大人にしあず(5)「おおお!畳-!!」
少しきしむ階段の先、2人の目に仕切りのない大きな広間が飛び込んだ。
開け放された窓から見える木造の家々、すこし遠方で揺らめく水平線。
先ほどの店員の話とは裏腹に、掃除の行き届いた清潔な匂いと新鮮な空気がなんともすがすがしい。
「やっぱいいっすねぇ畳。懐かしい」
「この感じ、ちょっと合宿を思い出しちゃうな。・・・って、ちょっ」
早速がらりと押し入れを開け手際よく布団を敷き始める後輩に面食らう。
「おまえ、一応人んちなんだからもう少し遠慮しようよ」
「せっかくの好意なんすから、どーんと甘えましょ」
けろりとした物言いにおろおろしつつも、妙に反論できない。こういう無自覚の善性が、いろんなところで遺憾なく発揮されているのだろう。
てきぱきと動き回る後輩の背中を、無意識に見てしまう。
よく焼けた肌。引き締まった上腕筋と、あちこちに走る太い血管。
カーゴパンツからすらりと伸びるふくらはぎに、くびれた足首。
「西谷、少し痩せた?」
「寧ろ重くなりましたよ」
「えっそうなの」
「服は少し緩くなった気がしますけど、ここ来る数日前に体重量ったら、旅立つ前より4kg増えてました。肉ばっか食うようになったからかな」
一見、以前より細身になった気がするが、より一層バランス感覚が整っているようにも見える。彼の身体は旅に適応して一段上の進化を遂げているのかもしれない。
でも、時折きろんと光る瞳で屈託無く笑う様は、以前とちっとも変わらない。
「旭さんは?身体のコンディション」
「うーん・・・どう、かな」
「ちゃんと食べてます?肉食わねーと馬力でねぇっすよ」
「う、まぁ、一人暮らしだし・・・それなりには、な」
「もぉ」
ぺろりと敷かれたせんべい布団の横で、西谷が座る。
「横になって、ほら」
ぐっと腕を引かれ、慌てて膝をついた拍子にコロリと転がされる。
「ちょっと失礼」
ささやくような声に、するりと首筋へ指が這う感触。
・・・あれ?これって。
どぐん、ばっくんばっくん。
や、やばい、急すぎる、まさか。
いや、そんな、待っ・・・
「んぉあああぁ・・・!!」
ぎゅううう~、と押された箇所から電気が走った。
「うーわガッチガチ」
「ちょ、にしっ、んほあぁっ・・・」
東峰のあちこちに、屈強な指がぐいぐい入る。
「うぐぅ、んぁっ、はぁ、やば、んぉっ・・・」
「なんて声出してるんすか・・・」
「ひぃ、んっ、ごめぇ~」
気持ちいい。気持ちよすぎてもう変な声しか出ない。
「おま、ぇ、あ、どこでそんな」
「タイでちょっとだけ古式マッサージかじったんす」
「いや、おまえすごいわ・・・ぁ、ソコ、効くぅ~~・・・」
「痛くないっすか」
「いや、ぜんっぜん・・・ほんと上手いよ西谷・・・」
「やーべ、全身石みたいっすよ」
首から肩、肩甲骨の間。正中線、筋肉の割れ目。
ふくらはぎから太もも、臀部筋。足指の間と土踏まず。
全身のツボを的確に指圧され、圧された端から魔法のように心地よさが広がって。
頭の芯から溶けていく。本当に気持ちよくて・・・
「・・・旭さん?」
不意に静かになった先輩に気がついて、西谷が名前を呼ぶ。
うつ伏せの息づかいが穏やかになっている。
「はは。まじすか」
マッサージの途中で、すっかり寝入ってしまったらしい。見よう見まねの技術ながら、心底から身体を預けてくれた証と思っていいのだろうか。
薄い掛け布団を広い背中にそっとかぶせ、その安らかな顔を覗きつつ自身の身体もごろんと横たえる。
「・・・ちょっと安心しすぎっすよ、旭さん」
へにゃりと下がった太眉。存外長く、色素の薄い睫毛。
頬にかかる髪は柔らかくウェーブして、陽光に透けて見える。
溶けかかった後ろの団子のゴムをそっと外してやると、目頭がぴくっと反応して思わず苦笑する。
大きくて長い手足に、がっしりした骨格。彫りの深い顔立ちも、以前のまま。
「・・・綺麗な顔してるよなぁ・・・、旭さん」
頬の髪をそっとよけてやると、クリームのようにまろやかな肌がほんのり色づいている。マッサージで血行も良くなったのだろうか。
「・・・肌も綺麗なんだな」
ほぼ無意識に、きめ細かい頬に指を滑らせる。
柔らかい弾力と、ほのかに伝わる温かさ。
ひくん、と微動く薄い唇。
「…ははっ」
何か振り払うような仕草で2,3度首を振り、ぐっと身体を起こした。
***
「あさひさーん」
「んぁっ」
声に反応してがばり、と跳ね起きた。
「え、あ、・・・あれっ」
「おはようございます。めーちゃくちゃ熟睡しましたね」
「え、ぅあ・・・うそっ、わー!!」
若干混濁した意識が、西谷の言葉で完全に覚醒する。
「ごめん!俺どんだけ寝てた?」
「きっかり2時間っすね。つか俺も少し寝ちゃいましたし」
慌てた様子でスマホやかけ布団に手を伸ばす東峰に、ニヤリと笑みが浮かぶ。
「もう少し寝てますか」
「いや、いやいや!」
とんでもない、人様の家で(というか店で)こんなに寝入ってしまうとは。
「もう大丈夫、待たせてすまなかったな」
「俺はぜーんぜん。はい髪ゴム」
「あ。・・・ありがと」
いつのまにとれたのか。西谷から受け取った手で団子を結び直すと、頭がかなりすっきりしているのを実感する。仮眠のおかげもあるだろうが、確実に西谷のマッサージが急速な全身回復を促したのは間違いない。
「もう行こう。お店にも迷惑だろう」
「あ、さっき様子見に来ましたよ。好きなだけいればいいって言われましたし、勘定も済ませてるんで」
「・・・なんかもう本当にごめんなさい・・・」
「もぉぉ」
相変わらずだな、と言いたげに、西谷は改めて破顔した。
先ほど東の空に傾げていた太陽は、すでに天の真ん中へ移動していた。