Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    Lemon

    100%鯉月しかない。小説を書きます。すべて個人の妄想です。実在の人物、出来事、版権元とは一切関係ありません。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 5

    Lemon

    ☆quiet follow

    🎏お誕生日おめでとうございます。
    現パロ鯉月の小説。全年齢。

    初めて現パロを書きました。
    いとはじイベント参加記念の小説です。
    どうしても12月23日の早いうちにアップしたかった(🎏ちゃんの誕生日を当日に思いっきり祝いたい)のでイベント前ですがアップします。
    お誕生日おめでとう!!!

    #鯉月
    Koito/Tsukishima

    あなたの恋人がSEX以外に考えているたくさんのこと。鯉登音之進さんと月島基さんとが恋人としてお付き合いを始めたのは、夏の終わりのことでした。
    一回りほどある年齢の差、鹿児島と新潟という出身地の違い、暮らしている地域も異なり、バイトをせずに親の仕送りで生活を送っている大学生と、配送業のドライバーで生活を立てている社会人の間に、出会う接点など一つもなさそうなものですが、鯉登さんは月島さんをどこかで見初めたらしく、朝一番の飲食店への配送を終え、トラックを戻して営業所から出てきた月島さんに向かって、こう言い放ちました。


    「好きだ、月島。私と付き合ってほしい。」


    初対面の人間に何を言ってるんだ、と、月島さんの口は呆れたように少し開きました。目の前に立つ青年は、すらりと背が高く、浅黒い肌が健康的で、つややかな黒髪が夏の高い空のてっぺんに昇ったお日様からの日差しを受けて輝いています。その豊かな黒髪がさらりと流れる前髪の下にはびっくりするくらいに美しく整った小さな顔があり、ただ立っているだけでーーたとえ排ガスで煤けた営業所の壁や運動靴とカートのタイヤの跡だらけの地面が背景であってもーーまるで美術館に飾られる一枚の絵のような気品に満ちておりました。姿形が美しいのはもちろん、意志の強そうな瞳が人目を惹きつけ、特徴的な眉毛ですら魅力に変えてしまう青年でした。
    青年は、見た目どころか、ついでに声も飛び切り美しかったのですが、いかんせん、表情はまるで苦虫をかみつぶしたかのようで、甘い恋の告白と呼ぶにはあまりにそぐわぬものでした。
    見るからに育ちの良さそうな坊ちゃんが、こんなおっさんに何を好き好んで告白なんて、暑さで気でも触れたか、と、月島さんがその青年に話しかけようとした時、様子をうかがっていた同僚の一人が、月島さんの耳元にそっと囁いたのです。


    ”最近、若い子の間で、罰ゲームで好きでもない相手や嫌いな相手、モテそうにない相手に告白するのが流行っているらしいよ。”


    ああ、そういうことか。
    月島さんは合点がいきました。どうやらこの見ず知らずのずば抜けて美しい青年は、何かの勝負に負けて、よりにもよってこんな巌のような三十路のおっさんに告白をせねばならぬ羽目になったようです。
    だから不本意と顔に書いてあるような表情をしているのでしょう。

    (………この罰ゲームは、俺が告白を受け入れるまで続くのか、それとも告白をすれば、この青年が解放されるのか。)

    月島さんにはそんなことはまったく分かりませんでしたが、こんな悪質な揶揄いをしなければいけない羽目になった青年を哀れに思いました。
    自分のあずかり知らぬところで勝手にからかいの対象にされたことは腹立たしいですが、目の前の青年を責めたところで何の解決にもなりません。それに、こういった嫌がらせは「相手が嫌がるさまを見て愉しむ」ことが目的なのですから、その歪んだ欲求を斥けるには相手の欲を満たすのではなく、「こいつはからかい甲斐が無い」としらけさせるのが一番です。


    「月島、人が告白をしてるのだから、さっさと頷かんか。」

    初対面の相手に告白をするにしては青年の態度は尊大です。片足をだんだんと踏み鳴らして返事を乞うなど、およそ愛の告白にはふさわしくありません。
    月島さんの格好も、会社支給のシャツを脱ぎ、下着代わりの半袖Tシャツにチノパン姿です。ついでに首元には汗止めのタオルをくくった格好で、およそ愛の告白を受けるにはふさわしくありません。


    「………ずいぶんお若いようにお見受けしますが、二十歳は越えていらっしゃいますか。」
    「ああ。もちろん。」
    「そうですか。」
    「それは返事になっておらんぞ月島。私は頷けと言ったのだ。」
    「はあ。まあ。それではこれからどうぞよろしくお願いいたします。」





    月島さんの何ともやる気のない返事を受けると、青年は眉一つ動かさず、うむ、と、尊大に頷き、続いて月島さんに、スマホのロックを解除しろ、と要求しました。
    月島さんの使っている携帯電話は会社からの支給品で、私的利用での使用も許可されていますが、月島さんは諸事情あって職場以外の人に連絡先を教えることはありませんでした。
    いったいどこまでが罰ゲームなのか、連絡先を教えることで、こちらにどんな被害があるか。
    そんなことが月島さんの頭を過りましたが、青年は半ば強引に月島さんのスマホを取り上げ、勝手に操作を始めました。
    まだ解除もしていないのに、一体何を、と不思議に思っているうちに、スマホは月島さんの手に戻され、じゃあまた連絡する、と言いおいて、青年は颯爽と去っていきました。

    「………鯉登、音之進。縁起の良さそうな苗字だな。」

    返されたスマホはどうやったのかは分かりませんがロックが解除され、真新しく登録された連絡先が表示されておりました。画面に表示される文字の羅列とスマホのホルダーに挟まれた名刺で、月島さんはようやく青年の名前を知ったのです。



    月島さんは青年の告白を罰ゲームだと決めつけ、まともに取り合いませんでした。一人暮らしをしている六畳一間のアパートに帰宅し、部屋の窓を開けても逃げていかないこもった熱気の中で汗をかきながらコンビニ飯をかっ込んでシャワーを浴びて万年床に寝ころぶと、体温ほどある気温の中でもすぐさま深い眠りに落ちていきました。
    次に月島さんの目が覚めたのは、ヴーッ、ヴーッと枕元で震える携帯電話のバイブレーションのせいでした。夕暮れに赤く染まった部屋の中、画面にはいくつかのメッセージと着信を告げるお知らせが並んでおり、そのすべてが「鯉登音之進」からのものでした。

    これが鯉登さんと月島さんのお付き合いの始まりでした。




    鯉登さんが初めて月島さんのアパートを訪れた時ーー鯉登さんと出会った日から数えて、次の月島さんの休日のことでしたーー、恐る恐るとった鯉登さんからの着信で、開口一番、鯉登さんは「今から月島の部屋に行ってもいいか」と尋ねました。字面は疑問形でしたが、口調は言い切りの形でした。おそらくあの見た目ですから、鯉登さんは今まで己の提案や要望を断られたことなど無いのでしょう。だから彼の口調にはふわふわとした期待や、ボールのような弾む若さ、青さ故の空回りする熱意、といったものがありません。年齢と共に社会的なステータスアップを繰り返し、確固たる地位を築いたひとかどの人物が持つような重みと、自分の望みが断られることなど毛ほども考えていない尊大さが混じった不思議さがあります。
    月島さんは鯉登さんの要求を断ることができませんでした。「それでは1時間後に伺う」という鯉登さんの言葉を最後に通話が終わっても、月島さんはどこか半信半疑でした。鯉登さんが59分後に月島さんのアパートの部屋のドアをノックするまでは。
    おんぼろアパートの狭い六畳一間、夏の盛りにクーラーのない部屋は全開にした窓から蝉の大合唱が降り注ぎ、その合間に扇風機が首を反対側に振る時の折り返しの音がカチカチと合いの手を打ちますが、ちっとも涼しくはありません。手土産にと鯉登さんが持ってきた洒落たシャーベットの容器は、外側はびっしりと汗をかきながらも、鯉登さんと月島さんの間に置かれた小さなちゃぶ台の上に澄まし顔で鎮座しています。
    月島さんは、1時間前の自分に部屋を片付けさせなかったことを悔やみました。持ち物は少ない方ですが、それでも仕事が忙しくなれば、小さな部屋はとても人を招くことはできません。
    慌てて部屋の隅に寄せた服の山の隣に連なったペットボトルが日差しを反射して、日焼けした畳の上にきらきらと光の水面を描いています。
    そんな狭苦しく薄汚れた部屋に鯉登さんの人並み外れた美しさが馴染むはずも無く、鯉登さんの姿は、月島さんの目にものすごく雑な合成写真のように映りました。


    「食わんのか。」
    「鯉登さん………あー、手土産をわざわざありがとうございます。そうですね。せっかくですし、溶けないうちにいただきましょう。」

    申し訳なさに自然とうつむいてしまった月島さんが、ちろりと正面に胡坐をかいて座る鯉登さんを見上げると、鯉登さんは手土産のシャーベットよりも、もっと澄ました顔で月島さんを見つめていました。


    「いただきます。」
    「ん。」

    押しかけてきたくせにほとんど口を利かない鯉登さんは、眉間に皺の寄った険しい表情で、初めてのデートで浮かれているようにも緊張しているようにも見えません。どちらかと言えば、相手の一挙手一投足を見逃すまいとしているような、月島さんがかつて慣れ親しんだ気配に近いものを感じます。
    気まずさと暑さ故の喉の渇きで、月島さんは無心でシャーベットを掬って口に運ぶのを繰り返します。月島さんの頭がキーンと痛くなったところで一度スプーンを置くと、鯉登さんが口を開きました。

    「口に合うか。」
    「ええ。初めて食べましたけど、旨いです。リンゴってめったに食べないのですが、こんな味だったんですね。すりおろした食感も好きです。」
    「そうか。」

    今世でも味の好みは変わらんか。わいは晩年、飯を上手く飲み込めんようなってからは、リンゴのすりおろしばっかり食べちょった。


    鯉登さんが言った言葉は、扇風機と蝉の声のシャワーに遮られ、月島さんには聞きとることができませんでした。

    「え?すみません、何か言いましたか?」
    「いいや。何でもない。シャーベットの残りは冷凍庫に入れておけ。3日は食べられる。それでは今日はこれで帰る。」
    「はあ。ありがとうございます。………お構いもせず。」


    鯉登さんはそう言うと、すっと立ち上がりました。鯉登さんの態度も物言いも、年齢にそぐわぬ落ち着きと尊大さがありますが、それらが霞んでしまうほどの気品に満ちています。立ち上がる仕草ひとつとっても王子様のように優雅です。
    月島さんも腰を浮かし、鯉登さんの後に続きました。

    鯉登さんは玄関でつやつやした汚れひとつない革靴を履くと、月島さんを振り返りました。その動きに合わせて鯉登さんが付けている香水のかおりが、月島さんの鼻先に届きます。


    「次は8日後の休日にまた来る。じゃあな。」
    「え、ええ、また。」


    夏の熱気と共に残り香が月島さんの顔にぶつかり、ばたんと扉が閉じられました。



    「………俺、鯉登さんに何日が仕事休みかって話したっけ?」




    鯉登さんと月島さんの最初のデートは、リンゴシャーベットの味でした。






    ****************************

    そうして夏の終わりお付き合いを始めてから、今現在、カレンダーでいうところの12月になり、月島さんの頭の中には、いつも一つの疑問が居座るようになりました。


    俺と鯉登さんは付き合っているのか。



    月島さんの悩みの原因は、鯉登さんと月島さんとの間に肉体関係が無いことです。鯉登さんの告白から数か月が経っても、二人は身体を重ねるどころか、キスすることも、手をつなぐことすらありません。デートも月島さんのアパートでお家デートばかりでどこかへ出かけたこともありません。
    鯉登さんはほとんど話すことがなく、月島さんも無口な性質ですから、一緒に居ても会話はほとんどありません。
    その日の配送のノルマが終わるまでという不定期な勤務時間かつ不規則な出勤日をこなす月島さんと、カレンダー通りに日々を過ごす大学生の鯉登さんのお休みが重なっても、鯉登さんからは、どこかに行こうという誘いはありません。
    月島さんがお休みの日に、すりおろしたリンゴのお菓子を手土産に月島さんのアパートに来る。月島さんが用意したご飯をほぼ無言で食べた後、月島さんが手土産を食べるのを見届けると席を立つ。そうして、駅まで見送ろうとする月島さんの申し出を断り、ひとりで帰っていくのです。
    月島さんの目に映る鯉登さんは、いつもとても洒落た服を気負うことなく着こなし、それがまた彼の見目の良さに拍車をかけていますが、当の本人は無口でむすっとして、いつもどこか機嫌が悪そうです。それなのに、月島さんの仕事がお休みの時は必ずアパートにやってくるのですから、やはりこれは罰ゲームで仕方なく告白してきたのだろう、と、月島さんは当初の疑いが正解だったと確信しました。

    一体どこまでこの罰ゲームは続くのだろう。


    鯉登さんの不機嫌そうな表情が、月島さんを悩ませました。
    鯉登さんの、若く、美しく、何でもできそうな恵まれたこの青年の貴重な青春の時間を、こんなくだらないことでいたずらに消費させてはいけない。
    そう思いながらも、月島さんは別れを切り出すことができませんでした。
    何故なら、月島さんはいつも不機嫌そうで何を考えているのかわからない鯉登さんのことを大好きになっていたからです。月島さんは今まで男性を好きになったことはありませんし、年若い人を見てときめくようなこともありません。むしろ一回りも年の離れた若い鯉登さんへの恋心を自覚した時、申し訳なさと罪悪感でいっぱいで、ご飯も二膳しか喉を通りませんでした。
    自分でもどうして、と不思議に思いましたが、好きになってしまったのですから仕方ありません。


    もちろん月島さんも人の子です。好きな人には機嫌よく過ごしてほしいと思うのですが、年齢も育ってきた環境も違うせいか、どうすれば鯉登さんが喜ぶのか、皆目見当もつきません。
    若い男の子が好きそうなおかずや流行ってるお菓子を買ってきても、いつも通りに黙々と食べるだけ。好きな食べ物はありますか、何が食べたいですか、と月島さんが尋ねても、鯉登さんからは、何だって食べられる、月島が食べたいものを買って来てくれるか、食べたいものを作ってくれればいい、と、そっけない言葉が返ってくるばかり。
    営業所で事務をしている既婚の女性が「うちの旦那、食べたいものを聞いても、いつも”何でもいい”って言うのよ。毎日毎回献立作るの全部こっちに任せて、知らんふり。こっちは何も思いつかないから聞いてるってのに。献立に文句は付けないけど、なーんにも手伝わないのって、絶対にフェアじゃない。たまには予算内で献立作る苦労を味わってみろっての。」と言っていた気持ちが、今の月島さんには痛いほどよくわかります。鯉登さんも同じです。何でも食べる、と本人が言うとおり、好き嫌いせず、残すことはしません。鯉登さんに献立作りの苦労を味わってほしいとは思いませんが、同じ手間をかけるなら、鯉登さんの好きなものを用意したい、鯉登さんの喜ぶ顔が見たい、という月島さんの気持ちを汲んではくれません。
    食事を用意するのは、いつも月島さんの方です。付き合い始めた頃、鯉登さんが、次は私が何か食べるものを持って来よう、と言った時、月島さんは丁寧にそれを断りました。年上の矜持というものです。学生でも食事代くらい出せる、馬鹿にするな、と言い返してきた鯉登さんに、月島さんは頑として首を縦には降りませんでした。手土産もいらないと言いましたが、鯉登さんは必ず毎回、リンゴのシャーベットやゼリーを持ってきました。寒くなってからは月島さんは聞いたことも無い横文字で名付けられたあったかいリンゴのお菓子を持ってきます。


    月島さんがごはんを作っても、スーパーで買ってきた総菜を並べても、「あんがと」「いただきます」「ごちそうさま」しか返ってきません。買ってきた総菜を並べても文句を言うことはありませんが、かといって手作りの料理を喜ぶこともありません。
    月島さんは料理が得意な訳ではありません。そもそも一度も他人にご飯を作ったことがありませんので、自分の料理の腕前などわかりようも無く、洗濯や掃除などと同様に、長年やっているうちに何となくこなせるようになった可もなく不可もない家事い、といったところです。
    月島さんは食に関するこだわりは無く、食べられればなんでもいい、腹が膨れるならそれでいいというタイプです。自炊したとしても、米とスーパーで買ってきた出来合いの総菜がせいぜいと言ったところで、サラダは腹が膨れないくせに値段が高いのでめったに口にすることはありません。総菜はいつも魚や肉のおかずを選び、野菜は、昔、「人は野菜を食べないと死ぬ」と教えてくれた人がいたので、もやしを袋のままレンチンする程度です。夏場はキュウリやトマトが安ければ、洗ってそのまま齧ります。卵は安くて手軽ですが、生卵に当たって散々な目に合ったため、自炊してまで食べようとは思いません。果物はぜいたく品で、以前食べたのはいつだったのかを思い出せないくらい記憶にありません。
    貧乏暮らしの癖に自炊をしないなんて贅沢だと言う人は、現実を知りません。たいていの貧乏な人は貧乏な家庭か施設で育ちます。そして、貧乏な家庭や施設では、料理の仕方を教えてくれる親はいません。就ける仕事が長時間労働や不規則な勤務時間であることが多く、一人立ちしても料理を学ぶ暇はありません。
    月島さんはそういう風に生まれ育った人ですから、食に対する知識が乏しく、鯉登さんが好きな食べ物なんて想像もつきませんが、彼がおそらく裕福な暮らしをしていることは服装や持ち物で何となくわかります。金持ちが口にする料理など、月島さんに用意できるはずがありません。

    それでも鯉登さんに少しでも美味しいものを食べてほしい。

    果たして自分はこれほど尽くすタイプだっただろうか、それともこれは恋も盲目というものか。
    年下とはいえ、もう成人した鯉登さんに、どうしてか月島さんはあれこれと世話を焼きたくなるのです。
    とりあえず自分にできることをやるしかない。月島さんは、鯉登さんがアパートにやってくる日はご飯を炊くことに決めました。こだわりのない月島さんですが、ただ一つ、ご飯だけはなるべく炊き立ての白ご飯が食べたいという強い欲求を幼いころから持っていて、ひとり暮らしでも米だけは切らしたことがありません。炊き立てのご飯が嫌いな人はいないだろう。そう開き直った月島さんはご飯だけは美味しく炊けるよう、計量カップで米を測り、きちんと水をメモリまで入れることにしました。

    だから今日も、炊飯器がメロディーを奏でると、米はべっしょりすることも固すぎることも無く、ふっくらと炊き上がりました。
    鯉登さんのお茶碗にはつやつやの炊き立ての白飯が山盛りよそわれ、鯉登さんもいつも通り、わしわしと平らげました。食事の作法に則った品の良さと豪快さが不思議と同時に成立する鯉登さんの食べっぷりは、いつも月島さんの心をぽっと温めてくれましたが、今日ばかりは複雑です。鯉登さんに話したいことがあるからです。

    正面に座る鯉登さんの顔をそっと見やると、相変わらず近づきがたいほどに美しい青年の姿が目に入ってきました。伏せたまつげは瞬きのたびに蛍光灯の光を弾くのがわかるほどに長くくるんとしていて、高くとんがった鼻は太い個性的な眉と合わさって意志の強さを示しているかのよう。頬は若者らしくふっくらしており、剃り残しや剃り跡など一つも見当たりません。つややかな浅黒い肌は、肌そのものが輝いているようです。弾けんばかりの若さが、月島さんの胸を抉ります。



    やはりこんなおっさんに告白したのは罰ゲームとはいえ、間違いだったと後悔しているのだろう。いいや、今の時代、おっさんの中にも見目麗しく若々しいおっさんもいるから、「おっさん」と一括りにしてはいけない。
    おっさんの中でも俺は、不細工で、不愛想で、髭で、マッチョで、背の低い、男くさくて野暮ったいおっさんなのだ。虚無僧だのゴルゴだの鬼軍曹だのと称されるのだから、性別問わず人に好かれる見た目ではない。
    並んで外も出歩けないくらい、みっともないおっさん。
    とびきり綺麗で、若くて、賢くて、俺の時代でいうところの3高の中でもきっと飛びぬけて高いものを持っている鯉登さんを、俺ごときに縛り付けておくのはろくでもない俺の人生の中でも最大の過ちだろう。
    罰ゲームで鯉登さんは負けてしまうかもしれないが、青春を無駄に過ごす方がきっと振り返った時に後悔するに違いない。

    どう話を切り出そうかと悩みながら、月島さんはご飯をかき込みました。
    今日のおかずは酢豚のような野菜炒めのような、とにかく肉と野菜を甘酸っぱく炒めたもので、酸っぱい割に塩気が薄く、残念ながらあまり白米には合いません。道路が混んでいたせいで勤務終わりが遅くなり、スーパーの半額セールで売れ残っていたのがこれしかなかったのです。
    月島さんは、最後になるなら奮発して、から揚げとか、ハンバーグとか、肉肉しい肉料理を買ってこればよかったな、と思いつつ、酢豚のような野菜炒めに醤油をぶっかけました。
    醬油味であればほとんどのおかずは白米に合うからです。




    ****************************

    「鯉登さん、お願いがあります。」
    「ん。」

    食事終わりの鯉登さんに茶を出した後、正座をして、鯉登さんの後ろに腰を下ろした。鯉登さんは振り返ることなく、短い相槌を打ってスーパーの特売りの薄い茶を啜っている。ピンと伸びた背筋が美しい。この人は、いつ、どこから見てもすべてが美しい。
    鯉登さんは若さを引き算しても細すぎるように見えるが、こうしてみると背中の幅は広い。いつもこの背を見送るのを名残惜しいと思っていたが、それも今日が最後だ。

    「俺と別れてください。」
    「あ?」

    鯉登さんが振り返ったようで、畳を擦る音がしたが、俺は頭を下げていたので鯉登さんがどういう表情をしているのかは見えなかった。

    「鯉登さん、その。俺は、その………鯉登さんと俺が、付き合っているとは思えないんです。キスやセックスどころか、手に触れたりもしないでしょう。何か共通の趣味を持っている訳でもない。かといって、俺は話すことが得意ではありません。面白いことを言って笑わせたり、悩みを聞き出して気持ちを軽くしてあげることもできません。仕事ばっかりで、会うのはいつもこんな遅い時間で、金も無いから美味いものを食べさせてやることもできなくて………全然あなたをかまってあげることができない。一緒に居てもきっと退屈されていることでしょう。付き合っていないのにこういうのはおかしいですが、別れてください。鯉登さん、今までありがとうございました。」
    「別れん。」
    「あの、鯉登さん。」
    「せからし。おいは別れんと言った。月島、ないごて?ないごて、そんなこっちゆっ?おいんこっ嫌いになったちゆとか?」
    「いいえ、そういう訳では………」
    「絶対に手放さん。」
    「でも、鯉登さん、一緒に居ても何もしないじゃないですか。最近の若者はそういうお付き合いをされるのかもしれませんが、俺は恋人とは手をつないだり、話をしたり、それ以上の触れ合いもしたいんですよ。」

    こんなことを一回りも年下の若者に言うなんて、俺は犯罪者だ、変態だ、という自己嫌悪を飲み込んで、恥を忍びつつ自分の欲望を口にした途端、キエエエエッ、と聞いたことも無い絶叫が俺の耳を劈いた。
    その甲高い絶叫(あとで教えてもらったが、猿叫というらしい)に、思わず顔を上げた俺の目に、顔を真っ赤にして涙目になっている鯉登さんが映った。
    映ったと思った瞬間、ぐんにゃり、と恐ろしい角度で鯉登さんが座ったまま背中を後ろに倒し、俺は呆気にとられた。
    背中を逸らすというより、膝を起点に体を折り曲げるといった姿勢だ。背中が畳につきそうなくらいに折りたたまれた姿勢。そんな風に体を動かしたりしたら、どこか痛めるんじゃないかと不安になり、手をのばして体を支えようとした瞬間、勢いよく鯉登さんが背を起こした。ものすごい柔軟性とバランス、そして背筋だ。腹筋だけではこんな動きはできまい。若さってすごいな。

    「いっ、今まで一度もそげんこっゆじゃらせんかっ!」
    「………はあ?」



    鯉登さんは本当は表情が豊かな人だったんだな。話し方も年相応な感じがして、なんとも可愛らしい。
    今まで無表情で黙り込んでいるか、不機嫌そうに眉間に皺を寄せているか、その二通りしか知らなかった。でもきっと、気遣いのできない俺がそんな風にさせてしまっていたのだ。だが別れ話の最中に己の不甲斐なさを悔いてももう遅い。
    隣の住人の壁を叩くという控え目な抗議に、とりあえず謝りに行こうと腰を上げた次の瞬間、俺は気が付けば天井を見ていた。
    視界の左下に、俺を見下ろしている鯉登さんの顔がにょっきりと入り込んでくる。どうやら恐ろしい速さで鯉登さんが俺を畳に転がしたようだ。あまりのことに唖然としていると、鯉登さんは泣き出しそうな顔で、月島、月島、と俺を呼んだ。


    「ご、ごめんなせ。月島あ。つい………大丈夫か?」

    わいが離れていくち思ったら、どげんかして止めよごたっ、つい、と、先ほどから鯉登さんが話している言葉はたぶん彼の生まれ故郷の鹿児島弁だ。俺には縁も所縁もないお国言葉は半分も聞き取れないが、不思議とどこか懐かしく、心地よい響きで俺の耳に入ってくる。おそらく、引き留めようとしたが慌てていたせいで、つい手荒な方法を取ってしまって申し訳ない、というところだろう。

    「俺は大丈夫です。それにしても鯉登さん、お強いんですね。」

    鯉登さんは寡黙で、スポーツの話題も出てきたことが無いし、何より通っているのが頭の良さで有名な大学だから、てっきり荒事とは無縁と思い込んでいたが、先ほどの動きは「習い事」の範囲を越えている。
    その証拠に、すり減った畳に打ち付けられた体はあちこち痛みこそすれ、どこにも深刻な怪我はない。
    鯉登さんが今さっき俺に仕掛けたのは武術だ。昨今、護身術の類は巷に満ち溢れているが、まともな武術はめったにお目にかかることはない。相手に大きな怪我を与えることなく投げ飛ばすというのは膂力以上に技がいる。

    「朽木倒ちゆっ。柔道の技じゃ。おいは剣術の方が好いちょるが、柔道も小さな頃から習っちょるんじゃ。まあ、実際の護身術としては朽木倒は使わんが。」

    俺が身体を起こすと、びくっ、と鯉登さんの肩が震え、膝を少し落として手を広げた。臨戦態勢だ。もし俺が逃げるそぶりを見せたら、飛び掛かる算段なんだろう。ギラギラした視線は俺の挙動を一つも見逃すまいとしている。
    どう考えても素人の動きではない。
    身体的な争いごとになれば、こっちも応じずに場を収める自信が無い。俺は鯉登さんと争いたいのではないし、鯉登さんもそうだ。自分を落ち着かせるために、正座に座りなおしてため息を吐くと、そのため息にすら鯉登さんは反応した。
    今まで俺と過ごしていた間の鯉登さんは、年齢不相応に落ち着いていてほとんど言葉を発さない寡黙な人だった。だが、いざ、真一文字に引き結んだ口から言葉がでてくると、それらは短くも重みがあった。動く様はきびきびとしているが洗練されていて、顔は見とれてしまうほど綺麗で、まるで機械仕掛けで動く人形のようだったのに。
    先ほどの叫び声と相まって、今となっては鯉登さんを人形みたいだとは絶対に思えないし、人というより言葉を話さない他の動物のように見える。
    こんな状態の相手に、俺は逃げたりしません、と口で言っても無駄だろう。
    ぽんぽんと鯉登さんの座布団を叩いて着席を促す。当然、鯉登さんは素直に従ったりはしない。


    「………」
    「………」


    人と人との間に漂う、ぴんと張った空気を味わうのは久々だった。
    鯉登さんの圧は強いが、残念ながらまっとうに生きてこなかった俺にそれは通用しない。


    時々鯉登さんを見上げて目を合わせ、ぽんぽん、と根気よく座布団を叩く。だけど、鯉登さんは仁王立ちのまま何も言わない。

    (面倒くさい。)

    何度かそれを繰り返した後、鯉登さんはどっかりと腰を下ろし、まるで自分を鎮めるように大きく長く息を吐いた。
    顔を上げた鯉登さんの顔はもういつも通りに戻っていたが、いつもほのかに赤い下まぶたの目じりが、今はくっきりと赤い。



    「月島。」
    「はい。」
    「月島。月島。月島あ………」
    「はい。月島は、ここにおります。」
    「………ん。」


    俺の名前を呼び、深く息を吸って吐き出す。
    それを何度か繰り返すと、鯉登さんの目に落ち着きが戻ってきた。
    鯉登さんはすっと立ち上がり、狭い六畳間の隅に置いてあった自分の鞄を漁ると、再び俺の前に胡坐をかいて座った。


    「月島。」
    「はい。」
    「本当は、月島としたい。月島とセックスがしたい。そればっかり考えちょるし、付き合うずっと前からそう思っちょった。」
    「そうでしたか。」


    鯉登さんに人並みの性欲があって安心した。まあそれがおれのような不細工なおっさんに向けられているのは問題がありすぎるが。


    「月島、これを見てくいやい。」
    「はあ。」


    差し出された本を受け取る。題名は英語で書かれているから俺にはSexという単語しか分からない。これは鯉登さんなりの「こういうセックスがしたい」という誘いなのか?皆目分からん。さっきからの鯉登さんの行動は俺には突飛すぎる。
    不思議に思いながら表紙をめくると、綺麗な手書き風の筆跡が現れた。良かった、日本語だ。これなら読める。
    だが、2、3ページめくっても内容らしい内容はなく、箇条書きで筆者がしたいことーーしかもセックスに関係が無いーーが羅列されているだけで、その上、よくよく見てみると、筆跡は印刷されたものではなくて直筆だ。これは本ではなくノートだ。
    鯉登さんとはずっとメッセージアプリでやり取りをしてきたから、彼の筆跡を見たことが無く、これが鯉登さんのものなのかどうかは判別できない。
    この本だかノートだかの趣旨も分からないが、これを見てほしいと言ってきた鯉登さんの気持ちも分からない。

    「鯉登さん、これは?」
    「ん。この本はな、中身が白紙なんじゃ。」
    「はあ。日記帳のようなものですか?」
    「いいや。紛れもなく本として出版された。」
    「はあ………」
    「さっきから、はあ、しかゆちょらんが、めんどくさがっているのがはっきり顔に出てるぞ、月島あ。」
    「そうですか。申し訳ありません。」
    「まあいい。これはな、おいが留学していた時、ドームの談話室に置かれていたんじゃ。誰かが面白半分で持ち込んだんじゃろう。本のタイトルは「男性がセックス以外に考えていること」と言ってな、乱丁ではなく、もともと中身はぜんぶ白紙で出版された本だそうだ。
    ちょうどその時、おいは自分で決めたこととはいえ月島に想いを告げずに留学してしまい、わいに会いたくてたまらんかった………もっとはっきり言う。月島とセックスしたくてしたくてたまらんかった。付き合ってもいないどころか、知り合いでもなかったのにな。気持ち悪いじゃろ。
    セックスのことばかり考えてるおいは、きっとどっかおかしい。そう思っていたから、タイトルに惹かれてつい、誰もおらん時にこの本を手に取ってしもうた。何か救いになることが書かれてるかもしれんと思ってな。だが中身は白紙だった。ネットで本のことを調べるとな、これは「男性はセックス以外のことは何一つ考えていない=白紙」ちゅう意図で出版されたらしい。」
    「さようで。」
    「拍子抜けして、しばらくは存在すら忘れていたが………数か月たって、その本がまだ談話室に置かれているのを見かけてな。
    その時、月島とセックスしたい、話がしたい、一緒に飯が食いたい、晴れた日は山や遊園地に一緒に行きたい………そんな気持ち、セックスしたいという気持ち以外にも、たくさんの気持ちが一緒くたにぶわっとあふれてきた。」
    「………」
    「月島とセックスしたいのは確かだが、おいは月島とセックス以外のことも同じくらいの強さでしたいと思ってるんじゃなかろかと思って、その本を買うた。そして「セックスすることと引き換えにでも、月島と一緒にしたいセックス以外のこと」を書きだしてみることにしたんじゃ。何ページか書き終えた後、読み返してみると、旨いものを食べた時、美しい風景を見た時、愛らしい動物を見かけた時、おいはいつも、いつか月島と一緒に食べたい、今度は月島を連れて見にこよう、月島がここに居たら、どんな風にこん動物を撫でるんじゃろ、そんな風に思っちょった。
    セックス以外のことは白紙だなんて、そんなのは悲しいじゃらせんか。
    おいはそげんこって満足できん。月島。月島あ。おいは、月島とセックスがしたいが、それと同じくらい月島と一緒にしたいことも連れて行ってやりたいところもいっぱいある。
    一つずつやっていけばいいと頭ではわかっていても、おいにとっては全部が大事で、どれも一番にやってみたくて選べん。二十歳も過ぎて、げんなかぁ………
    だから何も言えんかった。
    それに、こっ、恋人には格好良いところを見せたいもんじゃって、口数が多くなれば、おいが訛ってるのがばれてしまうじゃろ?それも嫌じゃった。
    一つでも口に出してしまえば、次々に要求してしまいそうで、そうしたら月島がおいの子どもっぽさに呆れてしまうかもしれんって………ほんとはな、もっと月島と話がしとごたっ。」







    ****************************

    何ということでしょう。
    実のところ、鯉登さんは月島さんと行きたいところ、やってみたいこと、話したいことがたくさんありすぎて、どれからすればいいか分からずに、混乱していたのです。

    月島さんは、過去の自分を思い出しました。
    身に抱えるには大きすぎる怒りや憎しみで体の中がいっぱいになり、それらが身の内で暴れる痛みに、のたうちまわり、吐き出さないと窒息して死んでしまうのではないかという息苦しさ。
    それらがいっぺんに口元に押し寄せて、逆に口を塞いでしまい、ひとかけらも口から出ていかない。苦しくて苦しくて、とうとう一言も発せずに拳を振るったあの日のことを。


    きっと鯉登さんも、感じる想いは違っても、同じような苦しみの中にいたのです。
    その苦しみに気が付かなかった不甲斐なさに、揃えた膝の上に置かれた月島さんの両の拳はてのひらに爪の形をしたいくつかの血が滲む傷をつくってしまいました。
    唯一、月島さんと異なっていたのは、鯉登さんは想いを口に出すことができました。
    月島さんの表情は相変わらず死んでいましたが、鯉登さんのその強さを心の底から嬉しく思いました。






    ****************************

    鯉登さんは、立て板に水どころか立てた板が折れるくらいの勢いで自分の気持ちを放水し始めた。


    自分の父親が経営する多くの企業のうち、とある一社でインターンをしていた時、会社の入っているビルの向かい側の飲み屋兼定食屋さんに食材を搬入する月島を見かけて一目惚れしたこと。表情一つ変えず月島が米俵を担ぐ姿ーー盛り上がった上腕二頭筋とくびれとは無縁のどっしりした木の幹のようなどっしりした腰ーーが忘れられなかったこと。
    すぐにでも声をかけたかったけど、当時、自分は大学生とはいえ、まだ未成年。すでに働いている月島は、未成年に言い寄られても困るだろうとぐっと我慢したこと。
    二十歳の誕生日の翌日に月島に告白しようと心に決めていたのに、留学時期の関係で、想いを告げることができずに日本を旅立つことになってとても辛かったこと。

    リンゴのシャーベットを気に入ってくれて嬉しかったこと。
    会えるのがいつも月島の仕事上がりで、だから、本当はご飯を用意してもらうのを申し訳ないと思っていた。でも月島の作ってくれたご飯が好きだ。
    次の日も仕事だから、見送ってもらうのは悪いと思っていた。
    どこかに食べに出かけたいけど、仕事が終わった後は疲れているかもしれない。何より、月島が食べたいものがわからず、かといって、ゼミの友達と行くような店ーー学生がたむろうような騒がしく軽薄な雰囲気の店だーーは自分が学生で、月島が社会人であることを浮き彫りにするようで、連れていくのは嫌だった。
    そろそろおいの誕生日が近いから、誕生日祝いに出かけたいと誘えば頷いてくれるだろうか。その時にさりげなく、月島が食べたいものを聞き出せばいいだろうか。
    料理の一つもできればよいが、やったことが無い。それに「手作りの料理とかって重い」「押し付けられてる感じがする」と言っている友達がたくさんいたから、そういう風に思われるのも嫌だった。
    月島が、おいが飯を全部食べ切るといつも、小さく笑うのが嬉しい。月島が白米を口いっぱい頬張るところを見れるのが嬉しい。月島が「仕事帰りに寄ったスーパーで九州フェアーをやっていたので」と、おいの故郷の総菜を買ってきてくれることが嬉しい。おいと一緒におらん時にも、おいのことを気にかけてくれるのが嬉しい。
    おいの名前を呼んでくれるのが嬉しい。




    早口の鹿児島弁は聞き取れないが、まあ、たぶん鯉登さんはそんな感じのことを言っていたように思う。
    はっきり言って、付き合う前からそんな風に俺のことを思っていたなんて、付きまといなどの実害はなくとも気味が悪いと思うのが普通なのだろうが、どうしてかそんな風には思えなかった。
    あまりに素直でまっすぐな思いを受け、俺は意識を別のところに逃した。そうでもしないと、とても正気を保っていられない。

    鯉登さんの健康的な浅黒い肌は興奮してもあまり赤くはならないんだな。
    食材は普段はでかい台車に乗せて運ぶから、鯉登さんが俺が米俵を腕に担いでいたのを見かけたのはたまたまだろう。俺のことだからきっと、たかだか米俵一俵に台車を出すなんて、と、面倒くさがったにちがいない。
    鯉登さんの誕生日は何日なんだろう。俺が休みの日だったら良いんだが。鯉登さんが食べたいものって俺の給料で買えるんだろうか。白米に合うおかずだといい。
    今さっき別れを切り出したのに、俺は一体何を考えているんだ。

    そんなよそ事を考えていると、鯉登さんが必死な顔で俺の顔をのぞき込んできた。


    「なあ、月島。呆れたか?おいだって、自分に呆れちょっ。後生じゃ、許してくれ。嫌わんでくれ。
    手土産がリンゴばっかいで気に食わんかったか?あってん、前はリンゴを好いとると気づくんがわっぜ遅かったから、今世では元気なうちにたくさん食べさせてやろごたって。今度は月島が好きなもんを買うてくるばってん、許しておくんなせ。
    好いちょ、月島。わっぜ好いちょっ。おいは月島と別れるなんてできん。そげん黙っちょらんで、何かゆっておくんなせ………月島あ。」

    月島あ、と甘えたような声で何度も名前を呼ばれると、もう本当に駄目だった。



    何だこの可愛い生き物。
    鯉登さんは自分のことは全然話さないけれど、きっと裕福な家庭で育ったんだろう。
    育ちの良さが一目でわかるくらいだし、ブランドとかは全く知らないが着ている服も、鞄や靴といった持ち物も、とても上質そうだが、嫌味が無い。本当の金持ちというのは意識せずとも品というものが備わっているに違いない。頭だってものすごく賢い。何より、随所に愛され大切に育てられたからこそ持ちうるまっすぐさが滲み出ている。
    そんな絵に描いたようなお坊ちゃんを、こんなにもまっすぐな人を、社会の底辺を生きている粗野な自分が触れてもいいのだろうか。


    「月島あ、別れるなんて嫌じゃ。取り消してくいやい!」
    「ああ。ええと、はあ。」
    「どっちじゃ、分からんぞ、月島。」
    「リンゴ云々のあたりは訛りがきつくて何をおっしゃっているのか分かりませんでしたが、別れましょうと言った言葉は取り消します。」


    そう答えると、鯉登さんは満面の笑顔を見せた。ぱあああっ、と、まるで本当に花が咲いたようだった。初めて見た鯉登さんの笑顔。あまりのぴかぴか眩しい笑顔に、この狭い六畳一間のアパートの隅々まで明るくなったように見えた。
    月島ぁん、あんがと。嬉しい。
    そう何度も言われて、胸がぎゅうううっと締め付けられた。罰ゲームだろうが、質の悪い揶揄いだろうが、もう何だっていい。そのゲームの幕が下りるまでの間、こんな風に幸せいっぱいの顔で笑っている鯉登さんの姿を見れるなら、それで良いじゃないか。
    この時、俺はこの先も度々訪れるであろうこの胸の痛みと付き合っていくことを覚悟した。
    そしてさっきから気になっていたことを尋ねてみた。


    「………鯉登さん、誕生日が近いのですか?」
    「ん。12月23日じゃ。」
    「そうですか。」
    「おいは学生じゃっで、いくらでも都合が付けらるっが、あってん、月島は仕事じゃろ?シフトに入ってるのは知っちょる。輸送業は年末年始に向けて忙しいのも知っちょっで、安心せえ。
    ………でも年が明けて仕事が落ち着いたら、おいと出かけてくるっか?」
    「ええと、鯉登さん。俺の仕事は配送なので、確かに年末に向けて忙しくなりますが、23日は五十日ではないので仕事はそれほど長引かないと思います。どこかに出かけるのは無理ですが、当日にちゃんとお祝いしましょうね。
    それに、俺の方こそ、今まで鯉登さんに我慢を強いてしまって、申し訳ありませんでした。」


    半分は本当だ。まあ25日締めのところは繰り上げて23日になるので、道路の混み具合は走ってみないと分からない。米は当日に炊くが、総菜は前日に買っておいた方が無難だろう。ケーキはどれくらいの値段なんだろうか。人生で一度もケーキを買ったこともないし、意識したことも無かったので皆目見当がつかん。クリスマスのケーキではなく、誕生日祝い用のケーキは23日でも売っているだろうか。
    俺がそんな風に算段をしていると、鯉登さんはまたしてもキエエエエッ、と奇声を上げた。今回は控えめだったせいか、隣人からの抗議は無かった。


    「まこち?」
    「その言葉の意味は分かりませんが、鯉登さんの誕生日当日にお祝いをしましょうと誘っています。」
    「あいがと、月島あ。ウフフ。楽しみにしちょっ。」
    「今はとりあえず、この本に鯉登さんが書いたことを一つずつやっていきましょう。順番が決められないようでしたら、最初から順番にやっていけばいいのでは?
    どちらかがやりたくないなら無理はしない。上手くいかなかったら何度も練習する、やり始めても途中で嫌だと思ったらその時点でやめる、そんな風にルールを決めてしまえば進めやすくなると思います。それと、もし誕生日に関するものがあれば、おっしゃってください。練習なり準備なりを今から始めれば、23日の誕生日に間に合うでしょう。」
    「良い良い、良いではないか、月島!!じゃあ早速始めよう。」
    「わかりました。最初から進めていって、鯉登さんか俺、どちらか一人でもやりたくないと思ったことはしない。大まかにそういうルールで進めます。何か困ったことが出てきたら、その都度、ルールを作りましょう。
    それでは、最初のページをもう一度見せていただいても?」
    「ん。」


    期待に満ちた目で頷く鯉登さんに再度確認を取った後、俺は他のページを開いてしまわぬよう、慎重に表紙を開いた。今のところ、この本を、「鯉登さんが俺とやってみたいこと」を書いた本を、最後まで読める自信が無い。
    鯉登さんとセックスがしたいと思っているし、恋人らしいこともしたい。偽らぬ俺の気持ちだ。
    だけど、たとえセックス以外でも恋人同士がする行為を文章で具体的に表現されるのは、気恥ずかしいをはるかに飛び越えた恥ずかしさがある。それでも、鯉登さんの気持ちを知った今、間近に迫った鯉登さんの誕生日までに、少しでも恋人らしいことができるようになっておきたい。


    (最初はあまりハードルが高いものでなければ良いのだが。)

    そう思いながら、恐る恐る一ページ目に目を通す。
    そこには印刷だと見間違えたほどきれいな鯉登さんの筆跡で、最初の願い事が短く書き綴られていた。









    「………鯉登さん、まずは手をつなぐことから始めましょうか。」




    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺☺☺☺☺👏💖💗💗💗💗💗💜💚💜💚😭👏👏💜💚💕💕💕💕😭😭😭💘💘💘💗💗💗😭💖🙌🙌🇱🇴🇻🇪💜💚💒💒💒💒👏👏👏👏💜💚☺☺☺💜💚
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    Lemon

    DONE🌙お誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!!
    現パロ鯉月の小説。全年齢。

    軍会イベント参加記念の小説です。
    ※誤字脱字など、チェックできていないので後で修正します。
    ※はるか昔の明治時代を駆け抜けた人たちに似たような登場人物が出てきますが、当て馬も浮気も一切ありません。100%安心安全の鯉月設計でお送りします。
    お誕生日おめでとう!!!
    酔いどれエイプリルフール慣れない苦味が喉を滑り落ちて、かっと腹の方からの熱が全身に広がる。もう既に頭は朦朧としていて、我ながら吐き出す息は酒臭く、鼻を摘まみたくなった。俺の鼻に摘まめるほどの高さがあればの話だが。鼻を摘まむ代わりにアテを少し摘まみ、再びジョッキをグイっとあおる。

    エイプリルフールの日に年甲斐も無く酔っぱらうことが、ここ数年間の月島の恒例行事となっている。


    三十路の大人がする飲み方じゃないのは分かっている。
    分かっているが、この日は正体が分からなくなるくらいに酔っぱらいたいのだ。だが、同時に、この日だけは酔いつぶれることなく、なるべく長い間、酔っぱらっていたい。酒の美味さだとか、種類ごとの味の違いだとか、俺にはさっぱり分からない。貧乏人の舌にそんなことは判別できないのか、俺が味音痴なのか。そもそも酒には嫌な思い出しか持たないから、味わおうとすらしていないのが正直なところだ。
    18457

    Lemon

    DONE🎏お誕生日おめでとうございます。
    現パロ鯉月の小説。全年齢。

    初めて現パロを書きました。
    いとはじイベント参加記念の小説です。
    どうしても12月23日の早いうちにアップしたかった(🎏ちゃんの誕生日を当日に思いっきり祝いたい)のでイベント前ですがアップします。
    お誕生日おめでとう!!!
    あなたの恋人がSEX以外に考えているたくさんのこと。鯉登音之進さんと月島基さんとが恋人としてお付き合いを始めたのは、夏の終わりのことでした。
    一回りほどある年齢の差、鹿児島と新潟という出身地の違い、暮らしている地域も異なり、バイトをせずに親の仕送りで生活を送っている大学生と、配送業のドライバーで生活を立てている社会人の間に、出会う接点など一つもなさそうなものですが、鯉登さんは月島さんをどこかで見初めたらしく、朝一番の飲食店への配送を終え、トラックを戻して営業所から出てきた月島さんに向かって、こう言い放ちました。


    「好きだ、月島。私と付き合ってほしい。」


    初対面の人間に何を言ってるんだ、と、月島さんの口は呆れたように少し開きました。目の前に立つ青年は、すらりと背が高く、浅黒い肌が健康的で、つややかな黒髪が夏の高い空のてっぺんに昇ったお日様からの日差しを受けて輝いています。その豊かな黒髪がさらりと流れる前髪の下にはびっくりするくらいに美しく整った小さな顔があり、ただ立っているだけでーーたとえ排ガスで煤けた営業所の壁や運動靴とカートのタイヤの跡だらけの地面が背景であってもーーまるで美術館に飾られる一枚の絵のような気品に満ちておりました。姿形が美しいのはもちろん、意志の強そうな瞳が人目を惹きつけ、特徴的な眉毛ですら魅力に変えてしまう青年でした。
    17926

    related works

    recommended works