久々の良い宿だ、バスルーム付きの部屋だった。野営しながら長らく歩き通しだったので熱い湯が恋しい、季節は冬に向かっていた。
ヒュンケルが先に風呂に入ってしまおうとブーツを脱ぎ、適当にタオルなどを見繕っていると、「身体を流したら適当なときに呼べ」とラーハルトが声を掛けてきた。
「なぜ?」
「ついでだ、脚を揉むのに石鹸を使うと滑りがいい」
旅する体力はついてもヒュンケルの一度壊れた身体は完全に元には戻らなかった。なので、ラーハルトはたまにこうしてメンテナンスを申し出る。それに関して旅の最初の頃は遠慮や恥じらいの応酬もあったが、今ではヒュンケルもただ「分かった」と受け入れる。
「さすが高い宿屋だな、こんなものまであった」
そう言いながらバスルームに入ってきたラーハルトの手には棒状の片側が何かザラザラしたもの…踵用のヤスリがあった。柄の部分の装飾が花柄で、主に婦人用かと思われる。
「これもついでだ、こいつで最後にピカピカにしてやる」
そう言ってヤスリをヒュンケルに持たせると、自分は湯で手を濡らし石鹸を泡立て始めた。
「おいこれ、前にやられたときに踵だけ赤ん坊みたいに柔にされたやつだな、次の日靴の中で踵が痛かった」
「そうだったか?じゃあ程々にする。そこそこの貴婦人の踵くらいにしておく」
「削りすぎるな、お前の踵も削るぞ」
「いい、俺はあとで自分でやる」
踵がつるつるになると気分がいいからな、などと言いながらラーハルトはバスチェアに座るヒュンケルの足元にしゃがみ込む。
さながら忠実な家臣のように、だが見上げてくる視線は忠誠というより遊戯。付き合うヒュンケルはタオル一枚、裸の王様の気分。
「…さあお御足を、マダム」
「蹴るぞ」
悪態と共に花柄の柄を振り下ろされるとラーハルトが喉の奥で笑う声がした。ヒュンケルの爪先がタイルの床から離れる。
ぬるりとした泡越しに青い指が優しく触れる。最初は足首周りの関節を解すように、それから足の甲を何度かなぞってそのまま指をばらばらに動かし、足裏、踵を通り脹ら脛へ。
「強く揉んだりしないのか」
「必要ならな。でも前も言ったろう、撫でるだけでもいいと。それに俺が触って確かめてるのもある」
片方の膝下が終わるともう片方へ。途中で石鹸を足しながら指と掌が気持ち良く滑っていく。水音、響くタイル、心地良い時間。
もうちょっと強く揉んでくれればいいのにとヒュンケルは思う。優しく撫でるだけでは愛撫と変わらない。シーンを読み違える無様だけは避けたい。
青い手は膝裏から太腿へと上っていき、そこでふと止まった。ラーハルトは何度か押すように指で圧をかけ、横から確認するように首を傾げる。
「腿の前が張っている、歩くときにどこか姿勢に無理をしてないか?」
「そうなのか?特に自覚はないが…」
「後で背中もみてやる」
そう言うと両膝周りを何度か掴むように揉み解し、最後に軽く叩かれた。一旦終わりの合図だ。
「診てもらってなんだが、自分の体でもないのに良く分かるな」
手桶で湯を汲むラーハルトにヒュンケルは感心したように声をかけた。自分でも太腿を揉んでみるが感覚は普段と変わらないように思える。
「当たり前だろう」
得意げに返事が返ってくる。そして
「…いつも見ているから分かる」
少し艶を含んだ声で更にもう一言。
だが、それに対して何も反応がないのでラーハルトが視線を上げると、恋人はなぜか思案顔であった。しばし後に思いついた表情になり言った。
「前に…ポップがマァムに、別の体の部位について似たようなことを言って叱られていた」
「分かった、二度と言わない」