恋刀へのススメ(仮)「典さんってさ、すっげ~優しいよなぁ」
「.............突然どうした」
秋が深まり、ひやりと肌を刺す冷気が冬の訪れを告げる今日この頃。とある本丸の一室にて、ぬくぬくと炬燵で暖をとる二振りの刀の付喪神がいた。
一振は、羽毛をふんだんに用いた半纏を身に纏い、ちまちまと蜜柑の皮剥きに勤しむ…天下五剣が一振りの三池派の太刀、大典太光世。
もう一振は、炬燵布団に肩まで埋もりつつ、大典太より与えられる剥きたての蜜柑を食べ続けている…郷義弘が作刀、名物豊前江。その二振りである。
先程まで、特に言葉を交わすこともなくのんびりとした落ち着きのある時間を過ごしていた二振りであったが、唐突な豊前の一言により否応なく大典太は手を止めることとなった。
豊前はむぐむぐと蜜柑を咀嚼しながら、右手の指を数え折りつつ言葉を続ける。
「一つ目!短刀たちに日頃の礼だっつって、大量の菓子や土産を贈ってるだろ?遠征や買い出しの時はほぼ毎回買ってきてくれてるじゃねえか」
「......前田たちには、いつも世話になっているからな…それぐらいしか返せるものがない」
「いやいや、そんなことないと思うぜ?どんなもんでも、わざわざ時間を割いて贈ってくれるってことが嬉しいもんなんだよ。次、二つ目!基本頼まれたことはぜってー断らねえし、どんなことでも殆ど文句言わずやってみせてくれるよな、畑当番とかよ!」
「......断る理由もなければ…別に、苦でもない。 誰かがやらなければいけないことだろう。 たいしたことは何一つしていない」
「そう謙遜する必要ねぇって!緊急の代打で厨当番に入って作ってたはんばぁぐ、旨かったぜ~!それじゃぁ三つ目!戦に出てるとき他刃を庇う癖がある...優しいっつ一言葉で済ませたくねぇけど、大事なことだからな。ハヤさんと前田に再三詰められてるの知ってっからよ」
「うっ……」
言葉を濁すことなく直球に指摘してくる様子に、つい返答に困り言葉がつまる。大典太はどうしてこんなことを言われるのか、あまりにも唐突な豊前の発言の意図を上手くつかめないでいた。
「今だって、手ずから剥いた蜜柑を、俺の口まで運んで食べさせてくれてるしな」
「..............................別に.............要らないのか」
「いる、もっとくれよ」
「………………」
あ、と口を開き蜜柑の続きをねだってくる豊前にさらに困惑しつつも、ご丁寧に蜜柑を食べさせる手は止めない。遠回しに真意を問うことも考えたが、すでに自分を上手くいなしている相手に、それも得策とは思えなかった。
わからずじまいの状態での思考は、時に悪い方へと傾いてしまう。ネガティブとも捉えられる思考回路の持ち主である大典太にとって、それはなおのことであった。
「......無意識とはいえ...迷惑、だったか...すまんな。こんな黴臭い俺なんぞの施しなど、お前たちには不要だっただろう...」
前田やソハヤに何度も励まされてきたが、それでもなかなか良い方向へ傾かない己の思考回路を自嘲する。炬燵越しに送られる無言の圧にいたたまれなくなった大典太は、剝きたての蜜柑を差し出していた手を引っ込めようと動かした。
すると、今まで咀嚼に集中していた豊前が、その手を掴んだ。今度はどうしたのだろうかと、 不思議に思ったそのとき、
ヂューーーーーーーーーーーッッッ
「!?!?!?!?!?」
なぜか大典太の指は、蜜柑の実ごとすさまじい勢いで吸われることとなった。
「なっ、ど...なぜ吸う!?お、おいっ、豊前江!どうし…」
「…それは違ぇよ、典さん。迷惑だなんて思ったことなんざ一度もねぇよ.....ヂューーーッ」
「わかった!わかったから...指を口から離せっ、吸うんじゃない......!」
真面目な顔をした同輩にものすごい勢いで指を吸われ続けるという絵面に耐えられなくなった大典太。その必死の訴えによってか、しぶしぶといった顔で咥えられていた指離してもらえたものの、名残惜しげにちろりと舌先で指先を一舐めされての終止符であった。
指先に残る舌の感触と熱に、その顔はわずかに赤らんでしまっている。何とか思考を落ち着かせようと深呼吸する大典太に対し、あっけらかんとした様子の豊前は、
「典さんの指から蜜柑の味がしたっちゃ」
「......………感想を述べるな...」
そうのたまった。
再び大きなため息をつきなんとか一言絞り出すと、大典太はあれこれ考えるのを止めた。
「......結局、お前は何が言いたいんだ」
だらりと炬燵に寄りかかっていた豊前は、大典太と視線を合わせるように身体を起こすと、先ほどまで己の口内に導いていた大典太の右手に手を重ねて言葉を続ける。
「普通はさ、他刃に身体の一部を口に入れられるっつーことは、危機感や嫌悪感を抱く場合が多いもんなんだぜ?」
重ねていた右手の指先を、おもむろにつままれた。
「典さんは優しい、そんでほーと甘い。俺にとってそれは勿論嬉しいことではあるんだが…その優しさが俺だけに向いちまえばいいのにって、思っちまうんだよ」
豊前が言葉を紡ぐにつれ、指先から手の甲へ、手の甲から手のひら全体へと力が込められていく。いとも簡単に振り払うことができる程度の力であるのに、なぜかそれができない。
じわりと手のひらの内側に汗が滲んでいくのを大典太は自覚していた。
「五虎退の虎に囲まれておどおどしちまってる典さんも、夕餉に好物の生麩が出たときについ目を輝かせちまうのも。落ち込んじまってる他刃らに静かに寄り添ってやってんのも……イイんだよなぁ」
「…………褒めそやしたところで、何もないぞ…」
怒涛の褒めに、照れからか、それともまた異なる感情からか。
そんな言葉を大典太がつぶやくと、豊前はきょとん…とした顔をしたかと思えば、
「それは困るぜ、典さん。俺、いま典さんのこと口説いてんのによ」
世間話のような気軽さでそう言った。
ぴしり、と大典太の思考が停止する。先程まで何ともない触れ合いであったはずの重ねられた手が、今では心臓を大変うるさくする原因になっている。
「一緒に万屋や現世に行って、でぇと?っつーのをしてみてぇし、典さんがいたっつー筑後にも一緒に行きたいっちゃねぇ…」
次々と口にされる願望に、さらに混乱していく大典太。
「まっ、まて。おい、豊前」
「おっ!名前呼んでくれんのも好きだぜ?もっと呼んでくれよ、典さん」
「待てと言っている…!っ、おい。距離を縮めてくるな。まて、まってくれ…」
重ねられた手は離さないとでもいうかのようにさらに力が込められ、豊前は大典太の方へ身を乗り出して近づいてくる。
たじたじになりつつ、何とか制止の言葉をかけるも、あまり効果は無いようで、着々とその距離は縮まっていった。
脳裏に浮かぶは、以前包丁藤四郎に見せられたドラマのワンシーン。男女がお互いを見つめあい、ゆっくりと口づけを交わす熱愛場面のそれである。
これは、もしや。現在進行形で豊前に口づけされそうになっているのでは???
大典太の脳内の混乱はさらに加速していく。
それだけは回避しなくてはと思う反面、その行為に拒否感も嫌悪感も感じていない自分が頭の片隅にいた。そうして、最終的に大典太がとれた行動は、目を瞑り、来るであろう衝撃になんとか備えることだけで。
そんな初々しさが色濃く表れた様子に、
「やっぱり、ほ~と典さんは優しいっちゃねぇ」
豊前はふわりと笑った。
予想していた衝撃がなかなか訪れず、大典太が恐る恐る瞼を持ち上げると、その眼前には依然として豊前の顔が近距離で健在していた。
なんだ、勘違いをしてしまったのか…いや、そんな、あまりにもこれは…恥ずかしすぎる。
大典太が己の邪な思考を恥じ、緊張していた身体の力を抜いたそのとき。
ちゅっ。
辺りにかわいらしいリップ音が響いた。
大典太の唇の左端にあたたかく柔らかなものが吸い付き、瞬く間に離れていく。
「…………………は、?」
「…駄目だぜ?典さん、そんな顔したらよ。今すぐもっと欲しくなっちまう」
自分の身に何が起きたのか、理解できていない様子で固まってしまっている大典太に豊前は再び笑いかけると、その手を放して立ち上がった。しっかりとした足取りで部屋の戸口に手をかける。
「そういうわけだからさ、典さん。覚悟しててくれよ?…俺、典さんのこと、そういう意味で好きだからさ」
そんじゃ俺、畑当番あっからよ!また来るぜ、典さん!
そう豊前は言い残すと、自慢の足の速さで走り去ってしまった。
部屋に一振り、硬直したまま取り残された大典太は、長いような短いような時間の経過の後、ぶわりと顔を朱に染めた。
「…………あれ、は…」
口の端であったために本来の口づけとは言えないが、豊前から与えられたそれは、確かに。
「……俺、は…豊前に口付けられた…のか…?」
熱と決意とがこもった感情の発露であった。
現状を口にしたことによってさらに意識することとなってしまった大典太は、両手で顔を覆うと炬燵に突っ伏してしまう。
その際、勢い余って炬燵机に額を打ち付け、その痛みによって先程までのやり取りが現実であることを、まざまざと自覚させられたのであった。
※※※
「ーーーーーーはっ、はっ、……はぁ…」
大典太と別れてから約半刻後。それまで走り続けていた豊前は、人影のない近隣の森にまでやってきていた。荒くなった息を何とか落ち着かせるために、大きな木の幹にもたれかかる。地面にはふかふかの枯れ葉が積もりに積もりなんとも心地が良さそうだった。豊前はそんな枯れ葉の山に身を投げ、大の字に仰向けで寝そべると
「~~~!やっちまった~~~~~!!」
耳まで真っ赤に染まった顔で盛大に声をあげた。
つい本音を漏らしてしまったどころか、勢いのままに好きだと暴露し、なおかつ恋愛感情で好いてくれているかどうかあやしい相手に対して口付け紛いの行為もかましてしまったのである。告白シーンにしてはなんとお粗末なものであろうか。顔を手で覆い悶えるも、その頭には先刻まで共に過ごしていた大典太のことばかりが浮かんでいた。
「……いつかは実行しなきゃいけねぇことだったし、腹のくくりどきだったっつーことかな…」
ぱしり、と豊前は己の膝を叩くと、木の葉の山から立ち上がる。その表情は赤みを帯びているものの、どこか晴々しさが感じられた。
「意識してくれっつったのは俺だしな。有言実行といこうじゃねぇか」
まずは恋刀になってもらうところからだな!
そう、決意を新たに顔をあげた豊前は、当番として割り当てられていない内番のために、畑へと歩みを進めた。
※※※
「次からどんな顔であいつと顔を合わせろというんだ…」
「それにしても、顔近づけたときの典さん。かわいかったっちゃね……」