「千冬、一緒に逃げよう」
一虎がそう告げたのは、東京卍會の元メンバーの訃報が届いていた中、ついに右腕だったはずのドラケンこと龍宮寺の死が報じられた夜だった。
「逃げるって」
「このままだと間違いなくマイキーの次の標的は俺たちだ」
「だからって何で」
一虎は千冬に疑いの眼差しを向けられる。一虎からの突然の申し出であるため無理もない。
「東卍の…マイキーの目の届がない範囲、田舎だって海外だってどこだっていい、だから」
「……逃げてどうするんですか」
「時間作って、マイキーの目を覚ませたい。きっと何か方法はあるはずだろ」
一虎の話は半分本当だが、半分は嘘だ。
万次郎の目を覚ますためにも、生き延びなければならない気持ちはもちろんあったが、何より千冬に死んで欲しくないと願ってしまった。
だが、願いを、気持ちを伝えることは一虎にはできなかった。一虎は罪を犯した犯罪者は幸せになってはいけないと、そう思っていたからだ。
「だから逃げながら、どうするか考えよう千冬」
「……当てはあるんですか」
「ない。ないけど、ここにとどまってたってそのうち見つかるだろ」
「……」
一虎とて、こんな理由も根拠も薄い説得に千冬が応じるとは思っていない。それでも、少しでも長く千冬に生きていて欲しい、また、少しでも千冬の隣にいたいと思った。
山の麓にある遺産登録のされた田舎町、東京なんかよりも大きな湖、日本の景色で思いつく限りの有名な、たくさんの場所を巡った。
時に天気に足止めをくらい、時には美味しいものや見たいものが尽きぬことから滞在を長引かせたこともあった。
逃亡生活も慣れてきたある朝、目が覚めたときすでに千冬はいなかった。
その代わりと言わんばかりに置き手紙が一通、テーブルの上に寂しく佇んでいる。
手紙は無論千冬からで、これまで各地を回ったことの思い出話に、やはり相棒である花垣武道を見捨てられないことから一人東京へ戻る旨、そして、最後には、
『本当は墓場まで持ってこうと思っていたんですが、俺らしくないかなって思ったので。最後の最後に、一虎くんとこうして旅行ができてよかったです。アンタのことが好きでした。』
そう、一虎のことを好いていた旨が書き記されていた。
一虎は思わず手紙を握りしめた。クシャリと紙が寄る音も気にせず、強く。
「そう言うなら、なら一緒にいてくれればいいじゃねぇかよ…!」
二度目だ。一虎の身の回りから姿を消したことで、いかに大切な存在であったかを知らしめてきたのは。
出所後に訪れた千冬は一虎への復讐かとも思いかけた。だが千冬の性格を考えると、そんな回りくどいことをする人間じゃないと、付き合いはじめて早々にその考えは切り捨てられた。
手紙を最後の言葉なんかにはしてやらない。そう思いながら、一虎は次の行き先を考え始めた。
次会うときには、千冬にうんと自慢話をしてやろう。
人のいない早朝の埠頭でも、今でも想うのは千冬だ。
昨晩のニュースで、都内で頭に一つの銃痕を残した男性の遺体が見つかったという。
身元はまだわかっていないらしいが、きっと佐野万次郎による粛清だろう。
一虎は今日も生きている。いや、生かされているとも言えるのかもしれない。
元とはいえ仲間の死を次々と報じられ、次はお前だと万次郎に言われているのかもしれない。
だが、それよりも千冬の手紙の文中に記されていた『生きて』のたった一言の呪いが、一虎を今もまだ、逃亡生活を続けさせている。
今も一虎は地に足をつけて、生きている。
いつ万次郎に見つかるかなんて、誰にもわからない。
公共の交通機関を使っているため、足はついているだろう。一虎はそれでも良かった。
あの日から、一虎はニュースを見ることをやめた。
もう過去とはいえ仲間の死を知りたくない気持ちもあるものの、何よりもただ一人、千冬の死を報じられることが怖かった。
漣の音にまぎれて一つ、カツリ、カツリと、重い足取りの足音が響く。
一歩後ろで止まった足音に、一虎は全てを察した。
すぐ後ろでカチャリと音がし、そして––
「…虎……一虎くん…」
「千冬?」
「ようやく起きた」
懐かしい声に、一虎は目を開いた。
目の前には千冬が、突然姿を消した前夜と同じまま、心配そうに一虎を見つめていた。
「ここは…」
あたたかな日差しの差す草原の中、一虎は寝転んでいたようだ。
千冬はそんなことを気にも止めず、続ける。
「思ったより早かったですね、合流」
「ああ」
嬉しそうに見えつつも、どこか少し残念そうな顔をして千冬は寝転ぶ一虎を見下ろしている。
「この先に、きれいな花畑があるんです」
「せっかくなんで見に行きましょう」
待ちきれないと言わんばかりに千冬は一虎を置いて、木々の生い茂る獣道を指差し駆け出す。
「待てよ千冬!」
一虎は久々に見る愛した人の背中を追いかける。
そうだ、一人で見てきた景色の話でもたくさんしよう。美味しかったものの話をしよう。
せっかく再会できたのだから––