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    tomatotmttomato

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    退治人レッド・バレットと吸血鬼■■■の3話目。書くの楽しくて着地点わからないけど読みたいものを書いています。※人の肉の話を少しだけします。※後半に出てくる鳥の話は某財団JPのアレです。フクマさんの"ねこです"が好きなので少し入れてみました。

    柘榴三粒引っ掻き回された扉が目の前にある。ドアノブを掴めば、心臓の芯まで凍えそうに冷たい。ギィギィと軋んだ音を聞きながら扉を開けた。どこかで電話が鳴っている。
    「兄ちゃんのせいだ。おれが死んじゃったのも、もう何も出来ないのも、何処にもいけないのも。兄ちゃんのせいだ。レッド・バレットは正義の味方なのに。おれより女の人のほうが大切だったの?家族のこと嫌いだったの?うそつき、うそつき!全部にいちゃんのせいだ!」
    幼い弟が赤い外套を羽織って呻いている。恨みを吐き続ける口からは血が流れ落ちて、ゴボゴボと酷い音を立てた。そうして真っ赤になったカーペットに携帯電話が落ちている。自宅の電話番号を写し続けた物体。拾い上げて通話に出ようとした途端に切れてしまう。
    「許してくれ」
    レッド・バレットは荒れ果てた部屋で立ち竦んだ。ランドセルをかけたままの椅子。宿題を広げたままの小さな折り畳み机。飲みかけのオレンジジュース。お皿に盛った弟が好きなおやつ。八月七日のまま捲られないカレンダー。全部が止まった部屋。一人だけ塗りつぶされた家族写真。いつも通りの悪夢。
    「どうして助けてくれないの」
    「俺のせいじゃ」
    「じゃあ、兄ちゃんの右腕ちょうだい」
    笑う弟の顔がブレて、ヒヨシの顔に変わる。分かっている。弟に責められる夢じゃない。これは自分自身を責め立てる夢だ。弟はレッド・バレットを罵る権利があると思っているからこそ見る夢。ひどい兄だ。
    「家族も守れない腕なんていらんじゃろ」
    グサリとナイフが刺さって血が流れた。痛みはない。遠くでサイレンが鳴っている。

    +++

    「はぁ、はぁ……夢……」
    ベッドから起き上がる。枕元で携帯のアラームが朝を告げていた。寝巻きのTシャツに汗が染み込んで気持ちが悪い。弟の夢を見る時は必ずこうだった。寝起きの頭が現実と夢の境を溶かしている感覚。本当に夢から覚めたのかと不安になりながら右腕に触れた。ちゃんと右腕は動く。痛むのは治りかけの左肩と以前より増えている生傷だ。
    時刻の確認する。まだ八時だった。何も無いのならもう少し寝るかと思ったが、二度寝で頭痛に見舞われるのは勘弁したい。素直に朝を享受することにした。
    「……若干眠い」
    ゴソゴソと服を着替えてドアの鍵を開ける。寝室代わりにしている事務所の一室はいつも鍵をかけていた。悪夢に魘される顔を見せるのは同居人である吸血鬼とその使い魔に悪い気がしたからだ。何としてでも入りたいのなら、いずれ砂にでもなって入ってくるだろう。
    「おーおー、まだ寝とるわ」
    ドラルクの棺桶を横目にヒヨシはキッチンへ向かう。昨晩に残した夕飯をレンジで温め直して、インスタント味噌汁にお湯を注いだ。もう一品くらい何か作ろうかと思ったが面倒になって中止した。休日の朝ならこれくらいで十分だろう。
    「今日も行ってやらんとな」
    包帯が巻かれた腕を見てヒヨシは呟く。暇ならば、怪我の原因を作った可愛い弟へ会いに行こうと思ったのだ。誰のことも覚えていない大きくて小さな弟。ヒヨシの柔い部分を刺し殺す刃物。
    「……はぁ」
    ヒヨシの愛する弟が吸血鬼として新横浜へ舞い戻ってきてから既に一ヶ月が経とうとしていた。騒動の夜から今日まで、吸血鬼がレッド・バレットの弟であると漏洩することは一度もなかった。お優しい吸対の誰かが口止めをしてくれたのだろう。数日に一度は吸対も経過観察に訪れていると聞いていた。
    VRCへ収容された弟は、強力な吸血鬼であることと過去の失踪事件の被害者であることから手厚い保護を受けている。ヒヨシも時間が取れる時は面会へ行き、部屋に入れてもらった。
    「唐揚げのお兄さん」
    相変わらず弟は目の前の人間が血の繋がった家族であったと分からない。他人行儀の「お兄さん」が精神を殴りつける。
    それから訪れる度に弟が人形遊びをねだるので付き合った。赤い衣装を着た人形が怪物を倒す人形劇。青いボタンが目の代わりに付けられている。裁縫好きな誰かがレッド・バレットを模して作ってくれたようだった。
    「楽しいか」
    「楽しい」
    「そりゃあ良かった」
    「ビームだって出せるし、なんだってできるんだ。正義の味方だから……悪い吸血鬼を、きゅうけつき……を……」
    ヒヨシが来ると弟はいつも楽しそうに笑ったが、必ず最後には吸血衝動を耐えられなくなりヒヨシへと噛み付いた。呻き声をあげて頭を掻きむしる。途端に理性的な弟は霧の向こうへ行ってしまう。赤く染まった目はヒヨシが今まで退治してきた吸血鬼と同じもので、咄嗟にいつもホルスターをかけている場所へ手を伸ばしかけた。反射で対応する退治人の脳みそが怨めしい。そうして首を庇おうとした左腕に噛みつかれたのは何度目か分からない。
    「落ち着け!」
    「おなかすいた」
    「駄目じゃ」
    初めての時よりも弱く噛むようにはなった。それでもなお痕を残す顎の力にヒヨシの表情が歪む。優しく弟の頭を撫でて弟の名前を繰り返し呟いた。そうやって、欠片ほどの理性に期待した。兄の声を聞いた弟の目が青く変わっていく。
    「あ、あ、おれ、そんな、違う、にいちゃん……ごめんなさい、ごめんなさい……」
    弟は完全に正気を失ってヒヨシを殺そうとする日もあれば、こうやって人を傷つけたことを理解して謝り続ける日もあった。失ったはずの記憶とリンクして兄に謝り続ける。罪悪感らしき何かに襲われると、弟はシーツを被って床に蹲った。そうなると会話など不可能になって、泣きながら謝罪の言葉を吐き続ける吸血鬼を残して部屋を出るしかない。
    数少ない安心材料は、弟の吸血対象になる『人間』は常にヒヨシであるということだった。所員へ噛みつこうとしたことはなく、異常な吸血衝動も見られない。しかし吸血鬼に対してはかなり攻撃的な反応を示す。
    兄であるヒヨシを襲うのは深層心理の奥底に眠る執着めいたものだと研究所では判断された。しかし、それが『妹』にも向くようであれば警戒しなければならないとも言われた。
    「いくつか吸血鬼用の安定剤を処方することになりました。少しでも衝動を緩和することが出来れば、安心できるかと思います」
    弟の凶行に胸を痛めるヒヨシに研究所の人間は優しかった。なんとか出来ないかと調べてくれている。VRCの所長は「いいか、ここは研究所であって託児所でも病院でもない」と言っているそうだが他の所員たちは弟へよくしてくれている。子供を持つ歳の人間が多いのも理由なのかもしれない。ヒヨシへの連絡も毎日と言って良いほどだ。
    『今日は所員と社会ルールの話をしました』
    『算数ドリルや漢字ドリルにも興味を示してくれました。焦らなければ出来るみたいで』
    『O型の血が一番好きだと話してくれました』
    『薬で落ち着いたのか、長い会話ができるようになりましたよ』
    レポート方式で送られてくる内容を読むたびに、弟の連絡帳を確認していた日々が美しく甦る。親代わりのヒヨシがいつも連絡帳を書いていた。ささやかなことから、教師に知っていて欲しいこと、次の授業までに必要な事や物。全てヒヨシが見ていた。そうして懐かしさと子供のままの弟へ抱く、形容できない感情は兄を苛んだ。
    もし吸血鬼として弟がさらに壊れてしまったら。もし人へ害をなすことに喜びを覚えてしまったら。永遠に近い寿命を得た弟の面倒を誰が見続けてやれるのか。口から溢しそうになった悪い感情を白米と共に胃へと押し込む。
    「きっと大丈夫じゃ」
    同居人も使い魔のアルマジロも、その言葉を聴くことはなかった。

    +++

    「ヒヨシさん、おはようございます」
    VRCの職員たちは慣れた手つきでヒヨシの受付を行う。ほぼ毎日とも言える頻度であれば顔も手順も覚えられるものだ。そもそも退治人なのだから有名人でもある。しかし私服に身を包んでいると、真っ赤な衣装を翻しているレッド・バレットとはまるで別人だった。
    「元気にしとるか」
    「うん」
    弟の部屋に通された時、ヒヨシは必ず同じことを聞く。元気にしてるか、寂しくないか、怖い目には遭ってないか。繰り返される質問に弟は「うん」と答えるばかりだった。
    「あのね、おれの名前を教えてもらった」
    「名前?」
    知らない話だ。所員のレポートにまだ書かれていないなら直近の話なのだろう。弟はゴソゴソと床に散らばった物の隙間をあさって紙を取り出す。小さな紙に書かれた文字はのたうって、お世辞にも綺麗とは言えない。
    「ロナルドって言うんだって」
    いくら乱れた字であってもヒヨシならば何度も見たことのあるもの。弟の名前がフルネームで書いてあった。漢字も混ぜて書きたいとせがんだ弟のために書いて、それを練習した時の文字。だいぶ乱れた字のせいでロナルドと読めないこともない。
    「カッコいい?」
    「……まるで退治人の名前みたいじゃ」
    「おれも悪い吸血鬼倒せるようになる?」
    「勿論じゃ、『ロナルド』」
    頭を撫でると嬉しそうにロナルドは笑った。それから一度、ヒヨシは部屋を出て職員たちに話を聞いた。弟の名前はロナルドなどではない。どうして記憶を混乱させるようなことを伝えたのかと。一人の人間が重い口を開いた。
    「これ以上、彼の記憶は戻せません」
    「……なぜ」
    「ヒヨシさんが呼んだ時、彼は間違いなく反応を示しています。彼の奥深くには△△△君だった記憶が残っている。混乱した頭で貴方を兄と呼ぶこともありました」
    「なら」
    「ですが、彼にとって△△△という名前は失踪期間の記憶の多くと紐づいています。薬で落ち着いた時に話した断片的な証言を組み立てると、彼は人肉と吸血鬼の血肉を長年食べさせられたようです。後者は吸血鬼化のための準備でしょう。少しでも細胞を取り込ませるためか、何かしらの実験だったのかは分かりません。くわえて血も吸われていたと」
    ヒヨシが見たことのないレポートを取り出した。ペラペラと捲っていけば、弟が安定した時に話した内容が纏められている。ヒヨシには伏せておきたかったであろう残酷な記録だ。
    『吸血鬼の母親』が稀に持ってくる肉はとびきり甘くて美味しく、蕩けるようなもの。スーパーで買うような肉や同胞の肉でもなく、ヒヨシを噛んだ時と同じ味がした。つまり肉の正体は。
    「……っ、人の肉じゃと……」
    「彼はすでに人の味を覚えてしまっています。本当ならばこれだけで一生施設暮らしです。ただ自発的に食した訳ではないので警察も目を瞑ってくれています。極限状態での人肉食は生命体として起こり得ることですから」
    口元を押さえる。あの子は失踪してから人の肉を食べさせられていた。バラバラにされた人体を考えるだけで胃液が上がってきそうになる。
    「それが、弟の記憶を戻さない理由か」
    「考えてみてください。もし自分が人間だったのだと思い出したら?幼い頃に人肉を食べていたと理解したら?弟さんを廃人にしてまで、記憶を取り戻させたいですか」
    だからこそ新しい名前で、新しく全てを学習し直す。彼が負った過去を上書きするには、それが一番良いだろうと研究員たちはヒヨシに提案したのだ。人間の幼い子供として負った恐怖や凄惨な事実を、吸血鬼ロナルドとして緩和させる。生まれた時から吸血鬼だったのだと定着させてしまえば、精神的ダメージを抑え込める。
    「……弟が、苦しまないで済むんじゃな?」
    悩んだ末に、弟の為になるならばと同意した。これから弟はロナルドとして暮らす。しかし、つまりそれはヒヨシの弟である△△△を切り捨てることと同義だった。あまりに残酷すぎる選択だ。可愛い弟を永久に失う選択を、ヒヨシが決めなければならなかった。
    「ロナルド」
    再び部屋に入った。彼は静かに俯いて何かしている。手元を見ると絵を描いていたらしく、色鉛筆とクレヨンと画用紙が床に広がっている。真っ赤なクレヨンで何かを描いていた。夕焼けを背景に飛ぶ鳥の絵。
    「それはなんじゃ」
    「鳥」
    「鳥かぁ。真っ赤じゃな」
    「おれが餌をあげてるんだ」
    「どうやってやるんじゃ?」
    「内緒」
    楽しそうにロナルドが笑うので、ヒヨシもつられて笑った。毎日の訓練によってロナルドは少しずつ肉体年齢に見合った言動を身に付け始めていた。たった一ヶ月でここまで知識を吸収できるなんて「さすが俺の弟じゃ」と思いつつ、ヒヨシはロナルドが絵を描くのを見守る。
    「ロナルド」
    「なに?」
    「……これから、俺はお前の兄ちゃんじゃ」
    「兄ちゃん?」
    「ああ」
    「……兄ちゃん、おれの家族」
    「信じるか」
    「うん。だって兄ちゃんは良い人だから」
    ロナルドは青い目でヒヨシを射抜いた。
    今日は随分と落ち着いていると思った。これまでなら、とうの昔に暴走し始めている頃だというのに。もしかすると弟に合う安定剤があったのかもしれない。とても有難いことだ。ヒヨシはロナルドの頭を撫でる。
    「腹減ってにゃあか」
    「少しだけ減ってるけど……襲ったら正義の味方になれないんだって。ここの人が言ってた。だから我慢……我慢する。人のご飯も食べられるようになる」
    「いい子じゃな。さすが俺の弟」
    「……うん」
    ロナルドが視線をずらした。瞳に赤い色が混ざり始めている。吸血衝動を必死に耐えている。爪が伸びて床を引っ掻く音。ギリギリと歯を噛み締める音。柔らかい髪が生き物のように蠢く。
    「兄ちゃん、まだ、帰らない……?」
    「どうしたんじゃ」
    「おれ、兄ちゃんのこと、襲いたくない……全部真っ赤に、ぜんぶ、お腹すいて、夕焼けが、おれ、おれね、餌を」
    「あ」
    赤い目と視線が合った。ヒヨシの視界が真っ赤に染まる。夕焼けの丘にカラスが飛んでいる。赤い世界が目の前にある。その世界を認識した途端に口から血が溢れた。ロナルドは吸血鬼なのだから催眠術だって使えるだろう。これは認識に強く影響する類のものだ。
    カラスが見ている。嘴を鳴らしている。喰い殺される。気が狂ってしまう。
    「ヒヨシさん!」
    「……ッ、ここは現実か……?」
    焦った表情を浮かべた研究所の人間に覗き込まれている。倒れていたらしい。ヒヨシが起き上がると目を押さえたロナルドが蹲って呻いていた。
    「だいじょうぶ、赤くならない、この世界は赤くならない……おれから出てこない……いい子だから、おれと一緒にいてくれ……」
    「催眠能力の『断片』です」
    「断片じゃと……?あの強さで?」
    あと少しで殺されるところだった。
    「はい。基本的に幻覚だとロナルド君『は』認識しているようですね。幻覚が他者にまで影響を及ぼすのは危険すぎますが……いまは安全だと判断しています」
    「そうか、なら良い……ロナルド、俺は大丈夫じゃ。おみゃあは平気か」
    「兄ちゃん、ごめん……」
    その日の直接行う面会はそれきりだった。ロナルドになった弟は精神的に落ち着けるようになった。検査は素直に従っているし、彼自身が持つ力もかなり分かってきた。あと数ヶ月様子を見て安定すればVRCから一度出てみることも出来るだろう。そうして外の世界へ触れてみて人間との共存を深く考えられるかもしれない。
    「おれも兄ちゃんみたいに悪い人を倒す人になりたい!」
    VRCの研究部屋でロナルドが笑う。ガラス越しに話すと何も問題なんて無いように見える。
    吸血鬼の弟に、人間の兄と妹。ずっとヒマリには隠し続けていた。妹に紹介してやりたい。ロナルドは家族の一人なのだと。普通に暮らせるようになるかもしれない。ドラルクにも彼が弟なのだと胸を張って言えるようになる。
    「楽しみじゃなぁ」
    事務所でニコニコしながらヒヨシが着替えるのを見て、ドラルクとジョンは随分と上機嫌だなと疑問に思うばかりだった。
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