おやすみ、とリビングで百之助に言い部屋に戻ったのはいったい何時間前だろうか。ベッドの中でスマホをいじってた時間があるから、2時間……3時間くらいは経ってるはず。つまりいまは真夜中ってことなんだけど。
いつの間にかダブルベッドの隅のほうに百之助が小さくなって寝ていた。いや正確には狸寝入りだ。寝たふりをして、寝ている僕の隣でじっと息を潜めている。僕に触れてくることはないし、僕が寝返りをうってもぶつからない位置に移動してる。日が昇るまでずっとそうしていて、朝になるとこっそりベッドを出て自分の部屋に戻る。そして何事もなかったかのように起きてきたふりをして自室から出てくる。
付き合い始めても寝室を別にしたいと言ったのは百之助だった。その代わり一緒に寝たい時は申告して、された方は余程の事情がない限り断らないこと。「今日お前の部屋行くから」「わかった」という会話をして、ただ一緒に眠るだけになるのかセックスをするのかはベッドの中で決める。
百之助だって普段はちゃんと言うし、僕は断ったこともない。けれど、ごくたまに勝手にベッドに潜り込んでは何もせず部屋を出ていく。
別にいいけどさ、素直に甘えて来いよと思う。なんかあったなら教えてほしい。いや、教えてくれなくてもいいから僕に慰めてほしいと言え。
今夜はとうとう行動に出ることにした。起き上がって、ベッドの端で胎児のように丸まっている百之助の上に乗っかった。百之助が驚いた顔をして目を見開く。
「な、」
「何してんのはこっちのセリフ」
逃げ出そうと百之助が暴れるので力づくで抑え込んだ。
「百之助が可愛いことしてくれるから一緒に寝たくなっちゃったじゃん。ね、今日は一緒に寝よ」
「っ、俺は戻る」
「そんなこと言わないで、僕の側にいて」
ね?と首を傾げれば百之助は「……仕方ねぇな」と抵抗をやめた。お前だってひとりで寝たくないくせに、素直じゃないね。
「ほら、こっちおいで」
枕に頭を乗せて、百之助の方を向いて両手を広げてみせたら百之助は首を横に振り、ベッドから離れていた左肩をとんと押した。体が仰向けに倒れて、視界から百之助が消えて天井が現れる。と思ったら腰の上に百之助が跨ってきた。
「お、ヤる?」
「ヤんねぇ」
らしくもなく、どこか遠慮がちにゆっくり上半身が倒れてきて、最後に百之助の頭が乗っかった。胸から股間まで百之助とぴったりくっついたことになる。よしよしと形の良い頭を勝手に撫でたけれど、百之助は何も言わなかった。
「今日はこれで寝るの?」
「重いか?」
「ううん、へーき」
ベッドに投げ出されたままの左手に百之助の手が重なって握り込まれる。指と指の間に潜り込んできた無骨な指は冷たい。
「動いてる」
「ん?」
「心臓」
「そりゃそうでしょ、生きてるし」
足で器用に掛け布団を百之助の背中にかけて、右手で引っ張り上げる。百之助の肩が隠れるようにかけてやって、また丸い頭を撫でる。百之助は顔に出してないつもりかもしれないけれど、頭を撫でるとほっとしたように口元が緩む。自分のしたことを親に褒められて喜ぶ子どものようだ。間違ってなかった、喜んでもらえた、そういう自尊心の根拠みたいな感情を与えられてこなかったから、いま僕が少しずつ与えてやっている。
「僕、明日7時起きだから。百之助も起きてよね、この体制じゃお前を起こさないようにするのは無理だから」
「わかってる」
おやすみ、と言って目を閉じる。百之助が乗っているせいか、いつもより自分の心音が気になってしまう。とくん、とくん。一定のリズムを生み出すそれを百之助に聞かれていると思うと逆に緊張する。
「寝たら2度とお前に会えなくなるんじゃないかと、怖くなる時がある」
ポツリと百之助が呟いた。
「お前と出会ってからのことは全部幻で、本当の俺はずっとひとりだったとわかって絶望する夢を見ることがある。それがあまりにもリアルで、どちらが夢かわからなくなる」
僕は黙って百之助の頭を撫で続ける。いつも百之助が自分でやるように、髪を撫でつけるように手のひらを動かす。
「お前がいなくならないようにお前の上に乗ったし手も握った。心臓の音が聞こえるしお前の匂いもする。だから……大丈夫だよな?」
「大丈夫だよ」
僕は頭を撫でていた手で百之助の頭を抱き締めた。
自分の心に鈍感ですぐにマウントを取りたがる百之助が素直に弱音を吐くなんて珍しい。それは夜の心細さのせいかもしれないし、暗闇という安心感のせいかもしれないし、いずれにしろ応えなければならないと僕は本能的に直感した。
「僕は百之助を置いて行かない。ちゃんと2人の部屋に帰って来るよ。不安になったらその度に僕に言え、そうしたら僕が全部お前の不安を取っ払ってやるから」
我ながらクッサイ台詞だなぁと思う。でも紛れもない本心だ。
「睡眠不足は体とメンタルに良くないから、寝られそうなら寝ろよ。朝はお前が嫌だって言っても叩き起こすから安心しろ」
そろそろ僕も眠い。百之助のちょうど良い重みと人肌の温もりが眠気を誘う。
寝落ちる前に「ありがとう」という百之助の声を聞いた気がした。どうせなら「時重くんありがとう愛してる」くらい言ってくれてもよかったのに。まあそれはおいおい、これからも僕と百之助は一緒に生きていくのだから。