ケースコード『ロゴス』日々新しいモデルが発売される携帯電話。今時はスマートフォンなんて呼び方が主流か。
短いスパンで新商品が次々発売される弊害で、後継機はどんどん型落ちしていく。物持ちのいい人間なら多少古くなった機種でもしばらく使い続けるのだろうが、それも二桁はいかない年数がほとんどだろう。
そんな中で、二つ折りのガラパゴスの携帯電話など、化石もいいところだろうな。
店に持ち込まれたその代物を見下ろしながら、ため息をひとつ吐く。
「お客さん、さすがにこれはもうダメだよ。素直に買い替えな」
化石のような携帯電話を持ち込んできた老婦人に対しそう告げる。老婦人は困ったように、それでいておっとりとした調子で返事をした。
「あらまぁ。本当にダメなの?」
「仮に直ったとしても、今時こんなスペックじゃ使い勝手が悪すぎるだろう。お客さん。データのほうはほら、このチップに全部入ってるから」
「あら、こんなに小さいのに? 家族の写真とか連絡先とか、全部入ってるの?」
「そうだよ。ちょっと読み取ってみたけど、中身は無事だからさ」
「でも困るわ。この本体がないと見られないでしょう? どうしましょう」
「お宅にパソコンとかある? 専用の機械とかありゃ、それで見られるようになるって」
日中とはいえ、客足はほとんどないリペアショップ。持ち込まれる電子機器は様々あるが、ここまで古い携帯電話は恐らく初めてだった。
メーカーサポートなんてとっくに切れてて、修理に使うパーツも生産終了。アングラの市場を探したって見つからないだろう。
それがまぁつい数日前までは動いていたと客が言い張るので、物持ちがいい人間はとんでもないなと内心呆れる。
ふと、店の出入口のドアにつけた鈴が鳴った。日中に二人も客が来るのは珍しい。
出入口のほうを見ると、少々早足でカウンタ―に近づいてきたのは、黒いコートを着込んだ金髪の青年だった。
「失礼。それは?」
青年は真っすぐカウンタ―の前に歩み寄ると、壊れた携帯電話を指さした。
突然のことに圧倒されてる間に、隣の老婦人がにこやかな笑みとともに答えた。
「私の携帯電話。壊れてしまって、直せないかしらと思って持ってきたのよ」
青年は珍しい、紫色の瞳でじっと携帯電話を見る。そして数秒とたたず、老婦人のほうに再び視線を戻した。
「この携帯電話を譲ってもらうことはできないか?」
えっ、と思わず驚愕の声が出てしまい、慌てて口をふさぐ。しかしカウンタ―向こうの二人は気にした様子もない。
「あら、いいの? これはもう直せないって、今教えてもらったところなのよ」
「構わない。これ自体が必要なんだ。どうだろうか。相応の対価ももちろん支払う」
「まぁ、対価だなんて。店員さん、この小さいチップっていうのがあれば、家族の写真は見られるのよね?」
「え? あ、あぁ、できますよ。専用の機械が必要ですけど」
「孫の一人が詳しいから、聞いてみるわね。お兄さん、こんなものでよければどうぞ。あとは捨ててしまうしかできないものですけど」
老婦人がそう告げるのを聞いて、青年がカウンタ―上の携帯電話を手に取った。口元にふわりと、かすかな笑みが浮かぶ。
「ありがとう。助かる。何か困っていることは? ご婦人」
「親切なのねぇ。若いころの主人みたい。あとはもう家に帰るだけなのよ。向かいの通りを突き当りまで歩いたところ」
老婦人がそう言うと、青年は足元に置かれていた彼女の荷物を拾いあげ、エスコートするよう数歩前を歩き始めた。例の携帯電話はすでに、コートのポケットに仕舞われた後だ。
再び鈴を鳴らしながらドアが開閉するのを、取り残された店員だけがぽかんとした表情で見つめていた。
*
コードネーム『ロゴス』について。
自分が伝承科のカレッジに初めてやってきた日、実験の様子を見学させてもらった遺物だ。
「それが何か?」
「今日から、研究内容が少し変化するそうです。それと、今後そのロゴスにまつわるプロジェクトに、あなたも加わってほしいと推薦がありました」
「僕はまだ研究室すら割り当てられていませんが……
「明日には準備が出来ます。あと、推薦してきたのはデイビット本人ですから。学院長からの承認もでています」
初日に案内してくれた講師の口からさらりと出てきた名前に驚きつつ、促されるまま部屋に通される。
小さな会議室のような様相。そこにはまさにデイビット・ゼム・ヴォイド本人が待ち構えていた。
「お待たせしました」
「こちらも丁度準備が終わったところだ」
講師とデイビットが短く言葉をかわす。会議机の上には、二つ折りのガラパゴスの携帯電話が置かれていた。今時こんなものを取り扱っている店ももうないだろう。
「急に呼び出してすまない。ロゴスについてのプロジェクトに加わってもらうにあたり、いくつか引継ぎ事項の説明をしたかった。それと並行して、ロゴスの新しい実験にも協力してもらいたい」
デイビットは淡々とそう告げると、携帯電話を持ち上げ開いてみせた。仕草としては、至って普通に電子機器を操作しているようにも見える。
「ロゴスについてのレポートはどの程度目を通している?」
「え、ええと……あなたの執筆したレポートの一章目までしか」
正直に答えるも、デイビット自身の表情に変化はない。無表情のまま、携帯電話の操作を続けている。
伝承科に来て以降、いくつかのプロジェクトの手伝いをしながら、伝承科での学業の進め方、もとい仕事の仕方を学んできた。基本的にはスタンドアローンで、何らかの依頼を承諾するか、個人で興味をもったケースを見つけるかして、伝承科が取り扱うべきと認定される未知の脅威の調査や保管に赴く。単独行動が殆どで、積極的に互いの研究内容を共有しあうということはない。とはいえ伝承科に属するもの同士であればあえて守秘を貫くということもなく、調べればほとんど全ての研究内容は閲覧ができた。
ゆえに、レポートを閲覧できていないのは単純に時間が足りなかったからだ。現に昨夜の夜まで、とある中東の国にフィールドワークを行う教授の助手として、二か月ほどロンドンから離れていた。
「では簡単に説明を。ケースコード『ロゴス』は、宇宙から飛来した知的生命体と認定されている。実体はこの地球上では再現できず、電子機器に憑依するような形で留まっている。電子機器を選んでいるのは彼らの体質と相性がいいからだそうだ。『ロゴス』について現在判明しているのは、およそ地球上の知的生命体では解読ができない言語によってコミュニケーションをとること、彼らと異なる言語体系を持つ知的生命体との言語交流を目的としていること、少なくともこの銀河系に滞在中の『ロゴス』は、現在伝承科が保管している一個体のみということ」
そこまで説明された時、不意に彼の手元の機器から音が鳴る。電子ノイズのような音に紛れて、講師が声をかけた。
「では、私はこれで」
彼女が退室するのも構わず、デイビットは言葉を続ける。
「最初に君がロゴスを見たときは、ブラウン管のテレビに憑依していた。この個体はレトロなものが好きらしい。移動の利便性を取りつつ、好みに合う電子機器を探すのには少々苦労したが、今のところこれを気に入ってくれたようだ」
「気に入って……ということは、ロゴスはいま、そこに?」
疑問を口にするのと、まるでスピーカーフォン状態の携帯電話から、通話相手の声が聞こえてくるような形で『ロゴス』が喋りだすのとは、ほぼ同時だった。
電子合成されたような、肉声とは言い難い声。しかし、以前聞いた全くのノイズとは遥かに異なる。合成音声が何をしゃべっているかは聞き取れなかったが、おそらくこの地球上のいずれかの言語体系に属する言葉なのだろうと、脳が勝手に判断をする。そして以前聞いたときのような精神的動揺はほとんど見られない。
「すまない」
デイビットがぽつりと呟いた。その間も、電話向こうの通話は鳴り続けている。というより、聞いた話を総合すれば、今まさに喋っているのがロゴスそのものとなるのだろうが。
「現役の話者がいる、この惑星全ての言語を一通り教えてみたのだが。何故かナワトル語を気にいったようで、それしか話そうとしない。今喋っているのはそれだ。君、心得は?」
「いえ、さすがにそれは……」
そう答えると、デイビットは携帯電話に向かって、同じナワトル語らしき言語で話しかけた。
数秒ほど、聞き取れない言語での会話が続く。暫くしてデイビットがため息をついた。
「ロゴスは地球上の大抵の言語で話しかけても理解ができる。君が発話可能な言語で話しかけても、意味は理解していることだろう。今日は、新しいプロジェクトメンバーの顔合わせと、この状態でのコミュニケーションが可能かどうか、それを確かめたかった。付き合ってくれてありがとう」
「その、新しいプロジェクトというのは?」
「引き続きロゴスの観察と研究を行うのだが、既にわかっていると思うが、この生命体の持つ言語理解能力は非常に有用だ。対話可能な知性を持つ地球外の遺物というのは、この伝承科に保管しているものだけでも無数に存在する。それらの研究を進めるのに、ロゴスの能力を効率的に利用する方法の確立。君がこれから関わるのは、そういうプロジェクトだ」
さらりとした語り口で、とんでもない大仕事を任されてしまった。
しかし、拒否権はこちらにはない。全て承知のうえで、伝承科に移籍したのだから。
「引継ぎ、というと、あなたは別のプロジェクトに移るのですか?」
「完全にではないが、そうなる。メインに取り組むべき大きな案件が降ってきた。ロゴスとスムーズに会話が出来るのは、伝承科には今オレと学院長くらいしかいない。とはいえ、それはロゴス側の問題だ。要するに、君とロゴスとは仲良くなってもらいたい、ということになる」
「は、はぁ……」
「彼は知的好奇心がとても強い。今のところそれは言語学習に振り切っているが、知識とよべるものならなんでも彼の興味を引くだろう。そのあたりを利用して、親交を深めてもらいたい。友人同士の雑談だと思えばいい」
「あの、参考までに……」
「何だ?」
「あなたはどうやって親交を……」
恐る恐る訊ねると、デイビットは一瞬きょとんとしたような顔をしたあと、苦笑するような表情で携帯電話を見下ろした。
「ずっと異星人たちに話しかけ続けて、やっとオレの番で話が通じただけのことだよ。それで懐かれたにすぎない」
そういう表情は、今までみた無機質な印象のものとは異なり、過去を懐かしみながらも苦々しく回想するような、ありふれた『人間』の表情に見えた。
「そういうわけだ。これは君に暫く預ける。伝承科のカレッジの外に出さなければ、どこに持ち歩いても構わない。仮に問題が起きたら、オレか手近な教授に声をかけてくれ」
「え? あっ」
デイビットはぱっと表情を変え、例の携帯電話を押し付け、さっさと退室してしまった。
ぽつんと残された部屋で、相変わらずロゴスは何ごとか喋り続けている。全く何を言っているかわからないが。
「…………不安だ」
素直な心境をぽつりと呟くと、ぴたりとロドスの言葉が止まる。突然のことに驚いて、思わず手元を見下ろした。
しかし沈黙はすぐに途切れ、再びロゴスが何ごとか喋った。
先ほどまでと違ったのは、自分にもわかる言語で、明確にこちらに話しかけた、と理解できたことだ。
そしてデイビットの言葉の意味と、ロゴスの心境の一端のようなものも、なんとなくわかったような気になれた。
『Let's get along, bro.』