大人にしあず(7)ランチの会場は、二人がいた甲板の反対側に設置されたテラス席だった。
乗船チケットを見せながら身振り手振りでコンシェルジュと会話する西谷に感心しているうちに、気がつけば窓脇の大きなテーブル席へ通された。
「ね、大丈夫だったでしょ」
「本当によかったのか?」
「料金さえきちんと払えば、宿泊客じゃなくてもこういうのはOKなんすよ」
大きなガラス窓から、穏やかに差し込む日の光が心地よい。
「いい席だな」
「外でも良いかと思ったんすけど、室内のほうが落ち着いて食えるでしょ」
「・・・ありがとう」
なにくれと気遣う後輩の仕草に、申し訳ないとおもいつつ素直に嬉しくなる。あまり甘えすぎるのは良くないと思いたいのに、てきぱきとリードしてくれる西谷の西谷らしさが頼もしく心強い。
・・・たまに訪れる妙な沈黙は気になるけれど。
「メニュー、いろいろありますね。どれにします?」
「そうだなぁ」
西谷の優しさですでにおなかいっぱいになったような気分だが、せっかくなので少し口にしてみたい気持ちもある。様々な言語が併記される一覧に迷った挙げ句、サンドイッチとローストビーフサラダのセット(先ほどの朝ご飯が未だ残る腹事情を考慮した)に眼が停まった。
「コレがいいかなぁ。・・・西谷は?」
「豚肉のソテーとパスタのやつにします。あとカツレツ単品も追加で」
「・・・今朝かなり食っただろ?」
「もう腹減りました」
「まじか」
「excuse me」
先ほどテーブル席に案内したコンシェルジュが、再び声をかけてきた。
すかさず西谷が声をかけ、応対する。
「どうしたの」
「他の客と相席でも良いかって」
「ああ」
青い瞳が、こちらを伺っている。緊張感を与えないエレガントな所作が、さすがといったところか。
「全然、構いませんよ」
東峰がにっこりうなずくと、thank youと感謝の意を表して下がった男と入れ替わりにスッと人影が現れた。
「失礼」
凜とした声と、鮮やかな迫力。
「「・・・あ、」」
「サキ、座りましょう」
「すみません、ありがとうございます」
軽く会釈して真向かいに座った相手は、先ほどの着物の二人だった。
***
「ごめんなさいね」
会話の口火を切ったのは、黒地の牡丹を纏ったほうだった。
太い眉にまあるい瞳と、きっちり編み込まれ結い上げた焦茶色の髪。髪に刺さる太い銀のかんざしも、シンプルで小気味よい。
「せっかくのご旅行で、ご迷惑でしたかしら」
「全然。旅はクツズレ、でしょ」
「西谷、道連れ」
「あれっ」
「・・・あのな・・・」
目の前の瓜実顔が一瞬きょとんと見合わさり、しかしすぐに表情をほころばせ、同時に笑い声をはじけさせた。
「・・・どうもすみません・・・」
「ほほほ、ごめんなさい。仲が宜しいのね」
「西谷夕です。こちらは」
「あ、東峰旭です」
はきはきとにこやかに自己紹介する男は、小柄でありながらも存在感がある。対して、隣に座る男は上背があるにも関わらず、恥じ入るように背中を丸めてぺこりと会釈する。
無造作な髪、色あせたTシャツ、あちこち擦り切れたウィンドブレーカー、そして鮮やかなグリーンのショールを纏った西谷に、柔らかく分厚いタートルネックとジャケットをきっちり着込んで、長い髪をきっちり後ろに結わえた東峰。
「あの、立ち入った話で申し訳ないですけれど、お二人は・・・」
「ああ・・・」「ははっ」
顔を見合わせ、思わず苦笑いする。どう見ても生活圏が同じとは言いがたい様相に、疑問が生じるのは当たり前であろう。
「西谷は、高校の後輩です」
「俺が久しぶりに日本に帰ってきたのを、東京からわざわざ迎えに来てくれたんすよ、この人」
「に、西谷やめてよ恥ずかしい・・・」
「「えぇっ!」」
西谷の言葉に、美女2人は驚きの声を同時にあげた。
「それは、本当に素晴らしいですわ」
「いや、まぁ、その・・・」
「ここまで、どうやってこられたんです」
「あ、自分の車で・・・結局1日がかりでしたけど・・・」
「まあっ・・・ご自身で運転されて?1日がかりで?さぞ、お疲れでしたでしょう」
「いや、今時期は混むこともないし、夜の高速はずっとアクセル踏みっぱなしでどんどん行けるので。きちんと休憩を挟みながら運転すれば、結構快適です」
「凄いわぁ・・・西谷さんは、どちらへ行かれていたんです?」
「俺っすか。いや、もうどこって決めず、あっちこっち世界中渡り歩いてる最中ですよ」
「・・・えっ?」
「所謂バックパッカーっていうんすかね。数年前、なんとなく世界が見たくなって以来ずっと日本には帰ってなかったんすけど、今回たまたま日本を通る船と路程が合ったんで」
「こいつ、こないだまでイタリアにいたんですよ。釣りました!って、でっかいカジキと自分の写真送ってきて」
「か、カジキ?なぜ?」
「なぜって、誘われてなんとなく」
「なんとなく・・・」
呆然と口を半ば開け聞き入る太眉美女の横で、もう一人が耐えかねたと言うようにハンカチを口元に当てククク・・・と笑い声を漏らす。
「ちょっとなぁに、サキったら」
「ご、ごめんなさい・・・あんまり突拍子もないお話で・・・」
「まぁ、西谷には俺もびっくりさせられ通しですから」
「えっ旭さんだって大概でしょ」
「えええ?」
不本意と行った表情を浮かべてお互い見合わせる二人に、再び華やかな笑い声がテラスに響いた。
「失礼致しました。みすづと申します、こっちは」
「あ、・・・さきは、です」
「咲く羽、と書くんですよ。綺麗な名前でしょう」
カサブランカの香りをほのかに漂わせ、みすづは艶やかに微笑む。対照的に咲羽と名乗る女性は、遠慮がちにうつむいた。漆塗りのバレッタで留めた柔らかな栗色のハーフアップが、彼女の奥ゆかしさを品良く反映させている。
「失礼ですけど、お二人ともその着物。もしかして、総絞りの絹ですか」
「まぁ、よくご存じ。過ぎた道楽で、反物から取り寄せて縫っていただいたんです」
「ええっ、すごい」
「せっかくだから、自分たちが好きな物を目一杯盛り込んで作りましょうよ、と。二人分のオーダーメイドですから、さすがに大変な贅沢でしたけれども」
「えーっと、おふたりとも日本人っすよね?」
「ええもちろん。ここまで大きな船に乗るチャンスはなかなか無かったですし、せっかくだからと、この子と」
「・・・わ、私も、一度はこんな豪華なクルーズ船に、乗ってみたいと、ずっと思ってて」
「仲の良いご姉妹なんですね」
「あら」
丸い瞳をさらに大きくして、みすづは隣に目配せする。
「姉妹ですって、ねぇ」
「・・・」
「幼なじみなんですよ、私たち」
「へぇ、じゃあ、ご家族は」
「いいえ。もちろんどちらも親兄弟はいますけど、今回は私たちだけで。ね」
「は、はい」
「・・・へぇえ~・・・」
女2人旅の一等客。なんともイレギュラーな二人に、ますます興味が募る(西谷に至ってはもう身を乗り出さんばかりだ)。
「私が咲羽より一つ学年が上なのですけれど、幼稚園からの一貫校でずっと一緒だったんです」
ね、と隣に視線を向けると、咲羽は恥じらうように頬を染めうつむく。
「それは、失礼しました」
「いいえ。私たち、家族ぐるみの付き合いも長いですから、昔からそう言われることも多くて」
「失礼します」
目一杯会話の花を咲かせていると、日本語を話すコンシェルジュが声をかけてきた。
「お食事はいかがされますか」
「まぁ、すっかり忘れていたわ」
ねぇと咲羽の着物の裾に手をやりながら、みすづが嬉々としてメニュー表を広げる。
「私、こちらのパスタにしようかしら。サキは?」
「え、わ、私・・・」
「これなんかどう?ローストビーフ、好きでしょう」
「・・・で、でも本当によろしいんです?私たちだけでなんて、・・・」
「いいのよ、いいの」
先程までの上品な表情と打って変わり、勝ち気な目が浮き立つようにキラキラし始めた。
「そちらのお客様、ご注文は」
「あ、これとこのセット、お願いします」
「かしこまりました。お飲み物のご注文はありますでしょうか」
「おっ、ワインも頼めるんすねぇ。どうします?」
「ええ、どうしようかなぁ・・・車もあるし」
「まぁ!」
まだ注文を迷うまま、横で聞いていたみすづが感嘆の声を上げる。
「サキ、アルコールですって!頂いちゃいましょうよ」
「ええっ!わ、私遠慮します、そんな」
「いいわよ、ここじゃ誰も文句なんて言わないわ。すみません、どれがおすすめかしら?この赤のフルボディも良いわね。お肉の追加もしちゃいましょう」
お酒と聞いた途端、子供のようにはしゃぎ始めるみすづに、咲羽が気後れして縮こまる。
「ね、姉様」
「まぁこの白、完熟葡萄ですって。甘くて美味しそう。あなた、こういうの大好きじゃないの」
「ちょっ・・・人前で」
「もう、遠慮しないって決めたでしょう。これお願いします、あ、こちらも」
手当たり次第とばかりに次々オーダーするみすづに、東峰も西谷もあっけにとられて固まった。
その様子に気づいて、丸い瞳がくるりとこちらを向く。
「せっかくですから、お二方もお好きに選んでくださいな。おごります」
「えぇっ」
急に降って湧いた話に、双方完全に泡を食う。
「いや、それは」
「この銘柄はお好き?それとも、こちらのスパークリングがお好みかしら。ご遠慮なさらず、ボトルで頼みましょう。好きなだけお申し付けくださって」
「や、でも」
「ね、姉様とりあえず、今の注文を先にお願いしましょうよ」
おろおろと青ざめる咲羽に促され、みすづはそれもそうねと、横で待機していたコンシェルジュにひとまずお願いしますと声をかけた。イレギュラーであろう大量注文でも男は笑みを絶やさず、涼しく復唱した後うやうやしく一礼してきびすを返す。
「唐突にごめんなさいね。こちらとしてはほんの気持ちですのよ」
「いや、お気持ちは大変嬉しいんですけど、今日お会いして間もないのにそこまでしていただくのは流石に」
「いいんですのよ、コレも何かのご縁ですわ」
みすづはテーブルに両肘を付いて、顎の下に手を組む。きゅ、と口角の上がる唇に差された紅。その表情は、先程見せたのと同じ幼い子供のようないたずらっぽさがみえた。
「私、あなたがたにとても興味が湧いたんです。もっといろいろ、聞かせてくださらない?私たち、家と学校以外の世界を知らないから、お二方のお話は私たちにとってお金に換えがたい価値がありますわ」
*
「まぁあそれ、本当のお話ですの?」
「ほんと、ほんとですって」
「うっそだぁ、俺も信じられない」
「凄い、素敵・・・!」
数分後、ずらりテーブルに並んだ飲食を前に、4人はすっかりできあがってしまった。
「ああ、楽しい、本当に楽しいわね、サキ」
「ええ・・・本当に」
「お天気も良いし、今日は最高ねぇ」
うっそりと呟いて、みすづが窓の向こうへ視線を向ける。と、
『・・・・・・、・・・♪ ♫・・・』
軽快なピアノの音が、フロアに響く。
「~~~、~~~」
続けて流れる、英語のアナウンス。
「まぁ」
「素敵・・・」
耳にした途端、みすづと咲羽の表情がぱぁと色めき立った。
「・・・どうしたの?」
「ダンスタイムっすね」
「ええっ」
驚く東峰を尻目に、みすづがすっくりと立ち上がる。
「私、踊ってくる」
「ちょっ、姉様?!」
「着物でもなんとかなるでしょ。いってくるわ、ふふふっ」
遊びに行く蝶のように裾をひらめかせ、たちまちみすづはあまた上流階級の波に呑まれていった。
「・・・積極的な方ですねえ」
「ほんと」
一切の物怖じもなく、早速白人男性とワルツのステップを踏み始めたみすづは心から楽しそうに見える。黙り込んだ咲羽の様子に東峰がふと目を向けると、その目に薄い憂いが浮かんで見えた。
「咲羽さん?」
「あ」
「どうかされましたか」
はっと我に返ったように、にっこりと微笑みが返った。
「いえ。ごめんなさい」
「ああ、楽しかった」
悪戯っぽい表情を浮かべて、みすづがふらふらと席に戻ってきた。
「ねぇ西谷さん、もっといろんなお話聞かせてちょうだい。北欧とかは行かれたの?何を見られた?東峰さんも、もっとお仕事のお話聞きたいわ」