お粗末様な物語それは、金曜日の午後のことだった。浅倉は市内にある事務所の一つで、昼食を摂っていた。
本日の昼食は、某ファストフードチェーン店のダブルチーズバーガーにポテトにコーラ、そして期間限定で販売している三角形のパイだった。今週の水曜日から販売が始まったというそのホットスナックは、一瞥してすぐあのフレーバーだとわかる、あからさまなピンク色をしていた。それでついつい、追加で注文してしまったのである。
事務所のローテーブルに座りそれらを食していると、こちらも事務所に何か用事があったのか、扉が開いて、城戸がその向こうからひょっこりと姿を現した。その時ちょうど浅倉は、ハンバーガーとポテトとを食べ終えて、デザートのパイに手を伸ばしたところだった。平べったい二等辺三角形の、どちらが右か左ともつかぬ、鋭角にちょうど齧りついたところを、兄貴分にバッチリ見られてしまったのである。
「……城戸のアニキ、おつかれ様です」
口元を抑えつ立ち上がり、兄貴に対して礼を取る。それをしてから、自分がついパイを手にもったまま立ち上がってし待っていたことに気づいた。全くそんなつもりはなかったが、まるでおやつを取られたくない子供のようだと、気がついて少々気恥ずかしい気持ちになる。
城戸も同じように思ったのか、浅倉の顔を見、それからその視線を、浅倉の手元のパイの方へと移す。
「浅倉、それ、何食べとんの?」
「マクドの三角チョコパイです。いちご味の。今週から発売だそうですよ」
「へぇ、うまそうやん。一口分けて」
「ええですよ。ちょっと待ってください。半分こしますから」
「そんなようさんいらん。一口でええわ。端っこだけちょっと齧らして」
「はぁ、べつに、兄貴がそれでええなら、俺はええけど」
「ありがとぉー。お前はほんまにええ弟分や。俺は幸せもんやな」
「んな大袈裟な……」
城戸は礼を言うと、パイを持っていた浅倉の左の手首を掴んだ。それをそのまま自分の方へ引き寄せて、二等辺三角形のてっぺんのところをがぶりと囓る。囓ったことで生地が圧迫され、パイの中いっぱいに入っていたジャムとクリームが、ぶじゅり、と音を立てて吹き出した。それが、浅倉の手の甲に、ボタリと溢れて落ちる。
「……あ、こぼれてもうた」
「あーこれ、ベタベタになるやつやん。……兄貴、ちょっとそこのティッシュ取ってください」
「えー? こんぐらいならティッシュいらんやろ」
言うと、城戸はひょいと左手を伸ばして、浅倉の手元にあったパイを取り上げた。そして右手で浅倉の手を捕まえると、背中を少しかがめて、その指先に唇を寄せた。そのままぺろりと、指先にこぼれたクリームを舐め取ってしまう。わざとちゅるりと音を立て、皮膚についた残滓を吸い取る。
見方によっては、それはまるで手の甲に、キスをしているかのようだった。指の又の向こうから、射抜くような金色の2つの瞳が、浅倉の顔をうかがっていた。いたずらをする子供のように、楽しげな笑みを浮かべている。
時間にして、ほんの2、3秒のことだった。4秒後には、それは浅倉の手元から、ふと離れていった。
「……ごっそさん」
「……よろしゅおあがり……」
冗談めかしたそのことばに、浅倉はそう返すのがやっとだった。ドキマギと立ち尽くす間に、「ほい」と、食べかけの三角パイを手元に返される。
「ほな、おれはカシラに呼ばれてるから、もう行くわ」
「はい、行ってらっしゃいませ……」
言うと、城戸はスタスタと、カシラの部屋へと繋がっている、事務所の反対側の方のドアへと歩いていった。パタン、と音がしてドアが閉まる。静かな部屋の中に、自分だけがとり残される。そこでやっと、浅倉は我に返る。そうして手元の、二箇所に歯型のついたチョコレートパイに目をやる。
「こんな、二箇所に穴あけられたら、食べにくいやん……」
小さな声で悪態をついて、またひとくち、パイを囓る。パイの端から、ぷちゅりと音がして、また少しだけジャムとクリームが指の上に溢れた。今度はそれを、自分でぺろりと舐め取る。
クリームの味が一口目より格段に甘く感じられたような気がしたのは、たぶん、気のせいだと思う。………きっと、気のせいだ。……………嗚呼、気のせいだと思いたい。