大人にしあず(8)「凄かったなぁ・・・」
「なんかもう怖かった・・・」
想像以上に豪華絢爛を極めたランチタイムを終え、2人は再びデッキに戻る。辺りはもうすっかり薄暗くなっていた。
「なんていうの、お金の使い方?糸目を付けないってああいう感じなのかな」
「食べきることはあんま考えてないっつうか、ついでに俺らみたいのに振る舞ったりするのも一興って感じっすね。まぁそれにしてもあの2人は凄かったな」
「富裕層ならでは、ってやつかぁ」
次々運ばれてくる料理を端からどうぞ良ければと勧められたが、2人は結局自分達の注文した料理以外は手を付けず、ワインを1杯ずつお相伴にあずかる形でお開きとさせてもらった。
「・・・ふふっ」
「旭さん?」
「西谷、変わったな。あんな饒舌に女の人と喋れるなんて」
「へ」
「だって高校生の頃なんて、清水とまともに喋るのも大変だったじゃないか」
おかしくてたまらないと言いたげな東峰の言葉に、ぐっと詰まる西谷の目の脇が紅く染まった。
「からかわねーでくださいよ」
「ごめんごめん。あんな格式高そうなお姉さんとすげー自然に喋ってたから、なんか新鮮で」
「・・・そりゃまぁ、いろいろ行っていろいろありましたから・・・」
「・・・そっか」
いろいろ、ね。
気にならないわけがなかったが、突っ込んで聞くのも無粋な気がして押し黙る。
水平線にぽってり浮かぶ、茜色の太陽。いよいよ冷たくなってきた海風に、人の気配も遠い。
「寒いな。もう船内に戻る?」
「そうっすね~あ、でもその前に・・・ちょっとすみません」
船体へ身を翻し、戻ってきた西谷の両手には、湯気を称えた紙コップ。
「どうぞ」
こっくりと深いダージリンの香りが、鼻腔をくすぐった。
「買ったの?」
「サービスですよ。今時分から配布してるんす」
「・・・俺、ひょっとして気を遣わせてる?」
「まさか。俺も飲みたくなったんすよ」
「・・・ありがと」
カツーン、カツーン・・・
こだまする音、大きなクレーン。オレンジの光。
唇と紙コップからたなびく、細く白い空気。
どっどっど、どっどっど。
心臓の音が痛い。
ぐ、とコップの中身を一口含む。熱い塊が喉を滑る。
言わなきゃ。
ちゃんときっかけを作って、西谷にちゃんと言わなくちゃ。
いい大人なのだから、もう宙ぶらりんは終わりにして、西谷に会いに行くと決めたときからずっと心に誓っている言葉を、どうしても言わなくては。
「いいっすね。やっぱ」
「・・・西谷?」
「楽しい。旭さんと一緒にいると、すげえ楽しい」
ぴゅん、と冷たい空気が頬をかすめる。茜色に染まった頬、ほんのり紅い鼻っ柱。
アーモンド型の目が、きゅぅと細まって弧を描く。
「あっちこっち行きましたけど、俺はやっぱり旭さんとこうして一緒にいると、気が安まる」
くるりとこちらを見る目に、呆けた顔をした自分が見える。
「会いに来てくれて、本当に嬉しかったです。ありがとうございます」
目を細めてにかりと笑う、西谷の顔。
出会った頃からちっとも変わらない、屈託のない笑い方。
「・・・そっか、・・・そう思ってくれるなら、俺も嬉しい」
「本当ですか」
「本当・・・だよっ。そりゃおまえをびっくりさせたかったってのもあるけど、正直言って何で来たんだって顔されたらどうしようって思わなくもなかったし・・・」
「俺が旭さんにそんな顔するわけがないじゃないですか~」
「ははは」
あれ?
「今日はこのくらいにしようか。明日また仕切り直そう」
「賛成っす。・・・旭さん、今夜は」
「すぐ近くのビジホにするよ。問い合わせしたら、空き部屋多すぎて何泊でもどうぞって言われたけど」
「すげーっすね!俺も今日はソコ泊まろうかな」
なんか、これは。
「・・・え?大部屋で寝るんじゃないのか」
「いやもう流石に、日本にいられる間はまともなベッドで寝たいっす」
ひょっとして、ひょっとしてだけどこれ、
「どこのホテルっすか?電話します」
「いや、ついでだから俺から聞いてみるよ」
「どうせですし、一緒の部屋にしましょうよ。俺まだ、旭さんと全然喋り足りねー」
もう、付き合ってるのと一緒じゃないのか?
「えぇ~やだよ・・・おまえいびきうるさそうだし・・・」
「なんでですか!それほどでもなかったでしょ、合宿の時とか」
「昔の話じゃん~」
・・・考えてみれば、さっきから全部そうだ。
再会の瞬間も、一緒に食べた朝飯の写真を撮らない理由も、ストールを貸したときの表情も、何より日本へ帰ってくると連絡してくれた時も。
全部全部、『旭さんだけの特別』・・・だよな?
別に、このままでいいんじゃないのか?
甘い幻聴が頭に響く。
ぐちゃぐちゃと理屈を付けて確認だの告白だの、わざわざ言うのは野暮だろう。
西谷は昔と変わらず、自分を慕ってくれているじゃないか。
今更何も言わなくたって、何でも通じ合える仲に変わりないことがわかっただろう?
気負っていた思いが、どんどん軽くなっていく。
喉のつかえが取れて、息がしやすいとさえ思えてきた。
このままが楽しい。
このままで、楽しい。
十分じゃないか、今こうして西谷とすごせるのなら。
なぁんだ。
何かしなきゃって、別に頑張る必要もなかったな。
「アレェ、ユウじゃん!」
不意打ちの声に、二人してビクンと身体が跳ねる。
「下船してしばらく帰らないじゃなかったのォ」
「・・・びっくりしたぁ~っんだよお前らか!」
振り返ると、3,4人男女の集団が破顔した様子でこちらに手を振っている。
サイケデリックな色のラフな服をめいめいに纏い、遠くからでもかなり目立つ様相だ。
「びっくりさせんなよ」
言うと同時に、西谷が遠慮無くつかつかと彼らに歩み寄った。途端、先頭にいた長身の女性が小さな頭をぐわしぐわしとかき回し、そのまま羽交い締めにし始めた。
「ッてぇ~~やめろってララ、ははっ」
「言ったじゃーん、上のプールデッキでオールナイトパーティがあるって。この船、そろそろ沖に出るからさァ」
「あー、そうだっけか」
「ユウも行こ。絶対楽しいって」
「ぜってーやだし。どうせ外人から変なグミ回ってくるだろ」
「ないない、もうここ日本だし」
「そーそ、うちらアルコールさえあればソーグッドなんだから」
「シャンディガフならなお良いね」
早口でまくし立てる中、すっかり彼らと同じグループになって打ち解けた様子の西谷を尻目に、東峰は呆け顔で立ち尽くすばかり。
「ところでユウ、この辺で良い店ない?ターミナルの飯もまぁイケたけど、正直ありきたりでさ」
「今朝少し歩いたとこで食った定食、アジが旨かったぜ。安かったし」
「へぇ、いいじゃん!」
「地物って感じ?定食屋ならビールも飲めるよな」
「さっすがユウ、鼻が利く~」
「っへへ。・・・っと」
ここでやっと西谷が、東峰に向き直る。
「すんません、船で知り合ったんですよ。日本人で、話も合うから」
「あ、ああそうなんだ」
話のあまりの弾みように、すっかり気後れしてしまった東峰の気を知ってか知らずか、西谷は東峰の腕を取ってグループへ導く。
「みんな、この人」
きらきらと目を輝かせる西谷に、しばしの静寂。
「・・・」
あぁ~・・・、とでも言いたげな空気、一瞬の間。
4人そろって、こちらに指を差す。
「「「旭さん」」」
そろった声に、自然と頭が下がる(ついでに眉も)。
「あ、はい、そうです・・・」
「やっぱり~~!」
もそもそと返事した途端、一同きゃー!と色めき立った。
「良い体してんなぁ、さすが元エース」
「いややばっ、超イケメンじゃん」
「てかめちゃおしゃれ-!!そのジャケット結構良いヤツでしょ!」
「なによちょっと、ユウの話とだいぶちがくない?」
「そんなことねーだろ!」
かしましく騒ぎ立てる一行に、東峰はなすすべ無くもみくちゃにされる。
「ちょっと、まだみんな挨拶してないでしょ」
凜とした声が通り、目の前に片手がスッと差し出された。
「・・・あ、え、と」
「初めまして。東峰旭、さん?」
ぱっと顔を上げた先に見えたのは、スキニージーンズにごついスニーカーと、ワッペンだらけのキャップに真っ赤なスカジャン。先程西谷を羽交い締めした人物だ。
「あ、はい、え、と・・・」
「何で口ごもるのよ。自分の名前でしょ」
「う、すみません」
ぺこりと頭を下げたと同時に、ぐいと手を取られ握手を交わす。きめ細やかな肌と、イエローブラウンの瞳。艶っぽい光沢を纏った黒髪が、細面の横でさらりと揺れた。
「よろしくね、ララよ」
「よ、ろしく・・・です」
「ふふふ」
きゅ、と上がる口角。深くかぶったキャップの隙間から一直線にこちらを見る目が猛禽類のようで、たまらず視線をそらす。
「あ、えっと」
「あはは。確かに、ユウの言った通りだわ」
「・・・え?」
「おいっ!」
声を上げる西谷が、二人の間に割って入った。
「やめろよ、もういいだろ」
「なァによ、もっと喋らせてよ」
「だめだって!旭さん怖がってんだろ」
「ちっす、マサトでーす。ね、ね、ユウとずっとメールしてるって、マジ?」
「あたしメグ。高校の頃からの付き合いなんでしょ?ユウさん、その頃どんなだった?」
「あーもー!いいから!」
怒ったような真っ赤な顔で、西谷は一行をぐいぐい向こうへ押しやる。
「・・・すんません、ちょっと待っててもらって良いすか」
「ああ、うん、構わないよ」
「すぐ戻りますからっ」
そのまま西谷は、反対側のデッキの方向へ一行を連れて行ってしまった。
後に残るは、鋭く吹き付ける冷たい風と、東峰一人。
「・・・トイレにでも行こっかな・・・」
手すりにおいてあった紅茶は、もうすっかり冷め切っていた。