カノジョと住所変更私は社畜である。学生時代は趣味とバイトに明け暮れ、卒論も就活もギリギリで卒業した女だ。当然、3月まで社員を募集している会社がホワイトなはずもなく、日夜仕事に追われてそろそろ過労でぶっ倒れてしまいそうである。今日は貴重な休日。日がな一日睡眠に費やしたい所だが、生憎やることが積み重なっている。まずは最初にとずっと開けていなかったポストを開け、郵便物を確認する。チラシだけだろうと高を括っていたが、表にでかでかと【重要】と書かれた物々しい通知が目を引いた。
「え、重要?」
本能的に「まずい」という思いから勢いよくビリビリと書類を破り、中身を確認する。中には別人へ宛てた国民健康保険料の督促状が入っていた。
「どうしよ……開けちゃったよ」
名前から察するにこの部屋の前の住人は女性のようだった。引っ越してから住所変更しないなんて、よっぽどのズボラか私のように手続きする暇もない社畜なんだろうか。いや、流石の私でも引っ越した時は変更したけど。その後国民年金の特別催告状まで届いているのを見つけて、ズボラな人からヤバイ人に進化を遂げた。これはヤバい。
「とりあえず大家さんに連絡かな~……」
社畜生活の癒やしであり、よく話す仲の良い大家さんなので連絡することに躊躇はない、けど。貴重な休日にやらないといけないことが増えていく……。頭を抱えながら電話した。
大家さんに連絡すると、やはり郵便物が届いていた人物は前の住人らしい。「住所変更していなかったんでしょうね。ご迷惑をおかけしてすみません」と謝罪をもらった。郵便物に関しては補修の上誤って開封した旨、以前の住人宛である旨を記載し投函してもらいたいとの指示も受けた。
数日後、出社前に郵便物を投函したことを大家さんに報告した。
「すみませんね。色々とご迷惑を」
「いえいえ。私もズボラなので住所変更しないのも少しだけ気持ちが分かるというか……実際には手続きしますけどね!」
ふふ、と笑った大家さんは前の住人に話を戻した。
「家賃を滞納したことはないし、住所変更も当たり前にしそうな方だったんですけどね」
「あ、そうなんですか。忙しいんですかね」
「そうかもしれませんね。登録していた電話番号ももう使っていないみたいで。連絡が取れない状況なんです」
「えっ。電話も繋がらないんですか」
「はい。保証人も代行サービスを使っていた方だから……。引っ越しの時は彼氏さんと来てたけど、一度見かけた彼氏さんの連絡先なんて知るはずもないですし……後は行政にお任せしようと思ってます」
住所は変更しない、電話は繋がらない、挙句身元保証人はおらず代行サービス?
聞けば聞くほど不安になる要素しかない。
「あの……事件性はない、です、よね」
「ない、と思いたいですけどね……」
これ以上はどうしようもないのはその通りだけど、前の住人の無事が気になって仕方ない一日を過ごすことになった。
退勤ラッシュを大幅に過ぎた時間帯。最早ガラガラの電車の席に座りスマホをいじっている時、ふと前の不可解な住人が頭をよぎった。
人のことをあれこれ考える余裕はないはずだけど、どうにも気にかかる。
自分が今のアパートに入居してからしばらく経つ。それなのになぜ初めて目にした通知が納付関係の通知だったのか。普通他にも色々郵便物が届きそうなものだけど。
ああでもない、こうでもないと人物像を組み立てては崩していく。
「どんな人だったのかな」
その後、二度と誤った郵便物が届くことはなく。
私は仕事に忙殺され、彼女のことを忘れていった。