何も分からない 職業柄、自分はあまり恐怖を感じない方だと思っていた。訓練次第でどうとでもなる感情だと侮っていたかもしれない。
「……ま、待て、クチナシ……何なんだ一体……」
十年ぶりに再会した元相棒は昔と変わらず、あまり感情の読み取れない表情でじっと私を見ていた。その手は絶えず動き回り、何故か私の尻を揉み続けている。
「……」
「ク、クチナシ? クチナシ!? 何でさっきから執拗に私の尻を触っているんだ!?」
「……」
クチナシは答えない。じっと睨め付けるように赤い目をこちらに向けている。手は動き続けている。
「頼むから何か言ってくれ……!」
「……乳でもいいぞ」
「は!?」
ようやく口を開いたと思ったら理解が追いつかない。何? なんて言った? 乳?
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待て、待て! 何で乳!?」
「……」
ぬるぅ……と蛇のような動きで尻を揉んでいた手が腰をなぞって這い上がり胸に当てられた。クチナシは何も言わない。探るように指を動かして胸を揉む……というよりは筋肉しかない胸の肉を五本の指で摘むようにまさぐった。
「理由を……! せめて理由を教えてくれ!」
「……」
無言だ。何なんだこれは。何か理由があっての行為なのか? 分からない。これは振り払っていいものなのか? 何も分からない。
(こっ……怖い……!)
理由が分からないというのはこんなにも恐ろしいのか。何とか引き剥がそうとクチナシの腕を掴んで止めようとするが、恐ろしい力で押し戻してくる。何がクチナシをここまでさせるのか本当に分からなかった。
「せ、せめて女性にした方が良くないか!? 触るにしたって男の体なんて楽しいもんじゃ……」
「はぁ? 女にこんな触り方してみろ、犯罪だろ。お前本当に警察か?」
「……!?」
女性にしたらまずいと分かっている行為なのか? じゃあなんで男にやっていいと思ったんだ!?
まずい、本当に分からない。クチナシは一体何を考えているんだ?
考えている間にもクチナシの手は絶えず動き続けている。理由を聞いても分からない。力ずくで止めようとしても止まらない。段々と、薄ぼんやりとしていたはずの恐怖が形を持って目の前に現れたような心地になってきた。
「く、くちなし……? その、こ……怖い、から、止めて欲しいんだが……」
「……」
ぺろ、とクチナシは舌先で自分の唇を湿した。表情は全く動いていないのに何故か笑っているように見えた。
「やだよ」
「……!」
これは悪ふざけなのか? それとも意味のある行為なのか? 止めていいのか? 駄目なのか? 頭の中が凍りついたように動かず、何も分からないままただ成す術なくそうされる他なかった。