静かにガラスの扉を開けて中に入り、ベッドの横にある白いサイドテーブルに、スープとコーヒーの乗ったトレーをそっと置き、閉じていたカーテンを開く。
「浮奇、」
と声をかけ、紫色の柔らかな髪を撫でるが起きる気配はない。
数年に一度、月と惑星、星が何らかの条件を満たした日、星から授かり、灯った光の副作用とでも言うように、彼は星と1つになり、眠り続けるのだ。
宛ら小さい天文台のような部屋はその影響だろうか、明かりをつけずとも不思議な白い光と暖かさで満たされており、時折どこからともなく、パチパチ、しゃら、と何かが弾けたり擦れるような音が聴こえてくる。
小さく艶やかな唇から伝わる浅い呼吸と華奢な手首から伝わる仄かな熱が、そこにまだ存在し続けている証として残っているのだった。
彼の眠っているベッドの縁に腰掛けてサイドテーブルの引き出しからコットンを取りだし、軽くスープに浸して、そっと口許に垂らしてやると、反射的にごくり、と飲み込む。
以前同じことがあった時に、
「別にお腹はすいたりしないし、大丈夫だよ」
と言ってはいたが、何となくただ目覚めるまで何もせずに見守るだけと言うのも申し訳ない気もするし、自分が何かしてやりたいのだ。
「気にするな。俺がしてやりたいんだ」
と言うと、
「優しいんだね」
と微笑んでいた。
今回はどうも数100年に1度の天文現象らしく、彼が眠り初めてから既に1ヶ月が経とうとしていた。
時折少し苦しげに顔をしかめたり、んっ、と声をあげたりしていて、不安になってくる。
何が起こっているのかは分からないが、そういう時は大抵どこかの大きな星が消えただの、惑星やら太陽で爆発が起こっただとかいうニュースが流れているから、恐らくそれに共鳴しているんだろうな、と思ったりしていた。
いつか、眠っているだけで痛みを感じたりはしないし、死にもしないから心配しないでね、とも言っていたが、それでもやはり苦しそうな声をあげていたり、ぴくり、と跳ねる身体を見ると不安にならざるを得なかった。
「もし、このまま浮奇が目覚めなかったら、彼処に未来永劫、彼の名前が残ることになるのだろうか」なんて思いながらも、自分と遥か何光年も離れたところで一人燃え尽きる日はきっと彼には堪えがたいものだろうな、と想像したりもするのだ。
「一人にしないでくれ、浮奇……」
彼の手を自分の頬にあて、呟く。
こんなことを聞かれたら女々しいなんて思われるだろうか、それともこんなにも不安に溺れた俺でも、その宇宙のように広い心で受け止めて、愛してくれるだろうか。
「俺はずっとふーちゃんの側にいるよ」
急に聞こえた声にはっとして視線を落とす。
「……浮奇」
「おはよう、かな?」
長いこと眠っていたせいで少し掠れた、どこか嬉しそうな声でそう言った。
「聞いてたのか」
気恥ずかしさからうろうろとする目線をなだめ、彼のアメシストのような瞳を見つめる。
「うん。丁度目が覚めたところだったから」
ほら、と窓の外に視線をやる彼につられて顔をあげると、いつの間にか夜が朝に溶け始めていた。
「綺麗だね」
よいしょ、と上半身を起こして、遠くの方を眺める彼の髪は、少しずつ昇ってきた太陽の光に透け、体に宿す星の光に反射しているかのように微かに輝いて見えた。
そんな彼が儚く綺麗で、愛おしくなり、思わずぎゅっ、と抱き締めた。
「どこかに行ったりしないし、消えもしないよ」
俺の不安を察したのか、背中に腕をまわして距離を縮める。
近くなった体温にほっとして、首もとにキスをする。
「そんなこともお見通しなのか」
「ふーふーちゃんの事ならなんでも分かるよ」
「全部は分からなくていい」
どうして?という彼の柔らかな唇にまた優しくキスをして、それは内緒だ、と笑った。
全部知られてしまったら、もしかしたら隣にいるのが自分でなくてもよくなってしまうかもしれないから。なんて独占欲じみた思考と、君への思いの全てでなくても、俺の口から形にしたいんだよ。という少し甘すぎるような言葉を冷めたコーヒーと一緒に飲みこんだ。
「さ、朝食にでもしようか。浮奇の食べたいものを何でも作ってやるぞ」
恥ずかしさを隠すようにいつもより少し大きな声で言うと、顔をぱっと輝かせてさっそくベッドから降りて、早く早く、と言わんばかりに手をとって駆けていく。
寝起きから元気だな、なんて笑いながら部屋を出る。
閉まりかけた扉の隙間から、明けの明星が二人に祝福を送るかようにひときわ輝いているのが見えた。