本当はもう虜 ぼんやりとスマートホンの画面をスクロールさせながら傑はうーんと眉間に皴を寄せる。
無難なのはリップ?でも持ってるやつと被りそうだしな…じゃあ部屋着とか?
「服買うの?」
スマホの画面とにらみ合っている傑と見つけた悟は、何事かと思ってその手元を覗き込みながらそう言った。
「私じゃないよ、硝子の誕生日近いだろ?」
「あー誕プレ」
そうだった。と悟はくわえていたストローをぱっと口から離し、空になったカフェオレの紙パックをその辺の机の上に置いて、傑の目の前の席に座った。
その席の主はもう下校しているのだろう。机に鞄はかかっておらず、代わりに悟の鞄がどかりと置かれている。
「悟はもう何か決めた?」
「うーん、最悪困ったら酒か煙草…」
「最終手段だろそれは。それに私たちはもう高専生じゃあないんだよ」
「いや高専生でもアウトなんだよそれは」
珍しく真っ当な事を悟は言った。
傑は一瞬きょとんとして、それから軽く噴き出すと、笑う所じゃなくない?!と悟が頬を膨らます。
「ごめんごめん、まあもう少し時間があるから一緒に考えよう」
「ここで?俺甘いもん飲みたい」
「じゃあ場所を変えようか」
というか今その甘いカフェオレ飲んでただろう?と傑は思ったが、口には出さずに傑も漸く帰り支度を始めた。
きっと悟が言っているフラペチーノは朝一に画像付きで送られてきたモンブラン風の新作だろう。ほとんどケーキじゃないかと傑は起き抜けの頭で考えたのを思い出した。
「モンブランのやつにするの?」
「そうそう、今朝送ったやつね」
「胸やけしそうだな」
「そういうお前も胸焼けしそうなくらいコーヒー飲むだろ」
「あれは私の適量なんだよ」
すくりと傑が椅子から立ち上がると、あっと悟が傑の膝裏に手を伸ばした。
そして少し捲れたスカートの裾をさっと直してくれる。
「折り目ついてる」
「あ、ああ…ありがとう、気を付けないとね」
にこりと傑は笑ったが、その笑顔がぎくしゃくとしていないか少し不安にもなった。
「行こ、傑」
「うん」
先に教室の出入り口に立つ悟の元へ駆けていくと、傑は悟と並んでもうだいぶ人のいなくなった廊下を歩き出す。
制服のスカートが慣れないわけじゃない。
もう女として生まれて十六年ほど経つのだからそれなりに学校の制服や私服でもしっかりと履いてきたはずだった。
問題は悟である。
自分と違って前世も今世も同じ男で生まれてきたはずなのに、どうしてだかそういう所作は悟の方が断然上手だったのだ。
まあ元来の育ちの良さもあるのかもしれないが、前世は男だった自分に対してもこういった細かいフォローをしてくるのである。
日常的なやりとりは昔と変わらないのに、自分に対する扱いが決して粗暴ではない。
ちょっとどころではないときめきを悟に覚えてしまっているせいか、傑は時折自分が悟の前で不自然な表情や行動をとっていないかと思う事がある。
ただでさえ傑は前世でずっと悟のことが好きだったのだ。
それなのに悟にこんな扱いをされてしまっては、今世でも好きにならざるえないだろう…と傑はここ数年悶々と考えていたのである。
高校二年生になって悟と傑は別のクラスになっていたが、悟は傑の教室まで教科書を借りに来たり、放課後になるともう帰ろうよと鞄を持って尋ねてきたりする。
付き合っているのか?とよく周囲に聞かれるが、決まって傑はそんな質問をしてきた連中に笑顔で「ただの古い友達だよ」とだけ答えるのである。
十六年と少し生きてきただけで「古い友達」とはなんだ?とその傑の笑顔に質問できるものは誰もいなかったから、二人は幼馴染という噂でなんとかまかり通っていたのだった。
もちろん、幼馴染なんかではないのだが。
それに悟には彼女がいるのである。
相手はひとつ学年が上の先輩で、地元のテレビに出る程度には美人だった。
悟は来る者も去る者も拒まない性質なので、大方美人で乳もデカいからという理由でなんとなく向こうからの告白にOKしたのだろう。
告白されたから付き合う。という話を傑は直接悟から聞いていたが、それ以来彼女の話題を悟から聞く事はなかった。
「え、めっちゃうま、めっちゃ栗!傑もちょっと飲んでよ」
「ええ、私はいいよ…もたれそう…」
「ちょっとだけ!本当に栗だから!」
飲みかけのドリンクを差し出され、傑は渋々ストローをぱくりと口に入れた。
ゆっくりと吸い込むとクリームやババロアなどの甘ったるい物が一気に口の中に広がる。
確かにうまいし確かに栗だ。しかし一口で胸がざわつくほどに甘い。
「これ、キャラメル追加しただろ」
「うん、その方がうまそうだったし」
「致死量の甘さ」
「死なない死なない」
傑が飲んだ後のストローは再び悟の口の中に消えていき、傑は口直しに自分の手元のアイスコーヒーをぐっと煽った。
騒がしい店内のカウンター席に並んで座り、傑のスマホを二人で覗き込みながら硝子への誕生日プレゼントをああでもないこうでもないと話し合う。
途中何度か、もう煙草をカートンでやったほうが一番喜ぶだろ…とめげそうにもなったが、どうにかその最終手段を回避したかったのだ。
「やっぱりリップかな…実際何本あっても困らないし、私もお揃いで…」
「え!ずる!俺もお揃いがいい!」
「悟はリップいらないだろ…じゃあアロマポットとか?」
「相変わらず疲れた顔してるしね。でもそれ手入れとか大変じゃねえの?」
「確かに」
すいすいとインテリアショップの通販ページをスクロールしながら、何かちょうど良いものは無いかと二人で首を捻る。
するとそのスクロールする傑の指を、待った。と悟が軽く握った。
「もうやめ」
「え?」
「スマホで見ててもわかんねえし、実際に見に行こうぜ」
ずずーっと悟はドリンクの残りを全て啜ってしまった。
「この店に行くってこと?」
「渋谷にあんだろ?もう行ってみてそこで決めよ」
その方が良いじゃん。とテーブルに頭を乗せて悟は傑を見上げた。
「まあ確かにね…このページに載ってないものもあるだろうし」
「よしじゃあ今日は終わり!頭使ったから腹減った」
「その甘いやつで十分だろ。夕飯まで我慢しな」
「育ち盛りだって」
「まだ育つつもりか?」
そんなことを言いながら傑はスマホでインテリアショップの営業時間を調べていた。
閉店は十九時らしく、これなら学校の帰りでも間に合いそうだった。
「じゃあ悟、いつ見に行く?」
「今度の日曜は?」
「……え?」
傑が目をぱちくりとさせると、なんか予定あるの?と悟がその傑の目をじっと見つめる。
「いや、予定とかは無いけど…」
「じゃあ日曜ね。十時に傑の家行くから」
がたんっと悟が席から立ち上がり、傑の前に置かれていたアイスコーヒーのカップを持って、まだ入ってる?と尋ねた。
もう入ってない…と呟くように返事をすると、悟はそれを自分の空になったドリンクのカップを持ってゴミ箱へと歩いていく。
そんな悟の後ろ姿を、傑は放心したように見つめていた。
約束をしたのは木曜日の放課後で、約束の日はその三日後の日曜日。
明らかに時間が足りないと傑は自宅のクローゼットをひっくり返していた。
この頃は学校帰りに悟と寄り道をしたりすることはあっても、こうして休日に私服で出かけることなんてめっきりなかったものだから着ていく服が全く決まらないのである。
日曜日まで制服を着るわけにはいかない。
だが日曜日の街中に自分が来ていくべき服がここにあるのだろうか?
ラフ過ぎるシャツは却下、ハンガーにかけっぱなしだったワンピースは季節外れ。胸が大きい関係でごてごてとしたトップスは太って見えてアウト。
衣替えをサボったつけがここで来るとはなと傑は深夜に衣装ケースまでも引っ張り出して着れそうなものを物色する。
良い感じの、例えばニットなんかが見つからないだろうか…と焦りに焦った傑は、血迷って硝子にまで連絡してしまう始末だった。
「え、ウケる。五条と買い物行くためにこんな夜中までファッションショーやってんの?」
電話の向こうで硝子がけたけたと笑った。
「ファッションショーしてるわけじゃないよ…服選びと、まあ衣替え…」
「へー、で?なんか見つかった?良い感じのニットとか」
「その良い感じのニットを探してるんだけど無くてさ」
「去年着てた紫のやつは?」
「あれは間違って洗濯して犬用の服みたいになった」
「やば、そんな縮むの?」
でも困ったねえ、と硝子の声と煙を吐く音が聞こえる。
「硝子、いま外?」
「ん?ばれた?ベランダ」
「寒いだろ、早く中に入んな」
「これ吸ったらね」
案の定硝子は一服しながら傑の電話に出ていたらしい。
「出かけるの日曜でしょ?土曜に何か見繕いに行けば?」
「やっぱりそれしかないか…」
「面白そうだからついて行こうかな。私も服欲しいし」
「え、いいのかい?」
「うん、まあ暇だしね」
「ありがとう硝子!」
今の傑に硝子ほど心強い仲間はいなかった。
日曜日に硝子への誕生日プレゼントを悟と買いに出かけるための服を、土曜日に硝子と一緒に探しに行く。というおかしな予定がたってしまったが、もうそこに疑問を持っている暇はない。
とりあえず一安心だと傑がほっと一息ついたものの、開け放たれたクローゼットとひっくり返った衣装ケース、そして床に散乱する服の中心に下着姿でああでもないこうでもないと服を合わせていた自分がいる事に気が付き、今からこれを片付ける怠さに思わず項垂れてしまったのである。
日曜日に迎えに来た悟の服装を見て傑は安堵した。
すらりとしたピーコートにダークカラーのセーターとチノパンを合わせ、いかにも秋冬を思わせるような落ち着いた雰囲気だった。
たぶんあいつはこういう感じで来るだろうな。と土曜日に散々硝子と協議しあい、どうにか傑はクリーム色のシルエットがすっきりとしたセーターとボルドーのタイトなロングスカートで上下を固めていた。
「そんなの持ってたっけ?」
「ああ、まあ秋だからね。こういうのも着たくなるさ」
「ふうん。いいんじゃねえの?」
悟にそんな事を言われ、傑はきょとんとしてしまう。
まさか悟から服装の感想を貰えるとは思ってもいなかったのだ。
「気に入った?硝子が選んでくれたんだよ」
「は?俺それ誘われてないんだけど」
「誘ってないからね」
「悟くんだけハブとかいけないと思いまーす」
「はいはいまた今度ね」
ほら行くよ。と傑がかつんとヒールのかかとを鳴らして悟より一歩前を歩けば、ぶつくさ言いながら悟もその傑に並ぶように歩き始めるのだった。
最寄りの駅から暫く電車に揺られ、木曜日に眺めていたインテリアショップを目指して街を歩く。
傑は昨日硝子に、「ほらこれがお前のデートコーデだ」と今日の服装に太鼓判を押された。
もちろんデートだなんて一言も言っていないのだが、深夜に服選びに悩んで友達に電話をしたり、向こうの服装を考えながらこうして上下ばっちり吟味した結果はまさしくデートコーデだな。と苦く笑ってしまう。
悟とはただ買い物に行くだけだったから、土曜日に硝子と出かけたみたいにパーカーにジーンズ姿でも良かったのだ。
デートなんかではないから手も繋がないし腕も組まない。
いつも放課後にちょっとどこか出かける程度のちょうどいい距離感だ。
このいつも通りさが、やっぱりデートにはならないという線引きにもなってくれているような気がして心地良いのである。
変な勘違いだって起こるはずがない。
だからもっと肩の力を抜いてこの日曜日を迎えればよかったのかもしれない。
しかしなんとなく傑は頭のてっぺんからつま先まで、自分が満足するぴかぴかの姿で悟と出かけたかった。
デートではないけど、恋をしているからこの気持ちはしょうがない。
それに自己満足で固めたこの姿を悟が気に入ってくれているらしかったから、あの木曜日の深夜は報われたな。と思うのだった。
「硝子へのプレゼント何か考えてきた?」
「もう出たとこ勝負にしようかなって」
「それじゃあ決まらないだろ…」
「そういう傑は?」
「うーん、人を駄目にするソファーとか…」
「なにそれこわ」
そんなんあげて良いの?と本気で心配そうな顔を悟がするので、思わず傑はくすりと笑った。
相変わらず悟は一般庶民の文化より少し離れたところにいるので時々こういう事が起こるのだ。
「あれ、知らない?じゃあとりあえずそれ見に行こうか」
「え、まじで大丈夫なの?」
「座ってみたらわかるさ」
悟も気に入ると思うよ。とインテリアショップが入っているビルに入りながら、にこりとして傑は悟を見た。
結局プレゼントはもっとコンパクトなものに決まったが、人を駄目にするソファーは悟がいたく気に入り、自分用にと一つ買い上げて店を後にした。
どうにかこうにか硝子への誕生日プレゼントが決まってよかったと思う反面、今日の用事はもう終了してしまったから後は電車に乗って帰るだけになってしまったことに傑は少なからず寂しさを覚えてしまう。
仮にこれがデートならば夕方まで一緒にいられる?はたまた暗くなってからも?
なんて思いながら女子トイレの洗面所でじっと自分の顔を眺め、いつもより幾分赤い唇に、やっぱりちょっと派手だったかな?と今更ながらに思うのだった。
濡れた手を拭きながら女子トイレを後にして悟が待つインテリアショップの店先まで戻っていくと、長身でよく目立つ悟の後ろ姿の前にもう一つ人影がある事に気が付いた。
ちょっとまて、あれはもしかして…?
傑は途端に一歩踏み出す歩幅を狭め、そっと忍び寄る様に近くの柱に身を隠す。
もう少し離れた場所にいたかったが、調度よく隠れられる場所がないから仕方が無い。
息を潜めるように悟とその人影の様子を伺うと、案の定その相手は自分たちの一つ上の先輩で、そして悟の彼女である女性だったのだ。
「よりによって…」
相手の存在が誰であるかがわかると傑はぽつりとそう呟いた。
今の状況はとても良くない。
悟とはただ買い物に来ているだけとはいえ、彼女からしてみれば面白くないだろう。
自分は今見つかるべきではない。
きっと悟も自分とここに来ているなんてことは言わないだろう。
相手も何か用事があって通りかかったはずだし、とりあえず今は別の場所に避難するか…と傑が来た方向へとまた歩いていこうとした時だった。
「あ、傑―!なにやってんの?」
そんな事を考えているうちにいつのまにかこちらを向いていた悟がきょとんとした顔でそんな事を言いながら手を振っているではないか。
え、嘘、なんで?と傑は一瞬頭の中が真っ白にもなったが、すぐに柱の内側から身体を出して、にっこりとしながら手を振り返して悟のもとへ歩いていった。
いや普通ここで声かける?馬鹿なのか?馬鹿なんだよな。
「やあ悟、偶然だね。デート?」
そんな事を考えながら傑はここで一芝居打つことに決めたのだった。
「今から買い物ならこの店はおすすめだよ。私も贈り物をさっきここで決めたばかりでもう帰るところなんだ」
当然悟は、「は?なに?」と傑に問いかけようとするが、傑はそうやって悟が余計な事を言わないうちに、こちらをじっと見ている彼女の視線を感じながら言葉を並べていく。
「ああじゃあもう電車の時間だから行かないと。二人でごゆっくり」
また学校でね、悟。と傑は悟を見上げ、あとはいくらお前でもわかるだろ?とアイコンタクトを送りながらその場を足早に退散した。
ビルを出た瞬間に走り出し、かかかっとヒールを激しく鳴らして、傑はあの場から逃げるように人混みの中へ飛び込んでいく。
そして振り向いた時にビルが遠くに見えるか見えないかの距離まで来た時、漸く傑は一度足を止めてほっと胸を撫で下ろした。
自分は一体何をしているのだろうか?とも思う。
しかしああする以外何か得策があっただろうか?
仮にあったとしてもあの場ではあれしか思いつかなかったからどのみちこうなっていただろうし、そもそもの目的である硝子への誕生日プレゼントもちゃんと買えているから何も問題はないはずだった。
まあ、いいか…と傑はとぼとぼと再び歩き出す。
あの演技はちょっとやりすぎだったかな?なんて思いながら、少しずきずきする胸にはははと笑ってインテリアショップの袋を抱き締める。
後々面倒なことにならないためにも、悟の彼女に対してはこちらに敵意なんてものは無い事を示しておくべきだっただろう。
学年が違うとはいえ、ただでさえ学校にいる時の悟は自分に昼休みのも放課後もべったりなのだ。
それなのに休日も一緒なんて所を見られたら、あの手の女は何をしでかすかわからないのである。
前世で培った経験がこんな所で役に立つのは心外だったが、触らぬ神になんとやらというのはどの時代でも同じに違いない。
今はあれが最善。このもやもやとした気持ちは明日硝子にでも話して思いっきり笑い飛ばしてもらおう…なんて思いながら傑がぼんやりと横断歩道の側で信号が青に変わるのを待っていると、突然背中からがしりと何かに抱きしめられたではないか。
ふわりと今朝もかいだ匂いが鼻腔をくすぐる。
間違いなくそれは悟の匂いだった。
「いやお前意味わかんねえ!」
そう言った悟に驚きながら傑は後ろを振り返ると、あと少しで鼻先が触れそうな距離に悟の顔があるではないか。
「さ、悟…?」
「ほんと何?俺なんかした?」
その様子は、傑が突然先に帰ってしまったことに困惑しているらしかったが、それよりもなによりも傑はどうして悟がここにいるのかがわからなかった。
「いやだって…日曜日まで悟が私とつるんでるのを見たら彼女が嫌が…悟ちょっと離してくれ!」
「嫌だ!」
ぎゅっと巻きつけられた腕に、苦しい!と傑は訴えるが悟は聞く耳を持たない。
それに傑はいい加減周囲の目線が気になって仕方が無かった。
ここは街の往来で、でかい男がこれまた比較的でかい女を抱き締めて騒いでいるのはかなり目立ってしまう。
「わかった!ここは邪魔になるからちょっと道の端に行こう!」
そう言って傑は横断歩道の近くから道路際の街路樹の近くまで歩いていこうとする。
「ほら悟!」
傑がどうにか一歩踏み出すと、悟は傑を抱く両手こそ離さなかったものの、素直にその傑の歩みについていってどうにか街の真ん中から外れることが出来たのである。
「ちょっと話そう」
「話すも何も傑…」
「私の顔を見ろ」
傑が振り向きながら悟の腕をぎゅっと掴むと、悟はそれに従う様に腕の力を緩めた。
やっとのことで傑は自由を取り戻して悟の方を向くと、深くため息を吐きながら言った。
「悟の彼女に、休みの日まで私といる所を見られるのは良くないだろ」
「はあ?なんで?」
悟は目をぱちくりとさせてそんな事を言う。
なんで?と言われるのもちょっとかちんと来るが、そこはまあ今は良いだろう。
あのね、と傑は言い聞かせるように続けた。
「自分の彼氏が他の女と一緒にいるのなんて見たくないだろ?悟も自分の彼女が他の男と出掛けてるのって見たい?」
「いやそんなの見た事ねえし」
「だからそういう事じゃなくてさ」
こいつはこんなにも想像力が乏しかったか?と傑は思うが、すぐに思い直す。
そんな事はない、ただ真面目に考えていないだけだろう、と。
勘は良いが思いやりは少ない。相変わらず横暴な男である。
「というか悟、彼女は…?」
「帰った」
「え?!」
「たぶん」
「はあ?!」
「だって見てねえし」
悪びれもなくそう答える悟に驚きながら、傑はかける言葉を失っていた。
今の会話をどう振り返ってみても、悟は彼女を置き去りにしてここにいるという事に違いなかったのである。
「先に走っていなくなったのはお前だろ!だったら俺も走んないと追いつかないし」
「いや待てその前に、そもそも君は私をなんで追いかけてきたんだ?」
「なんでってなんで?!」
さっきから何言ってんの?と眉間に皴を寄せる悟に、その言葉をそっくりそのまま返してやりたかった。
心臓がばくばくと鳴る。
悟が自分を追いかけてここまで来た事実に、がつんと頭を殴られたような気持ちだった。
こんなの勘違いするだろ…
傑はとっくにキャパシティを越えてしまっている思考と感情でぐるぐると目が回りそうになりながらも、すーっと深呼吸をして悟の腕を緩く掴んだ。
「付き合ってるんだからさ、彼女は大事にすべきだと思うよ」
瞬時に口から出そうになった言葉を一度ぐっと飲み込んで、それらしい台詞に変換する。
「でた正論」
「一般常識だよ」
はあとため息を吐くと、うるせーと悟は眉間に皴を寄せて美しい顔をお構いなしに幼稚に歪めた。
「そういう顏しない。下品だよ」
「お前が優等生ぶるからだろ」
「優等生は関係ないだろ」
先程の自分の芝居が全く無駄になったことがわかった。そう思うとやっぱりあれはわざとらしすぎてだんだん恥ずかしくもなってくる。
慣れない事はするもんじゃないな…と傑が街路樹に寄り掛かろうとすると、とんとその背中と木の幹の間に悟の手が差し込まれた事に気付いた。
「え?」
「なに?」
驚いたのは傑だったが、悟も不思議そうな顔をしている。
やっぱりこういうことは出来るんだな…こんな状況でもときめきが勝ってしまうのは惚れた弱みだろうか。
「…もう帰ろう。プレゼントも買えたしさ」
「えー俺腹減ってんだけど。なんか食って帰ろうぜ」
「いいけど」
「やった、行きたい店あってこの前調べたんだけどさ」
そんな悟の言葉を聞きながら傑はゆっくりと悟の手のひらから背中を離して、「へえ、何の店?」と真っすぐに立ち上がった。
すると役目を終えたはずの悟の手は、今度は傑の手をがっしりと指を絡ませて握ったではないか。
「は?悟ちょっと…」
手!と叫ぶと、悟はいぶかし気に傑を見たではないか。
「お前掴んでないとどっか行くだろ」
「行かないよ!」
「うるせ!前科持ちは諦めろ!」
「……っ」
悟の言葉にもう傑は何も言い返せなかった。
しっかりと繋がれた手は、今日何度も街中で見た恋人繋ぎに違いない。
まさか自分にこんなことが起こるなんて…ともう傑は、自分を引っ張って歩く悟の背中を見て黙ってついて行く事しか出来なかったのである。
走り去っていく傑を追いかけようとすると、がしっと何かに悟の腕を掴まれた。
勿論それは、さきほどばったりと出くわした自分の彼女である。
硝子への誕生日プレゼントを買い、トイレに行っている傑を店先で待ちながらぼんやりスマホを眺めている所に突然声を掛けられたのだ。
面倒だったので傑早く帰ってこないかな。なんて考えていたのに、この状況は何なんだ?
「どこ行くの?」
「ちょ、離して。傑見えなくなるから」
悟がそう言えば、彼女は信じられないという顏をするではないか。
いや信じられないことが起こってるのはこっちの方だ。と悟は思う。
今まで自分は傑と買い物に来ていたし、この後傑を連れて行きたい店もいくつかピックアップしてる。
それなのに傑はわけのわからないことを口走っていなくなるし、その傑を追いたいのにこうして邪魔されてしまう。
全部が全部、本当に何?とちょっとした苛立ちすら悟は覚えていた。
「前々から思ってたんだけど、五条君は私より夏油さんが大事なの?」
絞り出すような声でその人は言ったが、悟はその言葉に少し首を傾げ、そして咀嚼し終えたところではっとする。
「それは、そうだわ…」
ぽつりと悟は、自分の気持ちに納得するように呟いた。
なんとなく、自分の中で整理がついた気がしたのである。
自分は誰よりも何よりも傑のことが大事なのかもしれない。
否、大事なのだ。
特に今日は何だか綺麗な格好をしていて、唇も赤くて可愛くて良い匂いもしていて、変な奴に声でも掛けられてないかと思うと気が気じゃ無い。
一刻も早く追いかけたいのだ。
「傑見失うから行くわ」
じゃあまたね。と悟は傑が消えていった方向を見て、その場から駆け出したのであった。
買い物に行った日曜日から数週間も経っていない木曜日に、予鈴の音を聞きながら傑はきょとんとして返事をした。
それは先程悟から問いかけられた内容に対してではなく、悟の口振りに少し違和感を覚えたからである。
「今日さ、傑の家に行っていい?」
「いいけど…私しかいないよ?」
「いや良くない?」
「…あ、確かに」
自分の家に帰れば自分がいる。当然の事をこのように問答してしまったのは、悟が幾分しおらしく自宅への訪問を尋ねたせいだった。
放課後に悟が宿題やゲームなどをしに傑の家に遊びに来ることは珍しくはない。
しかしいつもならば「今日傑の家行くわ」と断定的に言ってくるのに、今日は何故か傑の様子を伺うような様子だったのである。
悟も漸く人の予定を気に掛けるようになんのだろうか?なんて思いながらも傑はそれ以上は特に気に留める事もなくさっさと帰り支度をして悟と共に教室を後にしたのだった。
しかし悟の、どこかしおらしい態度は傑の家に着いても変わらなかったのである。
なんだか落ち着かない様子であり、借りてきた猫の様に大人しくしている。
傑意外誰もこの家には居ないのだからなおさら寛げばいいのに…と傑は飲み物を持って上がった自室でじっとしていた悟を見てまた首を傾げるのだった。
「何する?課題は無いよね?」
「今日はない」
「じゃあなんかゲームしようか」
「昨日の夜なんかやった?」
「うーん昨日はモンハンかな」
「じゃあそれしよ」
「いいけど…」
それは一人専用のゲームだったので、悟は傑のプレイ画面をずっと眺めておくつもりなのだろうか?
とはいえ悟がそう言うので、傑はテレビとゲームハードのスイッチを入れると、暫く昨晩進めたところからゲームを再開したのである。
一人用のゲームを交代でやる事はある。その時は傑の番になると後ろからああじゃないこうじゃないと悟が喧しく口を出してきて時に喧嘩にもなるのだが、どういうわけか今日の悟はひとこともしゃべらないのである。
寝てるのか?と思う程で傑がちらりと悟を振り向くと、ばちりとその悟と目が合ったではないか。
寝ているわけでもスマホを覗いているわけでもない。
傑の事を悟はじっと見つめていたのである。
「どうかした?」
思わず傑は訪ねるが、「何が?」と悟からは返ってくるだけだった。
もしかしてじっと傑を見つめていたことを本人が気づいていないのだろうか?
なんだか元気ないな…と思いながらも傑はまたテレビに向き直り、モンスターに向かって斬撃を加えた。
どさりとモンスターが最後に咆哮しながら力尽きた。
「あのさ、傑」
「うん」
傑は画面上でモンスターの素材を剥ぎ取りながら返事をする。
「俺、お前の事好きだわ」
「うん」
剥ぎ取った結果、特に珍しい素材は出てこなかった。
そして傑は、もう一周か…と呟きながら早々に次のクエストに出かけるので、その時ばかりは思わず悟も目を丸くしたのである。
「ねえあの、傑…傑さん」
「なに?」
「今俺さ、お前に好きって言ったよね」
「うん、ありがとう」
改めて言われると照れるな。と傑は悟の方を向かずにそんな事を言うのである。
どうやら傑は、悟のこの言葉の意味が分かっていないようである。
あまりに多くの時間を傑は悟の側で過ごしていたし、悟は四六時中傑にべたべたしていたから今更しおらしく好きだなんて言われても、それがどんな好きなのかを判別することは出来なかった。
何より傑は、悟があの学年がひとつ上の彼女とまだ続いていると思っていたのである。
「その、傑のことが好きだからさ、俺傑と付き合いたいんだけど」
「…えっ?」
そこまでの言葉には漸く傑も驚いて思わず悟の方を振り返り、その拍子に手に持っていたゲームのコントローラをごとんっと床に落としてしまった。
その瞬間にテレビ画面ではプレーヤーがモンスターに跳ね飛ばされて一度戦闘不能になったではないか。
状況に焦った傑は、ああっととりあえず落としっぱなしのコントローラを手に取ろうとするが、それよりも先に悟が傑の両肩をがしりと掴んで自分の方を向くように距離を詰めてきた。
美しい目が真っすぐに、じんわりと熱を込めて傑と見つめている。
その眼差しに、息が出来ない…と傑は思ったが、すぐに幾度か瞬きをしながら少し落ち着いて悟を見つめ返したのだった。
静かな時間が流れる。
部屋には、ゲームの環境音だけが響いていた。
「傑も俺の事好き?」
囁くような、柔らかく低い声で悟は尋ねた。
「好き、だよ…」
「それは俺と同じ好き?」
震える声で返事をすれば、悟からまた質問が返ってくる。
そんなことは傑にはわからなかった。
自分の悟への好きは付き合いたいの好き。
だからさっきの悟の言葉の通りではあるのだけど、これが同じ気持ちの好きなのかと改めて確かめられると、果たして本当にそうなのだろうか?
傑はずっと前から、前世のころから悟のことが好きだった。でも一度もそれを口には出さなかったし、生まれ変わった今も悟にその事を伝えるつもりはなかった。
悟は今世でちょくちょく彼女がいたりいなかったりして、自分の立ち位置はいわゆる前世での硝子との関係のような、遠慮のいらない異性の友達でしかないのだろうと思っていたのである。
現に今も悟と硝子はそういう友達関係を築いているようだったし、自分と合わせて三人でつるんでいても昔と雰囲気はそう変わらない。
それなのに悟はどうして今、自分にこんな気持ちを向けているのだろうか?
自分の何が悟の事を惑わした?言うまでもなくこの平均よりもだいぶでかい乳?まあ心当たりといえばそれしかないだろう…
「…乳か」
「は?」
「あ、何でもない」
決して口にするつもりはなかったのだが、思わず出てきてしまったらしい。
聞き逃してほしかったものの、やっぱりはそういうわけにもいかなくて途端に悟はかっと怒ったような顔をする。
「え、お前もしかして俺が身体目当てでこんな事言ってると思ってんの?」
「違う!ごめん、そういうつもりじゃないんだ…」
「じゃあなんで信じてくれないの」
そして怒った顔は不安を見せるかのように悲し気な表情へと変わっていく。
「悟を疑っているわけじゃないんだ!ただ、なんで私なんだろうと思って…」
「なんでって?」
なにが?と視線を反らさない悟の目を、傑は見つめるほどに泣きそうな気持ちになる。
「私は女子の中でも背が高くてデカいし、媚びた可愛げもない。だからまあ、消去法で…」
少し言葉に棘が見えるものの、傑が本気でそんな事を言っているということは悟にも伝わったようだった。
「傑ってそんなに自分に自信なかったっけ?」
「自信も何も…」
「傑は可愛いよ」
悟は少し首を傾げ、睫毛を伏せるようにしながら傑の顔を覗き込む。
「可愛いわけないだろう」
「いや可愛いってば」
わからない?と悟は傑の頬にそっと指先を伸ばした。
「目とか口の形とか、ほっぺたも可愛い」
悟が触れた場所からじんわりと身体が熱くなっていくのを感じる。
傑は緊張していたのだった。
「あと耳と、前髪、おでこ…それと」
口にした場所から順に触れ、そしてその指は傑の目元に落ち着いた。
「笑うと目がきゅっとなるのも可愛い。あと俺より小さいのもね」
「…硝子の方が小さいよ」
「なんで硝子が出てくんだよ。それに硝子はちょっと俺には小さすぎるわ」
手のひらサイズだろ。と悟が言うので、さすがにそれには傑もくすりと吹き出してしまった。
「だから傑が俺にはちょうどのサイズなんだって」
しかしそこで少しできた心の余裕も、傑の全部が好きだと言わんばかりに口説いてくる悟の調子にまた飲み込まれてしまうのである。
一方の悟は、自分の顔面の良さや低く心地よく響く声など自分が持っているものを自覚して最大限に使い尽くし、傑に対して必死で行動を示していた。
来る者も去る者も拒まない、どこか俯瞰して人付き合いをしているような悟が、傑へ懸命に手を伸ばして逃すまいとしているのである。
「ねえ悟、ちょっと目瞑って」
「なに?キスしてくれんの?」
「いや、顔が良すぎて見れないんだ…」
「はあ?!」
今この雰囲気でそれ?と悟は驚愕するが、傑の余裕はとっくに崩壊してしまっていたのだ。
悟の好きな部分は顔だけではないが、勿論その顔もかなり好みだったので、こうして真剣に決め込んだ顔を向けられ続けると全く身が持たないのである。
「ううー、つらい…」
「つらくない!傑!」
悟が目を瞑らないならと傑の方が瞼を閉じようとしてしまうので、悟はなぜかそれに焦って、ずいっと更に傑の方へと迫っていった。
その瞬間にぐらりと傑は体勢を崩して部屋に敷かれたラグの上に倒れ込んだかと思えば、悟もそれに引っ張られるように前のめってしまう。
悟が、傑を押し倒したような姿勢が出来上がった。
「逃げたい?」
上から降ってくる悟の言葉に、傑は両目を見開いて浅く口を開く。
だが言葉は出てこなかった。
「逃がさないから」
そして覆い被さる様に悟は傑を抱き締めた。
どくんどくんと大きく鳴り響く心臓の音が胸越しに共鳴し合う。
前世の記憶を持った傑は、実質二周目の人生だ。
二周とも同じ男を好きになったが、一周目と変わらぬ友人関係を築いたこの二周目の人生でも、この恋は墓まで持っていくことになると思っていたのである。
それこそ、一周目の時の様に。
でもそれなのに、どうして悟はこんな顔をして、今自分を抱き締めているのだろうか?
悟…と傑は悟の背中にそっと両手を回す。
せめて二周目の今は少しでも長く悟の側にいたかった。関係はこの際何でもいい。ただの隣人でもクラスメイトでも、今の様に親友のままでも。
もし悟の一番頼れる存在になれたならば少しの我慢くらいはできる。
だから悟とその恋人との仲を応援することだって惜しげもなくなってきたのだ。
最終的にそれが悟と離れ離れになる要因になり得ることにも気づいていたが、とにかく傑は悟が自分に対して友達以上の感情を向けてくれるイメージが全くついていなかったのである。
「ねえ、この前の彼女は?」
「この前?」
「ほらあの一個上の、硝子の誕プレ買った時に会った」
「あー、別れた」
「…そうなんだ」
早かったね。と傑はぽつりと言った。
「私とはどれだけ続くかな…」
「なんでそんなこと言うんだよ」
絶対別れねえ…と悟は泣きそうな顔になる。
まだ告白したばかりなのに、いくらなんでも意地悪が過ぎただろうか?と傑は、ごめん冗談だよ。と悟の頭をふわりと撫でた。
「私はずっと悟が好きだよ」
「俺だって、傑が好き」
ゆっくりと悟の頭が傑の肩口に沈み込んだ。首に悟の鼻先が少し触れてくすぐったいと思っていたら、ずびっと鼻を啜る音が聞こえたではないか。
「悟、泣いてるの?」
なんで?と傑は笑う。
「わかんねえ、なんか胸がずきずきする…」
「そっか…」
悟の頭を撫でていた手のひらで背中をさすり、ぽんぽんとあやすように傑は悟を抱き締める。
絶対別れないって本当かな?本当にそうなればどんなにいいかな…と見えもしない未来に思わず目を瞑ってしまった。
部屋にテレビでは相変わらずゲームの画面が放置されていた。
制限時間はそろそろ時間切れ。まあこのままゲームオーバーになるだろうと傑はぼんやりと考える。
「悟…そろそろ起きてくれ、重い」
「ごめん、でももうちょっと…」
甘えるような悟の口調に、傑は思わずしょうがないな…とため息を吐く。
そういえばまだ制服を着たままだったから、こんな事をしていると二人ともかなりしわが寄ってしまっているのではないだろか?
傑は少しだけスカートが捲れているような気がしていたので、折り目がついちゃうかもな…とぼんやりと考える。
そしてその制服越しに悟の身体がぴたりと自分の身体に当たっていて熱い。
この身体は悟の事を易々と受け容れられる。今は空っぽの胎の中に悟だけを受け入れる事が出来るのだ。
傑は、そろっと膝を曲げて悟の腰をゆっくりと擦った。
するとがばりと悟が頭を上げて、じとっと睨むように傑を見下ろすではないか。
「ねえ俺、我慢してるんだけど」
「我慢?なんで?」
傑がわざとらしく小首をかしげると、悟はいじけたような表情を見せる。
もしかして乳目当てだと言われた事を気にしているのだろうか?
「私の事好きなんだろ?」
「好きだよ」
「身体だけじゃなくて」
「そう」
「だったら、別に我慢しなくていいじゃないか?」
ねえ?と傑は両膝で悟の腰を軽く挟み、悟の胸との間で軽く潰れていた乳房をぐっと押し付けた。
ごくりと悟の喉が鳴る。
もしかしてこいつまだ童貞か?いやそんなまさか…
耳まで真っ赤に染め切った悟の顔を見つめ、そしてその睫毛の長さにはたと気を取られていると、傑。と震える声で呼ばれる。
「ね、キスしていい?」
「聞くの?童貞かよ」
「童貞じゃねえし」
「だよね、私は処女だよ」
「…っ!」
わざわざそんな事を傑が言ってくるとは思わなかったものだから、悟はさっきまでの余裕もどこかに忘れて傑を抱く腕に力を込めた。
「だから大事にしてね?」
「する…っ!」
悟の言葉を聞き終わらないうちに、性急に傑の唇が塞がれた。
柔らかく唇が重なり合い、ちろっと舌先が中へ入りたそうに甘えてくる。
傑とが少し唇を開けてやればそこからぬるりと舌が侵入し、あっという間に口の中を支配されていった。
くちゅくちゅと唾液と舌が絡んで耳元に響き、自然と腰を浮かせてしまう。
じんわりと身体の芯が熱い。
もう外は夕焼けも過ぎ去っていたが家の中は相変わらずしんとしていて、このままではもう止まれない二人に介入するものがここには何一つないのだ。
唇が僅かに離れ、一瞬目が合ったかと思えば呼吸する間も惜しんでまた重なり合う。
シャツの中に伸びてきた悟の手にびりびりと全神経が集中し、傑は期待で胸が張り裂けそうな気すらした。
ぐっと熱の籠った下腹部がまだ制服を隔てて押し付けられる。
部屋の真ん中でもどかしく抱き合う二人の熱が溶け合うのはもう時間の問題だった。