キュビズムと量子力学 「ある対象やそれを取り巻く空間の様子をさまざまな角度から見て、それによって得られるその対象の断片化された形態を、一つの画面にまとめながら描く」(1)。林卓行は「近現代の芸術史 造形篇I 欧米のモダニズムとその後の運動」(藝術学舎)の中で、キュビズムについてこう述べている。大変興味深いことに、この一文が完全に当てはまる全く別の発見が、キュビズムの誕生と時を同じくして行われた。光の波動説は「物理学の理論の中でも最もしっかりと確立されたものの一つ」(2)であるにもかかわらず、1905年のアインシュタインの論文(3)は、光が粒子のように振る舞うことを示したのである。まさに「光」という対象を「さまざまな角度」から観察した結果、光は波動でもあり粒子でもある、といった相反する二つの現象を同時に一つのキャンバスに押し込めたのが、20世紀最大の発見の一つ、量子力学の誕生であった(4)。
キュビズムと量子力学は、その後のそれぞれの分野の発展の母体となったという点でも共通している。それは、そのどちらもが、実在の対象や空間を精緻に観察し分析した結果として、我々の体験によってバイアスされた意識や概念の拡張を要求する表現形態をとらざるを得なかったことに起因している。人間の目では同時に観察することが不可能な、複数の角度からの視点を一枚のキャンバスに映し出す手法は、我々の認識から理解への過程の間に、キャンバスから得た視覚情報を頭の中でより馴染みのある形態へと再構築する作業を要求する。量子力学もまた、粒子性と波動性という相反する概念を同時に扱うために、物理学者達は視覚によらない数学によって思考することを余儀なくされたのである。
一方で、芸術であるキュビズムは、量子力学と異なる部分もある。それは頭の中の再構築の過程が、その芸術を鑑賞する人物の経験や嗜好に左右されることである。これは自然科学には許されないことであり、それこそが本学生がキュビズムに興味を抱いた部分である。この特質のために、キュビズムの絵画は、一枚の絵から見た人間の数だけの解釈が生まれる。キュビズムの絵画は、絵画でありながら再現芸術的な自由度の高さも備えていると言えよう。
認識から理解までの間に鑑賞する人間による解釈の過程を挟む表現様式は、これ以降ほぼ全ての近代美術に取り入れられている。VTRでは折にふれて「○○することによって□□を我々に問いかけている」という表現が使われていたが、まさに最早その部分が芸術の目的になってしまったかのような隆盛ぶりである。しかし芸術とは本来、言語的思考がなくとも感動を伝える力を持つものであったはずである。ピカソ達が一度失われた現実との統一を目指して総合的キュビズムに至ったように、ただ素直に人を感動させる何かと論理的思考の両輪を備えられることが、芸術の最も素晴らしい特質なのではないだろうか。
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参考文献・注
(1) 林洋子編「近現代の芸術史 造形篇I 欧米のモダニズムとその後の運動」、P.22、藝術学舎、2013年
(2) A.バイザー「現代物理学の基礎」第3版、P.42、好学社、1990年
(3) A. Einstein. “Über einen die Erzeugung und Verwandlung des Lichtes betreffenden heuristischen Gesichtspunkt [光の発生と変換に関する1つの発見的な見地について]” Annalen der Physik. Ser. 4, 1905, 322 (6): 132–148.
(4) 量子力学の萌芽は1900年のプランクの黒体放射についての論文にみられるが、理論としての完成は1925年以降のシュレーディンガーらによるシュレーディンガー方程式、ハイゼンベルクらによる行列力学を待たなければならない。物理学者の間でも、光や粒子が波動性と粒子性を同時に持つことを認めることには、当初強い抵抗が存在した。発表当初美術界で評価を得られなかったキュビズムとも、そういった意味でもよく似ている。