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    duckling98x

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    ##ガンマト

    培養槽ガンマト 柔らかな青い光に包まれていた。

     思考はまだぼんやりと霞がかって上手く働かない。ただ心地の良い浮遊感があり、温かなものに包み込まれているような安堵感があった。こぽこぽと音を立てて、時折足元から透明な泡が立ち上っていく。肌に布をまとう感覚はなく、視界の端に揺蕩う前髪が淡い光を受けて銀色に輝いていた。
     どうやらこの身は裸のままで水の中に浮かんでいるらしかった。それなのになぜ息が苦しくないのか、どうしてこんなところにいるのだろうか。奇妙な状況に、疑問符が頭の中に浮かんでは霧散していく。不思議と恐怖も不安もなかった。恐らくこれはそういう夢なのだろう。
     マトリフは胎児のように体を丸め、まどろみの中にじっと身を預けていた。

     次第に意識が鮮明さを取り戻していく。そこでようやく、これが夢でなく現実であることに気が付いた。伏せていた顔を僅かに上げ、不明瞭な水の中に目を凝らす。するとすぐ目の前にはうっすらと自分の影が映っていて、そこにガラス質の透明な壁があることが分かる。ゆるく曲面を描く壁はマトリフの周りをぐるりと囲んでいた。背を中心として体のあちこちからは細いチューブが伸び、天井へと繋がっている。何か実験に使用される培養槽のようなものに閉じ込められているらしい。水槽の向こう側は闇一色で、室内の様子はよくわからない。
     ふとその暗がりの奥で大きな影が動いた。影は真っ直ぐにこちらへと向かってくる。近づくにつれ、その輪郭が徐々に姿を現す。こちらを見下ろす青い体躯は、マトリフのよく見知った姿だった。

    ―ガンガディア。
     名を呼ぼうとして、掠れ切った声は音にはならなかった。代わりに口の端からごぽりと泡が零れ出る。それで十分のようだった。分厚い大きな掌がガラスに這わされ、鋭い爪の先がかつんと音をたてる。ガンガディアは目を見開いて、穴が開くほどにマトリフを見つめていた。
    「……マトリフ」
     その眦に滴が溜まり、青い頬を伝い落ちていく。水槽に額が擦り付けられる。耐えきれぬように漏らされる嗚咽を、マトリフはただ戸惑いながら聞いていることしかできなかった。ガラスに縋り付くように、膝を折ったガンガディアの体がずるずると崩れ落ちていく。
     腰の高さで俯いたその顔に向かって、マトリフはぎこちない動きで手を伸ばした。しかし、透明な壁に阻まれてガンガディアには届かない。もどかしさを覚えながら、水槽に張り付いた額を撫ぜるように指で辿った。促されるようにガンガディアが顔を上げる。
    「……ガン、ガディア」
     再び名を呼んだ声は、今度はどうにか音となってガンガディアの耳に届いたらしかった。ガンガディアは顔を濡らしたまま、応えるように小さく頷きを返す。食い入るようにマトリフを見つめ、その先を待っている。
     マトリフは一度唾を飲み込んで喉を湿らせると、また口を開いた。
    「……オレは、どうして、生きてるんだ……?」
     マトリフは眠りにつく前の最後の状況を思い出していた。住み慣れたあの洞窟で、この身は確かに鼓動を止めた筈だった。寿命だった。

     その問い掛けにガンガディアはびくりと身を竦ませる。しばらく逡巡した後で、俯きがちに震える声を絞り出した。
    「……ここは、かつてザボエラが研究施設として使っていた場所のひとつだ。君の体をここへ運び、蘇生を試みたんだ」
     研究は未完成のまま放棄されていた。それでもこれを試すほかになかった。藁にもすがる思いで、ガンガディアは温度を失っていくマトリフの体を装置の中へと沈めた。マトリフが息を吹返したのは奇跡でしかなかったが、それでも意識だけは戻らぬまま3年が経った。その間ガンガディアはずっと一人で、目覚めるとも分からないマトリフの目覚めを待っていたのだ。
    「……ずっと、ずっと待っていた。君が目を覚ます日を……」
     ぽつりぽつりとガンガディアが語るのを、マトリフはただ黙って聞いていた。話し終えるのを待って、マトリフは小さく口を開く。
    「オレはもう、人間じゃねぇんだな」
     ガラスに写る自身の姿は不鮮明ではあったが、最後の記憶より幾分若いことは見て取れた。何より身の内に流れる魔法力の質が、人のそれとは違うことを物語っている。
    「……すまない……君がそれを望んでいないことは分かっていた……」
     人としてのマトリフの体は寿命を迎え、延命するには体を作り変えるほかなかった。
    「君の意思を……人間としての死を受け入れたつもりだった…………それでも、気付いたら君を抱えてここにいたんだ……君を失うことが耐えられなくて、私は……ッ」
     項垂れたまま声を震わせるガンガディアをただじっと見つめる。いつ目覚めるか分からない、二度と目覚めないかもしれない人を待つ心細さは身に沁みて知っていた。凍りついた勇者を前に無力さを噛み締めたかつての己が重なる。
     ガンガディアの嗚咽をひとしきり聞いてから、マトリフは一つ息をついた。
    「悪かったな、待たせちまってよ」
     その言葉にガンガディアは顔を上げ、驚いたように目を見開く。
    「怒って、いないのかね……?」
    「馬鹿野郎、怒ってるに決まってんだろ。怒っちゃいるが、なっちまったもんはもうしょうがねぇじゃねぇか」
     第一こんな姿を見てしまったら怒るに怒れないだろう。呆れたように首の裏をぽりぽりと掻く。我ながら随分と厄介な男に捕まったらしい。それにもし逆の立場だったとしたなら、自分が同じことをしなかったとは言い切れない。
     開き直ることに決めたマトリフは、水中にどかりと胡坐をかいた。そのいつも通りすぎるほどの振る舞いを見て、ガンガディアは面食らったようにぽかんと口を開ける。
    「オレぁこっから出れねぇのかよ」
    「……体が変わりきるまではここからは出せない」
    「そりゃいつまでかかるんだ」
    「今までの経過から見て、あと1年ほど」
    「……1年この中か……」
     この殺風景な金魚鉢の中に浮いたまま、あと一年。想像してマトリフは鼻を鳴らす。
    「ま、本の中にいた時に比べりゃあっと言う間だな」
     そうして未だ呆けた表情のままのガンガディアに、にやりと笑みを浮かべた。
    「だからいつまでも辛気臭いツラしてんじゃねぇ」
    「……マトリフ……っ」
     逞しい腕が水槽の側面に回される。ガラス越しではハグの一つもままならないなと思いながら、マトリフも答えるように透明な壁へと指を這わせた。その大きな体が小刻みに震え、振動が微かにガラスへと伝わるのが分かる。
    「君に、会いたかった……もう二度と、私を置いていかないでくれ……ッ」
    「ったく、まさかあの世から引きずり戻されるとは思ってなかったぜ……」
     人の身としては十分すぎるほどに生きた。沢山を見送った。やっと上がりだと思った矢先、この先あと数百年の生を与えられて怖くないと言えば嘘になる。
    「……責任取ってくれるんだろうな」
    「勿論だとも。必ず君を幸せにしてみせる」
     迷いのない力強い答えに胸の奥が震える。
    「どうか、これからもずっと私と共に生きてほしい」
     涙に濡れたまま、しかしまっすぐな瞳に射抜かれて頬が熱を持つ。これではまるでプロポーズだ。その執着心の強さに呆れながら、それを笑う資格もないのだろう。人の身のまま死ぬことを選んでおきながら、こうして生き永らえて、またガンガディアの声が聞けることに胸が満たされて堪らない。直にその青い肌に触れて、鼓動と熱とを感じたくて堪らなかった。
     胸に込み上げる熱さにマトリフはぎゅっと目を瞑る。返事の代わり、その広い胸にガラス越しに額を擦り付けた。 
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