと思わないし、クソ親父の顔がちらつくこともあるが、一度しかない鯉登さんの成人のお祝いなのだ。絶対に良い思い出にしてみせる。

    そんなことを思うようになってようやく、俺は鯉登さんに向ける感情が、友達に向けて良い範囲を逸脱していることに気が付いた。
    成人していないとはいえ、ひとり暮らしができるほどの年齢の青年相手にそんな過保護なことを考え、実行に移すなど、俺の脳みそはどうかしている。どう考えてもおかしいだろう。


    どうしてそんな気持ちになるのか、立ち止まって考えると、理由は単純なものだった。
    一回りも年下の未成年の、しかも同性の青年に、向けてはならん感情を、俺は持っているのだ。

    許されないと頭でわかっていつつも諦めきれず、鯉登さんが月島、月島あ、と甘ったれた声で懐いてくれるのが嬉しくて、どうしても突き放すことができない。いいや、鯉登さんの声だったら怒鳴り声でも嬉しいと思う。
    例えば今、俺の目の前で眉を吊り上げ、叫びだすのを堪えている鯉登さんの控え目の怒鳴り声ですら愛しいと思えてくるのだ。



    「ここにおったんか、月島!何度も連絡したのに、無視しよってえ!!!」

    鯉登さんは休みの日に俺がどこかの居酒屋で一人で飲んでいると、こうやって居場所を突き詰めて押しかけてくるのだ。飲みに行くとき、俺は鯉登さんに行き先を告げたことは一度も無いのだが、行動力の塊のような人が賢さを併せ持つと色んな事が可能になるもんなんだな。


    「今年こそは絶対に月島の誕生日を祝おうって何か月も前から言ちょったのに………4月1日は、もうあと数時間しか無いじゃらせんか。電話くらい出ろ。一日中、ずーっとかけとったのに。」


    その一言に、忘れようとしていた年齢が蘇ってきて、俺は眉間に皺を寄せた。


    (………誕生日だからこそ、あなたのいないところで酔いつぶれていたいんですよ、俺は。)



    そう思いながらジョッキに残っている、泡の消えたビールを煽る。
    エイプリルフールは、俺の誕生日でもある。誕生日を迎えた人はみな、一つ歳をとる。つまりは、鯉登さんとの年齢差が1歳増える日だ。
    ただでさえ一回りもある歳の差が、さらに広がるのだ。こんな日は、覚え始めた酒の暴力的な力が恋しくなった。平たく言うと、酔って忘れたい。忘れたところで、年齢差という事実を消すことはできないと分かっていても、酒の力に縋り付きたくなるのだ。


    俺の正面に座った鯉登さんは、ぐんにゃり体を逸らして、月島はおいのこっなんて、どうでもいいんじゃ、ひどい男じゃあ………と、ぶつぶつ呟いていたが、恐る恐るお通しを持ってきた店員を前にすると、シャキッと背中をのばし、ウーロン茶とだし巻き卵と雑炊を頼んだ。
    自分の注文を終えると、続いて、すみませんが、こちらの方に酔い覚ましに温かいお湯を貰えませんか、と頼み、俺の手からジョッキを取り上げて店員に手渡す。
    はーい、おまちくださーい、と間延びした声を残して店員が下がると、鯉登さんは再びこっちを睨んでぶすくれた。
    鯉登さんが飯を頼んだのは腹が減っていたからではなく、席料がわりだ。俺が酔い覚ましのお湯を飲み干すまでの間に食べ切れるだけの量を頼んだんだろう。そういう気遣いができる人なのだ。
    俺がお湯をちびちび飲んでいる間に運ばれてきた注文の品を前に、鯉登さんは手を合わせていただきます、と言い、箸を手に取った。安い居酒屋の割り箸ですら、鯉登さんの手の中にあると高級なものに見えてくるから不思議だ。
    鯉登さんはいつも、熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに、小気味良く皿を空にしていく。食べ方も俺と違って、とても綺麗だし、彼の大きな口に食べ物が入っていく様を見ていると、もっとたくさん食べさせてやりたくなる。


    (………そんなの、友達としては絶対おかしいだろう。)


    俺は後ろめたい気持ちでお湯を飲み続けた。













    食べ終わった鯉登さんに促されて財布片手に席を立つと、鯉登さんは俺に付け入るスキを与えずにさっさと会計を済ませてしまった。誕生日くれ、おいに奢らせてくいやい、と言われれば、言い返すこともできず、俺の財布は口を開くことなく尻ポケットに再びねじ込まれた。店を出て、道を歩き始めて3ブロックほど無言で歩き終わったところで、鯉登さんが口を開いた。




    「………なあ、月島あ。酒を飲むなとは言わんが、せめて宅飲みにせんか。おいも一緒におろごたっ。じゃっどん、成人するまで酒は一滴も飲まんと約束する。おいがおれば酔いつぶれた月島を介抱できるから、安心じゃろ。」










    馬鹿野郎!!!!!!!二人きりで部屋にいて、安心できるはずが無いだろう!もっと警戒してくれ!











    心の中だけで叫んだ。
    野郎どもばかりの怒号ゆきかう漁船や建築現場で働いてきた俺の声はどうやら相当大きいらしく、ちょっと強めに言っただけでも相手をビビらせてしまうことがあるからだ。
    建築現場で俺を救ってくれた双子も俺が話すたびに、ぐんそーうるさい、ぐんそーのクソデカボイスうるさい、と言ってたっけ。最後まで「ぐんそー」が何を指すのかわからないままだったが。

    いいや、鯉登さんは悪くない。鯉登さんは何ひとつ悪くない。純粋に、俺の体調を気遣ってくれているだけだ。鯉登さんが警戒する必要は全くないのだ。
    二人きりで部屋に入ることは、そういう関係になることを了承したという意味ではないし、酔ったことを口実にして手を出した奴が100%悪い。

    俺が馬鹿野郎なのだ。破廉恥野郎なのだ。

    だが鯉登さんのように、家に恵まれ、顔に恵まれ、育ちに恵まれ、金に恵まれた青年がこんなに無防備で良いのだろうか。変な女や男に狙われやしないだろうかと心配になる。
    心を落ち着かせ、細心の注意を払い、何とかいつも通りの不愛想な声を捻り出した。

    「………何度もお伝えしている通り、俺は社員寮に住んでいて、部外者は立ち入り禁止なんですよ。」

    「だったら、おいの部屋にこい。」

    間髪入れず鯉登さんが強い口調で切り返す。俺には縁のなかったことだが、友達をお互いの家に招くのは普通なことらしく、このやり取りは以前に何度か繰り返したことがある。だから落ち着いて、お決まりのセリフを繰り返す。

    「鯉登さん、俺のシフト、休みは基本的に平日だし、2連休って無いんですよ。だから俺が休みでも、鯉登さんは授業があるでしょう。今日はたまたま週末と俺の休みが被っただけです。
    鯉登さんのマンションはここから遠いから、鯉登さんの授業が終わってから鯉登さんの部屋で飲み始めたら、俺は終電を逃して、社員寮に帰れなくなって、次の日の仕事に間に合わなくなっちまう。
    タクシーを使うとか言い出さんでくださいよ。俺にだって年上の男の矜持というもんがあります。」

    俺が社員寮から絶対に引っ越しをしないのは、この言い訳が使えるからだ。そして俺は社員寮近くの居酒屋でしか酒を飲まない。鯉登さんの部屋に近い店で酔っぱらえば、心配した鯉登さんは俺を自分の部屋に招くだろうし、俺は情けないことに鯉登さんの頼みを断れないから、強く拒めないだろう。
    密室に二人きりになろうが、例えどんな状況に陥ろうが、絶対に鯉登さんには手を出さないと誓っているが、酒がどれだけ人間を理性を削ってしまうのか、身をもって知って以降、避けられる危機は徹底的に避けるようにしている。気持ちや意志の力などではどうにもならないことが世の中には存在する。
    鯉登さんが宅飲みなどと言い出した今、絶対に鯉登さんのマンション付近には近づかないでおこうと決意を新たにした。

    鯉登さんは、プライドとか、男として、とか、そういう言葉に弱いから、今までなら、ここでこの会話は終了だったのだが、今夜の鯉登さんは俺の想像の範疇外のことを叫びだした。






    「キエエエエッ!そんなら、おいが月島の社員寮の近くに引っ越す!!!!!」





    えっ?友達って、そんなところまで面倒見るものなのか?そんなこと職場で耳に挟んだことは一度もないぞ。当然すぎるから誰も口にしないのか、それとも、鯉登さんのような若い世代に限ったことなんだろうか。またしても年齢の差を感じる発言だ。友達付き合いって大変なんだな。


    「待ってください。た、確か、鯉登さんの大学って俺の社員寮からだいぶ離れていますよね。通える距離なんですか?
    通えるとしても、時間はかかりますよね。そうしたら、その分、勉強できる時間は減りますよね。
    一人暮らしを始める時に、学業を最優先にするとご家族と約束をしたとおっしゃっていたじゃないですか。そんな大切な約束を反故になさるのですか?」
    「う~~~~!」



    鯉登さんは特徴的な眉毛の眉間に皺を寄せて、ついでに鼻のてっぺんにも皺を寄せて唸った。顔じゅうを顰めて、まるで子どもみたいだ。男前は、そんな表情をしていても男前なままなんだなあ。
    酒で鈍った頭で考えた言い訳は上出来だったとは思わないが、鯉登さんはううう、としばらく唸った後、すん、と真顔に戻った。どうやら引き下がってくれるようだ。

    「………駅まで送ります。そろそろここを発たないと、鯉登さんのマンションに、今日中にたどり着けなくなってしまいますよ。」

    そう促すと、鯉登さんは無言で踵を返し歩き始め、俺はその後ろを三歩ほど遅れて付いていく。

    「………」
    「………」

    先ほどまでの騒がしさと打って変わって、鯉登さんは一言も口を開かないまま、飲み屋街を抜け、俺たちは駅前の洒落た通りに差し掛かった。
    直進すれば駅に、右折すれば俺の社員寮に行きつく分かれ道で、鯉登さんは立ち止まった。職場見学では、現場の業務以外に人事や福利厚生といった経営のことも教わっていたから、鯉登さんは俺の社員寮の住所を知っている。だからいつも鯉登さんはここで一度足を止めるのだ。でも彼の足が右に向かうことが無いと、鯉登さんも俺もわかっている。
    家族以外の人は入ることを許されない社員寮に押しかけても、俺が困ると分かっているからだ。月島の社員寮に行ってみたい、と望みを口にしても、決して実行には移さない。誠実な人なのだ。

    立ち尽くす鯉登さんの背中を見守っていると、酔いが醒め始めたせいか、風に混じる少し塩っぽいにおいに気が付いた。
    物心ついた時にはもう慣れ切っていた生くさい潮のにおいとはどこか違う、同じ塩っぽさを持っていても、春先特有のもっとさわやかな匂いだ。
    近くで桜が咲いているのだろう。
    去年も、今年も、『月島の誕生日には、桜のきれいなところに行きたかねえ。花見も良かばってん、やっぱい月島の好きな温泉がよかね。』と、とても嬉しそうに話していた鯉登さんの姿を思い出して、胸が痛んだ。




    鯉登さんが再び歩き出すまでの数分間が数時間のように長く感じられた。駅に近づくにつれて、人通りは増え、街は週末を楽しむ人々でにぎわっている。
    俺は雑踏の中で鯉登さんの少し後ろを歩くのが好きだ。すれ違う女性たちが皆、鯉登さんを見上げて、振り返って、頬を染めるのがわかるから。
    積極的な女性は鯉登さんを見つめるだけでなく、声をかけてくる。すると、鯉登さんは、声をかけてきた相手の顔をじっと見て、まず、ありがとう、と言う。
    相手が妙齢の女性であれば、「私は未成年だから」と断り、制服姿の女子学生であれば、「あなたにとって私は”少し年上の男性”なのかもしれないが、私にとっては、あなたは子どもでしかなく、恋愛の対象ではない」と断り、同世代であれば、「同じ大学生であれば共感を得ることができると思うのだが、大学の授業や研究で忙しく、私は器用ではないから、その生活の中では親密な関係を築く努力ができそうにない」と断る。
    断る理由はいつだって、誰が相手であっても、鯉登さんは自分の落ち度だと言う。「私は」と、必ず自分を主語に据える。絶対に相手を非難しない。わがままなくせに、さっきまで子供みたいにはしゃいでいたくせに。突然、まるで歳を重ねた大人の男のような振る舞いをする。
    そんな姿に、どうしようもなく胸が締め付けられる。



    3歩先にある、鯉登さんの横顔をそっと盗み見る。鯉登さんには年齢にそぐわない貫禄すら感じる時があるし、かしこまった言葉をとても自然に使いこなす落ち着きもある。
    その反面、子どもっぽい言動をする時は、こっちが驚くくらい幼げな表情を見せるのだ。彼の両極端なところはいつまでたっても慣れないが、どっちも鯉登さんなんだろう。大人と子どもの間を行ったり来たり。
    どっちの時も、とてもまっすぐな人だ。その素直さ、ひたむきさを、可愛らしいな、若いなあ、と呑気に眺めていた頃に戻りたい。
    今やもう、そんな純粋な気持ちはすっかりどこかに行ってしまい、尊敬の念と、愛おしさと、疚しさとで、どうにかなりそうだ。




    毎年巡ってくる春の年度初め。今年のエイプリルフールもやはり、街は新社会人と、進学した学生の希望や期待の詰まったふわふわぷかぷかした色とりどりの風船で溢れている。
    鯉登さんの上に浮かんでいる風船は、きっとどんな立派な若者より、清らかで、大きくて、ふわふわぷかぷかで、はちきれんばかりの希望が詰まっているんだろうに、俺はその隣に、空に浮かぶことなど到底不可能なくらいに重くドロドロした感情を地面にめり込ませている。



    (申し訳ありません。申し訳ありません。申し訳ありません。)


    心の中で誰に向けるでもなく詫びる。鯉登さんのご両親や、ご家族、親類、友達、知り合い………誰でもいい。とにかく、鯉登さんを取り巻く人たち全員に頭を下げて回りたい。
    こんなにまっすぐな人を、俺のような捻くれた育ちの悪いおっさんに関わらせてしまって申し訳ありません。
    鯉登さんの若い貴重な時間を、こうやって何の価値もないおっさんが奪ってしまって、申し訳ありません。
    鯉登さんの優しさに付け込んで、年甲斐もなくずるずると付きまとって申し訳ありません。
    でもどうか、今年の年末に鯉登さんの誕生日が来て、来年の成人式を迎えて、祝いの一杯を飲み干すまで。どうかその時まで、俺を見逃してください。



    (………来年のエイプリルフールは、きっと酔っぱらったりせず、寮の自分の部屋で白米をかき込んでるんだろうな。)




    強い風が吹いて、桜の塩っぽいにおいが濃くなる中、俺は随分湿っぽいことを考えていたが、その年の年末、鯉登さんの誕生日に鯉登さんに告白され、そのまま鯉登さんのマンションにお持ち帰りされ、ようやく今日からは『大人のお付き合い』が出来っな!と上機嫌の鯉登さんに自分が手を出される側だったことを思い知らされたし、年明けに成人式を迎えた後は鯉登さんと約束通り一献飲み交わした。
    鯉登さんとの『大人のお付き合い』はその後も続き、来年のエイプリルフールは、一人で白飯をかき込むどころではなく、どういう手段を使ったのかは恐ろしくて聞けなかったが、鯉登さんが俺の有給をもぎ取ってきて、二人で鹿児島の温泉へと出かけることになった。
    桜島へ渡るフェリーの中で二人隣り合いながら啜ったうどんの味は白米に次ぐ俺の好物になって、帰りのフェリーで同じうどんを3杯も平らげたことは、その後も、長い間、互いの顔にたくさんの笑い皺が刻まれるまで、俺と鯉登さんの間の笑い話となった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💚💚💖💖💖💖😭🌸👏👏👏☺👏👏👏👏🌸💖😊🎉🍜🍙🍻😭🙏👏🍚🍚🍚🍚🍚💯💕💘💗💞🙏💕💕💕🍚💜💚💖👏🙏💖💖💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    Lemon

    DONE🌙お誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!!
    現パロ鯉月の小説。全年齢。

    軍会イベント参加記念の小説です。
    ※誤字脱字など、チェックできていないので後で修正します。
    ※はるか昔の明治時代を駆け抜けた人たちに似たような登場人物が出てきますが、当て馬も浮気も一切ありません。100%安心安全の鯉月設計でお送りします。
    お誕生日おめでとう!!!
    酔いどれエイプリルフール慣れない苦味が喉を滑り落ちて、かっと腹の方からの熱が全身に広がる。もう既に頭は朦朧としていて、我ながら吐き出す息は酒臭く、鼻を摘まみたくなった。俺の鼻に摘まめるほどの高さがあればの話だが。鼻を摘まむ代わりにアテを少し摘まみ、再びジョッキをグイっとあおる。

    エイプリルフールの日に年甲斐も無く酔っぱらうことが、ここ数年間の月島の恒例行事となっている。


    三十路の大人がする飲み方じゃないのは分かっている。
    分かっているが、この日は正体が分からなくなるくらいに酔っぱらいたいのだ。だが、同時に、この日だけは酔いつぶれることなく、なるべく長い間、酔っぱらっていたい。酒の美味さだとか、種類ごとの味の違いだとか、俺にはさっぱり分からない。貧乏人の舌にそんなことは判別できないのか、俺が味音痴なのか。そもそも酒には嫌な思い出しか持たないから、味わおうとすらしていないのが正直なところだ。
    18457

    Lemon

    DONE🎏お誕生日おめでとうございます。
    現パロ鯉月の小説。全年齢。

    初めて現パロを書きました。
    いとはじイベント参加記念の小説です。
    どうしても12月23日の早いうちにアップしたかった(🎏ちゃんの誕生日を当日に思いっきり祝いたい)のでイベント前ですがアップします。
    お誕生日おめでとう!!!
    あなたの恋人がSEX以外に考えているたくさんのこと。鯉登音之進さんと月島基さんとが恋人としてお付き合いを始めたのは、夏の終わりのことでした。
    一回りほどある年齢の差、鹿児島と新潟という出身地の違い、暮らしている地域も異なり、バイトをせずに親の仕送りで生活を送っている大学生と、配送業のドライバーで生活を立てている社会人の間に、出会う接点など一つもなさそうなものですが、鯉登さんは月島さんをどこかで見初めたらしく、朝一番の飲食店への配送を終え、トラックを戻して営業所から出てきた月島さんに向かって、こう言い放ちました。


    「好きだ、月島。私と付き合ってほしい。」


    初対面の人間に何を言ってるんだ、と、月島さんの口は呆れたように少し開きました。目の前に立つ青年は、すらりと背が高く、浅黒い肌が健康的で、つややかな黒髪が夏の高い空のてっぺんに昇ったお日様からの日差しを受けて輝いています。その豊かな黒髪がさらりと流れる前髪の下にはびっくりするくらいに美しく整った小さな顔があり、ただ立っているだけでーーたとえ排ガスで煤けた営業所の壁や運動靴とカートのタイヤの跡だらけの地面が背景であってもーーまるで美術館に飾られる一枚の絵のような気品に満ちておりました。姿形が美しいのはもちろん、意志の強そうな瞳が人目を惹きつけ、特徴的な眉毛ですら魅力に変えてしまう青年でした。
    17926

    related works

    Lemon

    DONE🌙お誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!!
    現パロ鯉月の小説。全年齢。

    軍会イベント参加記念の小説です。
    ※誤字脱字など、チェックできていないので後で修正します。
    ※はるか昔の明治時代を駆け抜けた人たちに似たような登場人物が出てきますが、当て馬も浮気も一切ありません。100%安心安全の鯉月設計でお送りします。
    お誕生日おめでとう!!!
    酔いどれエイプリルフール慣れない苦味が喉を滑り落ちて、かっと腹の方からの熱が全身に広がる。もう既に頭は朦朧としていて、我ながら吐き出す息は酒臭く、鼻を摘まみたくなった。俺の鼻に摘まめるほどの高さがあればの話だが。鼻を摘まむ代わりにアテを少し摘まみ、再びジョッキをグイっとあおる。

    エイプリルフールの日に年甲斐も無く酔っぱらうことが、ここ数年間の月島の恒例行事となっている。


    三十路の大人がする飲み方じゃないのは分かっている。
    分かっているが、この日は正体が分からなくなるくらいに酔っぱらいたいのだ。だが、同時に、この日だけは酔いつぶれることなく、なるべく長い間、酔っぱらっていたい。酒の美味さだとか、種類ごとの味の違いだとか、俺にはさっぱり分からない。貧乏人の舌にそんなことは判別できないのか、俺が味音痴なのか。そもそも酒には嫌な思い出しか持たないから、味わおうとすらしていないのが正直なところだ。
    18457

    recommended works