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    越後(echigo)

    腐女子。20↑。銀魂の山崎が推し。CPはbnym。見るのは雑食。
    こことpixivに作品を置いてます。更新頻度と量はポイピク>pixiv

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    越後(echigo)

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    或監察シリーズ。あるめんどうごとのすけっと。山崎が万事屋から定春の散歩を押し付けられる話

    ##小説
    ##或監察

    或面倒事の助人 過ごしやすい気温が徐々に上向きになりつつある。行楽地は花の盛りをむかえているだろう。
     お江戸の街中でも陽気に浮かれ、調子にのるものが出やすくなる季節だ。警察としては気を引き締めてことにあたらねばならぬ時期でもあった。
     そんな中、真選組監察山崎退の手の内には紐がある。
     捕物用の綱ではない。荷造り用ロープでもない。リード、いわゆる犬猫用の散歩紐である。
     散歩紐の先には、当然ながら犬がいる。
     ふわふわの白い毛皮のそれは、ピンと立った三角耳に凛々しい眉毛。黒く丸い瞳は賢そうな光をたたえている。何より特徴的なのが、山崎をゆうに越えたその体格。子供どころか大人だってゆうゆうと背に乗せて駆けることができるだろう。
     その犬の名は、定春。かぶき町のなんでも屋、万事屋のマスコットにして巨大犬であった。
     何故万年金欠の万事屋が、こんな大物せいぶつを飼っているのか。山崎はいわれこそ知らないものの、その巨大さと危険性はそこそこ知っていた。というよりも、なんだかんだ揉め事を起こす万事屋の一員として、真選組の中で彼も有名人、もとい有名犬である。
     その傍に何故山崎がという理由わけは、十分程前に遡る。

     午前中のかぶき町、子どもたちの集会所たる公園にて、朱色の髪をした中華服の少女と銀色の髪をしたジャージと着流しを組み合わせた男性――万事屋の神楽、坂田銀時、そして傍らの定春は、目立っていた。なぜなら、人目もはばからぬ大声で言い争っていたからである。このとき、定春の散歩紐は神楽の手にあった。
    「だから散歩が終わってから行くって言ってるアル!」
    「そんな暇はねえっつーの! お前の馬鹿力目当てで依頼が入ったんだから!」
    「定春、マーキングもウンコもまだヨ。引き返すなんてあんまりアル! 出すモン出してからじゃないと、定春が可哀想ヨ!」
    「ンなもん少しくらい腹にためたって死にませーん!! このままじゃ消費期限切れ豆パンすら買えねえ俺たちが出るもの出なくなんの!!」
     銀時の剣幕に、ううっと神楽が唸る。
    「……定春ゥ」
    「わん」
     純粋無垢を映したかのようなつぶらな犬の瞳に、少女が潤んだ目を向けた。
    「これも、銀ちゃんが、銀ちゃんが甲斐性ナシなせいネ! ごめんアルゥ~!」
    「くうーん……」
    「おィィィィィ!! それ依頼持ってきた偉大な社長にとる態度!? 我が家のエンゲル係数ぶち上げてんのおめーらだからね!?」
     大人の怒声に泣きすがる飼い主の少女の頬を、忠犬がぺろりと舐める風景。見ようによっては感動のワンシーンが繰り広げられているときだった。彼らの背中側から呑気な声がかかる。
    「あれ、旦那にチャイナさんじゃないですかぁ。定春くんのお散歩ですか?」
     二人と一匹は小芝居の空気を止め、はたと振り返った。地味な男がへらへらと手を振っている。ニヤリ、と効果音付きで二人は笑った。

     して、さほど間もおかずに、片手に定春のつながれたリード、片手に愛犬散歩セットを手にした山崎が完成したのだった。
    「いやー、ジミーくん助かったよ。やっぱりおまわりさんは庶民の味方だわ」
    「定春、ちゃんとジミーの面倒みるんだヨ」
    「わん」
    「いや俺かよ」
     低音のツッコミもといぼやきを背中に、軽やかに二人は山崎の目の前から去りゆく。尾を振り、健気に主人たちを見送る白い獣を置いて。
     言い訳をするならば、紐を持たされた山崎は抵抗はした。しっかりと断り、つき返そうとした。しかし二人の口をはさむ暇もない機関銃のごとき押しに、無理は通され道理は引っ込む。そして、力づくでは到底かなうはずがない相手二人、早々に折れるほうが良いと嫌がる心よりも頭脳が先に諦める。その好機を目ざとい銀時が見逃すわけもなく、さっさと山崎は名実ともに定春の臨時散歩係に任命されてしまった。

     ここまでが事の起こりにして、顛末が今の状況である。
     そして、しぶしぶ散歩を始めたところで、早くも山崎退は嫌気に包まれていた。
     天人がやってきてからというものの、地球の生態系には確実に変化している。宇宙産のペットを連れ歩く天人や金持ちという存在もいるにはいるが、まだまだ珍しい。
     つまり、山崎退は目立っていた。
     通りがかる人々は「わっ」や「ひっ」と悲鳴を上げてから、目をそらし足早に立ち去る。本当にチャイナさんはいつもの散歩コースを教えてくれたんだろうか。指差す子供とシッ見ちゃダメ!と叱咤する母親を通り過ぎてから、山崎は空の向こうを眺めて思う。職務上、かなり心にきた。
     まあ怖いよね。俺だって怖い。いや俺が一番怖い。手早く終わらせて、旦那たちとさっさと合流できますように。山崎は二人組にはきっと届いてないだろう祈りを捧げながら、注意深く犬を見守っていた。未だ素振りはないが、定春の落とし物はそこらの少年の夢よりも大きいことだろう。
     この道行き、唯一の救いが定春がおとなしいことである。これで好き勝手に彼が動けば、体格の差から山崎はリードされるどころか紐の先のストラップになるところだ。
     念のため万事屋二人が食い詰めていた様子から、食べ物の匂いがする場所は避けて進みたいものだ。そんなことを考えていたら、いつのまにか定春が山崎に向き直りふんふんと臭いをかいでいた。
    「さ、定春くん?」
     呼びかけをスルーして、巨大犬は山崎に鼻をずいと近づける。山崎の頬がひきつった。
    「いや俺はあんパンじゃないからね? 万が一あんパンの匂いがしてもあんパンの匂い付き消しゴムみたいなもので食べられませんからね!?」
    「わん」
     山崎はその場で注意書きを作りながら読み上げ、二歩分距離をとった。返事とばかり鳴いた定春の目はただ黒々と、つぶらに丸い。読めない。
     人間相手ならば山崎には経験も勘もあるが、相手は獣。それも得体の知れない巨大犬で、ふるまいからはこちらの言葉を理解しているのではないかという節もある。山崎の顔に冷や汗を流れ、頬はひきつったままで痺れ始めていた。早くこの時間を終わらせないと。足を早めて先導する。犬は黙って続いた。
     ともかく、敵ではないという態度を示し続けるしか無い。彼の巨大な前足が山崎の目に入る。爪が光ったような気がして、ごくりとつばを飲んだ。もし怒らせるようなことがあれば、自分などものの数分でボロ布にされるだろう。
     幸いなことに、今はまだ定春は山崎の指示をよく聞いている。マーキング場所にはこだわりがあるらしく譲らないため、食べ物屋もある商店街を突っ切る羽目になってしまったが、彼は料理の匂いには目もくれず歩いてくれている。
     これはチンピラ警察の新入りよりも制御が容易いかもしれない。普段、相手をしている副長等の面々と比べるならウルトラベリーイージーもいいところだ。このサイズでさえなければ、芸でも仕込んで名犬として名を上げることもできたんじゃないか。犬とひとりで歩道を占拠した申し訳無さから身体を縮こませつつ、山崎は現実逃避をした。
     歩幅上、仕方ないが巨大犬はいつのまにか山崎を追い越していた。斜め前でふわふわの尾がゆうゆうとなびいている。
     時刻は昼に差し掛かっていた。ふと、食堂前を掃く婦人が犬に声を掛けてきた。
    「あら、定春くん。ひとりでお散歩?」
    「わおん」
    「あの……」
     いますけど。紐の先に人間一匹。嬉しそうにへっへっへと息をする犬の後方から、山崎が顔を出すと、女性は口に手を当ててほほほと笑った。
    「いやだわぁ、私ったら。あの……どちら様?」
    「あはは、万事屋の旦那に頼まれまして……。知り合いと言いますか」
     さすがに善良で無関係な市民に、この姿を同僚に見つかったら切腹の間柄です、とまでは言えない。まあ、と女性は曖昧に頷いた。
    「少し待っててもらえるかしら」
     はい、と山崎が言う前に女性は玄関にひっこんだ。軽い足音が去ってからまた戻ってくる。
    「これ、定春くんにどうぞ。切れ端で悪いけど、万事屋さんにはお世話になってるから」
     女性は両の手に大きなダンボール箱を抱えている。中は山盛りの野菜の切れ端で、ところどころに肉の欠片がつめてあった。山崎は、はあ、と間抜けな声と顔で箱を見つめる。すると、何やら良くない気配が濃くなった。顔を向けると傍らから、定春がじいっと山崎を見つめている。
    「あ、えーと、すいません、ありがとうございます。定春くん、良かったね」
     山崎は女性の反応も見ながら慌ててお辞儀をし、心なしかジト目になっている巨大犬にはこくりと頷いて見せた。定春は、わん、と鳴いてから顔を箱につっこみ、食材をむさぼり食らった。野菜くずたちは瞬きの間に、それこそ欠片も残らない。おん、と鳴いたのはごちそうさまの代わりだろうか。そうと受け止めたらしい女性は、満足げに頷いている。
    「相変わらず良い食べっぷりだねえ。定春くん、銀さんたちによろしくね」
     女性が定春に向けて微笑むと、大きなしっぽが左右に揺れて答えた。いつものやりとりといった空気に置いていかれた山崎は、はは、と苦笑する。空き面積としてもやり場のない身体をどうにかするために、散歩紐を手に再び脚を動かした。
     その後も、何かと「定春くん」「万事屋さん」と声を掛けられた。考えるまでもなく当たり前である。ここは彼らの散歩コースなのだ。何故か、まるで定春一匹が散歩しているかのように自身の存在がスルーされるのは少々堪えたが、巨大な犬の影にいるのであれば仕方ない。と、山崎は自分に言い聞かせた。決して地味だからではない。決して。
     歩道の向かい側から歩いてきた二人の子供のうち、一人が指を向けてくる。無礼な仕草だが、この散歩を始めてから何度も見た光景だった。しかし、今回は少しばかり様子が違っていた。
    「あれ、神楽の犬じゃん」
    「本当だ」
     子供二人は小走りで寄ると、定春に顔を寄せてくる。どうやら、神楽かいぬしと知り合いらしい。
    「こんにちは」
     山崎がにこやかに声をかけると、ふとましい子供が唇を尖らせた。
    「だれ、おっさん」
     誰がおっさんだクソガキ。とは、立派な大人で警察官である山崎は口にしない。やや散歩紐を握る手に、偶然力が入っただけである。だから、にこやかな顔はそのままに挨拶を続けられるのだ。大人だから。
    「ははは。おさんは万事屋さんに散歩を頼まれちゃったんだー」
    「ふーん、おっさんが?」
     子供二人は胡散臭そうに睨んでくる。山崎の頬はひきつったが、このガキどもという言葉は強い意志で引っ込めた。そう、俺はおっさんではなくお巡りさんだから。
    「よっちゃん、神楽いねーんなら放っておこうよ。公園行こうぜ」
    「そうだなー。じゃーな、おっさん」
    「……誰がおっさんだ」
     離れる二人の背中を見送りながらぼそっと山崎は怒りを吐き出した。定春が白けた目を向けている気がするが、気のせいだろう。犬だし。
     その後も散歩はつつがなく進んだ。山崎のやや手前を歩く定春は、懸念されていたような急に走り出したり止まったりの山崎ストラップ化現象は引き起こさなかった。山崎は胸をそっとなでおろす。あとは万事屋がちゃんと公園で引き取ってくれることを祈るばかりだ。もし居なかった場合、この程度の労力でいいのなら万事屋まで足を運んでも良かったのだが、この姿を真選組の面々に――特に副長や沖田隊長――見つかったら自分は切腹だ。
     山崎はうんうんと頭を捻りながら、定春はご機嫌にしっぽを揺らしながら、
    「あれぇ、定春くんにえーと……」
     道路脇の犬小屋に住まうホームレスを素通りした。
    「ちょっとォォォォォ!? あれっ! 俺の出番ここだけェェ!?」

     ◇◇◇

     知らぬ間に一人と一匹の道行きは、目的地まであと少しとなっていた。こうなるとあっという間だったなと思いながら、山崎は定春に声をかける。
    「定春くん、最後までよろしくね」
    「わん」
     尾をふりふり、白い犬が先導する。
     真選組から見て、万事屋の面々は新八を除いて破天荒――いや、新八もたまにハジケているが――と思っていたが、犬も割りとまともであったらしい。山崎は脳内で監察の観察メモを更新した。
     最初に無理やり紐を握らされたときはどうなることかと思ったし、なにより恐怖が大きかった。しかし道行きの中で、なんだかんだ馴染んできたような気がする。自覚すればほんのりと、胸に灯る嬉しさがあった。たまにはこんな休日もアリか。最初の不安や恐怖はすっかり塗り替えられた山崎は、のんきに鼻歌を奏でながら周囲に目を配る。
     ――影が、よぎった。
     覚えのある顔が道路を挟んだ向こう側にあった。目に止まり焼き付いたそれの正体に、山崎が思い当たるまでは、刹那だ。
    「定春くん」
     ゆえに、低まった声で名を呼ぶと散歩紐を引き、路地裏に入る。彼は音を立てず、しかし手早く散歩紐をパイプにくくりつける。その間、大きな犬はおとなしくされるがままだった。
    「ごめん。ここで待ってて」
     急に緊張をはらんだ監察の声に、つぶらで大きな目はただただ黒を返した。山崎は去来した心苦しさを振り切るかのように、下手な笑みを浮かべる。
    「すぐ、戻るよ」
     そして立ち上がり、駆け出した。行く先は向かいの路地だ。入り込んだ先に、三階建ての廃ビルがあった。窓は割れ、非常階段は途中でちぎれている。玄関は片方が開きっぱなしだった。路地の先をつうっと見通してから、確かにここにいる、と山崎は監察の経験と勘で確信する。
     あれは――街中のためか髪型と格好を変えていたが――手配中の攘夷浪士に違いなかった。自分が非番中であり、周りに警ら中の同僚は見当たらなかったのは痛い。携帯で信頼できるものに呼び出しをかけ、サイレントのままビル脇に隠した。
     ここで間違いがないか。裏口や脱出口などが存在しないか。見つけたときは帯刀していなかったが、このビルが武器庫になっている可能性だってある。
     山崎は思考すると足音を消し、気配をできるだけ薄くして探り始めた。
     万が一のときは、逃げ切ることを第一にする。監察の基本を確かめながら、彼は呼吸を沈めてビルとビルの間に入る。向かいのビルの壁に塞がれたじめじめした道側にも窓があるのは、江戸の無茶な開発の影響だろう。割れ窓にじりじりと近づいて覗き込むと、やはりと言っていいのか。壁や天井や床が使われなくなってだいぶ経っているようなのに、どこか違和感がある。
     窓の鍵は、壊れて機能していなかった。がたつきをなるべくおさえて開けると、山崎はぬるりと廃ビルに入り込んだ。床に足をつければわずかに埃がたつ。人間の気配は近くにない。
     監察は音を立てずに部屋を横断すると、廊下につながるドアを細く開けた。予想通り、新しめの靴跡がある。喉を刺すような塵舞う中、彼は深く息を吸って吐き出した。大当たりだ。あとは手勢が何人か分かれば、武器があるかどうか、いや、ここに入ったであろう攘夷浪士の潜伏場所をつきとめておければ。
     山崎はふと道路側のほうに集中する。援軍はまだ来ないらしい。
     少しの逡巡の後に、彼は進んだ。靴跡をたどった先の階段を登る。
     非常口でなくて助かった。ここからさらなる追跡となればさすがに難易度があがる。それに、彼を待たせている。白い毛皮と黒い瞳が山崎の頭に浮かんだ。
     散歩のはずだったのに、申し訳ないことをしちゃったな。あとで何か食べ物でも買ってあげないと。あの巨大犬の胃袋を満たす量は無理だろうが、おやつくらいは公務員マネーでなんとかできるかもしれない。
     二階に音無く滑り込むようにして着いた山崎は廊下を慎重に歩く。ふと、耳が音を拾う。ドアが大きく開いた部屋から何か漏れ聞こえていた。それが程なく人の声と分かって、山崎は息をひそめた。男が誰かと連絡を取っているようだ。調子からして対話ではなく通信のようだが、詳細は分からない。音に全神経を集中させたときだった。
     予感に、身体が反射で飛び退いた。顔を歪めた男が抜刀し、構えを取っていた。まだやや離れた位置にいる。山崎を発見して、こっそり斬りかかろうとしたのだろう。
    「おい! 誰か居るのか!」
    「ネズミだ! 来い!」
     飛び退く際にたててしまった音で、部屋内の男も気づいたようだ。山崎は抜刀した男の的確な判断に歯噛みしつつ、自分が下手を打ったことを実感する。ドアから先程まで通信をしていただろう攘夷浪士が飛び出す。
    「お前、どこのものだ!」
     ひきつった吠え声の問いにはもちろん答えないまま、山崎は両方から挟まれる形となった。一人は抜刀し、もう一人は武器を携帯しているようには見えないが、何せこちらは丸腰だ。同時に襲われればしのぎきれない。瞬きの間に並行して、彼は五感をフルに研ぎ澄まし、逃げるための可能性と計算をたてては破棄していく。
     サイレンの音は聞こえない。仲間にはまだ連絡コールが届いていないのだろうか。むしろ郎党がさらにいる可能性のほうが高い。刀を持った男が一人だけで登り、誰かを下に待たせているかもしれない。
     少し奥まっているものの大通りはすぐ側にある。一瞬の隙をついて、窓の外に異変を伝えることができれば現状を打破できるか? いや、居るのは一般市民だ。パニックを起こしてその間に逃げられたり、さらに重篤な事態を引き起こしてしまうかもしれない。 
     相手はこちらを理解していないが、こちらも相手の力量がはかれていないぶん、身体能力で隙を作るにしても二度はない。確実に逃げられる条件がそろってから、仕掛けなければならない。
     昼下がりの街の喧騒が、山崎の耳に届く。じわ、と汗が額ににじんだときに、その音だけがやけにしっかり耳に入った。
     ――わん。
     山崎は身体を沈めて部屋から出た男に突進する。驚いた顔に、バネをきかせた蹴りを見舞った。仲間が沈み、刀を持った男が一瞬注視したが、すぐさま山崎に斬りかかる。しかし、山崎はすでに窓から身をのりだしていた・・・・・・・・・・・・
    「いってえ……あ、ありがとう」
    「わん」
     山崎は飛び降りた後にクッション代わりになってくれた、巨大な白い背にしがみついている。礼の言葉に、定春がシンプルに返した。そこに、ビル影から人が飛び出す。やはり仲間を控えさせていたようだ。
    「おまえ……うわなんだコイツ!」
     ビルとビルの隙間に潜んでいたらしい男は、定春を認めると怯んだ。
    「な、ば、化け物ォ!?」
    「グルルルル……」
    「ちょ、定春くん、いいから!」
     攘夷浪士は驚きながらも、刀を正眼に構えてくる。白い獣は唸り声をあげ、前足をずんと踏み出した。山崎が慌てて定春のほうを制止する。定春は守るべき民間人であり、怪我などさせられない。しかし、歯をむき出しにした定春は相手を敵と認めたらしい。刀を向けた男が先に躍りかかろうとしたときだった。
    「ウチの定春に何向けてんだテメエエエエエエエエ!!」
     赤いものがすべての三倍くらいの速さで突っ込んできた。ホワチャア! の掛け声とともに刀ごと男がビル壁にめりこむ。
    「えっ」
     呆然とする山崎の前で、フゥーッと毛を逆立てているのは定春の飼い主、神楽だ。
    「ゴルァ! ジミー、テメー散歩サボってんじゃねーヨ!! 降りろオラァ!!」
    「ヒッすいませんすいません待って待ってェェ!!」
     続いて赤い弐号機もかくやの暴走モードで、神楽の怒りは山崎へ矛先が向いた。
    「あ、あの、チャイナさん、なんでここに」
    「よっちゃんが散歩してた定春が一匹で繋がれてるって教えてくれたアル!! これだからチンピラ警察は信用ならないネ!!」
     どうやら神楽の知り合いが繋がれてる定春を見つけて心配し、教えてくれたらしい。
    「あ、ハイ。なるほど。ハイ……」
     ひとまず納得はできたが、定春の背中から降りれば命がないというのも理解した。山崎はしっかと毛皮を掴む。その持ち主から呆れた視線がよこされてる気がするが気のせいだろう。犬だし。
     そこでやっと、山崎は勢いに飲まれて何か大事なことを忘れてしまっているようなと思い出す。確か自分がなぜ巨大犬の背中に乗っているかという理由なのだが――まで考えたところで、聞き慣れた、だが決して歓迎できない声がした。
    「そーそー、定春がーって神楽が仕事ほっぽりだして行きやがってよー。こりゃ報酬パーだわ」
     その人物はニタニタと笑みを浮かべていた。手に持った木刀で気絶させたらしい男を山崎に向けて放る。白目をむいたそいつは、廃ビルの二階から山崎を追ってきたのだろう。そして出会ってしまったらしい。
    「ジミーくぅん、これは高くついちゃうよ?」
    「は、はは……お手柔らかにお願いします」
     万事屋社長にして定春の飼い主、坂田銀時の笑顔を前に、山崎の顔はこれまでになくひきつった。
     そうしてやっと、ファンファンと高らかに響くサイレンがこちらに向かってきている。この場では泣きっ面に蜂という事態がふさわしい。副長にどう言い訳しよう。山崎から、長く深い絶望のため息が漏れる。
     犬がおん、と慰めるように鳴いた。
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