CBC2023の幻覚■CBC2023本編の隙間の幻覚
雲一つない晴天の昼下り。小次郎は会社の庭の畑に植えた野菜の手入れに一区切りがつき、ここらで一度休憩でも、と屋内へ戻り廊下を歩いていた。向かいからやってくる者があることに気が付き、目をそちらへ向ける。高杉だ。大きめの段ボール箱を1つ抱えて歩いている。余程重いものでも入っているのか、高杉が少しふらついているように小次郎には見えた。
「やあ、高杉殿」
「小次郎。畑はもういいのか?」
声を掛けられた高杉が足をとめ、小次郎へ応えを返す。
「うむ、今植えてある分については今日は終いだな。一息ついてからまだ手を入れていない部分の草を刈るつもりだが」
「へえ、そうなのか」
「高杉殿はどちらへ?その荷物、随分重そうだが拙者の手伝いは必要かな?」
小次郎の問いに、高杉が少し首を傾げる。
「重そう?いや、そんなに重くは無いが……。まあ、ちょっとした備品の整理にな。これは僕一人で大丈夫だ」
「重くないと。ふむ、それにしては……いや、なんでもござらん」
言い掛けた言葉を濁した小次郎に不思議そうな顔をした後、ふと思いついたという風に高杉が口を開いた。
「?……ああそうだ、休憩するならついでにまんじゅう食べていいぞ、まんじゅう」
「ぇえ〜、まんじゅうにござるかぁ?いささか食べ飽きてきたゆえ遠慮しても?」
「なんでだよ、美味いだろ。まあ僕も飽きてきたところなんだが」
冗談めかした小次郎の返事に高杉がからりと笑う。
「売れ残りが山程あって処分に困っててな。ただ廃棄するのも勿体ない、良い利用方法を思いついたら教えてくれ」
「拙者の発想で役に立つかはわからんが、考えてみよう」
「頼んだぞ、面白い案を期待してるからな」
そう言って会話が終わり別れたものの、小次郎は先程感じた違和感が気になり振り返る。その目の前で、数メートル先の高杉の背が大きく傾いだ。
「……っ」
「おっと」
がくん、と倒れかけた高杉の身体を、咄嗟に動いた小次郎が受け止める。床に落ちた段ボール箱が鈍い音を立てた。
「大丈夫かな高杉殿。……高杉殿?」
高杉からの答えはない。小次郎に体重を預けたまま、額を押さえ目をきつく閉じている。ややあって、高杉の重みが小次郎から離れた。
「……すまん、大丈夫だ。どうもまだ調子が戻ってないらしい、情けないところを見られたな」
高杉が目線を反らしながら苦笑する。
「何をしているかは知らんが働き過ぎなのでは?高杉殿」
「そりゃ社長だからな。まだ社員が君らしかいない分僕のやることも多くてね。まあ人が増えても結局は忙しいんだが」
「仕事熱心なのはよいが、吉田コンツェルンとやらとやり合う前に倒れていては意味が無かろう。ほどほどにな」
小次郎が落ちた段ボールを拾い上げる。角が少し凹んでいるが、壊れてはいないようだ。箱のサイズの割には軽い。蓋にはテープで封がされており、中身は見えなかった。
「中はわからんが、箱は無事のようだぞ」
「そうか。どうせ元から中身はガラクタばかりだから、多少壊れていても問題ないさ」
高杉が小次郎から箱を受け取る。今度こそ2人は別れ、それぞれ反対方向へと歩いていった。
目的の場所、アラハバキの格納庫へと辿り着き、高杉は箱を作業台へと置いた。テープを外し、中にしまっていた以前のキ神の設計図の一部とパーツを取り出していく。中身をあらかた取り出し終え、箱を閉じる。ふ、と気が抜け、高杉は近くの椅子へと腰を下ろした。
「あれを使う必要がある、か」
つい先日この箱の中身と共に旧高杉重工の施設から回収してきたものを思い出しながら見下ろした視線の先、未だ力の入らない手のひらを握り、高杉は独りごちた。
夕刻、高杉はアラハバキの整備を進めていた。動作確認のため機能の一部を起動させるが反応が悪い。
「ん?」
首を捻りながら、設定を確認する。設計図の数値を確認し、実際の値とのズレに気が付く。面倒に思いながら再度計算をし直し、その結果に高杉は頭をかいた。
「おいおい、ここ違うじゃないか。てことは……やっぱりここもかよ。誰だよこんな間違いしたのは、……僕だよ!」
つらつらと独り言を並べながら、設定を変え配線を組み直す。内部の修正を終え装甲を閉じたところで、ズキ、と胸に走った痛みに工具が手から落ちた。
「痛、っ……ぁ……」
派手な音が響いたが、防音がされ巧妙に隠されたこの場所で多少の騒音がしようと、それを他人が聞きつけて来ることはない。誰も居ない場で無理に虚勢を張る気力も無く、酷くなる痛みと喉の奥から迫り上がる鉄の味に高杉は膝をついた。
「げほっけほ、ゴホ、っ、かふっ」
身体を折り曲げ蹲り、硬く冷たい床に熱が奪われるのを感じながら咳き込む。高杉は震える指で懐を探り、ピルケースを取り出した。片手で蓋を開け中身をバラバラともう片方の手のひらに落とすと、床に転がらず手の上に残った2、3粒の薬を口に放り込む。
「っ、ぅ……!」
手元に水が無いため、仕方なく無理矢理口を押さえて嚥下する。硬い錠剤が口内の血と共に喉の奥へと落ちてゆく感触に軽い吐き気を覚えながら、高杉は口元を塞いでいた手を外し浅く息をついた。
忙しなく寄せては返す波のように、引いてはまた強くなる胸痛と息苦しさに喘ぐことしかできないまま数分が過ぎた頃。ふ、と意識が浮上し、高杉は目を開いた。徐々にはっきりしてくる視界に、格納庫の中で静かに佇むアラハバキの姿が映る。いつの間にか意識を飛ばしていたらしい。身体の状態に意識を集中してみれば、気怠さと胸の重さは残っているものの、ろくに身動きも取れないような痛みと咳は遠くなっていた。そっと深く息を吸い、吐く。呼吸が楽になっていることに安堵して、高杉は上体を起こした。
「ああ、くそ。いくつか駄目になったな」
散らばった錠剤を拾い集める。何個かは高杉の吐いた血溜まりの中で半端に溶けてしまっていた。結局、形をそのままに残っていたのは2粒だけだった。
「これで足りるか?いや、何とか持たせるしかないが……」
錠剤は、吉田コンツェルンと化した元高杉重工に先日高杉が1人忍び込み辛うじて回収してきたものだった。天逆神との共謀の裏で真のキ神計画を進めていた頃、計画の合間に高杉が密かに進めていた研究の成果物である。当時は聖杯と市民からの回収による魔力のバックアップがあったが、万一他から魔力の供給が得られなくなった場合の次の策として、高杉は魔力補給用の薬剤の開発を試みていた。途中から本命の計画の忙しさでそれどころでは無くなったのと、高杉に魔術や医学薬学の知識が不足していたため半端な出来で数も少なくはあったが、一応、応急の魔力回復としてはある程度役に立つ代物であった。不完全故に本来予定していなかった副作用として痛覚を麻痺させる作用と眠気があったが、寧ろ今の高杉にはその鎮痛作用がありがたい。
「前は結局機会が無かったが、今になって使うことになるとはな。何がいつ役に立つかわからんもんだ」
無事な2粒を入れ蓋を閉じたピルケースを懐に仕舞い直す。頬に貼り付いた血を袖で擦って落とそうと試し、乾いたそれが殆ど取れないことに高杉は早々に諦めた。
「今はカルデアからの魔力もあるはずだってのに、少し無理をしたらすぐこれか……。本当、英霊ってのも案外面倒でつまらんな」
アラハバキの起動は高杉の魔力と霊基を消耗させる。動作確認は明日に延期することに決め、シャワーでも浴びて血と汗を洗い流そうと高杉は格納庫を後にした。
翌朝。出社したヘクトールが事務室へ入ると、ソファで眠る高杉の姿があった。ソファの前に置かれたテーブルの上と床に書類が散らばっている。
「おーい社長、朝ですよ」
ヘクトールは小さな寝息を立てている高杉の肩を揺する。高杉が顔を顰め、薄目を開けた。
「……ヘクトールか……朝……?いつの間に……」
「いつの間にって、昨夜からずっとここにいたのか?」
「そうらしい、よく覚えてないが」
会話は返すが、高杉がソファから起き上がる様子はない。横になったまま、眠たげに瞬きをしていた。
「おまえさん、まだ調子悪いのか」
「なに、君に心配されるほどじゃない」
高杉はそう言ってようやく体を起こした。足元に落ちていた書類を拾い集めて角を揃えテーブルに置く。
「けほっ、こほ」
ソファにくたりと背を預けた高杉が軽く咳き込んだところで、部屋の戸が開いた。小次郎であった。
「おや、高杉殿にヘクトール殿。おはよう」
「おはようさん。あんたも朝は早いんだな」
「はは、農民の朝は早いゆえ。高杉殿、その後体調は大丈夫かな?」
「ああ、何ともない……けほっ」
小次郎の言葉にひらひらと片手を振って答える高杉だが、またも続いた空咳と小次郎の発言にヘクトールが片眉を上げる。
「あんたまた倒れでもしたのか?」
「昨日はちょっと目眩がしただけだ」
「また、とはどういうことかなヘクトール殿」
「いやあ、この社長先日ここでぶっ倒れててな」
「……おい、言うなって言っただろ」
ジト、と高杉がヘクトールを睨む。ヘクトールは軽く肩をすくめてみせた。
「不調なのはもう旦那にも知られてるみたいだし、今更じゃないか?それに、俺たちものその辺の情報を共有できてた方が何かあった時対応しやくすて助かるだろ」
「うむ、ヘクトール殿の言う通りだな。ささ、観念しては?社長」
「…………」
高杉は不服そうに黙り込んだ後、ため息を吐く。
「わかったよ、言えばいいんだろ。……召喚されてからしばらくの魔力不足による消耗がまだ回復してない、咳が出るのもそのせいだ。とはいえマスターと契約したことで徐々に調子は戻って来てる」
「本当だな?」
「信じろよ」
「おまえさん騙してた前例があるだろ」
「おいおい、それを言われるとちょっと不利なんだが」
ヘクトールたちの追求に高杉が白けた表情で応じたところで、今度は藤丸が事務所へと入ってきた。
「あれ、皆早いね、おはよう。オレ寝坊しちゃった?」
「おはよう。いや、寝坊ではないから安心したまえ、僕らもさっき来たところさ。……そういえば始業時間も何も決めてなかったな」
かりかりと後頭をかく藤丸に、高杉が答える。無言の目配せで例の話題は一旦終わりだと告げる高杉に、ヘクトールと小次郎が小さく頷く。
「さて、社員諸君も揃ったことだし今日の朝礼といこうか」
勢い良く立ち上がった高杉に、ヘクトールがさりげ無く耳打ちする。
「とりあえずは信じときますよ、社長」
「ああ」
目線を合わせることなく言葉を交わし、高杉たちは普段通りの様子へと戻る。
(ま、隠し事がそれだけじゃないのは分かってる。信じたからってその裏付けの確認やその他の情報収集を怠りはせんがね)
にこやかに藤丸と話す高杉の横顔を見ながら、ヘクトールは次に調査すべき項目と場所について思考を巡らせた。
■CBC2023本編後の幻覚
高杉とヘクトールは、幕末徳川の怨念の影響を受けた奇兵隊の残党の対処のためサイタマの街へと出ていた。遠からず消えてしまう特異点ではあるが、そこに生きている民がいる以上、治安を悪化させる要因を放っておくのはかつてこの地を管理していた一大企業として如何なものか、という話が上がったためだ。また、今回のように見落とした何かから再び特異点が発生してしまっては困るから、期限が来るまではその調査をするように、とのカルデア側からの指示もあった。残党は大半が数名のはぐれ隊士ばかりで大した脅威ではなかったが、その日2人が会敵した残党たちはどこからか魔力と強化を受けているようで、どこから湧いて出るのか削っても削っても数が減らず、高杉たちは予想外の耐久戦を強いられていた。
「ぅ……っ、ぐ……」
宝具を展開し続け魔力切れとなった高杉が膝から崩れ落ちる。懐から出したピルケースの蓋を開けようとし、中身がすでに無いことを思い出して高杉はそれを握ったまま拳を地面に打ち付けた。
「!あぁ………く、そ……ゴボッゲホ、ゴホッ」
口元を手で覆うも、到底抑えきれない夥しい量の血が口から溢れ出る。途切れる間もなく込み上げ続ける濁った咳を繰り返し、出てくるものがほとんど無くなったところで、高杉はやっと息を吸った。細く枯れた気管がひゅうひゅうとか細い音を鳴らす。咳をし過ぎた喉と胸が酷く痛んだ。
「がっ……ぁ……!」
それまで薬で誤魔化し続けていた分の痛み、身体が上げる悲鳴を無視し続けてきた負荷が一気に襲い、高杉は苦悶の声を上げる。立ち上がろうにも力が入らず、這いつくばっていることしかできない。
「高杉?」
さすがに様子がおかしいと気付いたヘクトールが、相手をしていた敵を一息に吹き飛ばし高杉へと駆け寄る。
「おい、立てるか?無理だな?」
声を発する余裕も無い高杉の状態を素早く判断し、ヘクトールは周囲に迫っていた敵の奇兵隊たちを宝具で吹き飛ばす。高杉を抱えあげると、開けた退路を一直線に駆け抜けその場を離脱した。
敵の目を掻い潜り路地裏へと隠れたヘクトールは、抱えていた高杉をその場に下ろす。こうしたほうが多少は息がしやすいか、と背を建物の壁に持たれかけさせたが、高杉はまだ座った姿勢でいることも難しいらしい。ヘクトールが表通りの様子を確認しに僅かに離れた間にずるずると横に倒れてしまっていた。ヘクトールが高杉の横にしゃがみ、声をかける。
「聞こえてるか、高杉」
苦しげな呼吸を繰り返す高杉の頭が僅かに頷く。
「意識はあるな。そのままじゃ動けないだろ、お前さん。どうするかね、……しゃーない、ほれ」
ヘクトールは小型のナイフを取り出し掌に軽く傷を付けると、ポタポタと血の伝う手を高杉へと差し出す。
「飲めば多少は魔力の足しになるだろ」
ヘクトールの提案を聞き目を開けた高杉の元々蒼白な顔色が、その手を認めてさらに色を失う。眼前のヘクトールの手を、高杉が払い除けた。
「っ、やめろ!」
予想外に強い拒絶を受け、ヘクトールが目を見開く。声を荒らげた反動で再び酷く咳き込みながらも震える腕で上体を起こすと、高杉が言葉を続けた。
「他人の血を、飲むなんて、御免だ」
「……そ。まあ、無理にとは言わんさ」
ヘクトールはあっさり引き下がると、力無く座り込んでいる高杉の腕を取り背負う。されるがまま、その背に高杉は素直に身を預けた。
「そいじゃとっとと会社に帰還するとしますか。走るからちょっと揺れるが我慢してくれよ」
返事が無いのを同意とみなし、ヘクトールが地を蹴る。ヘクトールの背に揺られ肩に顔を突っ伏し、朦朧とした状態で高杉が口を開いた。
「……自分の血だけで、うんざりだってのに……ろくに効きもしない鯉の生き血なんざ飲まされて……、そんなものに縋るしかない有様も……血の味も、大嫌いだ…………」
そう言ったきり静かになった高杉の重みが急に増して、気絶したか、とヘクトールは察する。よいせ、と落とさないよう背負い直し、カルデア重工までの道を駆け続けた。