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    一日遅れたのですが、呪0地上波放送記念で!
    WEBオンリーで発行した「揺蕩う白銀」の一章部分を少し削って、これだけでも読みやすいようにしてみました。(本編に関わりありそうなとこ消してます)

    揺蕩う白銀「憂太の事が好きだよ」

     雪が解けてもまだ、肌寒さの残る季節。桜の木にようやく、蕾が見え始めた頃。呪術高専に来て二度目の春が、もうすぐ傍まで迫っていた時だ。
    校門の前で出迎えてくれた五条に、開口一番に告げられた言葉。理解が追い付かず、踏み出そうとした足が止まる。肩からずり落ちかけた刀袋の紐を握り締め、「えぇぇ」と心の中で叫ぶ。
     特級と言う未知の領域に踏み入れて早々、次から次へと与えられる任務に呪術界の闇を見た。里香がいた時とは違って、己の意思と力で上り詰めた場所。決して楽な道のりではなかったが、その後の洗礼も無茶苦茶なものだ。
     北から南、西に東へ。呪いが出現すれば、駆り出される日々。五条が毎日のように、不満を漏らすのも無理はないか。低級の呪霊だろうとお構いなし、どんなことが起ころうとも一人で事足りるのが特級呪術師である。そのおかげでさんざん振り回され、三日ぶりに帰って来た乙骨には刺激が強すぎた。
    「は、え? はい」
    「だから、憂太の事が好きだよって」
    「な、何で今なんですか?」
    「春だから」
     藍色の空の下、漂う静寂の中で梟が鳴く。夜の独特な匂いに混じって、頬を掠めたのは眠気を覚ますような冷たい風。ぶるりと身体が震えたことに、気付かれてはいないだろうか。友人たちはもう寝てしまったかな、と場違いなことを考えてしまうくらいには、頭の中は混乱している。いっそのこと無視を決め込んで、寮の部屋まで一直線に駆け出してしまえばよかった。
     心情は全く持って穏やかではないが、努めて冷静に返したつもりだ。それなのに五条との会話が成立しない。疲れなんて一瞬で吹き飛び、バクバクと心臓が早鐘を打つ。人気のない場所、誰かに見つかることもない時間。いつ戻ってくるかも定かではない中で、わざわざ五条は自分の帰りを待っていてくれたのか。
     ポカンとしていたのは一刻、ハッと渇いた咥内を唾液で潤す。理由がおかしい。前触れもなかった。突然すぎて、ドッキリかとさえ勘繰ってしまう。常に顔を合わせているのに、緊張すること自体間違っている。そんな困惑を悟られないように、ぶんぶんと首を横に振った。
    「いやいや、意味がわかんないんですけど」
    「そのまんまだって。冗談だと思ってる? 残念だけど冗談でも嘘でもないから」
    「どうして……」
    「憂太を見てたらさ、目が離せなくなってたんだよね」
    「危なっかしいからでは?」
    「いんや、違うね。そんな単純なものじゃない」
     するりとアイマスクが外され、青い輝きを帯びた両眼が露わとなる。ゾワッと背筋が粟立つような感覚は、恐怖ではない。ただその目で見られると、胸がざわつくのだ。
    ありとあらゆるものが暴かれそうで、落ち着かないのは何故か。真剣な表情など滅多に見ないからこそ尚更、差し支えのない言葉を選ぶ。
    「急、ですね……」
    「そお? これでも我慢した方なんだけどね。時期は見誤りたくなかったし」
    「時期?」
     それが何を指しているのかわからず、ついつい眉を顰めた。疑っているだとか、不審に思っているだとかではなく、単純に不思議だっただけの話。肩を竦めながらどこか楽しそうな五条は、悪いことを企んでいるような顔をしている。本当ならば深追いしない方が身の為、けれどそうもいかないのが現実だ。
     トン、トン、と靴音を鳴らしながら近付かれ、目の前には黒い長身の影。反射的に見上げれば、にんまりと口角が引き上げられていく。抜け出せない罠に嵌まったかのような、解けない糸に絡め取られたような錯覚。それほどまでに五条の視線は熱かった。
    「憂太は、僕の事どう思ってる?」
    「え? 先生は、先生、で……ッ!」
     ひゅっと息を呑む。一言、一言を確認するように、自分へと言い聞かせたのは失敗だ。 “先生は先生で、それ以外の何でもない ”わけがなかった。カァァと頬が熱を持ち、わなわなと慄く唇。気付いてしまったのではなく、気付かされたと言うべきか。
    五条は乙骨の心まで見抜いていたのだとしたら、完全にお手上げである。自分が鈍いだけなのか、はたまた彼が鋭いだけなのか。どちらにしても認めざるを得ない。
     乙骨はあの日から、自責の念にかられている。ふとした際に後悔を思い出す。脳裏を掠めるのは、幼い頃に結婚を誓った相手。『幸せだった』と言って、消えてしまったあの子のことだ。自分に非があったはずなのに責められることもなく、優しい笑顔だけが遺された。
     誰かを好きになるのが悪ではなくとも、乙骨にとっては簡単ではない。裏切ってしまうような、自分だけが幸せになることへの憂慮。彼女はそんなことを非難もしないのに、己の性格もあるのだろう。
     俯けば五条の手が頭に乗せられる。恥ずかしくなったり、落ち込んだり、情緒不安定もいいところだ。ポーカーフェイスには自信があった。余程の事がない限り、感情が揺れ動くこともない。そんな自分の強みはどこへやら、ぎゅっと口を噤む。それを見兼ねてか、五条の手が頬へと下りて来た。
    「憂太はさ、自然と壁を作ってると思ったんだよね」
    「か、べ、ですか?」
    「壁と言うよりも、自分への縛りかな? 無意識ながらも他人に、好意を抱かないようにしてたんじゃないの?」
     ほんのりと冷たい指先が、目の下の隈をゆっくりと撫でていく。まるで涙を拭うような素振りに、鼻の奥がツンッと痛くなった。泣いてはいない。でも、泣きたい気がする。図星で言い訳など出来るわけもなくて、何とも言い難い喪失感が乙骨を襲う。
     数か月前の自分なら諦めて、突き放していた。五条が許さなくとも、頑固として受け入れなかったはずだ。それが今はどうだろう。相手に言わせてばかりでいいのか、と負けず嫌いな自分が煽ってくる。腹を括れ、と射貫いてくるのは五条の怪しい輝きを放つ双眸。「あー、もう」とやけくそになりたいのを堪えながら、握っていた拳を解いた。
    「僕も、僕も先生が好きです」
    「それは憂太の本心?」
    「疑ってるんですか? 確かに気付いたのは今ですけど……。でもこの想いを僕はよく知っています。それこそ、五条先生よりも」
    「へぇ、言ってくれるねぇ」
     ロマンティックの欠片もない告白。強気な姿勢で返せば、薄っすらと笑みが浮かべられる。大人だろうが、子供だろうが関係ない。五条がどんな生き方をしてきたのかはともかく、乙骨は誰よりも愛を知っている。与えることへの責任も、受け止める覚悟も。ゆえに冗談であろうと、疑念を抱かれるのは心外だ。
    「先に伝えて来たのは先生じゃないですか。それとも、里香ちゃんを忘れられない僕ではダメですか?」
    「いんや。忘れる必要なんてないよ。だって憂太は、里香と同じくらい僕の事が好きなんでしょ?」
    「っ、そ、それは……」
     乙骨の唯一の人さえをも受け入れる寛容性。ニィと白い歯を剥き出しにして、主張する五条の自信はどこから来るのか。 “もしも ”なんてネガティブな考えは、彼の辞書にはないのだろう。恥ずかしさのせいで歯切れが悪くなり、相手の行動力の良さにたじろぐ。五条は自尊心の塊、片や乙骨は奥手だ。そのため己の気持ちに気付いても、胸を張れる勇気はまだない。
     どうしたものかと動揺していれば、クククと鳴らされた喉。恐る恐る仰ぎ見た先、慈愛に満ちた五条の顔があった。認識してしまえばそれまで、途端に好きが溢れて胸の奥が擽られる。
    「そこははっきり肯定して欲しいなぁ」
    「だ、だって……そんないきなり、言えるわけな、ぃ」
    「っあー、ほんっと可愛い。だったら里香よりも夢中にさせてあげる。あの子に負けないくらい、憂太を愛してあげるよ。だって愛ほど歪んだ呪いはないからね」
     自分の思いを上手く伝えられず、小さくなった語尾。逆に五条のやる気には火が付いたらしい。持ち出されたのは以前、柔らかく窘められた言葉だ。それを彼の口から再び聞かされる本気さには、「ひぇ」と情けない悲鳴が漏れた。
    「お、お手柔らかに、お願いします」
    「じゃあまずは、お互いをもっと知るところから始めようか」
     そう言って腰を引き寄せられ、驚きから見上げれば、綺麗な青い瞳と目が合う。小さい子供が見せるような悪い顔。触れた唇の柔らかさに目を見開き、温かさに五条の服を握る。


    ***


     ほんのりと薄暗さが残る早朝。混雑する時間を避けたのは、正解だったかもしれない。人がまばらな駅内を、アナウンスと電光掲示板を頼りにホームへと向かう。子供の憧れでもある電車には、呪術師となってからは度々お世話になっていた。
     上京したばかりの時はこの広い構内で、何度迷子になったことか。近場や隣県ならば補助監督が送迎してくれるのだが、今回はその申し出を断っている。一人で行きたかったから、大した距離でもない。
     ゆったりと進んでいたエスカレーターの降り口、朝のさわやかな空気が肺を満たす。どの乗り場も空いているが、ちらほらと見かけるのはキャリーバッグを持った出張者や旅行客だろう。乙骨の荷物はリュックに刀袋だけ、日帰りの遠征としては十分か。
     溶け込むように自販機で飲み物を購入し、電車が来るのをベンチに座って待つ。端末に入っている任務の情報を眺めながら、ボトルのキャップを開けようとすれば出来た影。足元からちょっとずつ視線を上げた先、そこにいたのは五条だ。
     思いがけない人物の登場に、「は?」と呆気に取られた。なぜ彼がここにいるのか。ふらふらと出歩くのは日常茶飯事。それでも教師と術師の二束わらじを履いている五条は、毎日多忙を極めている。いざとなればどうにでもなるのだろうが、いきなり出没するのはどうかと思う。
     真っ黒な装いはいつもと変わらず、不審者に間違われそうなアイマスクは、サングラスになっていて外出仕様。コンビニに行くくらいの身軽さで、何をしに来たのかは皆目見当もつかない。けれどそんな乙骨の疑問はすぐに解決した。
    「今日の引率は僕です!」
    「え?」
    「薄い反応だねぇ。最強の五条先生が同行だよ? もっと喜んでもいいんじゃない?」
    「いや、だって……僕の任務ですよ? 戦力過多では?」
     学生であっても特級呪術師である乙骨に、引率なんてものは必要ない。しかも同じ等級の五条が付いてくるなど、異例過ぎるだろう。四級だった時ならばまだしも、今は一人で任務をこなすのが当たり前。依頼されたことを黙々とこなすだけの、簡単なお仕事である。乙骨からすれば、心配されるような内容でもなかったはずだ。
     破天荒とでも言うのか。雲みたいに掴みどころがなくて、やることなすことが唐突過ぎる。何が面白かったのかは知らないが、公共の場で仰け反って笑い出すのは止めて欲しい。人が少なくてよかったと思ってしまう。
    「あー、笑った。笑った。憂太のそう言うとこ、嫌いじゃないよ。戦力過多、ねぇ……自分の力を理解してるのはいいことだ」
    「先生には及びませんが、特級として恥じない努力はしているつもりです。やりたい放題してると、補助監督さんたちが泣きますよ?」
    「言うようになったね。一年前なんかビクビクしてたのにさぁ。ま、それはそれで可愛かったけど」
    「悪趣味。で、本当の目的は?」
    「引率は表向き、今日の僕は完全にオフ。だから憂太の邪魔をしに来たってわけ。評判の良い弟子の、成長ぶりも見てみないとね」
     誰かに迷惑が掛かっていないことには一安心。五条らしい言い分に、ヒクヒクと頬が引き上がる。
    「迷惑では? 出来れば、ご遠慮願いたいのですが」
    「辛辣ぅ……でもさ、たまには一緒に出掛けたいじゃん? この任務が終わったら、仙台に行くんでしょ? だから引率って名目で来たの」
     混沌と化した呪術界は、毎日が腹の探り合い。上層部と渡り合うのに、誠実さは無用。息をするように道化師を演じる五条だからこそ、ギリギリのところで釣り合いが取れているのだろう。
     生まれながら定められていた運命に、この人は逆らうことなく生きている。行動や言動とは正反対で、それが妙にちぐはぐしていた。辞めればいいのに、と簡単には言えない。逃げ出したくはないのか、なんて安易には聞けない。
     だからこうして自分の責務を投げ捨てて来た彼を、追い返すなど無理な話。素の柔らかい表情を見せられたら、ささやかな気分転換に付き合ってしまいたくなる。意図があったのかどうかは知らないが、一人にしてくれないところは五条らしいと言うべきか。
     到着した列車に颯爽と乗り込み、空調の効いた快適な車内で、旅行雑誌を捲る五条の用意周到さには恐れ入る。平均よりも身長が高いせいか、遠慮がちに縮こまっている姿はちょっぴり可愛い。ペラペラと紙の擦れる音を聞きながら、目を向けたのは窓の外。移り変わる景色に、二つ目の任務地でもある懐かしい故郷が思い浮かぶ。
     呪いが解けてからも、実家には一度も帰っていない。妹と連絡は取り合っているが、両親とは音信不通。乙骨の時間は里香を失った十歳で止まっていた。動き出しても尚、噛み合わない歯車がある。その最たるものが、家族との関係だろう。しかしながら呪術師としては、関わりが浅いのは好都合。下手に巻き込まなくて済む。
     最初の目的地まで二十分弱。スマホには友人たちから、お土産の催促メールが入っていた。隣の五条はいつの間にか静かになっていて、寝ているのかなと思えば「ねぇ」と掛けられた声。穏やかさに混じっているのは呆れか、応えるように横を向く。
    「今日の任務、憂太が出るほどじゃないよね? 自分から志願したって聞いたけど、何で?」
    「資料を見て、僕がやらなきゃいけないと思ったんです」
    「罪滅ぼしのつもり?」
    「いいえ。責任ですよ」
     尋ねられるとは思っていたのだ。任務の内容は呪術高専に、来る前まで通っていた学校の祓いである。里香を止めることが出来ず、同級生に怪我をさせてしまったあの日。振るわれるはずだった暴力は、彼女によってことごとく捻じ伏せられた。双方に痛みを残して。
     だが、それだけでは終わらなかったらしい。学校に留まってしまった己の残穢。そこから呪いが湧き出していると知ったら、居ても立ってもいられなくなった。普通ならばトラウマになっていても、おかしくはない事件。そんな現場に赴こうとしているのだから、マトモではないのかもしれない。五条は気に掛けてくれているのか。
    「真面目だなぁ。君の残穢が影響してるのは事実だけど、わざわざ憂太が行く必要はないと僕は思うね。他の術師でも十分対処できる」
    「これは僕の我儘です。後片付け、みたいなものですよ」
    「未練がましいんじゃない?」
    「別に、未練なんてものはありません。ただ――」
     他人に任せるくらいなら、自分の手で終わらせたい。罪は消えなくとも、過去との決別にはぴったりだ。半分以上が不登校だった乙骨にとって、学校に愛着や思い入れなんてものはない。周りを不幸にしないように、遠ざけていた矢先の悪夢。行かなければ、止められたら――は単なる仮定で、起こってしまってからではただの後悔である。
     自分で蒔いてしまった種。私情を挟むのは好ましくないのだろうが、この件に関しては譲れなかった。聞かされたのはたまたま、結果的には良かったと思う。実を言えば伊地知には止められていて、押し切ったのは乙骨だ。
     補助監督の中でも彼は、親身になってくれる人。古傷を抉ろうとしている愚かな自分を、見過ごせなかったのかもしれない。心労を掛けてしまったと反省。口を閉ざしている間に五条も諦めたらしく、溜め息が零される。
    「そこまで言うなら僕はこれ以上、口を挟まない。憂太のやりたいようにやりな。さっさと片付けて、杜の都に行くよ」
    「そっちが目当てですよね?」
    「他に何があんの? デート、だよ。二人で遠出なんて滅多に出来ないんだから、三十分以内に祓えなかったらデコピンね」
    「理不尽だ」
     勝手に付いてきておいて、暴論ではないのか。それよりもデート、と言われてドキリとした。任務以外で五条と出掛けたのは、両手で数えられるくらいしかない。それもスーパーやショッピングモール、ラーメン屋にファミレスと、どこにでもありそうな場所ばかりだ。
     お互いに忙しいのもあるが、告白されてから、恋人となってから、何か変わったことなどあったか。きゅうっと胸が、締め付けられるような焦燥感。任務前に何をやっているのだろう。スタスタと前を歩く五条の背中を見つめながら、気を紛らわせるように制服の襟を掴む。
     どんなに嫌な記憶であろうと、学校までの道のりは覚えている。転校して一年半しか経っていないのだから当然か。ましてや閑静な住宅街の中にある学び舎だからこそ目立つ。引き寄せられるように、見えて来た全貌。大勢の思い出になる場所には、呪いが吹き溜まり易いとは言うが、異常なほど違和感があった。
    「ここかぁ……少しって聞いてたんだけど、濃いね」
     早い時間でもあり、臨時休校ともなれば校舎に生徒の姿はない。漂っているのは濁った空気と、既視感のある気配。自分の呪力の残穢と言うよりは、里香の力の名残か。あの日は一段と多く、負の感情が渦巻いていた。その中に完全ではなかったにしろ、顕現したのは特級過呪怨霊。共鳴して潜んでいた呪いが、活性化してしまったのだろう。
     サングラスを上げて様子を伺う五条の横で、刀袋から得物を取り出す。人払いがされているとは言え、周りを顧みないような行動を、「憂太」と咎められるが無視だ。弁明する時間すら惜しいと、足早に敷地を跨ぎ振り返った。
    「先生が帳をおろしてくれませんか?」
    「どーして?」
    「あの日の再現ですよ。近ければ近いほど、呪いを炙り出せるでしょう?」
    「君、いい性格してるよね。何とも思ってないの?」
    「手が震えるくらいには、緊張してますよ」
    「不器用な子だなぁ……憂太がやりたいって言ったんだから、僕は何もしないからね」
     そう言いながら結ばれた手印。低く、力の籠った声で言の葉が唱えられる。

     ――闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え。

     学校を覆うようにじんわりと、闇が下りていく。パチンと五条が指を弾けば、響き出したのは雨音と雷鳴。空は夕暮れと夜の混じる赤に染まり、雰囲気だけが “あの日 ”を作り出した。反応するように、呪霊がわんさか溢れ出す。
     怖い、わけではない。わざと自分を追い込むような真似をしたのだから、尻込みなどしていられないだろう。その一方で心の奥底を、ざわめかせるこれは傷だ。今までは見て見ぬ振りをしてきたが、存外深く刻まれている。
     決別とは言っても、完全に切り離すことは困難。責められることはなくとも、犯した過ちは付き纏う。気弱だった性格はかなり前向きになったが、ふとした拍子に呑まれるなんて可能性もあり得なくはないか。
     小さな世界から視野が広がり、憂いてばかりいられなくなった。周りとの価値観の違いには気付いていて、考え方は五条と似たところがある。最強に次ぐなんて言われたら、己の力を自負するしかないだろう。自信が伴わなくとも、恥ずべきことではない。
     恨み、妬みを連ねながら、襲い掛かって来た呪霊の群れに刀を薙ぐ。呪力を纏わせた斬撃を繰り出せば、軌道上にいた呪いが跡形もなく消えていった。しかしそれも一時的なもので、大元を叩かなければキリがない。愛刀の柄を握り直してもう一発、出現しかけた影を一掃。発生源となっている校内へ、開けた道を突っ切る。
     外に比べれば中は静かだった。乙骨の異質さに呪いが怯え、不用意に手を出して来ないのは定番。被害は最小限にと念を押されている為、派手に立ち回らなくてもいいのならば、それに越したことはない。その上ちまちまとした戦い方は向いておらず、早急に片を付けるのが賢明か。
     早鳴る鼓動に、掌がじんわりと汗ばむ。未だ踏ん切りをつけられていない自分を、鼻で笑ってやりたくなった。今の乙骨は呪術師であり、無力で弱虫な人間ではない。不毛なお願いをしておきながら、臆病風に吹かれるなど言語道断。無様な格好を晒すわけにはいかないだろう。
     雑念を払うように目を閉じ、深呼吸を繰り返す。少しでもヘコみ掛けた自分を叱咤。荒波を立てていた心が凪いでいく。意を決して扉を開ければ、充満していたのは陰湿な呪いだ。
    「本当、嫌になっちゃうなぁ……」
     教室には不釣り合いな、憎悪が埋め尽くしている。僅かに開いた掃除用具のロッカーから、噴き出す大量の呪詛。事件に関係していた物が撤去されても、壁や天井にこびり付けた負の感情は取り除けない。それが強大な力の残滓と混ざり、膨れ上がったのか。
     漂っていた黒い霧が、螺旋を描く。集まって発現したのは、輝きも美しさもない黒真珠を真似ただけの丸い呪霊だ。球体から伸びて来たいくつもの細い腕は、机や椅子を滅茶苦茶にしながら、縦横無尽に暴れ回る。閉鎖的な室内で、長物を扱うのは不利。適当に斬り刻んでみるも、すぐに再生されて埒が明かない。
     それならばと、床と呪霊の隙間を滑り後ろへ、勢いよく校庭に向かって蹴り出してやった。ガラスとコンクリートの破片と共に、追って校舎から飛び降りる。断ち切るのは歪んだ結び付き、翳した刃を振り下ろす。
    「怨むなら、僕を怨めばいい」
     切り口からボロボロと、呪霊の形が崩れていく。滞留していた残穢も消失したようで、地面に舞い降りるなり帳が上がった。刀を払って鞘に納め、俯いていれば頭に当たった軽い衝撃。感傷に浸らせてはくれないらしく、渋々顔を上げる。
    「さっきの言葉は聞き逃せないなぁ。君を呪うなんて、特大の呪詛返しがくるよ。そこら辺の術師でも無理無理」
    「え」
    「言葉には力が宿ることを忘れないように」
    「うっ……ハイ」
     独り言ではあったが、軽率だったと思う。五条に聞かれていたのも誤算だ。気落ちしながらも何気なく、学校の方へと向き直ってさらに愕然。「はわわわ」と壊れた建物を見て狼狽える。粉々に砕けた窓ガラスと、円状にくり抜かれた外壁。巨大な砲弾でも撃ち込まれたかのような跡に、「やってしまった」と泣きたくなった。
     注意していたつもりでも、制限された戦い方は性に合わなかったらしい。染み付いた動きに、自然と身体が反応していた。普段の最短での戦闘が、仇となったか。「先生」と助けを求めるように見つめれば、中指で額を弾かれる。
    「これくらいならいいんじゃない? 憂太にしては、コンパクトに戦えてるでしょ」
    「うううっ……でも……」
    「メソメソしなーい。さっさと次の現場に移動するよ。そうやって憂太が意気消沈してるなら、僕がやってあげようか?」
    「それは駄目です! 僕の任務なので、僕がします」
    「いい心掛けだ。じゃあとりあえず、新幹線に間に合わなくなると悪いから飛ぶよ」
     そう言うなりサングラスを外して、抱き締められたかと思えば聞こえて来た喧騒。拘束を解こうと押した胸板はびくともせず、どうにかこうにか視界を確保する。見えた景色に放心状態。我が道を行く五条に頭痛がした。
     人目に付かない場所であろうと転移して来たのは、高層ビルに囲まれた東京駅の区画内。急いでいたにしても、術式を使うまでもなかったはずだ。往路の平々凡々な時間は何だったのか。五条の得意気な顔に、口元が引き攣っていく。
    「力の無駄遣いでは?」
    「憂太と一緒にいる為なら、惜しくもないね」
     きっぱりと自分の為だと断言されたら、強くは出られない。抱擁が解かれたかと思えば、代わりに繋がれた手。なされるがまま新幹線の乗り場へと連れて行かれ、ひょいと渡されたのはグランクラスの切符である。
     正直、目を疑った。夢のような、移動するだけでは勿体ない車両。この人がおかしいのは性格だけではなく、金銭感覚もだと言うことを失念していた。普通車で良かったのに、なんて反論は受け付けられず。割り込む隙もない手際の良さからして、前もって準備していたのだろう。
     乙骨は振り回されるだけ、あれよあれよと事は進み、あっと言う間に仙台だ。改装して大変身した駅の構内。待ち合わせとなるステンドグラスは健在か。浮足立っているのは五条で、遠足を楽しみにしていた子供のような姿に、やれやれと肩を落とす。
     事後処理の手配くらいは、してくれていると信じよう。迷惑をかけることになる補助監督へ、お礼をするのはまた後日。せっかくなのだから今は、五条とのひと時を大切にしたいと思う。そうと決まれば与えられた任務を完遂させなければならず、位置情報を調べていれば端末を奪われた。
    「ちょっ……」
    「行かなくていいよ」
    「え?」
    「だから、それは行かなくても大丈夫。昨日、僕が片付けちゃったから」
    「はぁ それ、どう言う事ですか!」
    「たまたまこっち方面に用事があってね。そのついでに終わらせておいた。だから今日のお仕事はおしまい。ここからはフリータイムです」
     物静かと言われる乙骨でさえ、思いもよらぬ爆弾発言には声を上げたくもなる。意欲的に東京から遥々東北まで来たと言うのに、これでは空振りじゃないか。
     一風変わった呪術高専でも、ある程度は一般的なルールが順守される。危険と紙一重だろうが、未成年が集う場所。教師には監督義務があるわけで、五条が己の予定を把握しているのは、何もおかしなことではない。
     明らかな職権乱用に、悪気なんて微塵も感じていないのだろう。黙っているところが計画犯で、五条の捻くれ具合を象徴している。それを見抜けず言葉巧みにまんまと、嵌められたわけだ。
    「最初からそのつもりでしたね?」
    「僕が大人しく付いてくるだけだと思った? 立場と力は有効に使わないとね。でもまぁ本音は、二人で過ごせる口実を作りたかったわけだけど」
    「っ……その言い方は、卑怯です」
     子供みたいな人だからこそ、遊び半分で利用されたのなら怒っていたと思う。それゆえに嬉しいような、恥ずかしいような、私情を挟まれては乙骨の負けだ。五条に微笑まれれば、馴染みのない感情が押し寄せて来た。自分でも隠し切れないほど、機嫌が良い自覚はある。下がったり、上がったり、恋とはなんて忙しいのだろう。
    「憂太の可愛い顔が見れたから大成功かな」
    「そんな回りくどいことしなくても、僕だって先生と一緒に出掛けたいと思ってましたよ?」
    「っ―― はぁ……無意識? 参っちゃうなぁ。僕だけ必死じゃん」
    「何がですか?」
    「憂太にぞっこんってこと。さて、どこに行こうか。夕方には帰らなきゃいけないから、あんまり時間はないけど、食べ歩きくらいは出来そうだよね。いいとこない?」
    「ふぇ と、突然そんなこと言われても……」
     地元と言えど乙骨も、そこまで観光名所に詳しいわけではない。スマホで検索をかけながら、目に留まったのはケヤキ並木。確かここは冬になると、ライトアップされることで有名な場所ではなかったか。掲載されている写真を見る限り、初夏の季節でも映える美しさがある。行きはバスにして、帰りは駅まで商店街を散策しながら歩く。五条にその案を伝えれば、二つ返事で頷かれた。
     晴れていてよかったと、空に感謝する。新緑の隙間から差し込む木漏れ日が、五条の蒼穹のような瞳をより輝かせていた。長い睫毛が瞬かれるたびに、光と色が混ざり変化していく。遮るものがなければきっと、吸い込まれてしまうほど綺麗だったはずだ。密かに見つめていれば、耳触りの良い声が降ってくる。
    「見惚れた?」
    「ち、違います!」
    「外そうか?」
    「い、い、いいです! 目立ちますよ?」
    「構わないけどね。憂太になら、じっくり見せてあげるのに」
     五条が良くても、乙骨からすれば注目を浴びて欲しくないと思う。誰にも見せたくないだなんて、醜い独占欲。その燦爛さを知っているのは、自分だけの特権がいい。譲れない物が出来てしまった。欲張りになってしまった。無関心ではいられないほど、五条に惹かれている。こんなはずではなかったのに――何もいらないと言った人間が、随分と贅沢になったものだ。
     小鳥のさえずりに、葉と葉がそよぐ音。寒くもなく、熱くもない丁度良い気温に心が和む。五条からは長い脚をひけらかして歩くような、普段の傲慢さは感じらない。敢えて歩幅を合わせてくれているのか。そのさり気ない優しさには顔が綻んだ。緑のアーチを満喫した後は、そこそこ賑やかなアーケード街へ。文明の利器を駆使しながら店を探していると、擦れ違った人が持っていた食べ物に目が向いた。
    「あ! ひょうたん揚げ! 懐かしい」
    「ナニソレ」
    「えーと。瓢箪の形をした中身がかまぼこの、アメリカンドッグですかね?」
    「へぇ、そんなのあるんだ」
     五条を置き去りにして入ったのは、藍色の外装をした店。漂う香ばしい匂いが、食欲をそそる。思えば昼食と言う昼食は摂っておらず、新幹線の中でおにぎりを一つ食べたくらいか。「僕が買ってあげるのに」なんて発言は、右から左へ流す。ふうふうと冷ましてから齧り付き、懐かしさに心が躍った。
     さくさくしてほんのりと甘い衣に、もちりとしたかまぼこの絶妙な食感は昔と変わらない。五条も気に入ってくれたようで、自分よりも早くぺろりと平らげていた。そのままのんびりと歩きながら、ずんだシェイクに舌鼓を打ち、脇道にあったカフェでひと息。そこでは五条が、生クリームがたっぷりと乗ったパフェを注文したのだから驚きだろう。
    「さっきまで色々食べてましたけど、よく入りますね」
    「別腹だよ。食べる?」
    運ばれてくるなり「あーん」と言って、差し出されたスプーン。躊躇ったのは、恥ずかしさからか。行儀悪く頬杖をついて、こちらを見つめる五条に「いらない」とは言えない。ドキドキしながらも、一口。食べただけでお腹いっぱいの甘さに、手元のアイスティーを啜る。
     友達同士には見えない男二人が、羽目を外している姿は物珍しかったのかもしれない。他愛もない会話に花を咲かせながら、仙台駅に戻って来た時には日が傾いていた。長いようで短い一日。楽しい時間は、瞬く間に過ぎていくものだ。
    「お土産はやっぱり喜久福の大福だよね。何箱にしようかなぁ」
    「萩の月も美味しいですよ」
    「よし、今回は両方購入。あとはずんだシェイクを飲みながら帰ろ」
    「二杯目ですよね? さっきパフェも食べたのに」
    「動いた分、補充しないとね」
    「ほどほどにお願いします」
     次から次へとカゴへと放り込まれていく品物に、他の客たちが二度見していた。世間で言う美形の買い物にしては些か大雑把で、遠慮のなさが異様なのだろう。
    ひたすら店内を物色しながらも、立ち止まったショーケースの前。五条の横へと並び、「先生」と語り掛ける。
    「んー?」
    「今日はありがとうございました。任務以外で出掛けたのは、久しぶりかもしれません」
    「憂太は寄り道しないからね。息抜きも大事だよ」
     偏った先入観があった。勝手に重荷を背負って、自分で自分を縛り付けていたのだと思う。何年経とうが、どうしようが、負い目は付いてくる。思想が凝り固まり、決めつけていたのかもしれない。それを覆してきたのは五条だ。
     無かったことには出来なくとも、新しい思い出を積み重ねるだなんて発想。ありきたりなことさえ、考えられなくなっていたのか。デートがしたかったのは紛れもなく本心なのだろうが、それとない五条の教えが身に染みた。だから――
    「また、連れてってくれますか?」
    「もちろん。行きたくないなんて言わせないからね」
     恋人なのだから、聞くまでもないのに。大量の袋を腕にぶら下げながら、告げられたのは胸の内がポカポカとするようなセリフ。改札へと向かう五条を追い駆ける。
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    Replies from the creator

    2k000ng

    DONE一日遅れたのですが、呪0地上波放送記念で!
    WEBオンリーで発行した「揺蕩う白銀」の一章部分を少し削って、これだけでも読みやすいようにしてみました。(本編に関わりありそうなとこ消してます)
    揺蕩う白銀「憂太の事が好きだよ」

     雪が解けてもまだ、肌寒さの残る季節。桜の木にようやく、蕾が見え始めた頃。呪術高専に来て二度目の春が、もうすぐ傍まで迫っていた時だ。
    校門の前で出迎えてくれた五条に、開口一番に告げられた言葉。理解が追い付かず、踏み出そうとした足が止まる。肩からずり落ちかけた刀袋の紐を握り締め、「えぇぇ」と心の中で叫ぶ。
     特級と言う未知の領域に踏み入れて早々、次から次へと与えられる任務に呪術界の闇を見た。里香がいた時とは違って、己の意思と力で上り詰めた場所。決して楽な道のりではなかったが、その後の洗礼も無茶苦茶なものだ。
     北から南、西に東へ。呪いが出現すれば、駆り出される日々。五条が毎日のように、不満を漏らすのも無理はないか。低級の呪霊だろうとお構いなし、どんなことが起ころうとも一人で事足りるのが特級呪術師である。そのおかげでさんざん振り回され、三日ぶりに帰って来た乙骨には刺激が強すぎた。
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    2k000ng

    DONE呪霊退治したり、呪力譲渡したりするお話。五条にとっての乙骨とは。
    ※付き合ってはいないので、五乙未満みたいな感じです。
    切り札は手の中に 内気なタイプであることは自覚していた。否、里香を失う前までは至って普通の、活発な子供だったと思う。肺炎をこじらせて入院したこともあるけれど、外で遊ぶのが大好きな男の子。病院であの子と出会ったのは、運命だったのかもしれない。なんて、あの時は考えもしていなかったが。一緒に居られるのが楽しくて、嬉しくて、こんな日々がずっと続くと思っていた。
     突如として襲った受け入れ難い現実が、自然と心を閉ざすきっかけとなってしまったのかもしれない。学校と言う小さな社会にすら馴染めず、周りと壁を作ったのは己の意思。幼い乙骨が背負ったのは、手に余る強大な力だ。
     激しく雨粒が窓を叩く音と、教室内に漂う鉄錆のニオイ。気弱だった自分は、嗜虐性を持つ人間にとって恰好の的だったのだろう。恍惚とした表情を浮かべながら詰め寄られ、恐怖を抱いたが最後。乙骨の制止も空しく、同級生を掴んだのは人ならざる手。下劣な笑い声は途絶え、悲鳴が掻き消されていく。そこからの記憶は曖昧で、ただただ壊れた機械のように謝っていた気がする。
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