貴方の星になりたい 璃月にて薬草探しの依頼を受けた空が、璃月の植生に詳しい鍾離に同行を頼み山間部へと分け入ったのが昼前のこと。岩場に生える薬草を採取し終わり、急いで戻ろうと山道を引き返すも、その途中ですっかりと夜が更けてしまった。
手元の灯りだけを頼りに、竹を組み合わせて作られた柵を道標にして道を辿るも街灯の一つもない璃月の山深く。
虫の歌声と、風に遊ぶ木々のさざめきと、それから二人分の息遣い。世界にはそれだけが有って、それだけしか無くなってしまったかのようだった。
暗闇の中、一人きりになってしまったのだと錯覚してしまいそうなほどに他の気配のない山の中で、空は自分がどこか別の場所に取り残されているかのような感覚に陥った。
「せ、先生……」
思わず、小さな叫び声をあげた。木々のざわめきは大きく、山間を抜ける風の音に合わせてのように響いていたのに、掻き消えそうな小さな小さな声に鍾離は立ち止まる。
「どうした?」
「ごめん、ちょっと山道に慣れなくて……」
空を心配そうに見た鍾離は、不安そうに、心細そうに揺れる瞳に、そうっと手を差し出してくれた。
「大丈夫だ。怖いなら、俺の後ろを歩くといい」
空の手から灯りを受け取って、手を繋いで先導してくれる。お互いの手袋越しには体温こそ伝わらなかったけれど、包み込むような大きな手に安堵を覚える。
自分の足で立ち上がり歩いて行くのとは違い、こうして手を引いてもらうのはなんだかとてもくすぐったかったけれど、この先もずっと歩いていける勇気を貰ったかのようだった。
「空、上を見るといい」
鍾離の言葉に、素直に目線を上にやる。
それと同時に鍾離の手元にあった灯りが消されてしまった。突然の暗闇に驚いて、ぎゅ、と鍾離の手に縋る力を強めると、宥めるように握り返された。
黒い木々の影の隙間からぼんやりと浮かび上がってきたのは。
「星……?」
「ああ。城内の明かりの中では、これ程のものは中々みることができない」
見上げた先に広がる星は、目が夜暗に慣れるにつれてその数を増やしていって。気がつけば、空の目に映る星は無数にも思えるほどにまでなっていた。
「わあ、すごい」
「そうだ、こんな御伽話を聞いたことがあるか?」
--人が死んだら、星になる。神が死んだら、--
◇◇◇
喉の渇きを覚えて、目が覚める。
空が微睡の中で見た夢は、かつて鍾離と二人で夜空を見上げた時の夢だった。隣を見れば、あの時から関係が進んで恋仲になった男が静かに眠っていた。
恋人と並んで眠っていたベッドから抜け出した空は、なるべく音を立てずに静かに喉を潤す。隣で眠ったままの鍾離に気づかれる前に、すぐに柔らかなぬくもりの中へと戻るつもりだったけれど、ふと目に入った窓の外。
普段は夜も明るい不夜城と名高い璃月港でも、夜半も過ぎた今の時間となれば静かな闇に覆われている。
窓の外を見た空の意識に飛び込んできたのは、ほんの小さな光。藍錆色の中に浮かぶ針の先ほどの小さな光に、空はかつて鍾離から聞いた御伽話を思い出していた。
人が死んだら星になる、神が死んだら星座になるのだと。
あの小さく光る星も、死んで尚輝く夜空の星になったのだろうか。
もし、空が今死んでしまったとして、この世界を飾る星の一つになれたのならば。もし、もしも、それが星座を形作る一つになれたのならば。
鍾離の星座の輝きの一つになれたとしたら、それはどんなに甘美なことだろうか。
「どうした、風邪を引くぞ」
低く掠れた声をかけられると共に、ふわりと柔らかな毛布に肩から包まれる。
後ろからぎゅう、と抱きしめられた時に鼻をかすめた鍾離の香りに、いまだに恋に浮かれている心がとくりと弾む。
「ごめん、すぐ戻るつもりだったんだ」
そう言いつつも、目線はいまだ窓の外の小さな星に注がれたまま。闇に慣れた目は夜空に浮かぶ星を無数に捉えることができたけれど、何故だか空は最初に目に入った小さな星から目を離すことができなかった。
「鍾離先生。前にしてくれた話、覚えてる?」
「お前とはたくさんの話をしてきただろう。どれも覚えているが……、そうだな、人が死ぬと星になり神が死ぬと星座になる話だろうか」
まさか、言い当てられるとは思わずに驚いて鍾離を見ると、思いの外近くで力強い光を放つ琥珀にぶつかった。抱きしめられたままの体が宥められるように撫でられて、その大きな手に身を預けるように力を抜いた。
「もし俺が死んでも、この世界の夜空の星にはなれないと思う」
この世界の者ではないのだから。いつまでも、この場所で揺蕩っていたくても、空は旅人でいつかはこの世界から旅立ってしまう。だからきっと、この世界の星にはなれない。
だから、あの小さな星が羨ましかった。彼と共に夜空で光ることが許されたあの星に羨望を覚えた。
「御伽話だと言っただろう」
「うん、わかってる」
それでも、感じた胸の痛みはじくじくと刺さったままの棘のように、この関係の不安定さを忘れるなと空の胸に居座ったままだった。
与えられる優しさや温もりに、与える喜びに幸せを感じる度に過ぎる不安感を誤魔化すように空が鍾離に甘えるように体をすり寄せる。
暫くは空を落ち着けるかのように毛布から出ている瞼や耳にキスを落としていた鍾離が、突然するりと毛布の中に手を忍ばせる。毛布の中で縮こまったままだった空の手を絡め取ると、薬指の付け根に何かを巻き付けた。
「髪……?」
何をしたのだろうかと思い星明かりに翳した空の左手の薬指には、黒くて長い美しい髪がくるりと何重にも巻き付けられていた。
意図が読めずに、疑問符を浮かべて鍾離を見ても優しく微笑む瞳と瞼に落とされるキスが返ってくるだけで。
そのまま鍾離の両手が空の左手を包みこむと、ぱちん、と弾けるような黄金の光。岩元素の光が凝縮してできたその場所には。
「指輪……」
「お前が昔、他の世界で指輪を贈ることはとても大切な意味があると言っていただろう。今ここで、指輪になり得るものが無かったから即席で精製したが……どうだろうか」
「鍾離先生、指輪を贈る意味ちゃんとわかってる?」
「ああ。お前の旅がいつか終わろうとも、俺とお前はずっと共にいる」
恭しく手を取られ、指輪に口付けられる。
鍾離の触れた場所から岩元素の光が零れて、共鳴しているかのようだった。
「それは、契約?」
「そうだ。承諾してくれるのならば、その証をここに」
そうしたら契約成立だと、嵌められた指輪をするりと親指でなぞられる。
岩の神の契約だなんてとても重たいと思うと同時に、この想いを捨てずにいてもいいのだと、重さで繋ぎ止めようとしてくれる鍾離の愛に、空は。
左手を掲げて、金色の光が溢れ出る指輪にそっと唇を触れさせる。
「これで、ずっと一緒だ」
顎を取られて口付けられた。角度を変えて何度も啄まれるうちに、頭がぼんやりとしてくる。その様子を見てからか、空が驚かない程度の強引さで横抱きにすると、丁寧に運ばれてベッドの中へと連れ戻される。
体を包んでいた毛布を取り払われて、直接抱きしめられる。鍾離の暖かさも、ゆっくりと刻まれる心音も何もかもが空の大好きなものだった。
「さあ、眠るといい。俺の星はここで光ってくれればいい」
星に例えられて、鍾離には空の不安も羨望も何もかもがお見通しだったのだと悟る。
でもそれなら、最後には貴方と一緒にあの夜空に連れて行って欲しいと願ってもいいだろうか。
『貴方の星座の一番輝く星になりたい』
そんな風に言ったら、貴方はなんて言うだろうか。いつものように朗らかに笑って、キスをしてくれるのだろうか。
それはとても幸せなことだなと、空は温かな腕の中でそっと目を閉じた。