ぶるぶる魔法舎---
ネロは今日、先週作っておいたぶるぶるローズの砂糖漬けを使って、ロールケーキを作ろうと思っている。
ふんふ〜ん、と鼻歌を歌いながら機嫌よく魔法舎の廊下を歩いていたネロはしかし、キッチンに足を踏み入れた瞬間目を丸くした。
心地よい光が差し込むキッチンには、テーブルの前のスツールに腰掛けた魔法使いが二人。思いっ切りぶるぶる震えているリケと、リケの様子を見て首を傾げているブラッドリー。
「おま……リケ、どうした!?」
ネロの声に二人が入口に顔を向ける。焦ったネロの顔を見て、二人ともきょとんとした顔をしている。視線をリケとブラッドリーの前のテーブルにやると、そこには大きなボウル。なるほど、とネロは状況を把握した。
「あんたら、その砂糖漬け食ったのか……」
「ネ、ネロ〜」
ネロがため息をつきながらキッチンに入ってゆくと、リケは眉を下げて困り顔でネロを見た。ブラッドリーは足を組んで座ったままだ。
二人の前にあるボウルは、ネロが手間暇かけて作ったぶるぶるローズの砂糖漬けを入れておいた器だった。今からこれを飾りに今日のおやつを作るつもりで、ネロは見た目も綺麗な菓子のレシピを色々と考えていた。
し、もしものことが無いように、ネロはきちんと誰かが間違って食べてしまわないように、砂糖漬けを戸棚に仕舞ってメモ書きをしておいたし、なんなら一応結界的な簡易魔法もかけておいた。のに。
そこまでしている材料に、リケがわざわざ手を出すわけがない。
「ブラッドてめえ、食うなって書いてただろ!」
ネロが睨みつけると、ブラッドリーはにかりと笑った。
「書いてたな、だから何だ?」
いつもながら全くもって悪びれない様子に、ネロは再びため息をつく。
「ネロ、す、すみません。ネロに会いにキッチンに来たらブラッドリーがいて、おやつにどうだ、と言われて分けてもらったのです」
そう話すリケの声もやや震えている。
「ふ、震えが止まらないのはつまみ食いの罰でしょうか」
不安げなリケの問いかけに、ネロは首を横に振る。
「んなわけねえだろ……」
ネロはぶるぶるしているリケの両手を掴んだ。
「この花、ぶるぶるローズっつって、一気にいっぱい食うと震えが止まらなくなるんだよ」
「あったな、そんなん」
ブラッドリーは膝を打った。
「いや、あんたは食ったことあるだろ。わからずに食ってたのか?」
「草の名前も見た目もいちいち覚えてねえよ」
草って……、バラだっつの、と言いながら、ネロはリケのほうに向き直る。
「リケ、なんでかは知らねえけど、こいつで震えてるときは人に抱きつかれたら止まるからさ、ちょっとごめんな」
そう言ってリケを見ると、リケはなるほど、と言って素直に立ち上がる。ネロはリケを頭からかかえてぎゅう、と抱きしめた。
リケは少しだけ驚いたように肩に力を入れたが、すぐに力を抜くとあははとネロの胸で笑う。
「不思議な食べ物です。崩壊石のように、魔法使いにだけ効くのですか?」
「や、この花はたくさん食えば誰にでも効くよ。身体が小さい分子どもは余計に効くのかも」
リケは、ネロが知る症状よりも激しく震えていた。健康に悪いわけではないが、こんなに震えたまま放っておくわけにはいかない。
珍しいハプニングだったけれど、嫌そうな顔をせずに楽しそうにコロコロと笑っているリケを見てネロは困り顔ながらも、笑みをこぼしてしまう。魔法舎に来て会ったばかりのころは、リケ自身の役割、から離れたところで人から触れられることをはっきりと拒んでいたことを思い出すと、可愛いには違いないが、なんだかとんでもないような気持ちもする。ネロは、まだ少し震えているリケを抱えて、ぽんぽんと頭を撫でてやる。
ブラッドリーはその姿を見て、あ、と思い出す。盗賊団時代も、ネロが下拵えしたローズをつまみ食いした若い手下がいて、彼は今と同じような光景を見たことがあった。
「これ、昔もやったな」
ネロはブラッドリーをじろりと見上げる。
「やったよ……。つうか、お前だろ棚から出したの! 子どもらが食わねえようにメモ書いて、しかも魔法までかけといたのに」
ネロは悪びれないつまみ食い常習犯に食ってかかった。
「おう。注意、食うと震えますっつーから震えるほど美味いのかと思ってよ。しかもわざわざ魔法なんかかけてるから、よっぽど珍しいもんか美味いもんかと思ったぜ」
「馬鹿か」
はあ、とため息をついて、ネロはリケの震えが止まったらしいことを確認した。
「止まったか?」
リケはネロを見上げて、しばし両手を握ったり開いたりしてみて、こくりと頷いた。
「止まったみたいです」
そして、ネロがリケを離してやると、ペコリと頭を下げた。
「ごめんなさい、ネロが作って大事に置いていたものを食べてしまいました」
リケの前でブラッドリーに散々文句を言ったものの、リケに頭を下げさせるようなことでは無いから、ネロはいいよ、と彼の頭をすぐに上げさせる。
「気にすんな」
ネロがそう笑うので、リケは安心した表情になって、くるりとブラッドリーの方を向いた。
「ブラッドリーも、ほら!」
「あ?」
「あなたも、ネロに謝らなくては」
はあ?とブラッドリーは顔をしかめる。
「俺様に指図すんじゃねえよ」
「またそんなふうなことを。ブラッドリー、失礼ですよ」
「へえへえ、勝手に言ってろ」
自分のことを相手にしていないブラッドリーをキッ、と睨むリケに、ネロが声をかける。
「リケ、もういいよ。ありがとな。ほら、これクッキーあるからミチルと分けて食え」
リケはプク、と頬を膨らませてブラッドリーをややにらみ気味に見ながらも、ネロからは素直にクッキーを受け取って礼を言い、キッチンを後にした。
「はあ……。ったくガキかてめえは、」
ネロはやれやれと首を振って、砂糖漬けの入ったボウルの中を確認した。随分減ってはいるが、今日のおやつを作るにはこと足りそうだった。ひょいとボウルを持ち上げて、調理台の方へ運び、手を洗う。横槍がはいったが、ようやく本題の菓子作りに取り掛かろう、としたが、背中からブラッドリーに呼びかけられる。
「おいネロ。俺はどうすんだよ」
「は?」
ネロが振り向くと、ブラッドリーは右腕を差し出して見せる。リケほどではないが、彼の手も微かに震えていた。
ネロは濡れた手を拭かずに眉間に皺を寄せて、ふい、と目を逸らす。
「知るか。勝手に震えてろ」
「ああ?」
ガラの悪い声がしたが、ネロが無視して作業を続けようとすると、カツン、と背後でブラッドリーが立ち上がる気配がして、ぐい、と右手を掴まれた。
直接掴まれるとたしかに、それなりに手が震えてるのがわかる。ブラッドリーとリケとでは、体の大きさも備えた諸々の耐性も比べ物にならないが、おそらくリケよりも多く食べたのだろう。
ネロは仕方なく振り向く。
「めっちゃ震えてんな……」
「おう。このままだと手元が狂っちまうかもな」
ネロがチラとブラッドリーを見上げる。震えを止めてもらえずに困っているのはブラッドリーの方なのに、余裕そうに笑って言うのでネロはなんだかつまらない。
そういえば北の魔法使い達が今日は昼から任務だったとネロは思い出す。確かにこれでは彼の魔道具の長銃を使うのには支障がある。それに、ブラッドリーが他の北の魔法使いにぶるぶるローズのふるえを止めてもらう、というのは想像しがたい。
「はあ……」
ネロは今日一番のやるせないため息をついて、呪文を唱えた。
「アドノディス・オムニス」
キン、とキッチンに結界が張られたのがブラッドリーにもわかって、結界?と眉を上げると同時に、ネロが雑に両腕ごとブラッドリーを抱きしめた。
「……わざわざ結界張るか?」
「ったりまえだろ」
誰か来たらたまんねえ、とブラッドリーの肩のあたりでネロは不機嫌そうにぶつぶつ言う。
「つーかてめえ食い過ぎだろ」
ネロが文句を言うのをブラッドリーがへいへい、と聞いている間に、震えはうまく止まったようだった。
ブラッドリーがもういいぞ、と言う前に、ネロは彼からバッと身体をはなした。
「おら! 止まった! さっさと行ってこい!」
照れなのか何なのか勢いよくそう言われて、ブラッドリーは声を出して笑いそうになるのを我慢して(笑うとさらに機嫌を損ねるだろうということが明らかだったので)、かわりにネロの頭をぐしゃりと撫でた。
「おう、行ってくる」
ひらりと手を振るブラッドリーを、ネロは微妙な顔で見送った。
ネロが微妙な顔のまましばしキッチンに立ちつくしている間に、キッチンにまた新しい客がやってきてネロは我に帰る。
「おや、ぶるぶるローズ」
珍しくシャイロックがパイプの香りをまとってキッチンにやってきた。どうやら今日はいつもより更に遅く起きだしてきたらしい。
「ああ、シャイロック…。おはよう」
「おはようございます、ネロ。今日のおやつですか?」
美しい出来ですね、とシャイロックに褒められたネロは、嬉しいながらも、さきほどの件で目の前の食材にやや懲りていたので、あ〜、と言葉を濁した。
「褒めてもらったとこ悪いんだけど……これ、出すのはやめとこうかな」
「おや、どうして」
いや…とネロは目線を彷徨わせる。
「注意書き、守んねえやついるし……」
「ああ、なるほど。それはそれで愉快ですが」
「いや、もうすでに愉快じゃなかった」
ネロの沈痛な面持ちを見て、自分が来る前に何かあったのであろうことを察したシャイロックは彼の言葉とは反対に愉快気に笑ったが、すぐに眉を下げてネロに同情の顔を見せた。
「そうでしたか。……でも、こんなに美しい砂糖漬けを無駄にしてしまうのはあんまりです。私のバーでカクテルに使わせて頂いても?」
「魔法舎の?」
「はい」
「え……、やめといたら?」
結局魔法舎で提供するなら同じじゃん、とネロは頭を掻く。
「この間の東の国での任務でネロたちがいない間に、ラスティカがこのぶるぶるローズのお菓子を知らずに配ってしまって、みんなで震えていたんですよ」
西の国で最近また流行っているようですね、とシャイロックに言われて、ネロは眉を上げる。
「最近もそんなんあったの?」
「はい」
「……禁止だな」
「おや。その時も大変愉快でしたよ」
「残念ながら意見の相違だ。愉快じゃないことが起きる場合もあるからな」
「ですが、せっかくあなたが作ったしたものでしょう?」
「そうだけど……」
ふむ、とシャイロックは優雅に顎に手をやる。
「一口いただいても?」
「ああ、いいよ」
ネロはスプーンで少しだけ青い花びらをすくい、彼の手のひらにのせてやると、シャイロックは丁寧な仕草でそれを口に運んだ。
「美味しいです。それにこの素晴らしい色」
「どうも……」
でもなあ、と眉間に皺を寄せるネロに、シャイロックは肩をすくめて首を傾げ、こう提案した。
「ではこういうのはどうでしょう。今ここでネロと私で全部食べてしまう」
ネロは口を開けてシャイロックを見つめた。じゃあ俺あんたのこと抱きしめなきゃじゃん、とは言わずもがな。
「……結構です…。」
ネロがちらりとシャイロックの目を見てすぐに逸らすと、彼は優雅に悪戯っぽく笑った。
どう考えてもシャイロックはこの場を楽しんでいるだけなのだろうが、自分の倍も生きている西の魔法使い相手に、ネロがこんな遊びでシャイロックにかなうわけがない。
ネロがそれ以上なんとも言えずにいると、冗談ですよ、とシャイロックは微笑む。
「私が買い取って、ベネットの酒場で振る舞おうかな」
ネロはその提案に、ああ、と頷く。
「いや、金はいいからさ、そうしてくれ」
「ではお言葉に甘えて……」
二人の魔法使いの交渉が成立したところで、またひとりの魔法使いがキッチンにやってきた。
「ネロ、いるか?」
「ファウスト」
「シャイロック、珍しいな。……取り込み中か?」
「いや、んなことないよ。どうした?」
東の国の先生役の登場にシャイロックは再びチラとネロを見る。
珍しくいたずらのチャンスを見つけた子どものような目をしたシャイロックに、ネロは苦笑した。
シャイロックに目配せされて、ネロは無言でかぶりを振る。
「……ファウストは駄目だろ」
シャイロックは美しい所作で口元に手をやるが、溢れる笑いを隠し切れていなかった。
「何……?」
ファウストが怪訝な顔をしてキッチンの二人を見つめる。
「いえ、……ネロは思ったよりもファウストのことも可愛がっているのだなと」
「何の話だよ、いや違うって……そういうんじゃなくてさ……」
「……何なんだ??」
なんでもない、ネロがそう言い切って、ひとまず今日のところは魔法舎の料理人によってぶるぶるローズの砂糖漬けはおあずけとなった。