恋する観覧車2月13日土曜日。
休み時間中の清水市立入江小学校三年四組の教室。
教室の中も外も今日はざわざわしている。
「なんだか騒がしいよね。たまちゃん。今日は何かあったっけ?」
まる子、あるいはまるちゃんと、通称されることの多いさくらももこは、隣席のたまちゃんこと親友の穂波たまえに、不思議そうに聞いた。
「やだ、まるちゃん!今日はバレンタインイブでしょ!大野くんも、怒鳴り声上げて、朝から逃げ回ってたよ(^。^)。明日のバレンタインは、日曜日だから、今日持ってくる子が多いんだね」
「あっなるほど……だから花輪クンもいないんだ」
ももこは、いつもは親しげに話しかけてくる、一列挟んで隣の席の花輪クンこと花輪和彦がいないことに、ようやく気がついた。
「まるちゃんは、もちろんあげるんでしょ、彼氏の大野くんに。付き合って初めてのバレンタインだもの。大野くんすごく楽しみにしてるよ」
「湯煎で溶かしたチョコレートを固めるくらいしかできないけどね……」
「そんなこと、大野くんは気にしないよ。大好きなまるちゃんに、貰えることが、滅茶苦茶嬉しいんだから!」
ももことたまえがそんなやり取りをしていると、タイミングを見計らっていたかのように、このクラスNo.1の美人・城ヶ崎さんこと城ヶ崎姫子が、ももこに話しかけた。彼女は、面倒見の良い姉御肌で、クラスの女子には慕われ、男子には畏怖される、「女番長」として君臨していた。
「ねぇ、さくらさん!知ってる?今、シェリーランドでは、バレンタイン企画として、トワイライトゾーンの時間限定で、カップルだけが観覧車に乗れるのよ!あなたも大野くんと乗ってみたら?そこでチョコレートを渡すのもロマンチックでいいわよ!」
「へぇ…シェリーランドも次々と企画を思いつくんだねぇ」
「そこがあの遊園地の取り柄ですもの」
そう言うと姫子はクスクスと笑った。その時である、ダダダダダという慌ただしい足音が、ももこの耳を劈いた。彼女はそれが誰の足音か瞬時に理解した。それは彼女の「彼氏」である、大野くんこと大野けんいちのものだった。
「さくらぁ喜べ!杉山の姉さんが余ったシェリーランドのチケットをくれるって!今、シェリーランドでは…」
けんいちは、大変興奮した様子で、大声で走りながらももこのもとにきたせいか、息が乱れハアハアしている。そんなけんいちに、ももこは、(相変わらず教室の空気読まないな…)と冷や汗をかきながら言葉を返した。
「知ってる。バレンタイン企画で、トワイライトゾーンの時間に、カップル限定で観覧車に乗れるんでしょ。今、城ヶ崎さんが教えてくれた」
ももこの言葉にけんいちは、ももこの机にガタンと身を乗り出し、ぐっと顔を近づけた。(うわ近っ)とももこがヒヤヒヤする間も無く、けんいちは喋り出した。
「分かっているなら話が早いじゃねえか。いいか、明日だぞ。楽しみにしてるぜ」
「……ちょっと待ってよ。そもそも遊園地って子どもだけで入れるの?」
「なーにそんなのお前のじいさんに頼めばいいじゃねえか」
そう言うなりけんいちはお構いなくももこの唇にキスをした。
それを黙って凝視する少女の存在も知らないで。
数時間後、ももこは帰宅して昼食を取った後、祖父友蔵の部屋で、けんいちに言われたことを友蔵に懇願した。
「お願いおじいちゃん!明日、大野くんとシェリーランドに行く約束があるんだけど、子供だけじゃ遊園地に入れないから、付き添いに付いて来て!」
それを聞いて、目に入れても痛くないほどももこを可愛がっている友蔵は、一瞬複雑な顔で固まった。
(なんだか複雑なお願いじゃな……そうか、そんなにまる子は大野くんが好きなんじゃな…もしかしてわしよりも?)
「おじいちゃん?」
ももこがどうしたのかと伺うように友蔵の顔を覗く。
「……いいやなんでもないのじゃよ。ただ大野くんと付き合ってからまる子は随分成長したと思っての」
「ダメ……?」
友蔵が少し寂しそうな顔で呟くと、ももこは目に涙を潤ませて友蔵を見上げた。
(じゃが…可愛い孫の頼みじゃからの)
「いや、いいとも付き添おう」
ももこはホッとして笑顔を友蔵に見せた。
「良かった。ありがとうおじいちゃん!大野くんも喜ぶよ。それじゃ、あたしは、明日大野くんにあげるチョコレートを作らなくちゃ!」
そう言うとももこは振り返りもせず友蔵の部屋を出て行った。友蔵は、その背を再び寂しそうな目で見ていた。
翌日。
「さくらぁー!」
友蔵とももこがシェリーランドに着くと、けんいちが、両手を振って満面の笑顔で走って来た。
「なんだよ、随分めかしこんでるじゃねえか?いつも可愛いけど今日は倍以上可愛いぞ」
「ああこれ、こないだお母さんに買ってもらった、千鳥格子っていう柄のコートなんだ。可愛い?」
「ああすげぇ可愛い💕……おじいさん、ももこお借りします!」
けんいちはももこの手を引くとシェリーランドの中へ消えて行った。友蔵はただそれを見て立ち尽くしていた。
けんいちとももこは、ジェットコースターにコーヒーカップ、お化け屋敷…と楽しんだが、終始、ももこが怖がってしがみつくのでけんいちはますますご満悦だった。
そして、いよいよお待ちかねのトワイライトゾーンの時間になった。
「いよいよ観覧車だな、さくら!」
「うん、そうだね!」
ももこは、けんいちがいつも以上にデートを満喫している様子なので、嬉しかった。しかしその時である、二人にとって予想外の人物の声が二人を呼び止めた。
「待ってよ、大野くんにさくらさん!」
けんいちとももこはゾッとした。それはけんいちに恋しながら、けんいちにはストーカー呼ばわりされる、冬田さんこと冬田美鈴の特徴的な甘ったるい乙女声だったからだ。
けんいちとももこが恐る恐る振り向くと、冬田さんは、彼女の特徴である大仏のような天然パーマと、ぎょろりとした大きすぎる目、それを囲む長すぎるまつ毛、立派すぎる大きな鷲鼻、たらこのように分厚い唇をプルプルと振るわせて、叫んだ。
「お願いさくらさん!最後のお願いよ!これで大野くんを一切忘れるから!大野くんと観覧車に乗せて!」
冬田さんの最後だという決死のお願いに、純粋な性格故に、ももこしか愛さず、他の女子は一切フォローしようとしないけんいちはキレた。
「断る!俺はさくらと観覧車に乗るのを楽しみにして来たんだ!諦めろ!」
冬田さんは目に涙を潤ませたが、それでも今日はいつものように泣き喚かず、食い下がらない。
「私はさくらさんに頼んでるの!」
(冬田さん…そこまで…でも…でも…)
ももこは戸惑った。しかしけんいちの精神衛生上それを許す選択肢はなかった。それにけんいちを一時にせよ誰かに譲ることはももこには耐えられなかった。
「ごめんね冬田さん…今の大野くんは、冬田さんの知ってる大野くんじゃないの。今の大野くんはあたしをとっても大好きで、あたしがいないとしんどいの。そんな大野くんを苦しめたくないし、あたしは大好きなの。冬田さんよりずっと。だから譲れない!」
(さくら…)
ももこの決死の一言に、けんいちは感動したが、冬田さんは今度は涙をダラダラ流して、「うわぁぁん、何よケチ!大野くんがさくらさんの前だけでデレるのくらい私だって知ってるわ!それでも好きだったのよ。一回くらいさくらさんと同じシュチュエーションを味わって見たかったの!二人とも大嫌い!」と絶叫するとオンオンと泣きながら去って行った。
ももこはけんいちを見つめ「これで良いんだよね?」と問うた。
けんいちは顔を少し赤くして「……ああお前よく言ったよ。さ、観覧車に乗ろうぜ」と呟いた。
「うん……」
観覧車は、二人を赤からピンク色に近い紫へと変わる、トワイライトゾーンの世界へと連れて行った。
「わぁ綺麗だね大野くん」
「おお!」
数ヶ月前、冬田さんと手を繋ぎ夕焼けの話をされた時はうわの空だったけんいちは、ももこの言葉には素直に反応した。
「さくら…」
「え?」
けんいちはももこの唇に自分の唇を重ねようとしている。
「わ!待ってよ大野くん!プレゼントがあるの!」
「え?」
「はい、大野くん!あたしからのバレンタインだよ」
ももこはけんいちにチョコレートの入った袋を渡した。
「さっサンキューさくら!こんな嬉しいバレンタイン、人生で初めてだぜ……」
けんいちは笑顔を見せると再びももこの唇を奪った。
(大事にする……ずっと大事にする……ももこ)
おわり