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    いぬがみ クロ

    @inugamikuro

    ときメモGS4にハマった字書き犬。二次妄想小説を書き散らします。よかったら仲良くしてください。

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    いぬがみ クロ

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    みかマリループもの6話。
    ワードパレットのキーワードをもとにSSを書いて、繋げて、1つのループもの小説を書いています。

    #ときメモGS4
    tokiMemoGs4
    #御影小次郎
    mikageKojiro
    #みかマリ
    unmarried
    #こじマリ
    partialMariology

    6.春嵐(キーワード:微笑み、死体の埋まる花、桜吹雪)


     皆さん、はじめまして。私の名前は小波 美奈子といいます。十八歳になったばかりの高校三年生です。
     今日は私の悩み……というか、愚痴を聞いてください。
     内容は、担任の先生についてです。
     私は「はばたき学園」という学校に通っています。部活や行事も盛んだし、生徒どうしも仲が良くて、毎日楽しいです。
     だけど唯一、先生が――いえ、ほとんどの先生は厳しくも心の温かい、尊敬できる方々です。
     ただ私の担任の、御影 小次郎 先生だけは……。
     不気味。変。気持ち悪い。
     私は彼のことが大・大・大嫌いなのです……。




     バイトや勉強で忙しくなるだろうから、部活になど入るつもりはなかった。――だけど。

    「受験で推薦枠を狙ってるなら、なんか入っといたほうが内申点は稼げるぞ」

     担任教師にそう唆され、その流れで、彼が顧問を務める園芸部に入ったのだが……。

    「……………」

     軍手をはめた手で小型のシャベルを持ち、地面に斜めに突き刺す。尖った先端に土を乗せると、ひょいと遠くへ飛ばした。一連の動作を素早く何度も繰り返しつつ、もう片方の手で雑草を抜き、掘った土から顔を出した虫をつまんで放るのも忘れない。テキパキと無駄のないその所作は、すっかり熟練のガーデナーである。

     ――こんなはずじゃなかった……。

     吸いつくように手に馴染む「相棒」のシャベルをふと止めて、小波 美奈子は顔を上げた。彼女の目線の先には、男子部員と向かい合い、なにか打ち合わせをしている大人の男性がいる。
     物凄く背が高く、逞しい体つきをした男。そこいらの芸能人よりも整った顔と、長く伸ばした癖っ毛のせいでおおよそ信じられないが、彼は教師なのだ。
     名は、御影小次郎。美奈子を園芸部に誘った張本人だ。
     その姿が目に入るたび、美奈子の胸の内には、沸騰した湯の表面に湧いてくる泡のように、ボコボコと恨み言が浮かんでくる。
     ――騙された。
     まだ入学したばかりの、いたいけな一年生だった美奈子に、当時も担任だった御影は言ったのだ。

    「俺が顧問をやってる園芸部はいいぞ~。まあ地味だけど、ほかんとこと比べれば活動量も少なめだ。だから、バイトや勉強の邪魔にはならねえんじゃねえの?」

     そんな勧誘にホイホイ釣られて入部してみれば、だが実際は、他の部活と比べても劣らぬ忙しさだったのだ。
     土壌の整備、種まき、肥料と水をやって……。植えた花や作物に対しては、それ以外にも細々と世話をしてやる必要がある。

     ――日焼け対策も大変だし、農作業は足腰にクルし……!

     高校生活における部活動は、予想外の負担となっている。だが美奈子は園芸部をやめようとは微塵も思わなかった。手間をかければかけるほど、それに応えるようにぐんぐん成長していく植物たちに、愛着を感じるようになってしまったからだ。

     ――そういうのも、なんか悔しいんだよね!

     一度ハマると、とことん極めたくなる。そんな自分の性質を、あのいけすかない担任教師に見透かされているようで――。
     よそを向いていた御影の瞳が動き、ぐるっと辺りを見渡す。紫の光が自分に当たる前に、美奈子はさっと俯いた。数秒後、いまいましい男の視線が無事頭上を通過していったのを感じ、ホッと息をつく。
     なんでこんな、サーチライトに怯える泥棒のような、余計な緊張感を持たねばならないのか……。
     イライラと歯ぎしりしていると、仲の良い女子部員ふたりが、美奈子の隣にしゃがみ込んだ。

    「はああ……。今日も御影先生、かっこいいねえ……。潤うわー」

     ひとりが、持ってきた肥料の袋を開けながら、熱っぽくつぶやく。

    「そうかなあ」

     美奈子はざっくざっくと地面をシャベルで突きながら、そっけなく応じた。

    「もう、クールだな、美奈子は! あんなかっこいい人、はばたき市中探してもいないんだからね!」
    「えー? 私はモデルの葉月 珪さんとか、NaNaのほうが全然いいと思うけどなあ」
    「そんな天上人と比べるのは反則だよ!」

     いきり立つ女子部員に、もうひとりがからかうように言う。

    「まあまあ。美奈子は風真くんとか本多くんとか、別のイケメンに囲まれてるから、目が肥えてるんだよ」
    「うーん。まあ確かに風真くんたちはかっこいいけど、そうじゃなくて……。なんか御影先生って、怖くない?」

     美奈子が真剣にそう言うと、しかし女子部員たちはゲラゲラと笑い出した。

    「怖い? どこが? あんな面白い先生、いないじゃん! 教頭先生のことなら分かるけど!」
    「……………」

     やはり御影に対して否定的なのは、自分だけなのだろうか。
     むしろ美奈子は、鬼だとか冷酷だなどと評される氷室教頭のような、分かりやすい厳格さを持ち合わせた男性こそ好ましく思う。その対極にいる御影は、親しみやすいだとか陽キャだとか言われているが、それを胡散臭く感じてしまうのだ。
     そう、御影が醸し出す実際の雰囲気は、世間の評判と乖離している気がしてならない。

     ――なにが、どこが、明るいイケメン?

     彼には、気がつけば後ろに立っているとか、自分をじっと凝視しているとか、そういうことが頻繁にあった。きっとクソヤバな本性を隠しているに違いない。
     だから美奈子は――巣を張り巡らした蜘蛛が、その糸で自分を絡め取ろうとしているのではないか。そんな恐怖を、御影に対して抱いているのだ。だが、ただの自意識過剰だろうという自覚もあるから、自分の考えを誰にも言えないでいるのだが。

    「ね、ね。今週末、映画行かない? ほら今、なんか賞取ったやつ、やってるじゃん」
    「あっ、見たい見たい! 行こう!」

     サイコロを振ってコロコロ変わる面のように、女子たちの話題は目まぐるしく変わる。それがまた楽しい。
     確かにこういった気のおけない友人たちを得られたわけだから、園芸部に入った意義は十分あったのかもしれないけれど。
     美奈子は大口を開けて笑いながら、そんなことを思った。




     日が沈む前に皆で後片付けをして、屋外から校舎内に移動した。ジャージから制服に着替えて部室に向かい、各々日誌を書いたあと、順次解散となる。
     園芸部の友人たちから「一緒に帰ろう」と誘われたが、美奈子は断った。

    「ごめんね。ちょっと寄るところがあるの!」

     そう、学園の裏庭の桜が、ちょうど今、満開なのだ。陽光のもと咲き誇ったそれらは既に鑑賞済みだが、夜の姿も観ておきたかった。
     目的の場所に向かう途中、同じく夜桜見物に足を運んだらしい数人の生徒とすれ違う。裏庭に辿り着くと、ちょうど無人だった。これ幸いとスマートフォンを構え、撮影を始める。ひととおり画像に収めると、美奈子は満足げに鼻から息を抜き、あらためて堂々たる桜の佇まいを目で楽しんだ。
     裏庭にて、校舎に沿うよう横一列に植えられているのは、ソメイヨシノが五本。樹齢は二十年ほどと聞く。

    「綺麗だあ……」

     思わず声が漏れた。
     薄桃色の花が、夜闇に包まれ、ぼんやりと淡く光っている。
     桜の持つ魔力なのだろうか、辺りからは全ての音が消え、美奈子は今、静寂の只中にいる。別世界に足を踏み入れたような、不思議な感覚だった。

    「小波」
    「!?」

     俗世から隔てられた空間。その雰囲気にすっかり浸っていたから、だから不意に背後から声をかけられて、美奈子はすくみあがった。
     だが自分を呼んだ、独特の癖のある声は誰のものか、確かめなくても分かる。担任の御影 小次郎のものだ。
     口をへの字に曲げながら美奈子が嫌々振り返ると、果たして御影がこちらに近づいてくるところだった。

    「おまえが裏庭に行こうとするのが、理科準備室から見えたんでな。学園の敷地内とはいえもう暗いから、早く帰れ。親御さんも心配するだろ」

     そう言いながらも、御影は美奈子の横に立ち、桜を見上げた。

    「はい……」

     すぐ走って逃げるのも大人気ない気がして、仕方なく美奈子も御影の隣で、ぼうっと桜を眺めた。

    「……………」

     場の白々した空気を感じ取ったのだろう、御影は苦笑した。

    「別に、もう行っていいぞ。おまえが俺のことを嫌いなのは、ちゃんと分かってるから」
    「え……」

     どんな気持ちで言っているのだろう。ふざけているのか。冗談なのか。――本気なのか。
     美奈子はそっと御影の横顔を覗き見るが、彼の感情は読めなかった。
     思えばこの教師とは、高校三年間ずっと一緒だ。あの氷室教頭が目を光らせている以上、クラス編成に個人的な作為が入り込む余地はないだろうから、偶然だろうが……。これが腐れ縁というやつか。
     すっと通った鼻筋に、切れ長の目。友人たちがきゃあきゃあ騒ぐだけあって、御影は確かに見目麗しい。だが美奈子はそんな彼を前にすると、ムカムカと腹が立ってしょうがないのだ。

    「だって、嘘ついた……。園芸部は、楽な部活だって言ったじゃないですか……」

     いや、今この場で、そんなことを責めたいわけではないのだが。
     しかしまあ、植物というナマモノが相手では、片時も休めない。それをよく知っているくせに、自分を園芸部に勧誘したことに、頭にきているのは事実だった。時間がないと言っておいたのに……。

    「でも、楽しそうじゃん」

     さらりと御影は受け流す。彼の反論はそのとおり。美奈子にとって園芸など全く未知の分野だったが、知れば知るほど草花のしたたかな生存戦略に興味を惹かれ、いつの間にか虜になっていた。
     御影は美奈子に向き直ると、ニッと唇の端を上げた。

    「おまえはどこに放り込んでもそこに根を張り、活発に動き出す、好奇心と知識欲の塊だからさ。色んなことを経験したほうがいいと思ってな。――俺はおまえのこと、よく分かってるだろ?」

     得意げな顔をして断言され、美奈子の頬は熱くなった。照れくさいような、恥ずかしいような――。

    「キモっ! 知ったかぶりしないでください!」
    「そうだな……。悪い」

     美奈子がつい勢いで吐き出した言葉に、叩かれたような顔をして、御影は再び桜のほうを向いた。
     傷つけてしまっただろうか。美奈子は気まずく黙り込む。
     突然、強い風が吹いた。ごうっと大きな音を立てながら、美奈子たちの間を通り抜け、桜の枝を力いっぱい揺らす。
     花びらが散り、暗闇に舞った。
     先ほどまでは森閑としていた風景に、動きが加わる。幻想的であり、儚くもあり――。

    「桜の樹の下には……」
    「え?」

     御影は、しかしそのフレーズの先を口にすることはなかった。代わりにブツブツと、平淡な調子で続ける。

    「神様っていると思うか?」
    「え?」
    「この世界には続きがなく、ある一定の時がくれば巻き戻る……。おまえ、デジャヴとか感じたことないか? 同じことを繰り返していると、思ったことは?」
    「え? え?」
    「シミュレーション仮説って知ってるか?」
    「えええええ?」

     ゆっくりと首を動かし、再び自分を見詰める御影の瞳は、爛々と妖しく輝いている。美奈子はゾッとした。

     ――やっぱりこの人は変だ! おかしい!

     思わず美奈子が後ずさると、御影は彼女の腕を掴んだ。
     引き寄せられ、後頭部を大きな手で抱え込まれる。強い力だったが、しかしその手つきには、壊れものを扱うような繊細さと、ほんの少しの気弱さがあった。

     ――どうして。

     怖いのに、苛つく。この感情はなんだ?

     ――あなたは、そんな人じゃなかったでしょう?

     いつだって私を強引に抱き、なんのためらいもなくふれて。
     私はあなたのものだと乱暴に知らしめ、自身の存在を刻み込んだ――。
     フラッシュが焚かれたように、目の前がチカチカ明滅する。その隙きに御影の顔が近づいてきて、唇が重なった。

    「――!」

     なんだこれは。なにが起こっているのか。
     つま先から頭のてっぺんまで波のような衝動が押し寄せ、理性を丸々流し去ってしまう。
     ――体が動かない。
     御影は一度離れて、美奈子の瞳を至近距離からじっと見詰めながら、いたずらっ子のような口調で告げた。

    「おまえのこと、知ったかぶりするなって言ったよな? でも俺、おまえとはたくさん会ってるんだ。――夢の中で」
    「なっ……! ふざけてるんですかっ? ふざけてるんですねっ!?」

     怒りに駆られた美奈子が続けてなにか言う前に、御影はまた彼女の唇を塞いでしまった。

    「んうっ……」

     今度の口づけは深く、喰らいつかれているかのようだ。口内に舌をねじ込まれ、ねっとりと舐め回される。

    「う、せん、せい……!」

     怯え、震える声しか出せず、悔しい。心臓が耳の近くに移動したかのように、ガンガンと鳴り響く鼓動がうるさかった。
     御影の舌に自分の舌を奪われ、軽くしごかれる。お互いの唾液が混ざり合い、そしてお互い飲み込んだ。

    「や……っ! んん……!」

     ――溶けてしまう。だから、やめて。

    「知っている」。御影のあれは、なにかの暗示だったのだろうか。
     そうだ、「知っている」。この男の唇と舌の味、大きさも、どう動くのかも。
     どこかで、何度も何度も、こんなキスを交わした――。
     いや、ありえない。そんな記憶はない。これは錯覚なのだ。
     ――嫌なのに。大嫌いな男にこんなことをされているのだから、嫌だと思わなければいけないのに。
     しかしふわふわと体が浮くようで、気持ちがいい。下腹が疼き、そこで眠っていたはずのなにかが、目を覚ましてしまいそうだった。
     御影は存分に美奈子を味わってからようやく口づけを解き、太く筋肉の張った腕で彼女を掻き抱いた。

    「美奈子……」

     耳元に寄せられた形良い唇に、優しく名を呼ばれる。ありふれた自分の名前なのに、御影が囁いたそれは高貴で美しくて、特別な響きを伴っていた。
     ――愛する者を呼ぶ声。
     幸福に胸が踊り、だがその直後、得体の知れない恐怖と悲しみが覆いかぶさってくる。

    「やめて……。そんな風に呼ばないで……」
    「美奈子……?」

     美奈子は首を振る。

    「私のことじゃ、ないんでしょう……?」
    「え……?」

     自分を抱く腕から、一瞬、力が抜ける。その隙に美奈子は身を捩り、御影から逃れた。

    「先生のバカッ! 変態! 気持ち悪っ! 先生が生徒にこんなことしていいと思ってるんですか!? もう私に近づかないでください!」

     力の限りそう叫ぶと、美奈子は地面に置いてあったカバンを持ち上げ、勢い良く駆け出した。
     ひとり残された御影は、遠ざかっていく教え子の後ろ姿を見送りながら、つぶやいた。

    「桜の樹の下には屍体が埋まっている……」

     そのような一文で始まる小説があるのだ。
     御影は夢想する。優美な花をつける樹木の下に、愛しい女の亡骸が横たわっている光景を。
     一体、二体、三体……。いや、もっとだろうか。
     だが、それはあり得ないことだ。彼女たちは塵芥ひとつ残さず、消滅してしまうのだから。
     だからそれは「死」ではないと、思い込もうとした。

     ――しかし、許されるわけがない。

     何度も何回も、最愛の女を消した。何度も何回も。
     口では「愛している」などとのたまいながら、「自分の知る彼女ではない」という浅はかな理由をつけて消した。
     俺を愛さない美奈子なんて、価値がない。必要ない。そんなひとりよがりな考えで、消して、消して、消して――。
     幾人もの美奈子に拒まれ、「私が愛しているのはあなたではない」と宣告され、だから消す。
     虚しい作業を繰り返すたびに擦り切れて、ああ、きっと俺自身も、もうじき消えるだろう。
     それはきっと、次の春。
     もう一度、美奈子の卒業を見送って、限界がくる。それ以上は耐えられない。
     すまなかった。ごめんなさい。だがどれだけ謝っても、きっと許されない。
     俺が消してしまった美奈子には、きっとそれぞれ幸せな結末が待っていただろうに。
     思えば、俺と美奈子が結ばれた、あれこそがなにかの誤りだったのかもしれない。
     くたびれているくせに大人になりきれない教師と、キラキラ輝く、可能性に満ちた少女。
     そんな二人の未来が、重なるわけがなかったのだ。
     ただの傍観者。きっとそれが本来の俺の役目。
     なのに余計な夢を見て、美奈子の人生を邪魔している。
     だからこの不可解なループ現象は終わらないのではないか。

     ――すなわち、俺が消えれば。
     世界は正常に回り出す。




     御影 小次郎が理科準備室に戻れば、一人の生徒が待ち構えていた。
     部屋の中央でちょこんと椅子に座り、帰ってきた教師に微笑みかけた彼は、柊 夜ノ介という。

    「お、夜ノ介。どうした、こんな時間に。待たせたか? 悪かったな~」

     御影は笑顔を作り、ひとまず部屋の奥へ足を進め、自分のデスクの前に立った。

    「こんばんは。美奈子さんとのお話は楽しかったですか?」
    「ん? ああ……」

     裏庭で美奈子といるところを、どこからか見られていたのか。
     柊の近くへ運ぼうと、御影はデスクチェアを引いた。だがその手は、教え子の問いかけを聞いて、止まる。

    「諦めの悪い人だ。美奈子さんは絶対にあなたのものにはならない。――気づいているんでしょう? なのに、まだ足掻くんですか?」
    「……!」

     姿勢を改め、御影は振り向いた。柊はニコニコと笑っている。

    「夜ノ介……じゃないな。おまえは誰だ」

     立ち上がると、柊は麗美な仕草でお辞儀をして見せた。

    「借りものの体と声で恐縮です。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。あなたを地獄に落としておきながら、礼を欠いておりました」
    『地獄に落とした』。つまりこの男が、自分をこの不条理な世界に押し込んだ張本人か。
     眉をピクリと動かし、だが御影はこみ上げてくる様々な感情を殺した。

    「ご丁寧にどうも。千両役者の姿かたちを真似て登場とは、さすが神様。分かってるねえ」
    「ははは。この柊くんの外見や声は、とても見栄えがしますからね。重要人物に見えるでしょう?」

     御影に茶化され、柊は朗らかに笑った。

    「んで? 俺をこの鳥かごから出してくれるために現れた……わけじゃねえんだろ?」
    「察しがいい。単に興味が湧き、あなたに接触を試みただけです。平たく言えば、『今どんな気持ちぃ?』とお聞きしたかった。僕は舞台を用意し、設定をいじることはできても、演者の内面まで覗くことはできません。魂と心は、個々のものですからね」
    「それはそれは……。プライバシーに配慮してくれる、優しい世界だなあ」

     皮肉をつぶやき、はあと重い息を吐いてから、御影は尋ねた。

    「おまえの目的はなんだ?」
    「はっきり言って、ありません。あなたがここにいるだけで、僕の目的は達成されています。それでもこの世界を起動し続けているのは、ただの好奇心ですから。――あなたはいつ、くじけるのだろうか、と」
    「……………」

     御影は唇を噛む。
     なんとなく予感はしていた。日々過ごす中でふと、第三者の視線を感じることがあったからだ。そして絶望に囚われたときには、誰かの冷笑が耳をかすめた……。

    「おまえのことは、なんて呼べばいい? 『夜ノ介』とは呼びたくねえぞ」
    「そうですね……。『エス』とでも。あなたが御影で、『M』だからね。ふふ、名は体を表すとはよく言ったものです」
    「違いねえな。ドMでもなきゃ、こんな世界に居続けてねえ」

     聞きたいことはたくさんあったはずだ。しかし冷静を装っていても、突然の黒幕の登場に混乱し、質問が思い浮かばない。御影は額にゴチゴチと手の付け根を当てた。

    「ループを止めてくれとか、この世界から出してくれっつっても、ダメなんだろ?」
    「はい。僕は僕のゲームを、まだやめる気はありませんので」

     相手は超常現象を操るような輩だ。力づくでどうこうはできないだろう。
     黙り込んでしまった御影を一瞥し、薄く笑うと、「エス」は立ち去ろうとした。

    「それではまた。――あ」

     横開きの戸に手を伸ばしたところで、忘れものでもしたかのように、「エス」は振り返った。

    「あなたは僕を『神様』と呼んだね。シミュレーション仮説を持ち出したあたり、そういう考えに至ったのだろうと推察しますが、僕は神様ではありません。そういう存在は、別にいます」
    「え?」
    「神のために働く、つまり僕は天使ってやつですかね。ふふふ。そしてあなたも、僕と同等の力を得た。油断ならないね……」

     とても楽しそうに目を細めて笑うと、「エス」は理科準備室を出ていった。
     静かになった室内で、御影はデスクに腰を下ろし、天井を仰ぎ見る。
     結局「エス」の目的はよく分からなかったが、自分が彼の興味の的であると言っていた。
    「なんだぁ……。やっぱ俺が消えれば、この世界は正常に戻るんじゃねえか」
     視界を上から下へ。床、いや地の底を、御影はしばらく眺めた。


     ~ 終 ~

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