夜明け前 薄暗い中、じっと目と耳でゲンの様子を観察した。
隣から静かに規則的な寝息が聞こえるのをしっかり確認してから千空はゆっくりと身体を動かす。僅かな軋みにも細心の注意を払って何度も何度もゲンの顔を確認する。
――よし、寝てんな。
通った鼻筋に切れ長の目、頬に刻まれたひび……その全てがバランスよく揃っているように見える。左右で色の分かれた髪、白髪なのは精神的なものか遺伝か、石化後に起きた現象らしい。初見では物珍しかったが、今ではすっかり見慣れてしまっている。
――やっぱりテメ―の方が顔はいいじゃねぇか。
薄く開いて寝息を立てている男の唇は昨夜散々「千空ちゃん可愛い」、「好き」とこれでもかと言わんばかりに愛の言葉を千空に降り注いだ。言っているゲンは言いたいだけなのだろうが、言われている千空は恥ずかしさしか思い出に残らない。
――まぁ、俺も人のことは言えないってことか。
恋は盲目。惚れた相手を見るときは欠点さえ光って見える。
――弛緩した表情、寝息のリズム、いつもの入眠時間……よしイケる。
観察出来る全ての情報からゲンが寝ていること計算のゴリ押しで判断する。注意深く近づいてそっと唇にキスをする。
触れるか触れないかの接触に終わってそのまま離れようとすると、うっすら目を開けたゲンと視線がぶつかった。途端に顔からサーッと血の気が引いていく。
声を上げるよりも早く伸びてきた逞しい手に後頭部をわし掴みにされて千空は胸元に抑え込まれてしまった。
「千空ちゃんの髪、触角みたいで可愛いけどくすぐったい」
謎の感想を零すゲンに髪を無造作に撫で繰り回され、顔を埋められる。
「ちょっ、やめろ」
どうやら触角と形容されたクセ毛がゲンを起こした犯人らしい。逆立つクセ毛に反して重力に応じているこの前髪を可愛いと思う気持ちは千空にはない。ゲンの感覚は千空のそれとは違うらしい。
身体をジタバタさせると毛皮とゲンの体臭が混ざって香った。もがく千空をゲンが抱きしめ直すとようやく腕の力が緩められた。
「全然足りない」
ゲンが触れただけの千空のキスに不満を漏らす。まさかの一言だ。顔をあげてゲンを見るとゲンがぺろりと舌なめずりをした。形の良いゲンの唇がうっすら濡れて艶めき、空いた隙間からは白い歯が覗く。
ぎょっとして身を引こうとしたが、がっしりと両手で耳と頬を挟まれてしまえばミジンコパワーと揶揄される程非力な千空が逃げることは不可能だ。
「お姫様のキスで起こされちゃったからお休みのキスで寝せてくれない?」
「テメ―が勝手に起きただけだろうが」
「やだなぁ~、寝込み襲った千空ちゃんが言う? で、俺はまだ満足してないのよ」
「俺の計算は完璧だった」
「発想がゴイスーだけど、俺メンタリストだから表情で人を騙すの得意なんだよね」
最奥に熱がゆらぐ瞳で見つめられて、千空は固唾を飲んだ。その千空の唾液を飲み込む小さな咽喉の上下さえ、じっとゲンに見張られている。
「そのまま黙って寝てろ」
ゲンの右の人差し指が優しさを持って千空の耳に触れ、もみあげの生え際を撫でる。両の親指で耳の入り口をくすぐったい程度にまさぐられ、耳たぶを揉まれても千空はゲンから目を離せない。
視線を外したいのはやまやまだがゲンの笑っていない目がそれをさせない。
「こんな可愛く寝込みを襲われちゃそのまま寝るなんてリーム―」
爛々とする狩人の目をされてはじゃあ、寝てろ、と文句一つ言うのも躊躇われる。
じっとりとした汗が額と背中に滲んできた。
「緊張してるね~、リラックスする?」
言うが早いか髪の中に右手を入れられた。左手で顎を掬って固定されると、ゲンの唇が千空のそれを覆う。いつも軽快に嘘を吐き出す唇は想像していたよりも弾力があって、柔らかい。
強引に口づけられて結んでしまった千空の唇をゲンの舌が舐める。たじろいで半開きになった隙間から滑るようにして舌が口腔内に侵入してきた。わざとらしく大きく淫猥な水音を立てて舌を絡めようとする。堪らず交戦しようとすれば軽く噛まれた。
「んんんっ」
離れようとしてゲンの胸を押すがミジンコの力では勝てない。ゲンはモヤシと自虐するがそれは周囲の男性よりも非力だというだけだ。
歯肉をなぞられ、頬の内側の粘膜を舌で突かれ、絡めたり吸ったりを繰り返しての刺激で唾液が口の中にあふれ出くる。
唾液をじゅるじゅると吸い上げられ、唇の端から漏れた唾液が流れる。上顎の裏を突かれるのがくすぐったさに身をよじれば角度を変えてさらに深く侵入された。
何度も同じようなことをしているのにゲンの舌はいつも違う生き物のように千空を翻弄させる。そうやってようやく解放された頃には息の仕方も忘れていた
「千空ちゃん、生きてる?」
脱力する俺の身体を抱き支えたゲンがわざとらしく心配する。誰のせいだときつく睨むと「メンゴ~」とへらへらされた。謝りさえすれば何でもいいわけでないことぐらい、わかっているだろうに。
「テメ―の普段からよく喋る舌はキスの間もじっとしてないんだな」
「それ関係ある?」
「毎回酸欠になりかけるわ」
「じゃあ、息の仕方教えてあげるね~」
近づいてくるゲンの頭を小突く。余裕のある顔に自分のミッションが失敗した苛立ちが蘇る。
「こんだけ余力があるんなら明日からテメ―に割り振る作業、倍にするわ」
「ドイヒ―、普段デレない千空ちゃんが悪いんでしょ」
「お元気いっぱいだな、さらに追加しとくわ」
顔を歪めて笑えば、ゲンの顔が一瞬引き攣って、それから怯えたような表情をして見せた。
コイツの顔芸、見飽きることがないのはエンターティナーだからだろうか。
「千空ちゃん、ジーマーでドイヒ―作業させる気なのね」
「ククク、疲れたらまた俺で充電させてやるよ」
疲れさせて今度こそぐっすり眠らせ、寝込みを襲ってやるぜ。
「充電? え? それで俺の体力回復すると思ってんの」
「いつも回復してんだろ?」
「精神力は回復しても体力は無限じゃないからね! 俺の体力はスマホのバッテリーじゃないの!」
「明日作るの、マンガン電池ってよくわかったな。正解百億万点だ。あれこれ使うんで今回もよろしくな」
「そうじゃないけど、やっぱりドイヒ―作業だった……」
「期待してんぜー」
耳の穴をほじりながら告げれば、「耳が傷付くよ」とたしなめられた。指と穴のサイズは計算してるからそんな心配いらねぇのに。俺の身体を心配するのならあの長いキスで俺を酸欠に陥らせるのを止めていただきたいものだ。
「やっぱり千空ちゃん、もう一度キスさせて! 今度はお休みのキス!」
「さっき散々貪っただろうが!」
「じゃあ、ハグ」
「勝手に寝ろ」
突き放すように言えば、都合よく解釈したらしいゲンが満面の笑みで両腕を広げて俺を包み込んだ。勝手に俺をハグして寝るようだ。もう、怒る気にもなれない。
「窒息させんの、ナシだからな」
「うん」
夜明けまで数時間。明日のゲンの悲鳴までのカウントダウン。数えることを止めて俺はゲンの腕を枕にして眠りについた。
≪END≫
支部にて2021年5月25日に初出