雪と兎とおみくじと。ーちらちらと舞い散る、白い雪。
窓の外、視界を覆うその白さにほう、と息を吐けば、まだ温まり切っていない部屋の空気が暁人の吐いた息のかたちを煙のように可視化してみせた。
『ー今日は都内でもそれなりに積もるらしいぜ』
今日が休みでよかったな、と呟くその声にそうだね、と返して、そっと揺れるカーテンを閉める。ぺたぺたとスリッパの足音が、ちいさなワンルームの部屋に響いた。
「・・・KKはさ、雪って・・・好き?」
『あ?・・・・まあ、雨よかはマシだな』
「・・・そうなんだ」
どこか浮かない顔で、誰にともなく呟くその表情。
もしKKが目の前に居たなら、きっと「オマエなんて顔してんだ」とでも言われただろうが、暁人の表情を映すものがない今、彼の体の中に居るKKがその顔色を知ることは叶わない。
それでも、すっかりとその体に馴染みきったKKにとって、その胸のうちを推し量ることは容易だった。
『・・・イヤな思い出でも、あんのか』
「・・・・別に」
そう言いながら、もごもごと口ごもるその口調は何かを伝えたがっているようで、KKははあ、とため息をついて見せた。
『なかなか無い雪の日だぜ?話しちまえよ、相棒』
右手でそっと髪を掻き上げ、耳元に寄せる仕草。
それはKKができる、数少ない暁人への愛情表現のひとつ。
今度ははぁ、と気の抜けたようなため息がひとつ、暁人の口から零れた。
「・・・昔、ね。小学校くらいのとき、だったかな・・・今日と同じように、雪が降った日があったんだ」
初めて見る、雪景色。幼い兄妹は喜んで庭に飛び出した。風邪ひくわよ、なんて微笑みながら手袋とマフラーを巻いてくれた母。待ちきれなくてそのまま駆けだしていく妹を追って、赤いマフラーを手にそれを追いかける兄。それはきっと、傍目には愛らしい光景だっただろう。
「それでー雪だるまを作ったんだ。僕とー麻里。どっちが大きいの作れるかって、競争した。でもー」
いろんなところからかき集めてきた雪をぎゅっぎゅっと握って、作られたちいさなふたつの雪だるま。
並んだふたつを見てー
「・・・・大きくて、綺麗にできたのは、麻里のほうだった。僕のはー土混じりで、歪んでて、だから、」
『・・・・ああ』
兄が作った、少し歪な雪だるま。
それが、例えば妹のために白くて綺麗な雪をあえて使わず残しておいたがゆえの出来栄えだったとして、両親はそれに気づいていただろうか。
もし自分が親だったとしても、きっと気づけはしなかっただろう。
そのまま黙り込んでしまった暁人の右手をそっと操って、とんとん、と指が机をたたく。
『・・・・暁人、後でオレに作って見せてくれよ』
「ええ?・・・・嫌だよ・・・どうせ上手くできないし」
『そんなの気にするな。オレしか見てねえ。それにー』
新しい思い出を作ればいいだろ。オレと一緒に。
ことさらに優しく囁くその声に、少しだけ笑って。
分かったよ、と言ってそっと、人には見えない瑕に口づける。
「・・・・昼には止むかな」
『風邪ひかねえように暖かくして出ろよ、相棒』
「ふふ、分かってるよ」
そっともう一度カーテンを引いて、視界を覆ったままの白い世界に目をやる。
窓ガラスに映る暁人の瞳に、憂いの影はもう見えなかった。
ーーー
「さむっ・・・・!」
『結構積もったじゃねえか、こりゃ明日はバイクには乗れねえな?』
「そうだね・・・さすがに事故りそう」
『オイオイ、また死にかけるのとか勘弁してくれよ』
結局午後になっても雪は止まず、暁人が公園へと出向いたのは日が陰るころの夕方4時前。
そっとベンチに積もった雪を掬い上げれば、ほろほろと落ちていく白いかたまり。
「・・・こうして普通に降る雪とゆっくり対面するのなんて、何年ぶりだろ」
雪、といえば。あの夜出くわした怪異に足を凍らされたり、吹雪の中を歩かされたり、嫌な思い出ばかりが胸を掠めていく。
けれど、それらの過去が今、自分たちを”生かしている”のだ。
そう考えれば少しだけ、悪くなかったのかもしれないな、そんなことを思いながら、暁人は手の中で溶けていく雪をじっと見つめた。
『なあ暁人。・・・・こんな形にはなっちまったが、オレはこうして、オマエと一緒にただ雪の降る景色を見ることができたことを嬉しいと思ってるんだぜ』
「うん・・・ありがとう、KK」
そう、それが例え正しい在り方ではなかったとしても。
暁人にとって、今ここに宿っているKKという魂の存在が無ければ、自分が死んだも同然の存在だったのだから、今更手放せるはずもない。
『さぁ、作るか。最高に美しい雪だるま作ってやろうぜ』
「えー、なんでそんなやる気満々なのKK・・・」
『あ?やるからには本気出すのが男ってモンだろーが』
「・・・・やれやれ、仕方ないから付き合ってあげるよ。作るの、僕なんだけど」
くす、と笑いながら、もう一度。こんどは手袋を外した両手を深く雪の中に突っ込む。
『うお、冷てえッ・・・!』
「あっはは、ほらこの方がKKも一緒にやってる気がするだろ?」
『こっの・・・・後で覚えてろよ』
暁人と感覚を共有したままのKKが低く唸って、暁人が今度こそ声を上げて笑った。
ーーー
「・・・・こんなもん、かな」
『あー、まあいい出来じゃねえか?』
そうして30分ほど雪と格闘し、暁人の目の前には人間の子供サイズの雪だるまが出来上がっていた。
「・・・年甲斐もなくはしゃぎすぎだろ、KK」
『んなこと言ってオマエも乗り気だったじゃねえか』
「ふふ、うん。楽しかったよ」
雪をそぎ落としたベンチに腰掛ければ、ふ、と不意に後ろから気配を感じた。
「ーーあれ?君はーー」
『何だなんだ、わざわざ見に来たってか?』
(ーーーゆきだるま おれ よんだ)
ゆらりとそこに立ちすくんでいたのは、あの夜も何度か出逢ったことのあった妖怪、ぬりかべである。そしてその頭の上には、この公園に住み着いていた木の精霊、木霊がちょこん、と座っていた。
「もしかしてー君が呼んできたの?」
『なるほどな。オマエにとっても、ここに雪だるまが出来るのは久しぶりで、嬉しかったか』
KKの問いかけに、そうだとでも言いたげに暁人のまわりをぴょんぴょんと跳ねまわる木霊。ぬりかべも暁人を守るように、そっと風を受けて佇んでいる。
彼らはきっとずっとこの公園で、子供たちが遊ぶ姿を目の当たりにしてきたのだろう。
けれど最近は、子供が雪だるまを作るなんて光景もそうそう見られるものでは無い。
「僕たち・・・良い事した、のかな?」
『ああ、少なくともコイツらは喜んでる。それで充分だろ』
「じゃあー良かった」
冷たくかじかんだ暁人の両手を、ふとぬりかべの厚い手が包む。
(ーーこれ ゆきだるま の おれい)
「え??・・・うわ、かわいい」
『何だこりゃあ?』
暁人の手のひらに乗せられたそれは、ちいさなちいさな、雪で出来たウサギだった。
(これ もってたら いいこと ある)
そうちいさな声がして、ぬりかべがすう、と消えていく。
暁人の肩の上に乗っていた木霊も、また自分の憑代である木へと戻っていった。
「これ、って・・・・・」
『中に・・・何か入ってるな』
掌の熱で溶けていく雪ウサギのお腹の中から出てきたのは、小さな紙片。
開いてみれば、そこにはー
「『肉球・・・??』」
ぺたりと押された肉球のスタンプが、ひとつ。
「いいことあるって・・・・なんだろ」
『まあとりあえず持ってりゃいいんじゃねえか・・・?』
「そうだ、ね・・・ッ・・・ひゃっくしゅんッ!!!」
『あー、そろそろ帰るか、風邪ひいちまう』
首を傾げながら盛大なくしゃみをした暁人の手を軽く引く。
暁人もひかれるがままに立ち上がった。
ーKKが導くこの右手の動きを、暁人はむず痒くもこっそりと、とても、気に入っている。もちろん、KKには恥ずかしくて言えないけれど。
ーーー
「ーにゃあ?んにゃにゃあ~(ーあれ、いつぞやの!ちょっと覗いていきませんか、旦那!)」
「あれ?確か君って、」
『何だ何だァ?今日はやたらと妖怪連中と遭遇するじゃねえか、祭りかなんかか?』
帰りに立ち寄った神社で暁人たちを出迎えたのは、あの夜も屋台を構えていた猫又だった。垂れ下がる天幕には『あったか肉まん』と書かれている。確かに傍らの蒸し籠からはほこほこと良い匂いが漂っていた。
「にゃ、にゃにゃん!にゃ~、にゃんにゃ?にゃぁん(こんな雪の日ですからねえ、妖怪たちも浮足だってるってもんで・・・おや?その手に持ってるのは・・・)」
「これ?ぬりかべから貰ったんだけど・・・・」
『そうだ、オマエ、コレ何だか知ってるか』
先ほどの紙切れを見せれば、猫又はにゃあ、と目を細めてスリスリと両前足をこすり合わせる。
「んにゃ~、にゃん!にゃ、にゃあ~!(コレは『冥おみくじ』ですよ~!しかも大吉ときた!これはなかなか手に入らない珍しいモノですよ、ぜひ私に譲ってくださいませんか?お代はこの肉まんでー」
「肉まんください、2個」
『即答かよオイ』
「だってお腹空いちゃったんだもん・・・」
雪の降る寒い日。鼻をくすぐる良い匂い。動いて空腹を訴える腹の虫・・・・
暁人の食い気味の返事に、KKが笑って『だとよ』と手元の紙を渡してやる。
「にゃ~♪にゃにゃ~ん!(毎度どうも~!次もごひいきに~!)」
『アイツの言ってた”いいこと”ってこれか?』
「うーん・・・とりあえず僕には願ってもない”いいこと”だったから、良いんじゃない?・・・あッつ」
『オイオイ、落ち着いて食えよ全く』
「ほうふふ(そうする)」
言いながら近くのベンチに腰掛ける。もうとっくに日は暮れて、空にはあの夜とは違い目を細めた猫のような細い月が昇っていた。
「・・・・ねえKK」
『あ?』
「・・・・雪の日も・・・悪くないね」
『・・・そうだろ』
そう。寒い夜も、きっとふたりなら、超えていける。
「・・・帰ろっか」
『ああ、そうだな』
そっと瞳を閉じた暁人の頭のなかに、あの雪の日の光景が甦る。
『ーーおにいちゃん。麻里のゆきだるまがきれいなのは、おにいちゃんのおかげだよね』
ーそうだ。あの日も結局、麻里はちゃんと言ってくれたんだ。
だから、どっちが勝ちとか、なしだねって。
なのに僕はー見た目がカッコ悪いからって、そんな麻里の言葉にそっぽを向いたんだ。
(子供すぎて・・・笑えちゃうな、ごめん、麻里)
『ーー暁人?』
「・・・ん、ごめん。行こう、KK」
歩き出した暁人の背中に、ひそやかな声が届く。
『ほんと、素直じゃないんだから。でもー思い出してくれて、ありがと、お兄ちゃん』
振り返りはしなかった。だって、そこに麻里はいないのだから。
けれど、確かに口角を少しだけ上げて、暁人は微笑む。
(思い出せたのはーKKのおかげ、なんだよ、麻里。だからー)
例え、本当の意味での幸せを手に掴むことが叶わなくなったとしても。
今、この体を動かしているのは、僕一人じゃない。
だから、この命が尽きるまでー
「・・・KK」
『・・・何だ、暁人』
「・・・もう、何処にも行かないでよね」
『ああ、行かないし、”逝けない”からな。これからもよろしく頼むぜ、相棒』
吹雪がふたりの足跡すらも掻き消す、冬の一日。二心同体のふたりが迎える、はじめての雪の日に、改めて誓った未来が例え、苦難の日々であろうとも。
(僕はー僕らは、もう、立ち止まらない)
前を見据えるその瞳には、一片の曇りも無かった。
「にゃ、にゃ~、にゃあああ(この冥おみくじの効果・・・教えてやるの忘れたけど、ま、心配なさそうだねえ。おふたりさん、お幸せに~)」
立ち去る背中を見つめる猫又が、ぺたりとさきほどのおみくじを壁に貼り付ける。
『待ち人ー既に側に在る。素直に身を任せるが、吉』
ふわりと浮かびあがった文字が光のかけらとなり、ふわふわと空に舞う。
そして、雪に融けるように、消えていった。
END.
ーーーー
(ここにきての蛇足説明---
『冥おみくじー通常のみくじとは逆に、引いた者に強制的に書かれた内容の出来事が起こる。譲渡されたものにも適用される。良い内容のものは高値で取引される。新しい持ち主の手に渡っても既に与えられた効果は消失しない。』)