Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    FuUmeKo28

    @FuUmeKo28

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 2

    FuUmeKo28

    ☆quiet follow

    六月の長蜂。
    ※直接的な描写はほぼありませんが事後です。

    花手水……あんなに大きかった雨の音が、ひどく遠くに聞こえる。
    すぐ傍で聞こえるのは、このひとの荒い息づかいと、掠れた囁き声──。


    遠くなっていた意識が戻る。もぞり、と指先だけを布団の中で動かせば、一糸纏わぬ己の身体を覆う寝具は、どれも清潔なものに変えられているようだった。さらりとした敷布の感触を確かめながらもう一度瞳を閉じて、深く息を吸い込む。……少し湿気をはらんだ、朝の匂いがする。瞳を閉じたまま耳を澄ますと、遠くで微かに聞こえる鳥の囀り以外、何の物音も聞こえてこない。あまりに静かな朝の気配に、蜂須賀は少し驚いていた。
    昨夜は、ひどい大雨だった。夕方から降り始めた雨は次第に本降りになり、夜中になっても一向に止む気配がなかった。屋根瓦や中庭の沓脱石に雨粒が激しく打ち付ける音が気になって、蜂須賀はなかなか寝付けなかった。自室の布団の上で読みかけの書物の頁を手慰めにただパラパラとめくっていた時、障子戸の向こう側から声をかけられた。
    「いやあ、その…なんだ。こうも雨音が五月蝿いと、すぐ寝る気にもならなくてな」
    よければ一杯、付き合ってくれないか。」
    声の主、長曽祢虎徹は約束もしていないのにふらりと訪ねてきた。その大きな手の内に、やけに上等な酒の入った瓶と華奢な切子のグラス二杯を持って。

    長曽祢のあまりに下手な誘い文句には正直辟易したが、雨音が気になって眠れないのは自分も同じ。今この男を追い出したところで他にすることもないのだし、数杯くらいなら付き合ってやってもいい。そう思って、部屋に招き入れたのが運の尽き。
    案の定普通に杯を重ねていたのは最初のうちだけで、そのうちに酒精の香りのする唇が己のそれに降ってきて、口に含んだばかりの酒ごと口を吸われた。その不粋な酒臭い唇を拒まずにいたら、敷いたままだった布団の上にあれよあれよという間に押し倒されて、それから。

    その後のことは、あまりよく覚えていない。というか、詳しく思い出したくない。
    まるで壊れ物に触れるかのような手つきで蜂須賀に触れてくる長曽祢の、その武骨な手指から与えられる熱と快楽にただただ翻弄されて、蜂須賀はいつもすぐにわけがわからなくなってしまう。昨夜も、どうやら知らない間に意識を手放してしまっていたらしい。昨夜の自分が何かおかしなことを口走っていなかったか、それがなによりも気がかりだった。蜂須賀は懸命に昨夜の己の行動を思い出そうとしたが、目覚めたばかりの身体にまた熱が籠ってしまいそうで、すぐに止めた。思い出せたところで、どうせ碌な記憶ではないだろう。
    そのしなやかな身体の奥に残る事後特有の気怠さが、蜂須賀の思考力と行動力を著しく緩慢にさせていた。今は何時だろう、と頭では考えているが、それを確かめるために寝床から起き上がる気力が沸かない。そういえば、自分をこんな目に遭わせた張本人であるあの男は、一体どこにいるのだろう。腹を空かせて、先に食堂にでも行ったのか。こんな状態の俺を、放っておいたまま……。
    蜂須賀はいかにも面白くない、不愉快だ、といった風に柳眉をひそめて、一度布団から起き上がろうとした。

    (──さみしい、なんて思っていない。決して)

    自分にそう言い聞かせながら、布団の中から右手を出して畳に手を付こうとした瞬間、かさり、と何か乾いた音が耳元で鳴った。……今、手に触れたものは何だ?
    驚いた蜂須賀が素早く布団の上に起き上がると、そこにはなんとも不思議な光景が広がっていた。

    「紫陽花……?」

    部屋の中に、紫陽花の花が敷き詰められている。
    蜂須賀がその身を横たえていた布団の周囲をぐるりと取り囲むように並べられている紫陽花は薄紫に、淡い水色、桃色……とにかく色とりどりで、その花たちは、どれもまだ瑞々しさを保ったままここに咲いている。どうやら摘まれてからさほど時間は経っていないようだった。
    一体誰がこんなことを、と思うが、当然思い当たる相手は一振りしかいない。
    ……もしも他の、例えば短刀の誰かが犯人だったとしたら、いたたまれないどころの話ではないな。
    蜂須賀がそんな恐ろしい考えを頭に浮かべた時、部屋の障子戸がゆっくりと静かに開いた。

    「……なんだ、起きてたのか」

    微かに空いた障子戸の隙間から顔を出したのは、蜂須賀の想像通り長曽祢だった。こちらがまだ寝ていると思っていたのか、少し驚いた顔をしている。

    「……開ける前に、声くらいかけたらどうです」
    「それはすまん。まだ寝ているだろうと思ってな」

    起こしてしまったら悪いだろう。涼しい顔でけろりとそう言ってのける男の顔には、悪びれた素振りはない。その態度に少々ムッとした蜂須賀は、さらに続けて文句を言った。

    「だからといって……こっちはその、裸なんだぞ」
    「ああ……そうだったか。すまないな、蜂須賀」

    蜂須賀の抗議に素直に詫びた長曽祢は、薄く開いた障子の狭い隙間にするりとその巨体をねじ込ませると、片手を後ろに回してスッと戸を閉じた。
    身体の大きさに見合わぬ、素早い身のこなしだった。物音すらほとんど立てていない。
    障子戸を閉じたのと逆の手の上には、大きな盆が掲げられている。

    「……それは?」

    上掛けで身体を覆ったままの姿勢で固まっていた蜂須賀は、部屋の戸がきっちりと閉ざされたのを見て少し肩の力を抜き、長曽祢に尋ねた。布団の上に座る蜂須賀からは盆の上に乗っているものが見えないのだ。

    「ああ、朝飯を持ってきた。腹が減っているだろう」

    長曽祢がからりと笑いながらこちらに差し出してきた盆には、大きな握り飯とほっこりと湯気の立つ味噌汁が二人分乗っていた。それを見た途端蜂須賀の腹の虫がくぅ、と鳴って、蜂須賀は己の身体の素直さが心底恥ずかしかった。それをごまかすように、蜂須賀は呑気に笑う長曽祢の顔をじっと睨みつけながら口を開いた。

    「……着替えたいので、一度出て行ってくれませんか」
    「……わかった。終わったら声をかけてくれ」

    蜂須賀の申し出を聞いた長曽祢はほんの一瞬、「何を今更」とでも言いたげに口元に笑みを浮かべたが、蜂須賀のじっとりとした非難の視線を受けてすぐに手の内の盆を畳の上へ置き、部屋に入ってきた時と同じようにサッと素早く廊下へと出て行った。
    そのまま障子戸の前にどかりと座り込んだのが気配でわかる。
    蜂須賀はせっかく持ってきてもらった味噌汁が冷める前にと、素早く身支度を整えた。


    「ところで、この花は……」

    大きな握り飯を一口ずつ上品に口へ運びながら、蜂須賀は一旦部屋の隅へと寄せ集めた花たちに視線をやりながら長曽祢に尋ねる。
    長曽祢は既に二つの握り飯をぺろりと平らげて、味噌汁もあと少しで飲み干そうとしているところだった。空になった味噌汁の椀を盆の上に戻した長曽祢は、ああそういえば、と今まで忘れていたとでも言いたげな様子でのんびりと口を開いた。

    「朝方目が覚めて庭に出てみたら短刀たちと歌仙兼定がいてな。ちょうど紫陽花の剪定をするところだと言うから、おれも少々手伝ったんだ。その礼に、少し花を分けてもらった」
    「少し……の量ではないような気が」
    「今がちょうど花の盛りのようでな。これでもまだ遠慮したほうだぞ」
    「そうか……」

    さすが本丸の刀たちが皆で丁寧に世話をしている花だ、と蜂須賀は感心したように相槌を打つ。きっとこの後、他の部屋にも美しい花がたくさん飾られるのだろう、とも思った。

    「おれはあまり花には詳しくないんだが、この花はお前の髪の色によく似て美しいと思ってな。思った通り、よく似合う」

    部屋に戻ってまだ眠っているお前を見ていたら、つい、花で飾り立ててみたくなった。
    照れくさそうにはにかむ長曽祢に、蜂須賀は予期せず砂糖の塊を噛んでしまったかのような顔をした。自分が慣れないことをしたという自覚はあるようだが、この男、こんなに気障な振る舞いをするとは知らなかった。

    「……前に加州が、あなたのことを見かけによらず『ろまんちすと』だと言っていたけれど、その意味が少しわかった気がする」
    「……そうか?」
    「そうです……恥ずかしいひと」

    頬を赤らめて呟く蜂須賀に、長曽祢はまた気恥ずかしそうに眉尻を下げて、そうかぁ、と笑った。



    ****


    「──おお。見事なものだな」


    朝食の盆を片付けに出て行った長曽祢が再度蜂須賀の部屋へ戻ると、畳の上に直に並べられていた紫陽花の花たちは、数個の大きな水盆の中で綺麗に浮かんでいた。

    「前に歌仙がくれた花器がいくつかあったので。いつまでも部屋に転がしておくわけにはいかないでしょう。花がかわいそうだ」
    「それもそうだな。いや、本当に見事だ」

    蜂須賀と長曽祢はひとつの水盆の傍に並んで座り、水上で優雅に浮かぶ紫陽花を眺めた。
    蜂須賀の無造作に束ねられた髪が俯いた顔にかかる。障子から微かに漏れる朝日で煌めくそれは、やはり水の上の花の色によく似た美しさだった。
    長曽祢はその一房をそっと手に取ると、うやうやしく口付けをひとつ落とし、確かめる
    ように告げる。

    「……やはり、お前によく似合う」
    「ほんとうに、恥ずかしい男……」

    真剣な眼差しとともに告げられた言葉を否定することも拒否することもできない蜂須賀は、苦し紛れに精一杯の悪態を吐きながら、言葉の後に続けて降ってきた優しい口付けを静かに受け止めた。

    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works