ロナルドと薄い本 一日の仕事を終え、癒しを求めて開いたSNSは阿鼻叫喚だった。フォロワーさんがみんな叫んでる。なんなら泣いてる。人語を発せない人もいる中でなんとか拾ったキーワードは『ロナルド』
信頼しかない自分のフォロワーが情緒を狂わせている『ロナルド』は一人しかいない。新横浜で吸血鬼退治人を生業にしているイケメン好青年だ。腕の良い退治人で、顔面が強くて、肉体美を惜しみなく晒し、老若男女に優しく、賑やかな喜怒哀楽でファンの心を掴んで離さない彼は、それはそれは罪作りな人間の男である。
そんな彼が阿鼻叫喚の原因であろうことはなんとなく察したが、それにしても吸血鬼もまだ本格的に活動していなさそうな昼の時間帯から騒いでいたらしいタイムラインに、私は首を傾げるしかない。オータム書店から突然のお知らせでもあったのだろうか。しかしロナ戦公式に動きはなく、滅多に動かないロナルド本人のSNSも静かなものだ。仲の良いフォロワーのホームへ飛んで呟きを遡ってみるも、突然嘆き始めてから一度も人語を話していなかった。
「怖すぎない? なに?」
拭えない疑問に困惑していると、通話アプリの通知が飛んできた。開かれた部屋の名前は『集合!!』である。これは間違いなく情緒がやられている人間の仕業だろう。私は迷うことなく通話部屋に入ることを決めた。
「お疲れさまー」
「呑気すぎる!!」
「それな!!」
「仕事終わったばっかなんだもん。みんな何に騒いでんの?」
「死が確定したんですよ」
「それな……」
「詳細くれって」
「聞いて驚け」
「そして嘆け」
「ロナルド様、今度のイベント参加するってよ」
静かな声で告げられた内容に、私の思考は考えることを放棄した。あまりに突拍子もない情報に脳内が真っ白になりかけたが、それでも心は待ってくれない。早鐘を打ち始めた心臓を強く強く握りしめてみたが、唇の震えは止められなかった。
「ギルドのイベントですか……?」
「即売会」
「お渡し会ですよね?」
「同人イベント」
「新手のサイン会って言って?」
「我々が申し込んでるまつりです!」
「ぎゃあああああああああ!!」
遅い時間にも関わらず、悲鳴のボリュームを調整できるほどの余裕は残っていなかった。それほどまでに大きな衝撃。あってはならない事態。それはフォロワーも爆発するわ!!
「なんでそんなことになった!?」
「わかってたら叫んでないんだよなあ」
「ていうかそれソースは? デマなら安寧が保たれるんだけど」
「Sさんです」
告げられた名前に、一欠片の希望を見出す。私たちの界隈で有名なSという人物は二人いるのだ。
「……真面目な方?」
「野菜の方だよ!!」
「ですよねー!!」
ただし、その希望はあっけなく打ち砕かれる。いや知ってた! 知ってたけどね!
「真面目な方からの情報なら、まだ希望はあったんだけどねえ」
「野菜からの情報じゃ、逃れられない現実ってわけだ」
「待って待って待って! 当日サークル参加なんだけど!? スペースどこよ!?」
「aの34だって。さっきドラちゃんが配信で喋ってたわ」
「壁じゃないじゃん!!」
「主催もまさか本人だとは思わなかったんでしょ」
「いくらオールジャンルとはいえ怖すぎる」
「腐スペと距離空いてるとこだけが救い」
「ていうかロナルド様は何頒布するの? ロナ戦?」
「こちら、先ほど発表されたお品書きです」
「ロナルド様のSNSで告知なかったけど?」
「ドラちゃんの配信で画像出たからね」
「なんでよ……」
チャット欄に貼られた画像を表示すれば、そこにはイベント当日に頒布される本の内容が記されていた。初参加のサークルにして新刊三冊という、ロナルド様の忙しさを考えるとあり得ない作業量に驚いてしまったが、本の内容を見て肩から力が抜けてしまった。
【当日のお品書き】
・ドラドラちゃんの天才レシピ
・ドラドラちゃんの天才レシピ 副読本
・ギルドのカウンター
お品書きは、本のタイトルと内容が書かれたシンプルなものだった。自分たちがよく目にするようなイラストカットが描かれていたり、年齢指定の文字が踊っていたりしないものだ。カップリング表記も当然ない。
だからと言って、欲しくないとは言っていないが。
「ドラちゃんのレシピ本を買ったら、実質ロナルド様と同じものを食べたことになりますか?」
「なります」
「ジョン君とも?」
「そうです」
「新刊買います」
「戦争に勝てたらな!!」
「あああーーーー!!」
何年もこなしてきた当たり前の事実に、思わず机を叩いてしまう。自分も参加する同人誌即売会の会場にロナルド様がいることで全力の擬態と気配を消す訓練をしなければならないというのに、まさか本人のスペースへ行き新刊を手に入れなければならないとは思ってもみなかった。本人に会うだけならサイン会で何度か経験があるが、それがイベント会場のサークルスペースとなると話は別だ。しかもサイン会とは違い部数のわからない同人誌が狙いとあっては、心の安寧も何もない。
「新刊戦争に負けたら死ねる」
「ロナルド様、初参加のイベントで何部刷ってくれてるかな」
「ロナ戦どれだけ売れてるか知ってるはずだから、一万冊くらい作っててほしい」
「通販ないし、今日発表されたから流石に、流石に負けることはないと思うけど」
「保証がない話を信じれないよおーーー!!」
「わかる。ドラちゃんだって普通に人気の配信者だからレシピ本も油断できないし」
「副読本ズルくない? なんでロナルド様とジョン君の感想本なの? 絶対欲しい」
「唐揚げのページしか見本がないけど、あの一ページだけで神本だとわかるの凄い」
「我々のチョロさが計り知れない」
「だって『唐揚げ』のタイトル横に赤字で『スゲー美味い!』て書き込んであるもん。それはもう大好物なんよ」
「ニッコニコの満点笑顔、余裕で想像できるもんね」
「多分ジョン君がたくさん描いたハートも可愛いよね」
「タイトル部分だけで多幸感に溢れすぎ」
「心臓がもたない」
「でも新刊は欲しい」
「そしてギルドのカウンターよ!」
「うわあーーー!!」
フォロワーの悲鳴もごもっとも。『ギルドのカウンター』なんていう見慣れた文字列のタイトル本。その内容は、訓練されたシンヨコ市民の私がいつでも望んでいる退治人たちの日常を垣間見れそうな、そんな内容をチラ見せしていた。
「もしも俺が吸血鬼だったらとか、急に需要分かりすぎでは? イケメン吸血鬼最高かよ」
「マリアさんとダチョウの戦いの歴史まとめたの誰よ友達になりたい!」
「今日のショットさんとかいうキメキメの特集ページ絶対セルフプロデュースでしょこれ!! これだからショットさんは!! 好き!!」
「ここでも控えめなサテツさんを見てよ! 役所のパンフレット原稿混じってるみたいなサテツさんのページをさあ!」
「ター・チャンのお店紹介、クーポンついてる。絶対行く」
退治人ファンにはたまらない濃密な薄い本は、何度確認しても現地頒布のみ。事後通販など考えられていなさそうな現状に、おそらく地方勢は今頃突発遠征の計画を立てていることだろう。
「当日、もし自分のスペースにロナルド様が来た場合の対策も絶対考えないといけないのに、それより新刊戦争に勝ちたすぎて何も作戦が練られない」
「わかる。どんな犠牲を払ってでも手に入れたい」
「ところで、こんな重要情報なんでSNSで告知しないんだろう?」
「ギルドの退治人も参加してる本なのにね」
「どこかで同人誌即売会の情報を耳にしたロナルド様が、たとえば出版社の人に話を聞いたとするでしょ」
「うん」
「その人が我々の仲間だった場合、だいぶふんわりとした情報を渡した可能性はあるよね」
「あー」
「自分の好きなことを纏めた本を作って、それを参加者に頒布するんです。とか?」
「ありそうー。それで興味持ったドラちゃんがレシピ本出して、忙しいロナルド様は副読本とかいうオチはありそうー!」
「でもせっかくだから自分も何かって考えた時に、ギルドで本の内容を相談した結果、盛り上がって完成したのがギルド本?」
「はあーー! シンヨコギルド仲良すぎて尊い!! もっとやってください!!」
明日も仕事だというのにイベントの話題は尽きることがなく、翌日の仕事を寝不足の頭で乗り切ることになったのは完全に自業自得だった。
◇◇◇
イベント当日、ロナルド様のスペースには長蛇の列ができていたが、開場直後、列の先頭にいたのは吸対の制服を着たSさん(野菜)だったし、その後ろにはお洒落にキメたSさん(真面目)がいた。
「なんでお前がいんだよ!?」
「馬鹿め! 貴様の関連書籍は全て読むと決めているのだ! 新刊三部ずつください!」
「そうなの!? ありがとうございます!!」
「ロロロロロナルドしゃん、新刊発行おめでとうございます。これ差し入れです」
「ありがとうございます。会場暑くなりそうだから冷却シート嬉しいです」
「こちらこそありがとうございますーー! 新刊全部ください!」
「君たちは本当にブレないなあ」
「ヌヌル」
「ビー」
新刊を手に入れるにはまだまだ時間がかかりそうな位置に並んでいる私だったが、賑やかなロナルド様たちの様子を見れただけで全ての悩みが吹き飛んだので、色んな問題は実質皆無だろう。