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    まつり

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    まつり

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    以前webオンリーで展示していた短編集『新生活』の中から『キス』の話を一つ引っ張ってきました。

    恋人になったドロがキスをする話です。

    キス 内側から鍵をかけた予備室。ロナルドが一人暮らしをしていた頃には縁もなかった動画配信用の機材に囲まれた部屋の中央。そこに不釣り合いに配置されたマットレスの上で向かい合う二人は、しっとりと唇を合わせていた。
     ぎゅっと己の太ももを掴んで離さないロナルドに対して、ドラルクは初心な恋人が羞恥心に負けて逃げ出さぬよう、相手の後頭部をやわりと抑えつけ、空いた手で頬の輪郭をなぞっていた。
    「っん、ん」
     固く引き結ばれた唇は、ドラルクの舌が撫でたところで開かれることはない。しかし鼻で息をしている様子もないロナルドは、赤ら顔で目尻に涙まで浮かべている。それが羞恥からか、息苦しさからかはわからないが、どちらにせよ彼にとって現状が容量オーバーなのは誰の目から見ても明らかだ。
     酸素を求めて口を開くまでキスをし続けても構わないのだが、それではロナルドを無理矢理に蹂躙するようで、ドラルクの嗜好に合わない。畏怖されていると思えるような展開ならば大歓迎の彼であるが、現状ではどうしたところで幼児を虐める悪者の図なのだ。
     ずっと小さく震えているロナルドをあやす様に後頭部を抑えていた手で柔らかな髪を撫で、彼の呼吸のためにドラルクが唇を離せば案の定、呼吸を止めていたロナルドは思い切り口を開けて酸素を取り込みだした。
     ドラルクの体感としては、そこまで長時間キスをしていたとは思わないのだが、このような行為に耐性のないロナルドにとっては肩で息をしなければならない程の時間だったのだろう。息のできなかった苦しさで瞳を潤ませている様は、その理由にさえ目を瞑ればひどく愛らしい。本音を言えば、己の手練手管によってそういう表情を引き出したいドラルクではあるものの、ロナルドが油断しきっているこの瞬間に、荒い息を吐き出している口内へ己の舌を捻じ込もうものなら最悪、恋人の口の中を砂まみれにしなねない。うっかり飲み込まれでもした塵が無事に回収できるのかも定かではない状態でこれを試す勇気など、ドラルクにはなかった。
    「ロナルド君、息継ぎの方法は知ってる?」
    「昨日聞いた」
    「なら、苦しくなる前に実践してよ」
    「……気になるだろうが」
    「なにが?」
    「息が」
    「命あるものは皆、呼吸するものだよ」
    「そうじゃなくて! ──息が、かかるだろ。お前に」
     気まずいのだろう。顔ごと視線を逸らしてぽそりと呟かれた言葉は、直前の否定に比べるとひどく小さな、掠れそうな声量だった。
     ドラルクとしては当然、その程度のことが気になるタチではないのだが、初々しい恋人が、己に不快な思いをさせるかもしれないと危惧して呼吸のタイミングを失っているという事実に、言いようのない満足感を得ていた。
     ロナルドは、元より他者の目を気にしがちな男である。それは彼の生育環境に由来するのかもしれないし、人気商売である退治人の仕事に長年携わってきた故に仕方のない性質なのかもしれないが、それらを差し引いても、今この瞬間にドラルクの瞳に映るロナルドの姿は己だけに許されたものだ。その一挙一動に喜びこそすれ、不快感を覚えるなどあるはずがないというのに、ロナルドにはまだわからないらしい。
    「気にしなくていいのに」
    「するわ、ばか」
    「じゃあ、キスの時に口開ければいいよ」
    「舌入れようとすんじゃん」
    「わかってたの」
    「わかるわ、ばか」
    「なら早く招いてよ」
    「恥ずかしいだろ!」
    「恋人になったからには、もっともっと恥ずかしいこともするけど?」
    「う……」
     ロナルドとて、健康な成人男性。成人指定のそういう本を持っていることをドラルクは勿論把握しているし、互いに互いの嗜好を理解している。だからこそこうして幅広のマットレスを購入しているし、ほとんど意味をなさないが気分を高めるために予備室の鍵も閉めているのだ。
     お互いに、求めている行為は一致している。ただ、未知の感覚にロナルドの心が追いつかないだけ。
     それは本人も十分に理解しているのだろう。恥ずかしさと、己の内側にある欲求と、どうするべきかわからない不安がないまぜになってしまった彼は、ドラルクの正論から逃れるべくあちらこちらに視線を揺らして、最後には真っ赤な頬を隠すように、ドラルクの首筋に顔をうずめた。
    「俺のペースに合わせるんだろ?」
    「嫌だと言うことはしないけどね、少しでもチャンスがあれば逃さないのが、君に対する私の信条だ」
     くぐもった問いかけは、縋るようなか細さをしている。その心境まで汲んだ上で、ドラルクは言の葉を緩めない。嫌なものは嫌だと。欲しいものは欲しいと明確に口にすることが必要なロナルドに、少しずつでも機会を与え、慣れさせていくつもりなのだ。──これは、いつかの未来にロナルドが心の奥底にある気持ちを埋没させないための策であり、ドラルクが後悔を抱えて一人で生きることにならないための保険である。
     ドラルクの心境を考慮できない程に自分のことで精一杯なロナルドは恋人からの宣誓を耳にして、なおさら顔を上げることができなくなった。それでも耳を塞がないのは、こういう場面でドラルクが自分のことを雑に扱わないと理解しているからに他ならない。
    「私はね、ロナルド君が望んでいることなら、なんだってやってあげたいんだよ」
     できるできないは別にして。そう付け加えれば、くふくふと吐息混じりの笑い声が聞こえてきた。楽しげな振動が首筋から伝わってきて、ドラルクは呼応するように揺れる背へ腕を回す。暖かな身体を両手で抱きしめれば、一拍の後に長く細い息がドラルクの胸元に落ちた。
    「ロナルド君」
     返事の代わりに上向いた顔を見下ろして、いまだ赤い頬を指の背で撫で上げる。体温の低いドラルクの指に、ロナルドの羞恥と期待はよく伝わった。
    「きもちいいこと、したいでしょ」
     問いかけを否定する言動はない。それに気をよくしたドラルクがもう一度ロナルドの後頭部を抑え、鼻先が触れ合うまで互いの距離を縮めていく。息を吸う動作すら気取られそうな密接さでは相手の表情など把握しきれないが、こくりと喉を鳴らす音が聞こえた。それだけで、今のドラルクには十分である。
    「ねえ、口を開けて」
     ロナルドがぎゅっと目を閉じたのが伝わる。そうして数秒後、息を吸うようにしてロナルドの口が開かれた。

     下唇についていた歯型を見つけて、ドラルクが愛しさを溢れさせてしまったのは仕方のないこと。
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