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    sibaraku_stay

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    sibaraku_stay

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    いつかのクロワッサンの書きかけ没

    地面を灼くほどの強い日差しは、数メートル先を歪ませる陽炎を生み出して、それに健気に呼応する何処かの虫の鳴き声は人だかりの喧騒に掻き消される。数ヶ月振りのアカフラは相変わらず暑かった。
    使い古された、出涸らしの敷物にどかと腰を下ろしたアダクリス人達が慣れた様子で客寄せを行い、大勢の人々は珍妙な物品達を見ては、懐からこれまた奇妙な物を取り出してそれぞれを交互に指差している。

    そんな熱気に包まれた人々の中で唯一人、ロドスのドクターは鬱屈そうな顔色で大木の木陰に身を寄せていた。
    「クロワッサン、まだ終わらないのか?」
    「ちょっと待っとってな旦那さん、このおっちゃん中々手強いねん!」
    明るいオレンジの髪を揺らしてクロワッサンはドクターに手の平を向けた。
    この炎天下の中、クロワッサンの手元にある、ドクターの目からはガラクタにしか見えないソレを巡って大柄のアダクリス人と熱い交渉が行われているようだ。そしてその熱い攻防が行われ始めて、早数十分が経っていた。頭上から容赦なく降り注ぐ陽光が黒いフードを炙り、じりじりとドクターの体温を上げる。屋外でバイザーやコートを外すわけにもいかず、汗ばんだワイシャツをばたつかせた。
    「嬢ちゃん、何度も言うがそれぽっちじゃ売ることはできねえよ。せめてその倍出してくれりゃお勉強してやってもいいけどよ」
    「まーまーおっちゃん!ほら見てこれ、この鉱石角度変えるとな、色が変わんねん!装飾品にも使えんで!」
    「そうは言ってもよぉ....」
    「あー分かった、ほんならこれはどや!なんでもその筋ではえらい貴重って言われてる石なんやけど」
    二人の取引で迸る熱気は冷めるところを知らず、ドクターは肩を落とした。
    「.....先に行ってるよ」
    無気力にかけられたドクターからの声にクロワッサンは片手間にビシッと親指を立てる。背中を大木から離し人混みをかいてドクターはその場を後にした。
    人がごった返す中道。両脇に並ぶのは露店、露店、露店。売られているのはそこらに転がっていそうな石だったり、何かの抜け殻だったり。そしてそれらに血眼で手を伸ばす大勢の人間がドクターには理解ができなかった。相変わらず日照りは強く、人口密度の高さが籠った熱に拍車をかける。
    やっとの思いで人の波から逃れ、大通りから少し離れた並木道の木陰でドクターは息を吐いた。地平線まで立ち並んだ樹木は青青と葉を茂らせて、風が吹くたびに控えめに音を鳴らしている。道を外れて木肌に手を置くと地面が緩やかな傾斜を作って、その先で小川がせせらいでいた。

    「ちょい、そこの兄ちゃん」

    背後から掛けられた言葉にドクターは振り返った。
    藁編みの帽子を深く被り、汚い茣蓙に腰を下ろしたアダクリス人が白い牙を覗かせてニタと笑いかけた。
    「......私のことか?」
    「そう、あんたさ。随分暑そうな格好だな、こっちに来て涼みに来たらどうだ」
    「心配には及ばない。見た目は暑いが通気性には気をつけているんだ、このコート」
    「察しが悪いな。別にあんたの心配はしちゃいないさ、俺の売り物を見てってくれって言ってんのさ」
    帽子のアダクリス人は大袈裟に肩を落として溜息を吐いた。横柄な態度にドクターはバイザー越しに眉を上げた。
    「閑古鳥の鳴いてるところ悪いが、私は買い物をするつもりはないんだ」
    「はあ?ここは商いの場だぜ、何しに来たんだよ。観光場って程見栄えのいいものでもないし」
    「ただの部下の付き添いさ。なんでもここでしか売られていない鉱石が欲しいみたいでな、以前ここに来た時に気に入ったらしい」
    「ああ、確かにこのマーケットにはアカフラ原産の逸品が勢揃いだからな。他じゃあお目にかかれないものばかりだ。それにしてもただの付き添いでこんな辺境に訪れるなんて随分人のよろしい事で」
    「たまの休暇だったんだ。とくにする事も思いつかなかった時にお誘いが来たものだからな、人混みに揉まれてやっと今こうして休みにきたんだ」
    「ハハッ、苦労人みたいだな。その不審な仮面越しに疲れが見て取れる」
    「君こそこんな寂れたところで帽子を深く被って、不審さでは負けていないと思うぞ」
    「あんたみたいに人混みに負けて疲れて涼みに来る人間が何人かいるのさ、俺はそいつらを狙ってるのよ」
    「成果はどうだ?」
    「見ての通りさ」
    アダクリス人が再びしょんぼりと肩を落として息を吐く。そしてゲハハと大きな口を開いて笑い飛ばした。ドクターもそれにつられ笑みを溢した。数分話しただけでこのアダクリス人が馴染み易く、人の良い男だとドクターには思えた。
    「それで。どれにする兄ちゃん?」
    「おい、話を聞いていたのか」
    「知ってるさ、けど金はあるんだろう?素寒貧な俺を助けると思って見てってくれよ。それに折角ここまで来たんだ、付き添いといえど楽しまなくっちゃ損だぜ」
    帽子から覗かれた片瞳をパチリと瞬かせアダクリス人は笑った。人を乗せるのが上手い男だと、ドクターは思った。
    「.......何があるんだ」
    「よし来た!」
    アダクリス人は物品にかかった風呂敷を取っ払い、茣蓙一杯に商品を並べた。その風呂敷は埃を防ぐために被せていたのだろうが、取り払われた後に現れた物品達はどれも埃の匂いが染み付いて古びていた。
    「殆ど書物か....?なんの書物なんだ?」
    「見開き1ページなら試し読んでもいいぜ」
    座り込むアダクリス人に目線を合わせるように屈むと、ドクターは一冊一冊手に取って萎びた表紙を眺めた。そして濃紺色の、短編集くらいの厚みを持った冊子に目をつけると丁度真ん中辺りのページを見開いた。
    「.....な、なんだこれは、手書きじゃないか!しかも酷く汚い字だ」
    「今時活版印刷じゃないのも味があっていいだろ?」
    「君が適当に書いたわけじゃないだろうな」
    「俺は言うなれば旅商人みたいなことをしててよ、そいつらは正真正銘その旅路での拾い物だ。出所も不明だし俺が読んでも珍紛漢紛だったから、あんたが買ってくれるならその執筆人も喜ぶさ」
    よれた紙端、褪せたインクからその本が最近書かれたものでない事は察する事ができる。肝心の内容はある国についての様子や出来事を淡々と記述した、所謂紀行文のようだった。依然ニマニマと笑みを浮かべるアダクリス人を尻目にドクターは右上から順に掠れた文字を追った。


    『ーーーは僕を降ろし走って行った。ここは母なる道と呼ばれているらしい。僕は更に西方を目指した。スケッチブックを抱え、例に倣い親指を上げた。砂埃を上げてタイヤを止めたのは赤のジープだった。最新式だ。僕の心は踊った。次に僕を乗せてくれたのは陽気な口調の黒人だった。彼は無学な僕に色々なことを教えた。この先に大きな渓谷があるらしい。そして更に先には大きな砂漠だ。昼食にしようと彼が言ってパーキングのレストランでハンバーガーを食べた。そこで[掠れて読めない]から旅行に来たと言う白人と友達になった。彼は懐から弦楽器を取り出すと見事な腕前でそれを弾き、瞬く間にレストランはコンサート会場になった。僕を乗せてくれた黒人は[掠れて読めない]の歌を歌った。僕は手拍子をした。夕方になってもコンサートは終わらなかった。黄色のコルベットに乗ったカップルがレストランに駐車すると二人とも乗り気で管楽器を吹き始めた。レストランの店主が奥からキーボードを持ってきた。我慢できなくなったみたいだ。日が暮れる頃にはここは小さなオーケストラだった。僕はやっぱり手拍子をした。そしてここはやはり自由の国なのだと思った。』


    「おっと、そこから先は有料だぜ」
    無意識にページを開こうとしたドクターの肩が震えた。驚いた素振りで顔を上げるとやはりニマニマとアダクリス人は笑っていた。
    「言っただろ、見開き1ページだって。どうだい、お気に召したか?」
    「......よく分からない本だな。ジープ...黒人?白人?聞いたことのない単語ばかりだ、しかもそれが執筆者にとっては当たり前のように書かれてある」
    「なんだ、兄ちゃんにも分かんねえのか」
    「ああ、地の文もなんだか稚拙に感じるし、紀行文の体をした唯の素人の小説なんじゃないか」
    「そうかい、その割には随分夢中だったぜ」
    反駁する代わりにドクターは音を立てて本を閉じた。もう一度じっくり表表紙を凝視すると濃紺に紛れて黒く掠れた字形が伺えた。
    「......ルート、66?」
    「聞いたことあるかい?」
    「いや、ないな。名前から察すると国道のことか....?」
    「それは読んでみりゃ分かるぜ」
    一言断りアダクリス人は尻ポケットから煙草を取り出し火をつけた。それを大顎を開き、牙の隙間に挟み美味そうに煙を吐いた。器用なものだとドクターは思った。
    「そいつを拾ったのは何処だったか....ああ、そうだ。サルゴンの南の砂漠に行った時だ。黄色い砂の中にポツンと廃民家があってな、屋内は砂だらけで人が住めるような場所じゃなかった。めぼしい物も見当たらなかったもんで帰ろうとした時にふと広間を覗けば小机にこれが置いてあったんだ。なんとなく拾って欲しそうに見えたよ、本の分際でな」
    「それ窃盗じゃないのか」
    「玄関が空いてたんだ、大目に見てくれよ」
    アダクリス人は煙草の箱を開けてドクターの前に差し出したが、ドクターは首を振った。
    「俺もそいつを読んだ時訳が分からなくて色々調べたもんさ。唯のフィクション小説だろうけどな、何故か割り切れなかった。字体とか文脈とか、何かは分からないがその何かが俺に違和感を抱かせたのさ。兄ちゃんもそうなんじゃないのか?」
    アダクリス人は短くなった煙草を牙から抜くと地面に押し付け、意外にも行儀良く懐から取り出した鉄の吸い殻入れにしまった。
    「読んでる時のアンタ、子供みたいな目してたぜ」
    「.....バイザーをしてるのに目なんて見えたのか」
    「ゲハハ、バレたか」
    五月蝿く笑うアダクリス人を横目にドクターは本の表紙を何度か撫でた。ざらざらとした手触りと古本特有の渇いた埃の匂いが鼻腔に香り、ふっと息を吐いた。

    「.....いくらだ」
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