かなわぬもの 心の通い路は、何度歩めどわからない。近づいては霞のように消え、掴んでいたはずの裾は揺れる柳の影となる。それでも求めるのは、いつか触れたい、互いに心を交わしたいという飢えがあるためだ。いかにもそれらしく勿体ぶるならば、人は一人では生きられないが故とでも言ってみよう。根源的な欲求である。
伊藤博文は、己の中に深く根差す理想と欲望とをよくよく承知していた。時に利害が一致せぬ時には折り合う術も心得ているし、当たって砕けるだけの度胸と行動力もある。ただ、指をくわえているだけでは何も変わらず、かなうものなどありはしない。自分に然程の天運が降り注ぐとは考えにくかった。強いて言うならば、躊躇わずに運を掴み取って来た人間だと自負している。
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